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十一月『羅刹女』
その四
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「――それから一年間、私は柄田家に世話になっていた」
修一郎が淡々と語り終えてやっと一息つくと、それまで譚を黙って聞いていた男――七本三八はおもむろに口を開いた。
「……で、そこからなんでうちに来たのかな。柄田家で修行の真っ最中なのに、小生に弟子入りしたいなんてどういう了見だ」
柄田家は先にも述べた通り、有能な若者を帝国司書、あるいは禁書士に育てあげる教育機関のような側面のある家系である。帝国司書隊養成の名門校のようなもの、と言いかえても差し支えない。
しかし、教育機関のようだからと言うべきか、あるいは教育機関だというのにと言うべきか、修一郎は思わぬ壁にぶち当たっていたのである。
「有り体に言って、柄田家の教育が遅い。もう帝国司書や禁書士の資格を取る上で必要な知識は調べ尽くした。あとは実践のみだが、時期尚早だと言われている。実際のところは、私より先に養子入りした者たちの尊厳を保つために私を追い越させたくないようだが、そんな事情に構っていては三年以内に禁書士にはなれん」
修一郎の養子入りの手引きをした綾城の、あの小馬鹿にしたような目というのは、実は修一郎の聡明さを見くびっていたからではなかった。むしろ聡明さを認めていたからこその哀れみからきたものだったのである。
「道場を使って自主的に訓練しようとすれば先輩方が一日中占領するし、見て盗もうとすれば追い払われる。『あともう二年ほどは勉強しておけ』とのありがたいお言葉付きでな」
修一郎がむくれるのに同調し、くだらない、と三八は心底の呆れの念を込めたため息とともに零した。だから柄田家は嫌いなんだ、とも零しているあたり、どうやら苦い経験があるようである。
そんな表沙汰にはされない、というより、修一郎が優秀すぎるゆえに露見した形式的な柄田家の教育観や風潮はともかくとして、三八は修一郎に改めて聞き直す。
「どうしてそんなに早く禁書士になりたいのかな? 去年起きた事件の捜査に加わりたいという絶対的な目標があるにしてもだ。身内が身内を大量に殺したという目も当てられん事件を追うという、それこそ地獄を突き進むような道のために。そんな気が狂うような苦痛からは逃がれたいと思わんのか」
――正気とは思えない。
ようは、そういうことである。
「先ほども言った通り、私の手で妹の罪を雪ぐためだ」
「それはつまり、妹を自分の手で屠るということかな。それまで男勝りな性格を好ましいと思い、溺愛までしていたというその妹を斬ると。そう言いたいのかな」
「ああ」
修一郎はなんの躊躇いもなく、それに頷く。修一郎にしてみれば愚問とも言えるその問いかけは、三八にしてみれば意地悪のつもりであった。予想とは違う反応に、三八の口角は自然と吊り上がる。
「なにゆえ、罪を雪ぎたいと願うのだ」
修一郎の態度に興奮すら覚えていた三八は、しかしそれを真面目な仮面で抑えて深く問う。問われた修一郎は、極々真面目な態度で答える。
「死ぬためだ」
「ほう」
「一族と共に死ねなかった、一族と共に死ぬことから逃げたこの悔いが、この羞恥が、ただただ生きながらえることで消えようものか。私は草葉の陰で笑いものになっていることだろう。だからといって今更命を絶っても、どの面下げて一族に会いにいけと言うのか」
