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日曜日、話し相手
日曜日、話し相手
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早めに起きた莉久は梓眞に教わって卵焼きを作った。怜司の好きな食べものが甘い卵焼きだと聞いたときには、可愛いと思ってしまった。もっと大人っぽいものが好きそうなので意外だ。
怜司が起きてきて朝食の席につくと、テーブルに並ぶ卵焼きに目を留めた。
「それ、莉久が作ったんだよ。怜司にお礼がしたいからって」
「作ったの? おまえが?」
怜司は莉久に視線を移す。
「うん……。あんまり綺麗にできなかったけど」
いびつな形にできあがった卵焼きをひと切れ食べた怜司は、口もとを緩めた。
「うまいよ。ありがと」
「よかった」
ほっとする莉久を見つめる怜司の瞳が優しくて、なぜか恥ずかしくなった。
朝食を食べながら、逃げ出したほどに怖くて受け入れられなかったふたりとの時間が、とても楽しくなっていることに気がついた。
今日は日曜日で、しかもバイトが休みなので、怜司の部屋に行ってみた。怜司もシフトが入っていないと言っていた。
「なんだよ」
そんな言い方をしながらも部屋に入れてくれる。前ほどの緊張もなく、貧相な莉久は手を出されない安心感もあって、怜司の部屋に行くのも怖くなかった。
「ねえ、怜司さん」
「なに?」
「梓眞さんってまだ父さんのこと好きなんだよね? やり直したいって思わないのかな?」
「……」
突然の話題に訝るような視線を向けた怜司は、すぐに自分の手もとに視線を落としてスマートフォンをいじりはじめた。莉久は怜司の隣に座り、彼の腕を揺らす。
「……梓眞さんが言ってただろ。おまえの父親が決めたことを尊重するって」
梓眞と灯里のハッピーエンドを邪魔しているのは莉久だ。このままで本当にいいのだろうか。
「おまえは知りたがりだな」
「知らないと気持ち悪いから」
「……知らないほうがいいこともあるけど」
「どういう意味?」
さあね、と会話を切った怜司の腕をもう一度揺らすと、面倒くさそうな視線を向けられた。そんな表情をしていたって、かまってくれることは知っている。
「あのさ、前に梓眞さんに怜司さんのこと聞いたら、怜司さんのことを知りたいのが、ただの興味や好奇心なら放っておいてあげてほしいって言われたんだけど、どういう意味かな?」
莉久の中にある気持ちはただの興味や好奇心なのか、考えてみてもわからなかった。ただ、怜司が自分から話してくれるのを待つのがいい、という結論には至った。
「おまえさあ」
呆れたようにため息をついた怜司は、莉久の頭を小突く。
「そういうことは本人に聞くなよ」
「あ……」
「馬鹿正直にもほどがある」
笑われて頬が熱くなった。たしかにそのとおりだと今さら恥ずかしい。考えすぎてわけがわからなくなり意見を求めたが、本人に聞いてどうする。
「……怖がりなおまえがひとりの家に帰れないのとは、ちょっと違うけど」
「え……?」
かすかな声に耳をそばだてる。
「ひとりは寂しいよな」
隣の怜司はいつかのように愁いを帯びた瞳をしていて、その中には諦めも滲んでいるようにも見えた。
また隔たりを感じ、この透明な壁は、どのくらいの厚さだろうと考える。近寄りたいのに近づけない。怜司が莉久に心を許していないから、鍵は開かないのかもしれない。
「それは……どういう意味?」
だが、今日はなにかが返ってきそうな気がした。なんとなくだけれど、そんな雰囲気がある。
「うまく答えられないんだ。悪い」
情けなく眉をさげて微笑む笑顔に、心臓がぎゅっと鷲掴みにされるような痛みを覚えた。せつない表情は心を揺さぶり、胸を締めつける。それでも、以前よりは近づけたように思えるのは、莉久の勘違いだろうか。
どうしたらいいのだろう――次に莉久の頭に浮かんだのは、ひとりが寂しいのならひとりでいなければいい、ということだった。
