貸本屋七本三八の譚めぐり

茶柱まちこ

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二月『焔神楽』

その二

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「邪魔をするな、餓鬼め!」
「するに決まってんだろ。弟を殺されかけて止めねえ兄貴がいるかってんだ」

 阿子が痛みから回復した頃には、既に三八も唯助もいなかった。それでも後を追いかけようとする阿子の行く手を右へ左へ、世助は阻む。

「気がおさまらねえってんなら、おれに当たりやがれ。あの二人よりはよっぽど叩きがいがあるぜ。それでいいから、一旦落ち着いて話聞いてくれや」

 先ほどの怒号とは打って代わり、世助はゆっくり言い聞かせるような声音で話した。唯助に言わせれば喧嘩っ早い世助だが、案外彼も冷静である。八人の弟妹たちの兄だからこその貫禄というものだろうか。

「……光雪から聞いてはいましたが、聞きしに勝る干渉力ですね。おかげで助かりました」
「板挟みで災難だったな、先生」

 途中から阿子と三八の両方から放たれる砲弾を避けることに必死になっていた秋声は、九死に一生を得て帰ってきた兵士のように疲れ切っていた。

「なあ、おばさん」
「おば……ッ!?」

 淑女に対してなんの躊躇もなく、また礼儀も、遠慮の欠片さえもない呼び方に衝撃を受ける阿子。しかし、世助はそれを気にすることもなく、先を続けた。

「あんたたち親子の事情なんて、おれは知ったことじゃねえけどよ。大事な息子だってんなら、ゆっくり話し合う時間をやっても良かったんじゃねえのか?」
「……っ!」
「おれさ、育ての親が子供の話を全然聞いてくれない奴だったんだよ。たとえ反対するのが子供のためだったとしても、子供の言い分を一向に聞こうとしない親って嫌われるぜ?」
「き、嫌われ……っ!?」

 世助の直球な指摘で、阿子は可愛い息子に嫌いだと言われる妄想をしてしまった。三八に嫌われ口も聞いてもらえず、睨まれる――考えただけでぞっとするし、実際考えただけで、阿子は首を吊って死にたくなるほど悲しくなった。頭の中にゴーンゴーン……と鐘の音が鳴り響いているようだ。

「そりゃ、大事な子供だから危険な目に合わせたくないだろうし、一度経験したことだから警戒するのも分かるけどよ。だからってあんたは頭ごなしに叱りすぎなんだよ。しかも、おっさんは五十路だろ」

 世助は腕を組み、まるで弟や妹に説教しているような態度であった。しかし、それを諌める者はいない――子供に説教をさせるほど大人気ない喧嘩をしてしまったのは、紛れもない阿子のほうである。

「おっさんの言い分を最後まで聞いてやってから反対するのでもいいだろ。おっさんも混乱してたみたいだし、それなら考えがしっかりまとまるまで待てばいい。その上で、お互い思うこと全部ぶちまけりゃいいじゃないか。話し合ってそれでも解決しなけりゃ、そんときにぶつかればいいさ」
「………」
「ただし、それでも唯助に手ぇ出すってんならおれも敵に回すことになるぜ。それだけは忘れんなよ」
「暴力的なわりには、意外と大人びたことを言うのじゃな……」
「あんたたちが思ってるほどガキでもねえってことさ」

 ガキであることに変わりはねえがな――と、付け加えて、世助は手を頭の後ろで組み、ぷらぷらと片足を振り始めた。らしくないことを言ってしまった照れを隠すかのように、視線は下の方を向いている。

 さて、興奮していた阿子が落ち着きを取り戻してきたところで、はた、と世助は思い出した。

「さっきの話で気になったんだけどよ。唯助はなんであんなことができたんだ?」

 世助が疑問を投げかけたのは、彼が説教している間、ずっと何かを考えていたらしい秋声だった。
 ありえないと連発していた三八の反応を見る限り、唯助がやってのけた『人の譚を僅かな脈絡から読み取る』という行為は、先天干渉者でも普通はできない芸当であるというふうであった。

「……一つ、心当たりが」

 顎へ当てがっていた手を、ゆるりと下ろしながら。秋声は藤色の片目を少しばかり開けた。

「世助くん。もしかして唯助くんは、一度喘息で死にかけたことがあるのではありませんか?」
「……あるよ」

 間を開けてからそう返した世助の声には、僅かに驚きが含まれている。

「夏目家に拾われたばかりの頃に、唯助と婆さんと三人で歩いてて、突然でかい発作が出た。けど、その時運良く通りかかった医者に助けてもらったんだ」
「その医者を呼んだのは貴方ではありませんか?」
「そうだけど」

