貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

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四章『頑張り屋の休息日』

その四

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 私が世助のためにしてあげたいと思うこと。彼に喜んでもらえるよう、元気になってもらえるよう、してあげたいと思うこと。それは何かをしてあげようなどとわざわざ考えるまでもないことで、人を想えば自ずと動けるものだと――旦那様はそう言った。そして、それこそが真の思いやりだとも。
 ふと考え事をする時間ができる度に、私は旦那様の助言を反芻した。その度に頭を捻って、首を傾げて、気づけば夜になっていた。
 皆が夕飯を食べ終え、それぞれの部屋で余暇の時間を過ごす頃。私は世助の様子が気になって、彼の部屋を訪ねた。世助は今までの寝不足を一気に取り戻すように深く眠っていて、夕飯時には起きてこなかったのだ。皆が寝静まった頃に起きて、食べるものもなくお腹を空かせていたら可哀想だし、と思って私は部屋の襖をそうっと開けた。けれど、布団の中に世助はいなかった。部屋の空気はまだほんのりと温かかったので、多分ちょうど入れ違いになったのだろう。まあ、一日中部屋にいたらそれもそれで退屈だろうし、仕方がない。私は壁にかけてあった麻の羽織を持って、世助を探した。
 まずはお台所。お腹が空いてたらいるかもしれないと思ったけど、誰もいなかった。……そこまで食いしん坊というわけでもないか。
 次は縁側。ここは皆がよく使っている休憩場所だ。私は外の空気を吸いたいと思った時はだいたいここへ来るのだけど、世助はここにもいなかった。
 旦那様の書斎もふと頭によぎった。あそこには色んな本があるから、世助もたまに勉強の本を借りに来ている。けれど、書斎は夜になると旦那様が鍵をかけるから、いるとは考えにくい。
 ……となると、まさか外だろうか。外出する用事があるとは思えないけれど。でも他に思い当たる場所がない。庭にならもしかしているだろうか、と私は縁側から外に出る。
 山の中というのもあって、外は昼よりもずっと涼しかった。風は少し温くて湿っているけれど、昼間の猛烈な暑さに比べれば随分マシだ。
 屋敷の灯りにぼんやりと照らされた庭をぐるりと一周回ってみるけど、やっぱり世助はいない。
「どこに行ったのよ、世助ったら」
 こうも見つからないと、普段は言わない独り言も言いたくなるというものだ。あと他に考えられる可能性といえば、誰かの部屋にお邪魔しているということくらいだけど、世助がわざわざ誰かに風邪を伝染しに行くようなことをするとも考えにくい。
 私はもう一度屋敷の中に戻り、一階から二階までの空間をくまなく確認していくが、探せど探せど世助の姿は見当たらない。あまりにも見つからないものだから、もう誰かに相談しようかと思いかけた、その時だった。
「……ん?」
 天井から、かすかに物音のようなものが聞こえた。今私がいる場所は屋敷の二階なので、その上となると屋根裏ということになる。……確かに盲点だったし、個人の部屋以外に調べていない場所と言えばそこだけなのだけど。
「まさか、あんな狭いところにいるっていうの……」
 あそこは大人の身長であればまっすぐ立つこともできないような空間なのだ。せいぜい物置部屋としてしか役に立たないあの場所に、世助が果たしているのだろうか?
 私は答え合わせをするべく、屋根裏へ続く小さな階段を昇った。
 