敵前逃亡、敵意のない者への暴挙――いずれも武士の家系たる鍔倉が嫌う士道不覚悟というものである。そもそも武士などいない大昌の時代ではもう古いと言われる概念だが、鍔倉は雪深い越午の山の頂上にある、言わば陸の孤島――地域格差や地形的な問題で歴史の流れから遅れをとっていたために、その概念もそう古くはない。
修一郎もまたその古き概念に囚われた、曲がりなりの武士であった。
「だから、妹の首を冥土の土産にする。それが叶わなかったとしても、戦って戦い抜いての死であるのなら、名誉あるものとしては許されよう」
至極真面目に答えてのけた修一郎に、三八は今度こそ興奮を隠すことなく笑みを見せた。黒子のある口元は邪悪に歪み、目の色は獰猛で、まさに修一郎が評した悪魔と言って差し支えない卑しい表情だ。
「いいねぇ、ここまで吹っ切れてると却って気持ちがいいねぇ」
本当なら三八は声を上げて笑いたいほどであったのだが、さすがに店の表まで響き渡るような大声を出す訳にもいかず、肩を揺らすことで抑えていた。それでも、喉から漏れ出るくくっ、という声は抑えきれなかった。
「涙を流しながら兄妹愛を語られるよりもずうっと潔い。ここまで気持ちよく泥沼と化した譚も珍しいものだ。いいだろう」
それまで三和土に座っていた三八はすっくと立ち上がると、中に入りなさいと修一郎を手招き、自らの根城に招いた。
*****
「鍔倉家の事件よりも少し前に、藤京で起きた事件のことは知ってるかい?」
店の奥に招かれた修一郎は、三八の書斎にあった座布団へほれほれと座らされながら、そう聞かれた。
「藤禁事件(藤京禁書事件)か?」
「そう。どんな事件だったかな」
「独裁国家を謳った譚本が禁書化したんだろう。その毒を討伐した際の断末魔で大規模な地震が起こり、藤京の街全体を破壊した。民主団体の抗議活動で儀式的に行われた譚本の焚書に端を発した事故――だったか」
「ほう、藤京の人間でもないのにそこまで知っているか」
修一郎にとってこの程度は造作もない、新聞によくよく目を通していれば情報は簡単に手に入る、常識と言える知識であった。
しかし、それにしても、三八の問いかけは唐突なものだ。大規模な地震で多数の死傷者を出した藤京禁書事件と、遠く離れた越午の鍔倉の事件と、この二つになんの関係があるのか。
そんな修一郎の疑問もしっかり見越して、三八は笑みを深くしてみせた。
「藤禁事件は鍔倉家惨殺事件という悪夢の序章に過ぎなかった」
「!?」
虚を衝いたその発言に修一郎が驚かないわけもなく。呼吸を忘れるほどに驚愕する彼へ追い打ちをかけるように、
「さらに言えば、藤禁事件は事故ではなく、人為的に仕組まれた事件だった」
と三八が重ねて言う。
「どういうことだ?」
「言葉のままだよ。藤禁事件は元々、本を燃やしたせいで起きたんだ。その本を提供しデモ隊に焚きつけた者がいた――といえばいいか? 焚きつけた者が目論んだ通り、藤禁事件で禁書の毒が顕現した――その時だろうかね。帝国司書がこぞって出払ったその隙に、帝国中央図書館の地下書庫からある禁書が盗まれた。そして、その盗まれた禁書こそが、君も巻き込まれた鍔倉家の事件の元凶――というのが帝国司書隊の見解さ」
ふう、と一度息をつく三八。言葉を一つ一つ咀嚼し呑み込んでいく修一郎に、今度は別の視点からの話が始まる。
「妙だと思わないか? 鍔倉家のだって単独で見るならば一族郎党皆殺しという随分な大事件だぞ? だというのに皆が皆、藤禁事件に気を取られている」
「……それは仕方がない。世間的に被害が大きかったのは藤禁事件の方だ。当事者の数で言うなら藤禁事件の方が圧倒的だし、そちらに気を取られていても妙だとは思わん。ただ、今の貴様の話を聞いて――私がそう感じていることまでひっくるめて、してやられたという感じだ」
「ほう、つまり?」
