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十一月『羅刹女』
その三
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越午の名家、一人残らず
鍔倉家殺人事件
十二月廿七日、鍔倉邸(越午 ××山)にて痛ましひ殺人事件が起きた。何者かの襲撃によつて一族郎党が斬りつけられ、皆殺しの惨事となつた。警察隊は現在、逃亡した犯人の行方を追つてゐる。……――
(大陽本新聞(一九一〇年 十二月廿八日発行)より一部抜粋)
*****
私は越午某所の病床に横たわっていた。
厚い雪に覆われた山道を駆け下りた私はその後、極度の疲労と低体温症によって意識を失っていたらしく、倒れていたところを近隣の住民に保護され、病院に送られたのだという。目を覚ましたのは、それから二日後のことであった。
驚いたことに私は自身に起きた現実を――あまりにも現実離れした事実を、まるで他人事のように冷静にとらえていた。看護婦に頼んで持ってきてもらった新聞には鍔倉家で起きた惨殺事件が見出しに大きく取り上げられていて、私はそれに対して特に嫌がりもせず、それを広げて眺め始めた。当事者である私がこんな調子だったから、躊躇いがちに新聞を持ってきた看護婦が妙な目で見てきたくらいだ。
「……一族郎党皆殺し、か」
私が生き残っているのだから、この表現は厳密に言えば間違っている。いや、ここは生き残りではなく、死に損ないと言うべきだろう。私は鍔倉家の者として死ねなかった。私は一族郎党を皆殺しにされたことよりも、『一族郎党』の中に自分が含まれなかったことの方に落胆していた。腐っても、剣の才能が無くとも、私は士族の人間――一族を斬り殺した敵を目前にして逃げ出した、己の士道不覚悟を突きつけられているこの有様は慚愧に堪えない。
看護婦は私の独り言を勘違いしたらしく、精神衛生上よくないと私の手から読みかけの新聞を取り上げた。取り返せる力は無かったので「現状を把握したいのだが」と口だけ抵抗してみせたが、「まずは食事をとってください」と取り合ってもらえなかった。仕方がないので出された粥を胃に流し込み、私は再度
「新聞を見せてくれないか」
と頼んだ。看護婦は奇妙なものを見るような、というより気味悪いものを見るような目を向けてきた。私も私自身に看護婦と同じような心持ちでいないわけでもないが、そんなことよりも事件への執心のほうが勝っていた。看護婦と無言の押し問答をしていると、
「その必要はない」
と、病室の入り口から声がした。声に弾かれたように看護婦が病室を出ていくのと入れ替わり、声の主は私の傍に歩み寄ってくる。分厚いブーツの靴底を鳴らしながら歩いてくるのは、よく見ると女だった。
「帝国司書隊図書資産管理部禁書回収課第四班班長・綾城セツだ」
黒地に常磐色の線を引いた隊服に身を包み、結った髪を帽子の中に収め、薄化粧をしたその女は、四十歳前後と言ったところだろうか。女は私を見下ろしながら、長ったらしく名乗った。名乗られた礼儀として、私も手短に名乗る。
「――鍔倉修一郎」
「ほう、名乗ったか。感心するな」
感心する、というわりには綾城の表情は微動だにしない。引き結んだ口元といい、鋭い目付きといい、むしろ険しいと言える。私はその理由を何となく察していた。
「お前、よく平然としていられるな」
「……」
「身内が全員殺されたというのに、あまりにも平静過ぎではないか」
「否定はしない」
「なぜ?」
容赦のない踏み込み方である。こちらへの気遣いなど欠片も感じられない。しかし、じわじわと部屋の隅に追い詰めていくような問い方は私も不快であった。それを隠さず表情に出していた私に対し、綾城は
「お前、鍔倉の家人たちの惨殺に関与しているのではないか」
と、単刀直入に言い放った。
