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第16章『怖い帰り』
第90話
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「あの、お茶でよかったですか…?」
《ありがとう》
コップを持つ仕草がとても綺麗で、つい見とれてしまう。
「もう落ち着かれたようですね」
《ごめんなさい。暴力をふるわれていた恐怖ですっかり我を忘れてしまっていた。恥ずかしいところを見せてしまいました》
「いえ。この時期は時々いらっしゃるんです。あなた様のような例は少ないですが、妖や気が触れたお客様と対峙することが…」
《そう…。今夜はそういうものが現れないといいですね》
氷雨君はゆっくり頷いたけど、なんだかすっきりしない顔をしている。
《死者が乗る列車があるとは聞いていましたが、まさかこんな大きなものだとは思っていませんでした》
「亡くなられてそんなに経っていない方と幽冥へ戻る方が多数乗っていらっしゃいますので、今夜はいつも以上に多いのです。
先程は申し訳ありませんでした。…お客様をきちんとお送りするのも車掌の仕事でして、ぴりついてあなたに攻撃を仕掛けてしまい…」
黒コートの人は首を横にふる。
《あなたの判断は間違っていません。私がずっと暴走していれば、ここの乗客たちを傷つけてしまうところでした》
氷雨君が不安そうにしていたのは、確実に悪意を持った何かが襲ってくる可能性があるからだ。
マスクを外して、すっかり煤が薄れた黒コートの人に話しかける。
「あ、あの…式神って、やっぱり大変なんですか?」
《不届き者に狙われることもあったし、何度消されかけたか分からない。
前の持ち主は私を大切にしてくれたけど、ただの道具としてしか見てくれない人もいるから穢を溜めこんでしまうことも多い。私もそうでした》
「嫌なことを訊いてしまって、申し訳ありません」
《いえ。あなたが私と話してくれて、今本当に心穏やかなの。
今ここに一個人としていられるのは、あなたのおかげです》
黒コートの人はとても丁寧に話してくれた。
前に仕えていた家ではとても大切にしてもらえたこと、視える人がいなくなって別の持ち主のところへ譲渡されたこと、それから扱いがひどくなって、おもちゃみたいに捨てられたこと…。
聞いているだけで苦しくなることばかりだった。
《前の家では、人間のように扱ってくれた。働いたらねぎらってくれて、沢山話をしてくれて…だからやってこられた。
だけどもう、私には帰れる場所がない。このまま向こうへ行こうと思います》
「あなたがそれを望むなら、そのように手続きを進めます」
氷雨君が立ちあがるのと同時に、普段は聞こえない大きな音が耳をつんざく。
「何か迫ってきているんじゃ…」
「…ごめん、扉閉める」
ロックをかけて密室になったと思ったら、向こう側からすごい勢いで大きな体の妖がやってきた。
「申し訳ありません、お客様。少々お付き合い願います」
《ありがとう》
コップを持つ仕草がとても綺麗で、つい見とれてしまう。
「もう落ち着かれたようですね」
《ごめんなさい。暴力をふるわれていた恐怖ですっかり我を忘れてしまっていた。恥ずかしいところを見せてしまいました》
「いえ。この時期は時々いらっしゃるんです。あなた様のような例は少ないですが、妖や気が触れたお客様と対峙することが…」
《そう…。今夜はそういうものが現れないといいですね》
氷雨君はゆっくり頷いたけど、なんだかすっきりしない顔をしている。
《死者が乗る列車があるとは聞いていましたが、まさかこんな大きなものだとは思っていませんでした》
「亡くなられてそんなに経っていない方と幽冥へ戻る方が多数乗っていらっしゃいますので、今夜はいつも以上に多いのです。
先程は申し訳ありませんでした。…お客様をきちんとお送りするのも車掌の仕事でして、ぴりついてあなたに攻撃を仕掛けてしまい…」
黒コートの人は首を横にふる。
《あなたの判断は間違っていません。私がずっと暴走していれば、ここの乗客たちを傷つけてしまうところでした》
氷雨君が不安そうにしていたのは、確実に悪意を持った何かが襲ってくる可能性があるからだ。
マスクを外して、すっかり煤が薄れた黒コートの人に話しかける。
「あ、あの…式神って、やっぱり大変なんですか?」
《不届き者に狙われることもあったし、何度消されかけたか分からない。
前の持ち主は私を大切にしてくれたけど、ただの道具としてしか見てくれない人もいるから穢を溜めこんでしまうことも多い。私もそうでした》
「嫌なことを訊いてしまって、申し訳ありません」
《いえ。あなたが私と話してくれて、今本当に心穏やかなの。
今ここに一個人としていられるのは、あなたのおかげです》
黒コートの人はとても丁寧に話してくれた。
前に仕えていた家ではとても大切にしてもらえたこと、視える人がいなくなって別の持ち主のところへ譲渡されたこと、それから扱いがひどくなって、おもちゃみたいに捨てられたこと…。
聞いているだけで苦しくなることばかりだった。
《前の家では、人間のように扱ってくれた。働いたらねぎらってくれて、沢山話をしてくれて…だからやってこられた。
だけどもう、私には帰れる場所がない。このまま向こうへ行こうと思います》
「あなたがそれを望むなら、そのように手続きを進めます」
氷雨君が立ちあがるのと同時に、普段は聞こえない大きな音が耳をつんざく。
「何か迫ってきているんじゃ…」
「…ごめん、扉閉める」
ロックをかけて密室になったと思ったら、向こう側からすごい勢いで大きな体の妖がやってきた。
「申し訳ありません、お客様。少々お付き合い願います」
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