「……嘘でしょ、本当にいるなんて」
 階段を昇り切った先には、膝を抱えて小さく座り込んでいる世助の姿があった。窓から差し込む光を背にしながら、私の方を静かに見つめている。
「もう、探したのよ。階段の下から私の呼び声くらい聞こえてたでしょうに、どうして声をかけてくれなかったの……って、そうか。声は出ないんだった」
「ちょっとなら出せる」
 世助は掠れた声で、そう言った。耳をじっとすまさなければ消えてしまいそうなほど小さい声だった。
「私もそっちに行っていい?」
 そう聞けば世助は頷いたので、私も屋根裏に上がり、四つん這いで彼の元へ向かう。
「なにをしていたの?」
「別に。なにをしていたわけでもないよ」
「そう。声、出るようになったのね」
「おかげさまでな」
 きっと、イシさんの作った大根の蜂蜜漬けが効いたのだろう。私もお湯で割ったものを少し味見させてもらったけど、蜂蜜のふんわりとした甘い香りの中にほのかな大根の匂いもあって、子供好みの味なのに薬を飲んでいるような気分だった。
「はい、これ。体を冷やすと良くないから、羽織ったほうがいいわ」
 私は寝室から持ってきた羽織を世助に手渡す。
「部屋に行ったのか?」
「ええ、様子を見に行こうと思って。丁度入れ違ったみたいだけどね」
「そっか……ありがと」
「どういたしまして」
 彼は礼を言ったあと、受け取った羽織を広げて肩にかけた。
 それにしても、どうしてこんな狭くて暗い場所にいるのだろう。私は浮かんだ疑問を、そのまま彼にぶつける。すると彼は折り曲げていた膝で顔半分を隠すようにしながら、
「ここ、一人でぼーっとするにはいいんだ。誰も来ねえし」
 と答える。なるほど、世助は意外と独りの空間を好んでいるようだ。
「まあ……確かに誰も来ないわよね、こんなところ」
 私も用事があってここに来たことは一回しかないし、そもそも誰かがいると思って来るようなところではない。二階で物音が聞こえた時も、最初は鼠か何かの仕業だと思ったのだ。
 もしかして、私は彼の一人の時間を邪魔してしまったのだろうか。上着も届けたことだし、あとは蜂蜜湯でも持ってきてあげて退散した方が良いのだろうか。
「リツ」
 戻るためにまた腰を上げて四つん這いになろうかと迷っていた時、世助が私の方をちらりと見た。
「昼間、迷惑かけてすまなかった」
 窓の外から差し込む星明かりが薄暗く世助の表情を映し出している。細かい表情まではよく見えなかったけれど、焦げ茶色の視線は逸れがちで、頬は心なしか赤っぽいようにも見えた。
「気にしないで。私が突然いなくなったから、吃驚させちゃったのよね」
 私もごめんね、と謝れば、世助はふるふると首を振って否定した。
「情けねえな……ただ風邪を引いたくらいで、こんなに心細くなるなんて」
「そういうものよ。貴方、滅多に風邪なんか引かないでしょ?」
「確かに、数年ぶりに引いた」
「じゃあ、慣れてない状況に戸惑ったのかもね」
 ふ、と自分の手が浮いた。見えない糸で手繰り寄せられているかのように、私の手は世助の茶髪に触れる。先ほどのように寝かしつけるために撫でたわけでもなく、イシさんの真似をしたわけでもない。ただ、私の手が自然とそこに行き着いたのだ。
「保護されてる私の立場で言うのも変だけど、貴方はよく頑張っていたわ。おかげで私もたくさんの元気をもらって、こうして前向きに過ごせてる」
 勿論、旦那様や使用人の皆も温かくていい人たちだけど、彼がいなかったら、私は今のように前を向いていられただろうか――きっと無理だっただろう。世助の献身的な支えがあったからこそ、私はこんなふうに彼に微笑みかけることができているのだと思う。
「ありがとうね、世助」
 世助はしばらく目を丸くして固まっていたけれど、何度か撫でられているうちに落ち着いてきたのか、目をとろりと細めた。あぁ、そういえば昼間に寝かしつけた時も、こうして頭を撫でられて気持ちよさそうにしていたっけ。
 ぼんやりとそんなことを考えていた時だった。突然、ぐうう、とお腹の虫の豪快な鳴き声が聞こえた。当然、私のものではない。
「……ぷ、ふふふっ」
「おい、笑うな」
「ごめんなさい、あんまり立派な音だったから」
 お腹を押さえた彼はあからさまに不機嫌そうな顔をしてそっぽを向くけど、どうしたって笑いは止まらなかった。だって、真剣な話をしていたのに、いきなりぐう~なんて。空気を読まない音を聞いて力が抜けてしまうのは仕方がないことだろう。
 とはいえ、食欲がちゃんとあるのはいいことだ。しっかり栄養を摂ってたっぷり寝ることは、弱った体を回復させるのに重要なことだと――私にそう言ったのは、確か世助だったはずだ。
「お粥でも食べる? 朝は菜っ葉のお粥で、昼は鮭のお粥だったわよね。なにかいい具材ってあったかしら」
「……枝豆がいい。胡麻が入った塩味のやつ」
「枝豆ね、分かったわ」
 今日は丁度、夕飯にも枝豆が出てきたのだ。イシさんのご家族が作っているものらしいけれど、大きな笊いっぱいに盛られた大量の枝豆は圧巻だった。果たしてこんなにたくさん食べられるものだろうかと思っていたけれど、食べてみれば吃驚するほど美味しくて、ぺろりと平らげてしまったんだっけ。あぁ、イシさんから『いい食べっぷりらこて』と大笑いされて恥ずかしかったのを思い出した。確か、赤塚さんが明日の朝ご飯用に保存していたものがまだ残っているはずだし、そこから少し分けてもらえば一人分はできるだろう。
「すぐに作るからここで待ってて頂戴。持ってきてあげる」
 腰を上げながら言う私に、世助は「ん」と小さく頷いて返した。