「巻き込まれたことは認めるが、私は加害者ではない」
見下ろしてくる綾城の威厳に気圧されないように、私はまっすぐ彼女の目を見て、睨むようにして言い返した。
「私からも問わせろ」
綾城は、お前の質問に答えてやる義理はないとでも言いかけたようだが、私は彼女の声に被せるようにして、声の音量をあげて問いかけた。
「なぜ帝国司書である貴方がここにやってきた。人間である私が殺したという疑いがかかっているなら、やってくるのは警察隊のほうではないか?」
この大陽本では帝国司書隊が強大な権力を握っている。殊更、高い戦闘力と専門性をもつ回収部隊は、刑事事件に携わることも少なくない。しかし、あくまで彼らは帝国司書隊である。本の管理に関する全ての実権を握っているというだけで、人が人を殺したという本が関わらない事件は警察隊の管轄である。
警察ではなく帝国司書が来たこと、それに加えて新聞の記事――生存している私という存在の隠蔽、犯人は人間であるという印象を植え付けるような内容――全てを一本に繋げるとすれば。
「これは私の勘だが、この事件、本当は人間の仕業ではないという見方が強いのではないか? それなら、貴方がここにやってきたことと辻褄が合う。貴方は私を犯人として疑っているのではなく、禁書が起こした事件に巻き込まれた当事者として話を聞きに来たのではないか? そうなれば、新聞の作為は帝国司書隊によるものという見方もできるな。事件は禁書によるものということを人々に知られたくない――とかな」
反応に探りを入れるつもりで言った私の予想通り、綾城の目は一瞬だけ見開かれ、視線も僅かに私の方から逸れた。暫く口を閉ざしていた綾城は、おもむろに口を開いた。
「噂に優る聡さだな、まったく。そこまで即座に看破されるとは思わなんだ」
綾城は帽子を取ると、私のそばにあった椅子に腰をかけた。
「ご名答。名推理だ、少年。私たちは君を疑っていない。現場に転がっていたあの人数、しかも剣術の名家である鍔倉の猛者どもを含めた全員を斬り殺すなど、無才と呼ばれた鍔倉の長男にはできようはずもない。麓で倒れていたという君は返り血を浴びていなかったそうだし、現場にも君が犯人だと示す証拠はなかった。容疑者からはすぐに外れたよ」
それまでの険しい表情は仮面だったのだろう。私に説明する綾城の表情は随分穏やかになっていた。
「試したのか、私を」
「あぁ。君はとても賢く、そして冷静な子だと聞いていたからね。君が落ち込んでいる様子だったのならもう少し優しく接していたんだが、自分が関わった事件の記事など読もうとしていたからつい」
……性格の悪い女だと思った。私が殺人事件に巻き込まれた当事者であることを知った上であんな態度をとるとは、意地が悪いにもほどがある。不快感に顔をしかめる私に、綾城はくつくつと笑いながら返した。
「許してくれ、元上司の癖が移ったんだ」
「元上司の顔が見てみたいものだな」
そんな皮肉を呟いて、私は話を元に戻した。一刻も早く、あの事件のことについて整理したかったからだ。
「私はあの時、従者を二人連れて麓の図書館に出かけていた。私の荷物の中にある本を調べれば、すぐに裏は取れるだろう」
「あぁ、既に調べさせてもらった。確かに貸出票には事件当日の日付が記されていたし、そこにあった本の題名も君の持っていたものと一致した。司書や市民たちの証言で確かに君が図書館にいたことも分かっている」
「半日して戻ったら、あの有様だった。従者二人は私を守って死んだ。斬られた瞬間は見ていない」
「そのあと、君はどうした?」
「一度家に入った。血溜まりを踏んだし、いくつか死体を股の下にしたから、足に血がついていたはずだ」
「ああ。……しかし、あれでよく入ろうと思ったね」
「……妹の声がしたからな」
綾城は目をすがめた。妹? という静かな声も聞こえた。
