クラシオン

黒蝶

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暗闇

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取り柄がない...それは周囲からかけられた言葉によって生まれた価値観なのだろうか。
「あなたにも、いいところがあると思います。たとえば、美味しいと言って作ったものを食べきってもらえるのは嬉しいです。
それから、ここに入った瞬間一礼する丁寧さも持っている...誰しもができることではありません」
誰かが店に入った瞬間から、どんな些細なことも見逃さない...沢山の人たちを見てきた経験が少しは生きたらしい。
「そんなふうに言ってもらえたのは初めてです。...ああした方がいい、こうすれば出来損ないのおまえの為になるっていつも言われるから。
あの家で褒められたことなんて、多分1度もないんです」
少女は大人びた笑みをこちらに向ける。
年相応の経験をしていれば、あんな表情にはならないだろう。
「いつだって私がやることは全部否定して、自分の跡継ぎにしようと必死で...誰も私自身なんて見てないんです。
でも、ここのご飯は温かくてとても美味しいです。何も食べてなかったからか、余計にそう感じました」
自分の子どもを跡継ぎにしようと必死で、その子の個性を見つめられない...そんな悲しいことがあるだろうか。
彼女は寂しげに笑って、デザートにと出したカボチャのミルフィーユをゆっくり口に運ぶ。
お嬢様というわけではないのだろうが、彼女の息苦しさはその域に達しているかもしれない。
「あなたの話を、もう少し聞かせてもらえませんか?」
「つまらない話です。私は会社を継ぐように言われていますが、もっと他にやりたいことがあります。
でも、それを認めてくれていた人を亡くしました。独りで頑張るしかないのに、日に日に絶望していくばかりで...」
それはそうだろう。
大切な人を失い、悲しむ間もなく先が見えないなか動いている。
「私には価値なんてないんです。誰も私のことなんて見ていない...見えているのは、あの人の子どもという残酷すぎる現実だけ。
最悪ですよね。私はあの人たちのことなんて全然家族とも思ってないのに」
少女の心は泣いていて、見ているこちらも胸が締めつけられる。
『本来であれば1番安心できる場所が、不安ばかりがつもっていく場所である場合がある。俺にできることは少ないけど、もう少し力になれないかいつも考えてるんだ。
...残念なことに、今のところいい方法がないんだけどね』
持ち物を観察して、仕草を観察して...どんな言葉を伝えるのが1番いいのかなんて分からない。
だが、それでも彼女の瞳に宿る何かを少しでも祓うことはできるだろうか。
「...やっぱり君には、いいところがあると思う。少なくても、俺から見た君にはいいところが沢山あるよ」
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