貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

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八章『悪鬼羅刹 後編』

その四

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 リツの幼少期の風景から、藤が咲く暗闇の川原へ戻る。
 水面に映し出されていたおれの顔は、自分でも驚くほどめちゃくちゃになっていた。心の中にこれでもかと詰め込まれた灰色のよどみが、もう堪えられないとばかりに溢れ出たような、醜く汚れた顔をしている。
「姉妹はな、警官か軍属にでもなって、帝国司書隊や八田幽岳の悪事を暴いて、白日のもとに晒してやるつもりだったらしい。そのために、毎日剣の腕を磨いてた。そんじょそこらの男なら簡単にのしちまうほど強くなってたさ」
「そう、なのか?」
「あぁ。いつか両親の仇を取ってやろうって、姉妹で励ましあってたみたいだぜ」
 藤次の証言は、おれの心の淀みを少しだけすくい取ってくれた。クーデターなんて犠牲の多すぎる計画を企てるのは、やはりリツらしくない。彼女は真面目に、正攻法をとっていたのだ。その事実にそっと胸を撫で下ろした。
「だが、それだけじゃ足りねえのさ」
「……警察隊や帝国軍は、女を冷遇するからか」
「ご明察だ」
 大陽本では、女が軍人になるのは至難の業だ。職業婦人という言葉も最近はちらほら聞くようになったが、それでも公務員試験において、女は男よりも圧倒的に冷遇されてしまう。人手の足りない帝国司書は例外だが、警察隊や軍隊を構成しているのは男ばかりだ。
 今はもう亡き鍔倉家などから輩出された女は、四大武家の家名のおかげで入隊できることもあったそうだが――離島で育ったリツたち姉妹が入隊できる可能性は、限りなくゼロに近い。
「倫十郎はそこにつけこんだ。男どもを黙らせられる強さを希求していた姉妹にとって、強くなれる魔法の秘薬なんて夢のような話だったんだろうよ」  
「つけ込んだって……じゃあ、リツと姉ちゃんは実の父親に騙されて、禁書の毒を仕込まされたってことなのか!?」 
「いいや。危険を承知で秘薬を飲んだところまでは、あくまで姉妹の意志だ。悪魔でもなんでも良かったんだよ。自分たちの父親を信用しきってたしな」
「……っ」
 そんな危険物に頼らなければならないところまで、姉妹は追い詰められていたのだ。八田幽岳が死したのもあって、焦りも強くなってしまったのかもしれない。
「先に破綻したのは姉だ。姉はお姫さんよりも多く秘薬を摂取していたようだからな」
「……破綻して、どうなった?」
 おれは喉の奥からゴツゴツと、なにか不快なものが突き上げてくるのを感じながら尋ねる。
「『羅刹女』の毒は殺人衝動を引き起こす作用がある。人を斬りたくてたまらなくなって、やがて視界に入ったものを全て斬りつけるようになっちまう。お姫さんの姉は衝動に駆られるまま、この島に住んでた生きとし生けるものたちを殺しまくったのさ」
 生きとし生けるもの――というのは、人間だけではないのだろう。この島に野生動物の痕跡さえ見当たらなかったのは、既にリツの姉が惨殺してしまっていたからだったのだ。
「お姫さんはそれを止めた。同じ『羅刹女』の力を得た妹でなければ、太刀打ちできなかったんだ」
「……自分の姉を、殺したってことか」
「ああ」
 藤次のたった二文字の返事が重々しい。
「お姫さんはその後、島を脱走した。精神的に大きな傷を受けたことで、記憶も吹っ飛んじまったのさ。そこからはお前さんも知る通りだ」
 おれの拳に、痛いほど力が入っていくのが分かった。
 リツが必死に思い出そうとしていたものが、これほどまでに凄惨な譚だったなんて、予想だにしなかった。
 ――彼女は記憶を失っていたのだ。記憶を消さなければ、まともに心を保っていられない状態だったから。
 彼女が帰るべき場所に帰るためならば、と今まで手を貸していたのに、結果はこのザマだ。リツがせっかく忘れていた記憶を、おれは掘り起こさせてしまった。再び彼女を地獄に落としてしまったのだ。
「姉の方はお姫さんがギリギリで倒したから人のまま死ねたが――お姫さんの方は時間の問題だ。禁書の有害性に耐える性質を持つお前さんが傍にいたおかげで、毒の進行がかなり遅れていたみたいだが、さすがにもう限界さね」