「兄様、と呼ばれた。私はあの死体の中に妹もいると思った。だから、助け出そうとして中に入った」
しかし、実際に私が目にしたのは、何者かに襲われて倒れている妹ではなかった。私が目にしたのは、血まみれの花嫁衣裳を身につけ、血まみれの刀を持って笑っていた妹だった。
「捜査に関わったなら、私以外にもう一人、一族郎党の遺体の中になかった顔があったのではないか」
すがめた目をさらに細くし、綾城の顔は先ほどのような重たく険しい色に戻る。
「――鍔倉真央」
小さくその名を口にした綾城が考えているであろうことに対して、私ははっきりと頷いて肯定した。
「鍔倉の人間を殺したのは、私の妹だ」
*****
数日後、退院した私は綾城の屋敷に厄介になっていた。軟禁とも言える。
「勘違いしないで欲しいのだが、これは君のためでもある。君は犯人に狙われている可能性もあるし、重要参考人の君を世間の矢面に立たせるわけにはいかない」
……ということを彼女は幾度も私に言っていたが、勿論私のためだけではないことくらい分かっていた。自身の安全確保という目的があるから彼女に従ってはいるけれど、おためごかしなことを言われながら利用されるだけではこちらとしても心象が悪い。私とて当事者なのだから、事件について知る権利はあるだろうし、彼女たちから情報を引き出して真相を探ってやるつもりであった。彼女もそれを分かっているから、私が満足する程度の情報は提供してくれた。
「君も知っての通りだけど」
ある日、綾城はそうやって切り出した。
「妹君の乱心は、恐らく禁書の影響によるものだ」
「そうだろうな。精神に作用する禁書ではないかと私も素人ながら思っていた」
一般人が普通に暮らす上では、禁書について得られる知識も限られている。それは一般人にとって有害な情報もあるからであり、それを知ったがゆえに罪を犯す者が実際にいるからである。私はその領域には触れない程度に、禁書については知っていた。
禁書にも術本と譚本の区別があること、特に危険なのは譚本であること、譚本の禁書には毒と呼ばれる不可解な存在がつきまとっているということ、毒を前にすれば人間は無力であるということ――このくらいは一般人の私でも得られる知識だ。
「しかも、かなり悪性度の高い譚本の禁書だ。精神を蝕み、汚染し、果てには乗っ取ってしまうほどの猛毒だ」
人が紡いだものに人が乗っ取られるとは、どんな皮肉だろうか。そもそも人を乗っ取るような代物を作り上げるとは、どんな痴れ者なのだろうか。私は禁書とそれを紡いだ人物に対してふつふつと怒りが湧いたが、綾城にぶつけたところで仕方のないものと抑えた。
「とはいっても、全ての存在を汚染できるわけではない。人間にも、禁書の毒に符号する性質があるんだ。妹君はどんな性格だった?」
私は怒りを抑えて、事件前の真央について話した。
女性だからと馬鹿にされることを何より嫌うこと。血の気が多く、すぐに喧嘩を買ってしまうこと。剣にかけては誰よりも自信を持っていたこと。ついでに、威張る男を実力で黙らせることに快感を覚える傾向があったこと。まっすぐで騙し討ちなどは好まない、正々堂々とした性格であったこと。
この中には、私が好ましく思っていた性質も含まれていた。
「そうか、やはりな」
綾城はどこか納得したように答える。
「やはり? 妹をあんなふうに汚染した禁書に心当たりがあるのか」
「さてね。あったとしても言わないよ」
「なぜだ?」
「大人の事情というやつだよ、少年」
「……便利な言葉だな」
皮肉を込めて、私は綾城をぎっと睨んだ。綾城はそんな私をあしらうように、ふんと鼻を鳴らした。
「あまり首を突っ込んでくれるな。知りたければ自分で調べな」
まあ、一般人では無理だろうけど。綾城は最後に、私を小馬鹿にしたような目で見てから、私が拘束されている部屋から出ていこうとする。
……一般人でなければ、と私が呟いたら、綾城は足を止めた。
