貸本屋七本三八の譚めぐり

茶柱まちこ

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十二月『消ゆ根雪』

その六

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 光雪の――というより、解釈を述べるとするならば。
 修一郎はむしろ、あの行動を取ったのだ、と解していた。残り僅かな力を真央に賭けるのではなく、少しでも勝てる可能性のあった冬嗣に向けた。
 ――宿だけでも、確実にほふろうとした。
 真央がまだ少しでも人間でいたなら、三八はそれを伝えてやっていたかもしれない。そんなことをして何がどう変わるわけでもないと、分かっているのだけれど――
 だから、三八は嘆いていた。
 儚く散った兄の譚、脆く壊れた妹の譚――その両者の結末を深く嘆いていた。


 *


「ぎゃああああッ!!」
「嫌だぁぁ!!」
 阿鼻叫喚の地獄絵図が、誰も預かり知らぬ地下空間に広がっていた。
 真央に斬りつけられて死亡した男たちが、手当たり次第に仲間を襲いだしたのである。その手に各々刀を持って斬りかかり、斬られた生者が死者になり、死者は動く骸となって、生者を追いかけ始める。
 前述した通り、この地下空間は秋久が脱出した通路を除いた全ての出入口が封鎖されている。そして唯一の脱出口に続く通路の前では今、光雪と真央が戦っている最中であった。

「これはキリがないな」

 光雪は降り掛かる斬撃を影で防御しながら、同時に影の刃で応戦していた。
 真央の体は先ほどの兄同様と言っていいのか――激しく破綻していた。有り体に言って、ボロ雑巾のようになっていた。
 それでも、ズタボロの腕は光速の剣閃を生み出し続ける。光雪の体を細切れにせんと、降り掛かっている。
 にもかかわらず――幾重にも放たれたはずの剣閃は、ひとつとしてその身に届いていなかった。

「ぐうううっ!!」

 剣閃の数と等しく鳴った『ぱきん』という音たちは、時間にして刹那の差もなく、重なってひとつの大きな音になった。
 剣の天才・鍔倉真央と羅刹女による、人の動体視力ではさばきようもない速度と密度の剣を――糜爛の処女が少しの位置ズレもない精密さで、全て叩き折っているのである。

「このぉぉぉッ!」

 真央がさらに追撃を加えようとするが、その前にもう一度、『ぱきん!』と音が鳴る。今度は真央の右耳のすぐ近くで、一際大きく響く音であった。

「あ……っ!?」

 手元を見て、真央は驚愕する。信じられない光景に、驚愕する。
 彼女の右手に握られていた刀の、その刀身が――

「ッ!?」

 おかしい――羅刹女の斬撃が何一つ通用しない。尾前冬嗣が語っていた情報から推察するに――八田光雪は禁書と銃の扱いに精通してはいるが、格闘戦や近接戦は苦手であったはずだ。近接戦に持ち込めば真央に分があるはず。――だというのに。

「なんで斬れないのよぉぉぉッ!!」

 人間の範疇を遥かに超えた禁書の居合を全て打ち返し、どころか刀身を捉えて叩き折るなど――人間にできるはずがない!

「この、化け物!!」
「失敬な、人間だよ」

 真央は乱心してはいたが、それでもこの戦況がおかしいことを認識できるくらいの意識はあった。そして、その意識があったがために、禁書を遥かに超えた化け物を目の前にして、真央は生まれて初めて戦場で恐怖を覚えた。
 一体この男は何をしたのだ。そんな真央の疑問に答えるように、三八は言う。

「糜爛の処女の本質は【拒絶】――その力が、君の用いる羅刹女の剣を上回っただけだよ」

 目を凝らせば、その足元の影には無数の蛇が蠢いていた。蛇の髪を持つ西洋の魔物さながらの不気味さである。

「第一級禁書の毒といえども、羅刹女に魅入られた適合者であろうとも、やはり素人の素質ではこの程度か」
「――ぐっ……!」

 真央は一時的に武器になるものがないかと探した。――そして、にぃっと笑った。

「あの男を殺せ!!」

 真央はをかける。すると、真央の後方にいた白衣の骸たちが、一斉に光雪の方へ振り返る。
 ほとんど感染してしまったらしい――爛々と赤く光るまなこの数は、ざっと数えただけでも五十体はいる。その全てが、咆哮しながら光雪に襲いかかった。

「『糜爛の処女』、『焔神楽』」

 ここで光雪は、攻撃を切り替える。二冊の禁書の同時使用という、八田光雪最大の武器を発動する。

焔弾えんだん装填」

 変幻自在の禁書『糜爛の処女』で瞬く間に三百の歩兵銃を作りあげ、火炎を司る禁書『焔神楽』で練りあげた焔弾を込める。それを三段に配列すれば、それはもう軍隊も同然だった。

「――撃て!」

どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん――

 連続する破裂音と共に発射された焔弾の雨が、骸たちへ次々に降り注ぐ。焔弾は着弾と同時に骸たちの体内で破裂し、その体を粉々に砕いていった。
 ――以前、力を消耗している状態の彼が妻の救出の際に用いたものとは桁が違う。万全の状態の彼が仕掛ける銃の群れは、一個隊分の威力を発揮する。――まさに、修一郎が彼を指して「」と言ったのは、誇張表現など微塵も含まれていない、紛れもない事実なのだ。