「……っ!」
 リツがおれを斬ったのは、『羅刹女』の毒に負けかけていたのに他ならない。崖から落ちた時に聞いた悲鳴は、リツの救難信号だった。
 ――ならば、おれがやるべきことはひとつだけだ。
「行くのかい?」
「ああ。リツを助ける」
「お姫さんはもう人斬りの衝動を抑えられねえ状態になってる。行けばほぼ間違いなく戦いになるぜ」
「それなら、おれが止めるまでだ。斬られてでも止めてやる」
「おいおい、現実のお前が既に重傷なのを忘れてねえか。下手に動けば、腹から臓腑がこぼれるぞ」
「リツが消えていなくなるよりはずっとマシだ」
「……死ぬぞ? 本当に行くのかい」
「惚れた女を見捨てて生き残った男が、どの面下げて帰れってんだ。リツが助かるなら、おれの命なんざいくらでもくれてやる」
 藤次はからからと笑う。満足そうに。愉快そうに。それはもう気持ちがいいほど腹を抱えて笑い飛ばした。
「馬鹿だなァ、お前さん。人間の命はひとつ限りだってのに!」
 ひとしきり笑って、手を叩いて、藤次は言った。
「どれ、お前さんに俺の力を貸してやるよ」
「力?」
「そう。力だ。どう使うかはお前さんの自由だ。欲しくないか、惚れた女を助ける力が」
「……リツを救えるなら、なんだって構わない」
 いい覚悟だ、と言うように、藤次はにっと口角を吊り上げる。
「お前さんが立ち向かうのは第一級禁書『羅刹女』。奴は写しとはいえ、原本にも劣らねえ猛毒を宿している。とんでもねえ干渉力を持ってるお前さんでも、一筋縄じゃいかねえ相手だ。だから、俺の猛毒を上手く使え」
「……お前は、なんて禁書だ?」
 男はひひ、と笑う。祭りの前の子供のように、ただ楽しそうに。

 *****

 私は自分が目を閉じたわずか数瞬の間に起きたことを悟る。
 ――そう。彼が、やったのだ。彼が、私の刀を折ったのだ。光景を見たわけではないから、何をしたまでかは分からないが――どう考えても彼がやったとしか思えなかった。
「危ねぇから、さっさと刀を下ろしな」
 明るい茶髪を揺らして、この場に不似合いなほど爽やかな顔で、世助は笑っていた。
 いつもと変わらない明るさで、
「迎えに来たぞ、リツ」
 と私に向かって手を差し伸べていた。 
「あ……あぁ……」
 流れる涙はいっときだけ、悲しみの涙から感動の涙に変わる。
「会いに、来てくれたの? 私のところに――」
「ん?」
 神様は残酷だ――最期に、こんなに優しい幻を見せてくれるなんて。
 迎えに来た、ということは、彼はあの世からわざわざ私のところへやって来てくれたのだろうか。
 だとしたら、おかしな話だ。
 私と彼が、同じ場所に行けるはずないのに。
「……ふふ、せっかちな人だわ」
 笑う私を前に、彼は訝しげに目を細め、眉を釣り上げる。
 あぁ、困ってるなぁ、これは。
 本物の彼みたいだ。
 いや、彼の幽霊なら、ある意味本物なのか。
 人って、死んでも全然変わらないのね。
 なんだか可笑しくて笑ってしまう。
 ならこっちも少しだけ、それらしく合わせてあげようかな。
 私はしゃなりしゃなりと気取りながら、彼に歩み寄った。
「白無垢じゃなくて、こんなに真っ赤な姿になっちゃったけど……こんななりでも、嫁入りできるかしら」
 戯れに、恋する乙女のような言葉を吐き、少し戸惑っている彼に向かって微笑んでみる。
 血と涙でぐしゃぐしゃだし、暴れたから服も乱れているし、不格好としか言いようがないだろうけど。
 少しでも綺麗に見えてたらいいな。
「こんな殺人鬼でも、貴方のお嫁さんになれる……? 貴方のところへ、一緒に連れていってくれる?」
 頷いてくれたら、嬉しい。
 そう思いながら、私は彼の言葉を待つ。
「……はあ」
 世助は呆れるようにため息をついて、両手を伸ばした。そして、両手で私の頬をそっと包んだかと思うと――べちん! と頬を両側から挟むように叩いた。
「……っ!?」
 頬がじんじんと痛むのを感じる。手のひらから伝わる熱は、ほのかに温かくて心地がいい。
 やけに現実的な感覚に、私は目を白黒させた。
「どうして、温かいの? 死んだ人って、温かいの?」
 頬から顔全体へじんわりと広がっていく、返り血以外の熱感。
 それが不思議で、私は首を傾げながら彼に尋ねる。