「一般人でなければ、知ることができるのか? お前たちと同じになればいいということか?」
私の言葉に対し、綾城は目線だけ私の方に振り返った。じりっと、喉元に木刀を突きつけられたような息苦しさを覚えた。
「……なぜそこまで執心する。妹が殺人を犯したという目も当てられない現実に、どうしてそこまで」
「妹だからだ」
私は即座に返した。もはや言葉を選ぶ暇すらいらない即答だった。
「妹がやったことを、許せないからだ」
私には、妹を禁書から救ってやろうなどという優しい心などなかった。あの時私が見たのは、鬼も同然の外道だ。禁書の影響でああなってしまったにしても、私以外の一族郎党を皆殺しにしてしまった罪は、そんな同情で拭い切れるものではない。増して妹は、真央は、笑いながら人を――肉親を殺したのである。さながら子供が布遊びをするかの如く、切り裂いて血で染めて、くるくる踊ってさえいたのだ。
「妹の罪を雪いで一族の恨みを晴らさねば、私は死んで一族に顔を合わせることもできぬ」
鬼に豹変した真央から逃げてしまった私は、生き残りではなく、死に損ないなのだ。本来、死ぬべきところを逃げ出した私が成すべき、私の贖罪である。
「……気に入った」
綾城は、私に振り返った。今度は体ごと振り返って、そしてにたりと笑った。
「……お前ほど怜悧な子供はいい素質だろう。お前の執念に敬意を評して、手引きしてやる。私を禁書士として育て上げた柄田家に、養子候補として推薦してやろう」
柄田家――その名前には聞き覚えがあった。独自の教育方針により、優秀な帝国司書を輩出する名家中の名家である。
「禁書士になるには最短でも五年はかかると聞くが、それでもいいならやってみるといい」
「五年など待ってられるか。三年だ、遅くとも三年でなってやる」
綾城はくくっと笑うと、やはり小馬鹿にしたような目で私を見た。
「やってみろ、少年。三年経つまでに事件が解決していなかったら、お前を捜査の一員に加えてやる。けれど覚悟しておけよ。この問題、相当根が深いからな」
鍔倉家殺人事件
十二月廿七日、鍔倉邸(越午 ××山)にて痛ましひ殺人事件が起きた。何者かの襲撃によつて一族郎党が斬りつけられ、皆殺しの惨事となつた。警察隊は現在、逃亡した犯人の行方を追つてゐる。……――
(大陽本新聞(一九一〇年 十二月廿八日発行)より一部抜粋)
*****
私は越午某所の病床に横たわっていた。
厚い雪に覆われた山道を駆け下りた私はその後、極度の疲労と低体温症によって意識を失っていたらしく、倒れていたところを近隣の住民に保護され、病院に送られたのだという。目を覚ましたのは、それから二日後のことであった。
驚いたことに私は自身に起きた現実を――あまりにも現実離れした事実を、まるで他人事のように冷静にとらえていた。看護婦に頼んで持ってきてもらった新聞には鍔倉家で起きた惨殺事件が見出しに大きく取り上げられていて、私はそれに対して特に嫌がりもせず、それを広げて眺め始めた。当事者である私がこんな調子だったから、躊躇いがちに新聞を持ってきた看護婦が妙な目で見てきたくらいだ。
「……一族郎党皆殺し、か」
私が生き残っているのだから、この表現は厳密に言えば間違っている。いや、ここは生き残りではなく、死に損ないと言うべきだろう。私は鍔倉家の者として死ねなかった。私は一族郎党を皆殺しにされたことよりも、『一族郎党』の中に自分が含まれなかったことの方に落胆していた。腐っても、剣の才能が無くとも、私は士族の人間――一族を斬り殺した敵を目前にして逃げ出した、己の士道不覚悟を突きつけられているこの有様は慚愧に堪えない。
看護婦は私の独り言を勘違いしたらしく、精神衛生上よくないと私の手から読みかけの新聞を取り上げた。取り返せる力は無かったので「現状を把握したいのだが」と口だけ抵抗してみせたが、「まずは食事をとってください」と取り合ってもらえなかった。仕方がないので出された粥を胃に流し込み、私は再度