「が、ぁぁッ!」

 五十の屍の兵団を数秒で殲滅した焔弾の雨は、骸たちの後方にいた真央にも一発だけ届き、着弾した右肩から先を破壊した。

「なによ……! あんたの方が、よっぽど禁書兵器じゃない……ッ」

 それでも適合者であるからか、真央は尚も戦意を失っていなかった。――いつの間にか、左手には刀が握られていた。

「……新しい刀が作れたのか」
「お生憎さま、そういうことよ。貴方に屍をぶつけている間にたっぷり作るつもりだったけど、十秒足らずで全部倒すとは思わなかったわ」

 まあ、一振り作れただけでも良しとしましょう。――と、真央は笑う。

「哀れなものだな。まだ死ねないなんて」
「ふふ、それはそうよ。最も凶悪と言われた羅刹女だもの。――糜爛の処女と比肩する凶悪さよ」

 憎々しげに答えて、笑う。

「手首を鎖で絡めとられた時に分かったわ。あれは不浄の毒――。羅刹女の汚染とは反対の性質ね。でも、無駄よ。不浄の毒は私には効かない、痛くないんですもの。同じ不浄なら羅刹女のほうが強い。羅刹女の不浄は糜爛の処女の猛毒をも呑み込む――!」

 にぃぃっと笑う。
 ――否、それはもう笑っているのかさえ分からない。彼女は既に、身も心も破綻しきっているのだから。

「私はいくら攻撃されても死なない。羅刹女の毒に侵されている限り、ボロ雑巾になっても何度だって貴方を襲う。炎も不浄の猛毒も、何度浴びたって――あんたが疲れてへとへとになったって、そんなあんたをじわじわ殺すまで、ずっとずっと。ずっとずっとずっとずっと、死ぬまであんたを嬲ってやる」

 真っ黒に変色した、腐敗しかけの死体同然の姿で、笑う。生前の姿など微塵も感じられない姿で、笑い続ける。

「――よく喋る餓鬼だ」

 光雪はただひと言だけ返して、禁書を持った両手をだらりと垂らした。

「さあ、次は貴方の番よ!」 

 ――そして、光雪は、またしても攻撃を切り替える。
 猛毒を帯びた影でもなく、火炎でもなく、その両方を用いた最強の手段でもなく――さらにさらに、に切り替える。

「『阿子あこ』」

 そうして、光雪は名を呼ぶ。召喚とも言う。
 着崩した隊服の下で密かに揺れていたのは、彼の首に巻かれていた赤い紐。彼が普段髪の毛を括るのに使用しているものだった。
 そして、彼の呼び声に答えたは、力を奮った。

「祓い清めよ」

 赤い紐に編み込まれている繊維の一部が、淡い光を放つ。ほつれていく繊維たちは、まるで火がついたように輝いていた。

「――この汚物めが」

 忌々しげなの声と共に、炎のような煌めきを放つ繊維たちが、一斉に真央の胸に突き刺さる。

「――ッああああア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ!!」

 そこから引火するように、焔が瞬く間に真央の身を包んだ。

「ア゙ア゙ア゙ッ、熱い、熱い!! 痛いぃぃッ!!」

 真央は悶え苦しむ。通常の炎とは比べ物にならない痛みを、彼女にもたらす。
 そう、真央だからこそ――身も心も、羅刹女という最凶の毒にたっぷりと侵された真央だからこそ、最上級の苦痛となる。
 それがの持つ性質のなせる技であった。

「穢れた手で光雪に触れるでないわ、罰当たりめ」

 ――禁書『焔神楽』の毒、『阿子あこ』は、真央を睨む。光雪をまるで息子のように抱くその女は、炎の精霊という言葉が相応しい、全身が炎でできた女だった。結わえられた豊かな髪も、顔と全身に施された化粧も、女性らしい丸みを帯びた体も、纏う衣服さえも――全てが炎でできている。

「どうして!? 焔神楽は、第三級禁書でしょ……!? 下っ端の帝国司書でも使えるような禁書に、なんで!?」

 焔に焼かれているのになおも喋る真央に半ば感心しつつ、光雪はまあいいだろうと種明かしをする。

「確かに焔神楽は第三級、羅刹女よりは弱い毒だ。けれど、こいつの真の能力は羅刹女のような毒にこそてきめんに効く。――禁書『焔神楽』の本来の能力は、『浄化』だ」

 禁書の毒に相応しくない『浄化』という性質――というべきか。
 だから光雪はあの時、羅刹女の毒を受けた修一郎を焼いたのである。

「ぐ、うぅぅッ!」
「まだ動くか、この女め」

 阿子は真央に向かってもう一度、浄化の焔を吹きかけた。また、真央の甲高い悲鳴が上がる。

「さすがに適合者ともなれば、お前の焔でも浄化しきるのは難しいか?」

 そう言って阿子を見上げる光雪に、阿子は心配ないと返す。

「簡単に焼き清められんのなら、時間をかけて焼き続ければ良いのじゃ。あの扉を開けておけば、いい具合に空気が流れ込んで釜焼きにできるであろ」
「ならば阿子、奥も全て燃やし尽くせ」

 光雪は奥に繋がる通路を指さした。

「感染を逃れた生き残りもいるやもしれん。それらも一人残らず灰にしろ」

 主人たる光雪の命令に阿子は頷く。しかし、すぐには焼こうとしなかった。

「良いのか? 羅刹女の原本は回収しないのかえ?」
「こればかりは致し方あるまい、地上に出す方が厄介だ。焚書は私の理念に反するが――あの方の命令ともなれば、な」
「……あの耄碌爺もうろくじじいめ」

 ぽそっと呟いてから、阿子はさらに焔を吹きかける。先ほどよりも強く――力強く、焔が轟々と燃え上がる。この地下に蔓延った全てを焼き清めながら、焔はうねりを上げて燃え盛る――。
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