「……やっぱり。もしかしなくてもあんた、盛大に勘違いしてるな?」
 彼はしかたないなぁと呟くと、自分の足元を指さして言った。
「おれは死んでねーよ。よく見ろ。ちゃんと足がついてるだろ?」
 彼が指さす先に足があるのを見て、私はようやく気づく。
 そうだ、彼にはちゃんと気配があるではないか。近づけば体温を感じるし、呼吸の音だってする。目の前の彼は幻でも幽霊でもなく……紛うことなきだ。
「死んだんじゃ、ないの……?」
「ところがどっこい、って感じにな」
 私は状況が飲み込めなかった。
 あの大怪我と出血量で、しかも海に突き落とされたのに、生きているなんて。人間とは思えない――
「ほら、泣いてないで血ぃ落とそうぜ。おれはなにも見てねえからさ」
 戸惑う私を置きざりにして、世助は私の顔についた返り血をシャツの袖で拭った。海の塩水が頬に少ししみる。
「……怖く、ないの?」
「別に?」
 世助は冗談でも言うように肩を竦める。なんでもないように振舞っている。こんな血塗れの衣裳を纏った女が怖くないはずないのに、変わらない目で私を見ていた。
「あんたは椿井家うちのメイドだろ。蒼樹郎さんもみんなも待ってるのに、心配かけちまうだろうが」
 脳裏に、旦那様や屋敷の皆の顔がふっと浮かんだ。
「な、に……言ってるの……?」
 ――旦那様も、みんなも、待ってる?
 待ってるって、私を?
 私の帰りを待つ人が、いるの?
 こんな化け物になった私を、待っている人が?
 私は首を振って否定する。
 頭から振り払うように否定する。
 強く拒む。
 返り血を拭う優しい手を拒否する。
「あ、はは。あはははは!」
 急に笑い出す私を見て、世助が少し怯んだ。
 そこからさらに彼を遠ざけるように、折れた刀の先を向ける。手のひらの皮膚と刀の柄は、癒着してしまったように離れなかった。
「バカじゃないの? 私、貴方を殺した殺人鬼なのに! この島の生き残りも、笑いながら斬っていたのよ? 貴方のことだって、また殺したいって思っちゃってるのよ?」
 彼に放った言葉は、決して嘘ではない――手に持った刀で、私は彼を、もう一度殺したいと思ってしまっている。
「ねえ、生きてるなら、もう一度斬らせてよ。貴方を斬るの、すごく気持ちよかったんだから」
 彼の温かい血の感触が欲しい。
 花が舞うような、綺麗な血飛沫が見たい。
 そのためには、もっと確実に殺せる場所――そう、例えばくび
 そこをすっぱりと斬ればいい。
 そうすれば、いくら彼でも一撃で倒れるだろう。
 そんなことを考えていると、刀を握っていない左手に、青白い霞のようなものが生じる。
 霞はだんだんと細長く広がっていき、ひと振りの白い刀になっていた。
 少しでも気を抜けば、彼に向かって刃を振り下ろしてしまいそうな、まさに一触即発の状態。私は残り僅かな理性で自分を客観し、自分が化け物なのだと再認識する。
「バカって死んでもバカなのね。どうしてそう呑気に私に話しかけるのよ。なにも学んでないの?」
 必死になって刃になる言葉をあれこれ考える。
 彼の唇にはきゅっと力が入っていて、少しばかり下向きに弧を描いていた。心なしか、彼の焦げ茶色の瞳にも、涙が滲んでいるように見える。
 それでも、私は彼を傷つける言葉を言わなければならない。この穢らわしい化け物から、愛しい人を守らなければならないのだから。
「記憶が戻ったの。私、思い出したのよ。人を斬ることって、すごく楽しいことなんだって。恋人ごっこなんてお遊びにはもう飽きたの。つまらないのよ。この快感を手放してメイドに戻るなんて嫌よ。誰がそんなままごとなんてやるもんですか」
 私に散々に貶されて傷つけられて、それでも世助は冷静さを保ったまま、静かに告げた。
「おれはまだあんたが好きだけど」
 一途な想いを告げた世助を、私はわざと大きな声でせせら笑う。
「好き? あはは! 私は人を殺さずにはいられない殺人鬼なのよ。貴方だけじゃない、私を屋敷に連れて帰るなら、皆殺すわ。旦那様も、秋声先生も、使用人の皆だって! 皆殺して、弄ぶわ」
 離さないと言ってくれた恋人に、こんな残酷なことを言わなければならないなんて。それとも、これが禁書に安易に手を出した報いだと言うのか。 
 必死に嫌われようと悪女を演じる私に、世助はまた静かな声で問いただした。