「つまり、藤禁事件は禁書を盗み出すための撹乱作戦――真の目的の準備段階。犯人の真の目的は鍔倉家のほうだった。さらに言えば、藤禁事件はただの揉み消し――一族郎党皆殺しという凄惨な事件から世間の目を逸らすための工作でもあった。現に今、鍔倉家の事件は新聞でもほとんど取り沙汰されないし、そのせいで禁書によるものと知る者さえ稀だ」
解説してやるまでもない修一郎の回答に拍手を送る三八。
修一郎はさらに続ける。
「それにしても新聞記事から姿を消すのが早すぎると思っていたが、貴様の話を聞いて得心した。帝国司書隊としても、失態を追求されては困る――というところか」
そう、鍔倉家惨殺事件は帝国司書隊にとっていかにも体面が悪い――厳重保管していた危険な禁書を盗まれた上、それを用いてでの殺人事件が起きてしまった――ということを示唆する出来事なのである。
加えて、と三八が補足を付け足す。
「その盗まれた禁書がまた問題なのだよ」
「どういうことだ?」
三八はおもむろに、懐から一冊の本を取り出した。そこに刻まれていたのは――。
「『羅刹女』。著者は――八田幽岳」
その名前を聞いた瞬間、修一郎の顔つきはそれまでとは比較にならないほど鬼気迫ったものとなる。怒髪天を衝くという言葉の通り、まさしく全ての髪の毛を、どころか全身の毛さえも逆立てるような憤怒に駆られた。
対して、あくまで客観的に冷めた態度をとる三八は、まあこれは写本だけどね、と言いながら本を懐に戻した。
「そりゃあまずいよねえ。帝国司書隊の、あろうことか頭目も密接に関わった不祥事だもの。新聞社が忖度したのか、帝国司書隊上層部の賄賂かは知らないけどさ」
修一郎は一年前に言われた綾城の言葉を、――覚悟しておけよ。この問題、相当根が深いからな――という言葉を反芻した。反芻して、ますます憤慨した。
これでは死んだ家族が、ただ一方的に屠られた家人たちが、従者たちが、あまりにも報われないではないか――と。
「なぜだ。なぜ鍔倉が滅ぼされなければならなかった! 私たちはただ、普通に暮らしていただけだろう。なぜ唐突に、このような事件に巻き込まれたのだ! 帝国司書隊にも、本にも、私の一族はまるで関係ないではないか!」
「関係ないよ」
そう、関係ない。
剣術の名家である鍔倉に、本など一切関係ない――しかし、そんなことは犯人にも、運命にも、歴史にだって関係ないのである。相手が誰であろうと、条件さえ合えばそんな些事は関係なかったのだから。
「奴らにとっては単なる実験だったのさ。ついでに言うなら、藤禁事件だって実験の一環だったのかもしれないし」
「実験だと? 何のだ?」
「禁書という兵器の威力だよ」
兵器。なにやら不穏で戦慄めいた雰囲気漂う単語に、修一郎は目尻を吊り上げる。
「『羅刹女』は第一級禁書――国内最上級に危険な禁書に指定されている。危険すぎる禁書である故に封印され、長い間使われてこなかったのだから、実際の威力はやはり使ってみないと分からない。鍔倉家はその実験をするにあたって、じつに最適な実験場だったということさ」
鍔倉家は剣術使いであれば誰もが知っているであろう、剣術道場として最高峰といえる家系――すなわち、それだけ厳しい修行に身を投じる猛者が溢れんばかりにいる。
「『羅刹女』はその名の通り、使用できる者が女武者に限定される。君の妹の噂もまあまあ大きかったというのであれば、相手にとっても目星はつけやすかろうて」
手練の女武者、武術に長ける多数の猛者――都合のいい対象に、大量の実験動物。鍔倉家は相手にとって申し分ない実験場であったのだ。
「誰だ、そいつは。その禁書で私たちの一族を皆殺しにしたのは!」
「敵は一人にあらず」