 *****

「お味はどう?」
「うん、美味いよ」
 お匙を持った手はゆったりとした間隔で器と口を行き来する。掬ったお粥をふうふう冷まして口に入れる度に、彼は表情をゆるりとほころばせた。
「あったかくて、なんだかほっとする」
「ふふ、良かったわ」
 赤塚さんや音音さんほど料理は得意じゃないけれど、それでもこのお粥は自信作だ。枝豆は採れてからすぐに茹でたものだから、風味が良くて余計な味つけがいらない。豆をすりこぎで軽く打ってから(イシさんはこれを「はんごろし」と言っていた)ほんの少し塩を振るだけで、十分に素材の味が引き出せるのがすごいと思う。
「前々から思ってたけど、世助って美味しそうに食べるわよねぇ」
「おっさんや姉御にも同じこと言われた」
 大盛りのご飯やおかずをぺろりと完食してしまう普段に比べると、今の世助は食が細くなっているし、まだまだ気だるそうな様子だ。それでも、器に盛られた枝豆のお粥は少しずつ平らげられていく。唇をもにもにと動かして咀嚼する度に頬をゆるませている姿は、私の奥底に眠る母性本能をくすぐってやまなかった。
「ご馳走さんでした」
「良い食べっぷりでした」
 器をきちんと置いて手を合わせた世助に、私も頭を下げてみる。ちょっとしたおふざけに笑いあったら、色々と悩んでいたことも溶けて消えていくようだった。
「リツは料理もできるのな」
「まだまだ勉強中だけどね。赤塚さんや音音さんには敵わないわ」
「まあ、あの二人は別格だよなぁ。料理人顔負けって感じだし」
「私も腕を磨かなきゃ。椿井家のメイドとして頑張らないとね」
「そりゃいい。楽しみだ」
「でも、そう言う世助も料理できるのよね。意外なことに」
「意外ってなんだよ」
「だって、力仕事が多い印象だったもの。簡単なお裁縫もできるでしょ」
「元いた場所が男所帯だったからな。飯くらい自分で作れなきゃ困るし、普段着も道着もしょっちゅう破けるから人に任せられなかったんだ」
 ……イシさんの言った通りだった。世助は、世間一般の男の人と比べれば、かなり苦労が多かったのだろう。世の男性たちのように女に家事を任せなくても、彼は自力で身の回りのことをやってのける力があるのだ。
「……結構、厳しいお家だった?」
「まあな。けど、それに耐えたおかげで今まで戦ってこれたし、結果的には悪くねえと思ってる」
「そう」
 道着がしょっちゅう破けるなんて、どれだけ厳しい修行だったのだろう。私には想像ができない。けれど、磨き抜かれたその腕は確かなものであることは、何も見ていない私でも知っていた。
「……リツ。一つ、おれの譚を聞いてくれるか。あんまりいい譚じゃないんだけど」
 不意に、そっと囁くような声で世助が言った。はなし、というのは彼らの間では単なる『話』ではなく、『譚』のほうを指すことが多い。つまりそれは、彼という存在を為している根幹のことだ。私は頷いて、彼が紡ぐ言葉の続きに耳を傾ける。
「――おれ、八歳までの記憶が無いんだ」
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