「なあ。なんであんた、そんなに悲しそうな顔してんだ」
「……っえ?」
 彼に言われた瞬間、頬を何かが伝った。返り血以外の何かが、私の頬を濡らしていたことに気づいた。
「あんた、嘘つくの下手すぎだろ。心にもないこと言って、自分が一番傷ついてるじゃん」
「……っ、違う、これは」
 なにか言い訳を考えるけれど、頭に浮かんでくるのは「涙じゃなくて汗だ」とか「貴方が都合よく捉えてるだけだ」とか、子供じみた台詞ばかりだ。
 反論できずしどろもどろになる私を、世助は射るような眼差しでずっと見つめ続けている。
「言ったろ。あんたの譚がどんなものだったとしても、おれは受け止めるって。ずっと隠し通すつもりだったこの感情を伝えたときから、おれは覚悟決めてんだ」
 あんたが焚きつけたんだぞ、と暗に言われたようだった。
 そういえば、と藍舘島での彼とのやり取りを思い出す。目の前にいる彼の顔はあの時と同じように、固い決意に満ちているではないか。私はもう一度、彼の誓いを聞いているようだった。あの時はこそばゆくも嬉しい、なんとも幼い気持ちで聞いていたけれど、世助の覚悟は私が想像していたものよりもずっと重かったのだ。
「あんただって、さっき『助けて』って言ったじゃねえか。なら、助けるよ。あんたが人を殺す化け物だってんなら、おれが何度だって人に戻してやる。だから、一緒に帰ろう」
「……うるさい!」
 彼の言葉に心を揺さぶられて、崩れそうになるのを立て直すように、私は叫んだ。
「貴方には、弟がいる。旦那様からも必要とされてる。皆から愛されてる。十分すぎるほど居場所がある。でも、私が行ける場所なんてどこにもないのよ! 殺人鬼を受け入れてくれる居場所なんか、あるわけない!」
 自分に強く言い聞かせた。つけあがるな、思い上がるな。私は姉も恋人も、生まれ故郷の村人も、何人も斬ったれっきとした化け物だ。帰れば、もっと被害を拡大させることになる。私はここで死ななければいけない存在なのだ。
「さっさと私を見限ってよ。醜い殺人鬼だって」
「それは無理な相談だ」
「どうして?」
「だってあんたは醜くないから。今だって綺麗だよ」
 突然、綺麗だと言われて、私はぎょっとした。きっと目玉が飛び出るほど瞠目していたと思う。血にまみれた下で私の顔が紅潮しているのを知ってか知らずか、世助はさらに続ける。
「あんたがそんな衣裳を着て嫁に来てくれたら、って想像しただけで幸せになれるよ。ただ、今のそれは禁書の影響でなってるっぽいから、ちょっとムカついてるけど」
 確かに花嫁衣裳をまとってはいるけれど、こんなときに『嫁に来たら』なんて、何を言っているんだこの人は。それこそ、今度は心の底からバカじゃないのと叫びそうになった。
 けれどその前に、私は世助の言葉に引っ掛かりを覚える。
「貴方、これが禁書のせいって……?」
「まあな。白無垢なんか着て刀で暴れてりゃ、気づく人は気づくよ。そいつは『羅刹女』っていう禁書なんだけどさ、人に寄生する人斬りの禁書なんだ。宿主に選ばれた人間は血のように赤い目をしていて、無数の刀を自在に操れるんだと。蒼樹郎さんの体を不随にしちまったのはな、まさにその禁書なんだよ」
 ――突然、血なまぐさかった空気のにおいが一変する。彼の周りにあった空気のにおい、湿っぽかった鉄錆の風は――喉の奥からじりじりと焼いてくるような、熱い風に転じた。
 私の本能が、そして私に巣食った禁書の毒が、毛を逆立てた猫のようにちくちくと騒ぎ出す。
「もうやめだ。そっちがそこまで意地張るなら、力で押し切ってやる」
 世助が握り固めた右手の拳を左の手のひらに叩きつける度、バツン! バツン! と人体から出ているとは思えない、重々しい音を立てていた。
「おい、聞こえてるか、『羅刹女』。お前にはもう何も奪わせねえ」
 密売人を捕まえた時も、ナナヱちゃんと手合わせした時も、絵譚本の禁書や鎧武者と戦った時でさえも見せなかった――戦人いくさびととしての気迫。
 薬に頼ってしまった私たち姉妹には出せない、一から鍛え上げた生粋の闘気。
 私は初めて、夏目世助の真髄を見ていた。
「覚悟しやがれ。てめえの刃、おれが全部へし折ってやる。――来い、『鏖殺橋おうさつきょう』!」
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