怒りをこらえきれずいきり立つ修一郎に対し、やはり三八はあくまでも冷静に、冷淡に、しかして声には段違いの真剣味を混じえて、その名を声に出した。
「尾前一派」
――帝国司書隊最大の仇敵にして禁書兵器の開発を目論む、元帝国司書隊の一派閥。
まさに、国賊とも言える一派であった。
修一郎が淡々と語り終えてやっと一息つくと、それまで譚を黙って聞いていた男――七本三八はおもむろに口を開いた。
「……で、そこからなんでうちに来たのかな。柄田家で修行の真っ最中なのに、小生に弟子入りしたいなんてどういう了見だ」
柄田家は先にも述べた通り、有能な若者を帝国司書、あるいは禁書士に育てあげる教育機関のような側面のある家系である。帝国司書隊養成の名門校のようなもの、と言いかえても差し支えない。
しかし、教育機関のようだからと言うべきか、あるいは教育機関だというのにと言うべきか、修一郎は思わぬ壁にぶち当たっていたのである。
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修一郎の養子入りの手引きをした綾城の、あの小馬鹿にしたような目というのは、実は修一郎の聡明さを見くびっていたからではなかった。むしろ聡明さを認めていたからこその哀れみからきたものだったのである。
「道場を使って自主的に訓練しようとすれば先輩方が一日中占領するし、見て盗もうとすれば追い払われる。『あともう二年ほどは勉強しておけ』とのありがたいお言葉付きでな」
修一郎がむくれるのに同調し、くだらない、と三八は心底の呆れの念を込めたため息とともに零した。だから柄田家は嫌いなんだ、とも零しているあたり、どうやら苦い経験があるようである。
そんな表沙汰にはされない、というより、修一郎が優秀すぎるゆえに露見した形式的な柄田家の教育観や風潮はともかくとして、三八は修一郎に改めて聞き直す。
「どうしてそんなに早く禁書士になりたいのかな? 去年起きた事件の捜査に加わりたいという絶対的な目標があるにしてもだ。身内が身内を大量に殺したという目も当てられん事件を追うという、それこそ地獄を突き進むような道のために。そんな気が狂うような苦痛からは逃がれたいと思わんのか」
――正気とは思えない。
ようは、そういうことである。
「先ほども言った通り、私の手で妹の罪を雪ぐためだ」
「それはつまり、妹を自分の手で屠るということかな。それまで男勝りな性格を好ましいと思い、溺愛までしていたというその妹を斬ると。そう言いたいのかな」
「ああ」
修一郎はなんの躊躇いもなく、それに頷く。修一郎にしてみれば愚問とも言えるその問いかけは、三八にしてみれば意地悪のつもりであった。予想とは違う反応に、三八の口角は自然と吊り上がる。
「なにゆえ、罪を雪ぎたいと願うのだ」
修一郎の態度に興奮すら覚えていた三八は、しかしそれを真面目な仮面で抑えて深く問う。問われた修一郎は、極々真面目な態度で答える。
「死ぬためだ」
「ほう」
「一族と共に死ねなかった、一族と共に死ぬことから逃げたこの悔いが、この羞恥が、ただただ生きながらえることで消えようものか。私は草葉の陰で笑いものになっていることだろう。だからといって今更命を絶っても、どの面下げて一族に会いにいけと言うのか」
敵前逃亡、敵意のない者への暴挙――いずれも武士の家系たる鍔倉が嫌う士道不覚悟というものである。そもそも武士などいない大昌の時代ではもう古いと言われる概念だが、鍔倉は雪深い越午の山の頂上にある、言わば陸の孤島――地域格差や地形的な問題で歴史の流れから遅れをとっていたために、その概念もそう古くはない。
修一郎もまたその古き概念に囚われた、曲がりなりの武士であった。