「それなら、俺が怜司さんの話し相手になる!」
「は?」
「そうしたら寂しくないでしょ?」
またも呆れたように息をついた怜司だったが、顔をあげて優しく目を細めた。
「馬鹿か」
くしゃくしゃと髪をかきまぜられる。柔らかな瞳と温かくて大きい手は、莉久の心を不思議な疼きでくすぐった。
怜司の話し相手に立候補したからには頑張らなくては、と怜司の分と莉久の分、ふたつのカップを持って張り切って怜司の部屋に行く。
「なんか用か」
冷たく言いながらも部屋に入れてくれて、カップの中身のココアを見た怜司は苦笑した。
「今日暑いだろ」
「冷めてから飲めばいいって怜司さんが言ったじゃない」
昨日のことを思い出しても、もう怖くなかった。怜司が絶対守ってくれることがなぜか確信できて、恐怖を消してくれた。
「おまえ、ゲイの男と一緒になんていられないって逃げ出したくせに」
「あのときはね。貧相な俺には手を出さないんでしょ?」
「出さねえよ」
軽口を叩きながらココアを飲むと、やはり暑くて額に汗がじわりと浮かんだ。エアコンが効いていてもきつい。
「これ暑いね」
「だろ」
「他のもの持ってくる」
立ちあがろうとしたら、腕を掴んで止められた。怜司は首を横に振る。
「冷めてから飲めばいいんだろ?」
「う、ん……」
冷めるまで話し相手の役割をさせてくれるのかと心が浮き立つと同時に、掴まれた腕が熱い。腕から全身へと熱が広がっていく。
「れ、怜司さんは卵焼きの他にはなにが好き?」
「特にこれといってない」
「ウインナーは好きでしょ? よく俺の取るし」
話をふって答えてくれることと、答えてくれないことがある。答えてくれないことについては、触れないほうがいいのだと理解して話題を逸らす。
あえて触れないけれど、やはり怜司に興味がある。その興味はどうしてと聞かれたら莉久も答えられないけれど、知ってみたい。知ればもっと近づける気がするから。
だが、莉久が近づこうとすると怜司は距離を取る。いつも同じ距離を保とうとする。ここにいるあいだに、彼にどのくらい近づけるだろう。
そこでもう一週間が経っていることに気がついた。あと半分の期間しか残っていない。三人での生活が、いつの間にか居心地よくなっていた。
怜司が起きてきて朝食の席につくと、テーブルに並ぶ卵焼きに目を留めた。
「それ、莉久が作ったんだよ。怜司にお礼がしたいからって」
「作ったの? おまえが?」
怜司は莉久に視線を移す。
「うん……。あんまり綺麗にできなかったけど」
いびつな形にできあがった卵焼きをひと切れ食べた怜司は、口もとを緩めた。
「うまいよ。ありがと」
「よかった」
ほっとする莉久を見つめる怜司の瞳が優しくて、なぜか恥ずかしくなった。
朝食を食べながら、逃げ出したほどに怖くて受け入れられなかったふたりとの時間が、とても楽しくなっていることに気がついた。
今日は日曜日で、しかもバイトが休みなので、怜司の部屋に行ってみた。怜司もシフトが入っていないと言っていた。
「なんだよ」
そんな言い方をしながらも部屋に入れてくれる。前ほどの緊張もなく、貧相な莉久は手を出されない安心感もあって、怜司の部屋に行くのも怖くなかった。
「ねえ、怜司さん」
「なに?」
「梓眞さんってまだ父さんのこと好きなんだよね? やり直したいって思わないのかな?」
「……」
突然の話題に訝るような視線を向けた怜司は、すぐに自分の手もとに視線を落としてスマートフォンをいじりはじめた。莉久は怜司の隣に座り、彼の腕を揺らす。
「……梓眞さんが言ってただろ。おまえの父親が決めたことを尊重するって」
梓眞と灯里のハッピーエンドを邪魔しているのは莉久だ。このままで本当にいいのだろうか。
「おまえは知りたがりだな」
「知らないと気持ち悪いから」
「……知らないほうがいいこともあるけど」
「どういう意味?」
さあね、と会話を切った怜司の腕をもう一度揺らすと、面倒くさそうな視線を向けられた。そんな表情をしていたって、かまってくれることは知っている。