「新聞を見せてくれないか」
と頼んだ。看護婦は奇妙なものを見るような、というより気味悪いものを見るような目を向けてきた。私も私自身に看護婦と同じような心持ちでいないわけでもないが、そんなことよりも事件への執心のほうが勝っていた。看護婦と無言の押し問答をしていると、
「その必要はない」
と、病室の入り口から声がした。声に弾かれたように看護婦が病室を出ていくのと入れ替わり、声の主は私の傍に歩み寄ってくる。分厚いブーツの靴底を鳴らしながら歩いてくるのは、よく見ると女だった。
「帝国司書隊図書資産管理部禁書回収課第四班班長・綾城セツだ」
黒地に常磐色の線を引いた隊服に身を包み、結った髪を帽子の中に収め、薄化粧をしたその女は、四十歳前後と言ったところだろうか。女は私を見下ろしながら、長ったらしく名乗った。名乗られた礼儀として、私も手短に名乗る。
「――鍔倉修一郎」
「ほう、名乗ったか。感心するな」
感心する、というわりには綾城の表情は微動だにしない。引き結んだ口元といい、鋭い目付きといい、むしろ険しいと言える。私はその理由を何となく察していた。
「お前、よく平然としていられるな」
「……」
「身内が全員殺されたというのに、あまりにも平静過ぎではないか」
「否定はしない」
「なぜ?」
容赦のない踏み込み方である。こちらへの気遣いなど欠片も感じられない。しかし、じわじわと部屋の隅に追い詰めていくような問い方は私も不快であった。それを隠さず表情に出していた私に対し、綾城は
「お前、鍔倉の家人たちの惨殺に関与しているのではないか」
と、単刀直入に言い放った。
「巻き込まれたことは認めるが、私は加害者ではない」
見下ろしてくる綾城の威厳に気圧されないように、私はまっすぐ彼女の目を見て、睨むようにして言い返した。
「私からも問わせろ」
綾城は、お前の質問に答えてやる義理はないとでも言いかけたようだが、私は彼女の声に被せるようにして、声の音量をあげて問いかけた。
「なぜ帝国司書である貴方がここにやってきた。人間である私が殺したという疑いがかかっているなら、やってくるのは警察隊のほうではないか?」
この大陽本では帝国司書隊が強大な権力を握っている。殊更、高い戦闘力と専門性をもつ回収部隊は、刑事事件に携わることも少なくない。しかし、あくまで彼らは帝国司書隊である。本の管理に関する全ての実権を握っているというだけで、人が人を殺したという本が関わらない事件は警察隊の管轄である。
警察ではなく帝国司書が来たこと、それに加えて新聞の記事――生存している私という存在の隠蔽、犯人は人間であるという印象を植え付けるような内容――全てを一本に繋げるとすれば。
「これは私の勘だが、この事件、本当は人間の仕業ではないという見方が強いのではないか? それなら、貴方がここにやってきたことと辻褄が合う。貴方は私を犯人として疑っているのではなく、禁書が起こした事件に巻き込まれた当事者として話を聞きに来たのではないか? そうなれば、新聞の作為は帝国司書隊によるものという見方もできるな。事件は禁書によるものということを人々に知られたくない――とかな」
反応に探りを入れるつもりで言った私の予想通り、綾城の目は一瞬だけ見開かれ、視線も僅かに私の方から逸れた。暫く口を閉ざしていた綾城は、おもむろに口を開いた。
「噂に優る聡さだな、まったく。そこまで即座に看破されるとは思わなんだ」
綾城は帽子を取ると、私のそばにあった椅子に腰をかけた。
「ご名答。名推理だ、少年。私たちは君を疑っていない。現場に転がっていたあの人数、しかも剣術の名家である鍔倉の猛者どもを含めた全員を斬り殺すなど、無才と呼ばれた鍔倉の長男にはできようはずもない。麓で倒れていたという君は返り血を浴びていなかったそうだし、現場にも君が犯人だと示す証拠はなかった。容疑者からはすぐに外れたよ」