「だから、妹の首を冥土の土産にする。それが叶わなかったとしても、戦って戦い抜いての死であるのなら、名誉あるものとしては許されよう」
至極真面目に答えてのけた修一郎に、三八は今度こそ興奮を隠すことなく笑みを見せた。黒子のある口元は邪悪に歪み、目の色は獰猛で、まさに修一郎が評した悪魔と言って差し支えない卑しい表情だ。
「いいねぇ、ここまで吹っ切れてると却って気持ちがいいねぇ」
本当なら三八は声を上げて笑いたいほどであったのだが、さすがに店の表まで響き渡るような大声を出す訳にもいかず、肩を揺らすことで抑えていた。それでも、喉から漏れ出るくくっ、という声は抑えきれなかった。
「涙を流しながら兄妹愛を語られるよりもずうっと潔い。ここまで気持ちよく泥沼と化した譚も珍しいものだ。いいだろう」
それまで三和土に座っていた三八はすっくと立ち上がると、中に入りなさいと修一郎を手招き、自らの根城に招いた。
*****
「鍔倉家の事件よりも少し前に、藤京で起きた事件のことは知ってるかい?」
店の奥に招かれた修一郎は、三八の書斎にあった座布団へほれほれと座らされながら、そう聞かれた。
「藤禁事件(藤京禁書事件)か?」
「そう。どんな事件だったかな」
「独裁国家を謳った譚本が禁書化したんだろう。その毒を討伐した際の断末魔で大規模な地震が起こり、藤京の街全体を破壊した。民主団体の抗議活動で儀式的に行われた譚本の焚書に端を発した事故――だったか」
「ほう、藤京の人間でもないのにそこまで知っているか」
修一郎にとってこの程度は造作もない、新聞によくよく目を通していれば情報は簡単に手に入る、常識と言える知識であった。
しかし、それにしても、三八の問いかけは唐突なものだ。大規模な地震で多数の死傷者を出した藤京禁書事件と、遠く離れた越午の鍔倉の事件と、この二つになんの関係があるのか。
そんな修一郎の疑問もしっかり見越して、三八は笑みを深くしてみせた。
「藤禁事件は鍔倉家惨殺事件という悪夢の序章に過ぎなかった」
「!?」
虚を衝いたその発言に修一郎が驚かないわけもなく。呼吸を忘れるほどに驚愕する彼へ追い打ちをかけるように、
「さらに言えば、藤禁事件は事故ではなく、人為的に仕組まれた事件だった」
と三八が重ねて言う。
「どういうことだ?」
「言葉のままだよ。藤禁事件は元々、本を燃やしたせいで起きたんだ。その本を提供しデモ隊に焚きつけた者がいた――といえばいいか? 焚きつけた者が目論んだ通り、藤禁事件で禁書の毒が顕現した――その時だろうかね。帝国司書がこぞって出払ったその隙に、帝国中央図書館の地下書庫からある禁書が盗まれた。そして、その盗まれた禁書こそが、君も巻き込まれた鍔倉家の事件の元凶――というのが帝国司書隊の見解さ」
ふう、と一度息をつく三八。言葉を一つ一つ咀嚼し呑み込んでいく修一郎に、今度は別の視点からの話が始まる。
「妙だと思わないか? 鍔倉家のだって単独で見るならば一族郎党皆殺しという随分な大事件だぞ? だというのに皆が皆、藤禁事件に気を取られている」
「……それは仕方がない。世間的に被害が大きかったのは藤禁事件の方だ。当事者の数で言うなら藤禁事件の方が圧倒的だし、そちらに気を取られていても妙だとは思わん。ただ、今の貴様の話を聞いて――私がそう感じていることまでひっくるめて、してやられたという感じだ」
「ほう、つまり?」
「つまり、藤禁事件は禁書を盗み出すための撹乱作戦――真の目的の準備段階。犯人の真の目的は鍔倉家のほうだった。さらに言えば、藤禁事件はただの揉み消し――一族郎党皆殺しという凄惨な事件から世間の目を逸らすための工作でもあった。現に今、鍔倉家の事件は新聞でもほとんど取り沙汰されないし、そのせいで禁書によるものと知る者さえ稀だ」