 またも、世助は驚いた。世助が説明するまでもなく、というか、説明する前に、秋声はずばずばと世助の記憶を言い当てるのである。どうしてそんな決めつけたような、強い確信を持った言い方ができるのか――
 その理由を考えた世助の脳裏に、ある一つの可能性が過ぎった。

「あんた、まさか」

 そう口にした時、世助の脳裏ではさらに、じわじわと記憶が蘇っていた。
 それは世助の中でかなり古い記憶ではあったけれど――しかし、そこまで古ぼけていたとしても、記憶から鮮明に掘り起こすには十分すぎるほど、かの人は特徴的な見た目をしていたのだ。

「ええ。恐らく、僕がその医者です」


*****


 正確には十年前――
 双子が夏目家ゆかりの老婆に拾われ、その家名を与えられて間もない頃のことである。世助の記憶は、どこかの街道を息せき切って走っていた光景から始まる。

「おじさん、待って!」

 医者の旗印、白衣を纏った男を遠くに見つけて、世助はその彼を必死で止めた。距離にしてみれば大したことはなかったのだろうけど、当時の世助は八歳の子供であったから、途方もなく長い道のりを走っているような感覚として残っていた。

「助けて!」

 ようやく捕まえた白衣の裾にしがみつき、世助は助けを求めた。男は世助に視線を合わせるように屈む。

「唯助が、唯助が死にそうなんだ!」

 悠長に説明している暇はない、世助は男の白衣をぐいぐい引っ張って、半ば無理やり連れていった。
 世助の双子の弟――唯助はその時、重篤な発作を起こしていた。唇や顔面は蒼白になり、呼吸も消失し、意識も失い――まさに死線をさまようような仮死状態にまで陥っていたのだ。それまで、彼がこんなに急激で酷い発作を起こしたことはなかったのに――世助の言う通り、唯助は今にも死にそうな、というよりもはや、死んだような姿になっていた。

「……これは」

 藤色の目をした医者の眉根に深い皺が刻まれる。

「お願いします、先生。この子を助けてください!」

 唯助を抱えた彼らの養祖母もまた、縋っている。

「……小児喘息ですか」

 医者の言葉に涙目の世助が頷くと、医者はすぐさま手を動かし始めた。

「お婆さん、貴方は近くの病院まで行って応援をお願いします。ここから西の方角に行けばあるはずです」

 養祖母がその場を走り去る。着物の裾を乱したまま、彼女は枯れ木のような体を動かして走っていった。
 世助はというと、医者が来たから多少は安心したらしいが、それでも気が気でないから医者の周りをうろちょろしつつ、おどおどしている。
 医者はそんな世助にも指示を出した。

「坊や、君はこの子の手を握っていて。この子が目を覚ますように、強く祈ってあげてください」
「分かった」

 言われた通り、世助は唯助の手を両手でしっかりと握った。だらんと力が抜け、わずかに冷たくなったその手に熱を伝えるように。大事な弟を此の世に繋ぎ止めるように。
 医者は持っていた鞄から分厚い術本を取り出すと、応急処置を始めた。
 ――当時わずか八歳であった世助には、医者が何をしたかまでは分からなかった。が、その医者の髪色が、珍しい栗色であったことだけは覚えている。


*****


 十年前ともなれば、秋声は四十六歳。今は白髪混じりで全体的に褪せたようであるが、当時は白髪も少なかったから鮮やかだった。よくよく思い出してみれば、外見の違いなどほとんどそれのみだったのだ。
 ようやく気づいた世助に対し、秋声が記憶の中の子供に気づかなかったのはむべなるかな――おどおどしていた八歳の男児は、いまや強健な十八歳の少年に成長していた。

「初め、貴方を見た時は気づきませんでした。けれど、貴方が唯助くんをここに運び込んできた時、似たようなことがあったと、ふと思い出したのです」

 秋声が十年前に出会った双子の男児、弟を助けてくれと懇願する兄――そして現在、雪の中で発作を起こした唯助を運び込んで、助けを求めた世助。
 それらの光景が偶然にも重なって、秋声は気づいたのだ。

「それが……?」

 その過去が、現状とどう繋がるのか――世助の中では線が繋がらない。
 説明の続きを求める世助に秋声が告げたのは、この場の誰もが――更に言うなら、間違いなく、唯助本人にしても思いがけないことであった。

「あの時――僕が処置を始めた時点では、のだと思います」
「……は?」

 世助はただ一音だけ発した。
 それが精一杯だった。

「いや、そんな……」

 だとするなら、なぜ唯助は現在、なんの障害もなく――というわけではないにしろ、常人と同じく生きているのか。
 呼吸もする。心臓も動く。人並みの思想や感情も持つ。寝て起きて、食べて動いて、戦って傷ついて、喋って笑って、泣いて怒って。
 人間としてまったく平凡な生活を送っているではないか。既に亡くなっていたのだとするなら――