それまでの険しい表情は仮面だったのだろう。私に説明する綾城の表情は随分穏やかになっていた。
「試したのか、私を」
「あぁ。君はとても賢く、そして冷静な子だと聞いていたからね。君が落ち込んでいる様子だったのならもう少し優しく接していたんだが、自分が関わった事件の記事など読もうとしていたからつい」
……性格の悪い女だと思った。私が殺人事件に巻き込まれた当事者であることを知った上であんな態度をとるとは、意地が悪いにもほどがある。不快感に顔をしかめる私に、綾城はくつくつと笑いながら返した。
「許してくれ、元上司の癖が移ったんだ」
「元上司の顔が見てみたいものだな」
そんな皮肉を呟いて、私は話を元に戻した。一刻も早く、あの事件のことについて整理したかったからだ。
「私はあの時、従者を二人連れて麓の図書館に出かけていた。私の荷物の中にある本を調べれば、すぐに裏は取れるだろう」
「あぁ、既に調べさせてもらった。確かに貸出票には事件当日の日付が記されていたし、そこにあった本の題名も君の持っていたものと一致した。司書や市民たちの証言で確かに君が図書館にいたことも分かっている」
「半日して戻ったら、あの有様だった。従者二人は私を守って死んだ。斬られた瞬間は見ていない」
「そのあと、君はどうした?」
「一度家に入った。血溜まりを踏んだし、いくつか死体を股の下にしたから、足に血がついていたはずだ」
「ああ。……しかし、あれでよく入ろうと思ったね」
「……妹の声がしたからな」
綾城は目をすがめた。妹? という静かな声も聞こえた。
「兄様、と呼ばれた。私はあの死体の中に妹もいると思った。だから、助け出そうとして中に入った」
しかし、実際に私が目にしたのは、何者かに襲われて倒れている妹ではなかった。私が目にしたのは、血まみれの花嫁衣裳を身につけ、血まみれの刀を持って笑っていた妹だった。
「捜査に関わったなら、私以外にもう一人、一族郎党の遺体の中になかった顔があったのではないか」
すがめた目をさらに細くし、綾城の顔は先ほどのような重たく険しい色に戻る。
「――鍔倉真央」
小さくその名を口にした綾城が考えているであろうことに対して、私ははっきりと頷いて肯定した。
「鍔倉の人間を殺したのは、私の妹だ」
*****
数日後、退院した私は綾城の屋敷に厄介になっていた。軟禁とも言える。
「勘違いしないで欲しいのだが、これは君のためでもある。君は犯人に狙われている可能性もあるし、重要参考人の君を世間の矢面に立たせるわけにはいかない」
……ということを彼女は幾度も私に言っていたが、勿論私のためだけではないことくらい分かっていた。自身の安全確保という目的があるから彼女に従ってはいるけれど、おためごかしなことを言われながら利用されるだけではこちらとしても心象が悪い。私とて当事者なのだから、事件について知る権利はあるだろうし、彼女たちから情報を引き出して真相を探ってやるつもりであった。彼女もそれを分かっているから、私が満足する程度の情報は提供してくれた。
「君も知っての通りだけど」
ある日、綾城はそうやって切り出した。
「妹君の乱心は、恐らく禁書の影響によるものだ」
「そうだろうな。精神に作用する禁書ではないかと私も素人ながら思っていた」
一般人が普通に暮らす上では、禁書について得られる知識も限られている。それは一般人にとって有害な情報もあるからであり、それを知ったがゆえに罪を犯す者が実際にいるからである。私はその領域には触れない程度に、禁書については知っていた。
禁書にも術本と譚本の区別があること、特に危険なのは譚本であること、譚本の禁書には毒と呼ばれる不可解な存在がつきまとっているということ、毒を前にすれば人間は無力であるということ――このくらいは一般人の私でも得られる知識だ。