解説してやるまでもない修一郎の回答に拍手を送る三八。
修一郎はさらに続ける。
「それにしても新聞記事から姿を消すのが早すぎると思っていたが、貴様の話を聞いて得心した。帝国司書隊としても、失態を追求されては困る――というところか」
そう、鍔倉家惨殺事件は帝国司書隊にとっていかにも体面が悪い――厳重保管していた危険な禁書を盗まれた上、それを用いてでの殺人事件が起きてしまった――ということを示唆する出来事なのである。
加えて、と三八が補足を付け足す。
「その盗まれた禁書がまた問題なのだよ」
「どういうことだ?」
三八はおもむろに、懐から一冊の本を取り出した。そこに刻まれていたのは――。
「『羅刹女』。著者は――八田幽岳」
その名前を聞いた瞬間、修一郎の顔つきはそれまでとは比較にならないほど鬼気迫ったものとなる。怒髪天を衝くという言葉の通り、まさしく全ての髪の毛を、どころか全身の毛さえも逆立てるような憤怒に駆られた。
対して、あくまで客観的に冷めた態度をとる三八は、まあこれは写本だけどね、と言いながら本を懐に戻した。
「そりゃあまずいよねえ。帝国司書隊の、あろうことか頭目も密接に関わった不祥事だもの。新聞社が忖度したのか、帝国司書隊上層部の賄賂かは知らないけどさ」
修一郎は一年前に言われた綾城の言葉を、――覚悟しておけよ。この問題、相当根が深いからな――という言葉を反芻した。反芻して、ますます憤慨した。
これでは死んだ家族が、ただ一方的に屠られた家人たちが、従者たちが、あまりにも報われないではないか――と。
「なぜだ。なぜ鍔倉が滅ぼされなければならなかった! 私たちはただ、普通に暮らしていただけだろう。なぜ唐突に、このような事件に巻き込まれたのだ! 帝国司書隊にも、本にも、私の一族はまるで関係ないではないか!」
「関係ないよ」
そう、関係ない。
剣術の名家である鍔倉に、本など一切関係ない――しかし、そんなことは犯人にも、運命にも、歴史にだって関係ないのである。相手が誰であろうと、条件さえ合えばそんな些事は関係なかったのだから。
「奴らにとっては単なる実験だったのさ。ついでに言うなら、藤禁事件だって実験の一環だったのかもしれないし」
「実験だと? 何のだ?」
「禁書という兵器の威力だよ」
兵器。なにやら不穏で戦慄めいた雰囲気漂う単語に、修一郎は目尻を吊り上げる。
「『羅刹女』は第一級禁書――国内最上級に危険な禁書に指定されている。危険すぎる禁書である故に封印され、長い間使われてこなかったのだから、実際の威力はやはり使ってみないと分からない。鍔倉家はその実験をするにあたって、じつに最適な実験場だったということさ」
鍔倉家は剣術使いであれば誰もが知っているであろう、剣術道場として最高峰といえる家系――すなわち、それだけ厳しい修行に身を投じる猛者が溢れんばかりにいる。
「『羅刹女』はその名の通り、使用できる者が女武者に限定される。君の妹の噂もまあまあ大きかったというのであれば、相手にとっても目星はつけやすかろうて」
手練の女武者、武術に長ける多数の猛者――都合のいい対象に、大量の実験動物。鍔倉家は相手にとって申し分ない実験場であったのだ。
「誰だ、そいつは。その禁書で私たちの一族を皆殺しにしたのは!」
「敵は一人にあらず」
怒りをこらえきれずいきり立つ修一郎に対し、やはり三八はあくまでも冷静に、冷淡に、しかして声には段違いの真剣味を混じえて、その名を声に出した。
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