「あのさ、前に梓眞さんに怜司さんのこと聞いたら、怜司さんのことを知りたいのが、ただの興味や好奇心なら放っておいてあげてほしいって言われたんだけど、どういう意味かな?」
莉久の中にある気持ちはただの興味や好奇心なのか、考えてみてもわからなかった。ただ、怜司が自分から話してくれるのを待つのがいい、という結論には至った。
「おまえさあ」
呆れたようにため息をついた怜司は、莉久の頭を小突く。
「そういうことは本人に聞くなよ」
「あ……」
「馬鹿正直にもほどがある」
笑われて頬が熱くなった。たしかにそのとおりだと今さら恥ずかしい。考えすぎてわけがわからなくなり意見を求めたが、本人に聞いてどうする。
「……怖がりなおまえがひとりの家に帰れないのとは、ちょっと違うけど」
「え……?」
かすかな声に耳をそばだてる。
「ひとりは寂しいよな」
隣の怜司はいつかのように愁いを帯びた瞳をしていて、その中には諦めも滲んでいるようにも見えた。
また隔たりを感じ、この透明な壁は、どのくらいの厚さだろうと考える。近寄りたいのに近づけない。怜司が莉久に心を許していないから、鍵は開かないのかもしれない。
「それは……どういう意味?」
だが、今日はなにかが返ってきそうな気がした。なんとなくだけれど、そんな雰囲気がある。
「うまく答えられないんだ。悪い」
情けなく眉をさげて微笑む笑顔に、心臓がぎゅっと鷲掴みにされるような痛みを覚えた。せつない表情は心を揺さぶり、胸を締めつける。それでも、以前よりは近づけたように思えるのは、莉久の勘違いだろうか。
どうしたらいいのだろう――次に莉久の頭に浮かんだのは、ひとりが寂しいのならひとりでいなければいい、ということだった。
「それなら、俺が怜司さんの話し相手になる!」
「は?」
「そうしたら寂しくないでしょ?」
またも呆れたように息をついた怜司だったが、顔をあげて優しく目を細めた。
「馬鹿か」
くしゃくしゃと髪をかきまぜられる。柔らかな瞳と温かくて大きい手は、莉久の心を不思議な疼きでくすぐった。
怜司の話し相手に立候補したからには頑張らなくては、と怜司の分と莉久の分、ふたつのカップを持って張り切って怜司の部屋に行く。
「なんか用か」
冷たく言いながらも部屋に入れてくれて、カップの中身のココアを見た怜司は苦笑した。
「今日暑いだろ」
「冷めてから飲めばいいって怜司さんが言ったじゃない」
昨日のことを思い出しても、もう怖くなかった。怜司が絶対守ってくれることがなぜか確信できて、恐怖を消してくれた。
「おまえ、ゲイの男と一緒になんていられないって逃げ出したくせに」
「あのときはね。貧相な俺には手を出さないんでしょ?」
「出さねえよ」
軽口を叩きながらココアを飲むと、やはり暑くて額に汗がじわりと浮かんだ。エアコンが効いていてもきつい。
「これ暑いね」
「だろ」
「他のもの持ってくる」
立ちあがろうとしたら、腕を掴んで止められた。怜司は首を横に振る。
「冷めてから飲めばいいんだろ?」
「う、ん……」
冷めるまで話し相手の役割をさせてくれるのかと心が浮き立つと同時に、掴まれた腕が熱い。腕から全身へと熱が広がっていく。
「れ、怜司さんは卵焼きの他にはなにが好き?」
「特にこれといってない」
「ウインナーは好きでしょ? よく俺の取るし」
話をふって答えてくれることと、答えてくれないことがある。答えてくれないことについては、触れないほうがいいのだと理解して話題を逸らす。
あえて触れないけれど、やはり怜司に興味がある。その興味はどうしてと聞かれたら莉久も答えられないけれど、知ってみたい。知ればもっと近づける気がするから。
だが、莉久が近づこうとすると怜司は距離を取る。いつも同じ距離を保とうとする。ここにいるあいだに、彼にどのくらい近づけるだろう。
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