「しかも、かなり悪性度の高い譚本の禁書だ。精神を蝕み、汚染し、果てには乗っ取ってしまうほどの猛毒だ」
人が紡いだものに人が乗っ取られるとは、どんな皮肉だろうか。そもそも人を乗っ取るような代物を作り上げるとは、どんな痴れ者なのだろうか。私は禁書とそれを紡いだ人物に対してふつふつと怒りが湧いたが、綾城にぶつけたところで仕方のないものと抑えた。
「とはいっても、全ての存在を汚染できるわけではない。人間にも、禁書の毒に符号する性質があるんだ。妹君はどんな性格だった?」
私は怒りを抑えて、事件前の真央について話した。
女性だからと馬鹿にされることを何より嫌うこと。血の気が多く、すぐに喧嘩を買ってしまうこと。剣にかけては誰よりも自信を持っていたこと。ついでに、威張る男を実力で黙らせることに快感を覚える傾向があったこと。まっすぐで騙し討ちなどは好まない、正々堂々とした性格であったこと。
この中には、私が好ましく思っていた性質も含まれていた。
「そうか、やはりな」
綾城はどこか納得したように答える。
「やはり? 妹をあんなふうに汚染した禁書に心当たりがあるのか」
「さてね。あったとしても言わないよ」
「なぜだ?」
「大人の事情というやつだよ、少年」
「……便利な言葉だな」
皮肉を込めて、私は綾城をぎっと睨んだ。綾城はそんな私をあしらうように、ふんと鼻を鳴らした。
「あまり首を突っ込んでくれるな。知りたければ自分で調べな」
まあ、一般人では無理だろうけど。綾城は最後に、私を小馬鹿にしたような目で見てから、私が拘束されている部屋から出ていこうとする。
……一般人でなければ、と私が呟いたら、綾城は足を止めた。
「一般人でなければ、知ることができるのか? お前たちと同じになればいいということか?」
私の言葉に対し、綾城は目線だけ私の方に振り返った。じりっと、喉元に木刀を突きつけられたような息苦しさを覚えた。
「……なぜそこまで執心する。妹が殺人を犯したという目も当てられない現実に、どうしてそこまで」
「妹だからだ」
私は即座に返した。もはや言葉を選ぶ暇すらいらない即答だった。
「妹がやったことを、許せないからだ」
私には、妹を禁書から救ってやろうなどという優しい心などなかった。あの時私が見たのは、鬼も同然の外道だ。禁書の影響でああなってしまったにしても、私以外の一族郎党を皆殺しにしてしまった罪は、そんな同情で拭い切れるものではない。増して妹は、真央は、笑いながら人を――肉親を殺したのである。さながら子供が布遊びをするかの如く、切り裂いて血で染めて、くるくる踊ってさえいたのだ。
「妹の罪を雪いで一族の恨みを晴らさねば、私は死んで一族に顔を合わせることもできぬ」
鬼に豹変した真央から逃げてしまった私は、生き残りではなく、死に損ないなのだ。本来、死ぬべきところを逃げ出した私が成すべき、私の贖罪である。
「……気に入った」
綾城は、私に振り返った。今度は体ごと振り返って、そしてにたりと笑った。
「……お前ほど怜悧な子供はいい素質だろう。お前の執念に敬意を評して、手引きしてやる。私を禁書士として育て上げた柄田家に、養子候補として推薦してやろう」
柄田家――その名前には聞き覚えがあった。独自の教育方針により、優秀な帝国司書を輩出する名家中の名家である。
「禁書士になるには最短でも五年はかかると聞くが、それでもいいならやってみるといい」
「五年など待ってられるか。三年だ、遅くとも三年でなってやる」
綾城はくくっと笑うと、やはり小馬鹿にしたような目で私を見た。
「やってみろ、少年。三年経つまでに事件が解決していなかったら、お前を捜査の一員に加えてやる。けれど覚悟しておけよ。この問題、相当根が深いからな」
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