「じゃあ、あいつは……?」
、貴方が。いいえ、と言った方が適当なのかもしれません」

 秋声は自らの両手を二人の片手に見立て、片方が片方の手をぎゅっと握る仕草をして見せた。

「一度亡くなった唯助くんを死の淵から救いあげ、息を吹き返させた。僕がした応急処置は彼の予後を良くしただけだったんでしょう」
「待て待て待て」

 困惑した世助が手のひらを突き出し、秋声の説明を止める。

「おれが唯助を救ったって? 手握って祈ったところで、死んだ人間が生き返るわけないだろ! そんなの変じゃないか」

 いくら譚という概念が存在するこの世と言えども、そんな奇跡が現実に起こるほど都合の良い世界ではない。
 死んだ人間が祈りで生き返る――倫理にも道理にも、自然の摂理にも真っ向から反することである。
 ――しかし。

「世助くん。貴方の干渉力だって、僕からしてみれば十分変ですよ」

 と、秋声は言う。

「長年、禁書医として先天干渉者を多数見てきましたが、貴方の場合はそれを超越してしまっていると言っていい」

 禁書医として少なくとも三十数年の経験を持つ秋声である――そんな彼が吐く言葉だからこそ、まるで巨岩を背中に背負わされたような心持ちにさせられた。

「結論から言いましょう。唯助くんは、先天干渉者の中からさらに稀な確率で生まれる存在。『譚に愛された子ども』――愛子まなごです。そして貴方は、彼を愛子たらしめた譚の持ち主なのですよ」
「譚に愛された、子ども……?」
「ええ」

 初めて聞く、なんだか崇高な響きをした呼び方に、世助は戸惑う。世助にとってはただの人間である弟が突然そんな呼ばれ方をすれば、動揺するのも当然であった。

愛子まなごが先天干渉者よりも稀なのは、存在自体が稀だからと言うよりも、確率的な話です。愛子が生まれるには、特殊な条件があるんです」

 それも、現実的に考えればかなりありえない、それこそ奇跡とさえいえるような確率で満たされる条件だ。

「まず第一条件――愛子になる存在がそもそも先天干渉者である必要があります。譚への感受性が強くなければ成り立ちません。二つ目――一度死んでいること。それも、死後から数分以内であること。そして三つ目――その先天干渉者を愛する人が傍にいること。その人に生きてくれと強く願う譚があることです。もっとも、これは歴史上観測された愛子の調査情報を統計的に見たものですから、一概に正しいとは言えませんが。しかし――」

 そして秋声は、世助を見た。
 真正面から、見据えた。

「唯助くんがあの時亡くなっていたと仮定すれば、今述べた条件には全て当てはまります」

 先天干渉者は生まれつきの性質――ならば唯助は気づかれていなかっただけで、八歳だった当時から先天干渉者だ。
 さらに、唯助が亡くなっていたとして――どの時機に亡くなっていたのかは分からないにせよ、唯助が意識を失ってから世助が祈るまでの時間がおよそ数分であったことは確かだ。
 唯助が一度亡くなってから、世助は唯助に生きてくれと必死に願った。大事な弟に、目を覚ましてくれと祈っていた。

「……待てよ。そうすると、あいつが愛子になったのは八歳からだろ。じゃあなんで、今になってその力が出てきたんだよ。あいつは今まで一回も、変な夢を見たり、他人の譚を見抜いたりなんてしなかった。なんで十年も経った今になって……」
「それは貴方たちが本に触れてこなかったからではありませんか? 聞けば、貴方たちは柔術道場にいた間、ほとんど本に触れてこなかったそうで。――なら、光雪の営む貸本屋で働き始めたことで、ようやく本に触れる環境ができた。……と僕は予想します」

 とはいえ、と秋声は一つ大きめに息をつき、小屋の壁に少しもたれながら話した。

「愛子はとにかく生まれる確率が低い。歴史を遡れど、実例は極めて少ない。世助くんがどうしてそこまで強い干渉力を持つのかという点については、愛子の誕生に関わったから、ということしか現状思い当たることがありません」
「………」

 先ほどの三八にしても、こんな感じだったのだろうか。と、世助は黙りこくる。
 人間、自分やその半身のことについて衝撃的な事実を知らされると、当惑し混乱するものだ。言っていることを理解するまでに、どうしても時間がかかってしまう。
 世助が受けた衝撃は、凍えるような冬の静かな空気を忘れさせるほどのものだった。

「……すみませんが、片付けを手伝ってくれませんか」

 夢か現実かも分からなくなるくらい動揺していた世助は、ふわふわとちらつく雪のような頼りなさのまま秋声に頷き、転がった鍋や薪などを拾い始めた。
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