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4.追憶-sideミラ-(下)
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ミラは、薬学を専攻していた。
医者をやっている叔父と、それを受け継ぐ従兄の影響で薬草に触れる機会の多かったミラは、幼い頃からアカデミーで薬学を学び、薬の研究をすると決めていた。
研究室に籠って、薬草に囲まれて本と睨み合いをする時間は、至福の時と言ってもいいほど楽しくて仕方のないものだった。
その時間を過ごしている内に、アレクシスとの交流も数が減って、ミラの心境は複雑になっていた。
彼との婚約がなければ、ミラは薬剤師としての人生を選んでいただろう。結婚は、二の次にして。
未来の旦那様は、彼のように顔がいい人と思っていたけれど、今となっては、それが本当に自分が望んでいることなのか分からなくなっていた。
王命で決まった婚約だから、破棄することなんて出来ないのだけど。
公爵夫人になったミラの隣には、彼はいないかもしれないと、数日前に見かけた光景を思い出して、ミラは虚しくなっていた。
望んだ未来を捨てて、惨めな生活を送るだけの日々が待っている。
わざわざ自分を嫌っている相手の元に嫁ぐなんて――今になって、ミラはこの王命が重い足枷のようになっていた。
楽しい時間を過ごすほど、その足枷が鬱陶しく感じた。
そんなときだった。とある夫婦の夫人が、事故で記憶を失くして、婚姻の刻印が消えたという記事を見たのは。
婚姻を結ぶには、互いの手の甲に刻印を施すのが、この国の決まりだった。
嫁ぎ先の家紋を刻むのが通例で、一度刻まれたそれが消える前例なんて、今までなかった。
しかし、現実に起こったその事実を知ったミラの脳裏に浮かんだ、とある計画――婚姻を結んだ後に、ミラの記憶と共に刻印が消えたら、彼は喜んでミラを捨てるだろう。一度した刻印が消えた後なら、王命に反したことにはならないのではないか。
(……そうすれば、私の自由が得られるかも)
記憶を消すことは、実は簡単にできる。
薬学に通じる者でないと思い浮かばない"忘却の薬"というものが、存在しているのだ。
忘却の薬は、事故や事件、または戦争などで生まれたトラウマに苦しむ心の病気に罹ってしまった人のために開発されたものだった。
本人や家族の承諾がないと使用してはいけない代物であるが、材料や作り方は案外、簡単なものだった。
気が付くと、ミラの目の前に完成した忘却の薬が置かれていた。
ミラは、自身の手で忘却の薬を作ってしまったのだ。
呆然と完成したそれを眺めて、揺れる心と向き合ったけれど、答えを出すことは出来なかった。
そして、忘却の薬を小瓶に移して、凍結保管した。
アカデミーを卒業すると、いよいよ二人の婚姻を結ぶ日がやってくる。
ミラは、例の計画を決行するか否か、あれからずっと悩んでいた。
忘却の薬の悪い点は、消せる記憶の選択が出来ないことだった。
思い出したくないことを覚えていて、忘れたくないことを忘れる。そんな事例はたくさんあった。
だから、これを飲んで記憶を失くすとしても、どれだけの量の記憶を失くすのかが明確ではないので、その後のことが気掛かりだった。
ただ、良い点として一定期間、記憶喪失になるだけで、その期間を過ぎると失われた記憶が蘇るらしい。
ミラの目的は、記憶を失くして刻印を消すこと。そして、離縁することであったから、その目的が達成されるのであれば、喜んで実行したいところだった。
それでも、まだ決めかねていた。
そんなときに、研究室に籠っていたミラの元に、一通の手紙が届いた。
差出人は、アレクシスだった。
彼からの手紙なんて、一度も貰ったことがない。だから、誰かのいたずらではないのかと疑った。
しかし、それを送り届けた人は、ヴィガード公爵家の使者で、手紙には確かにヴィガード公爵家の家紋で封蝋印が押されていた。
(呪いの手紙……とか?)
灯りにかざして、中身が透けて見えないかとやってみたけれど、わからなかった。パタパタと振って、中に異物が入っていないか確認してみたけれど、特に異変は感じられなかった。
怪しくて、開けるまでに時間が掛かった。
机の上に置いて、手紙と睨めっこをしてしばらく考えてから、意を決して封を開けた。
そこには、初めて見る彼の字で《明日の夕刻、アカデミーの書庫に来て欲しい》と書かれていた。
使者にこの手紙を持たせたのだから、わざわざ手紙にしなくても、口頭で伝えるようにすればいいのに、と訝し気に手紙を見つめながらも、呪いの手紙ではないようで安心した。
しかし、なぜ突然このように呼び出すことにしたのか、見当も付かなくて、ミラは首を傾げるしかなかった。
――翌日、約束の時間が迫っていたのだけど、ミラは卒業までに仕上げたい研究があって、それに夢中になっていたから、すでに時間になっていることに気が付かなくて、慌てて書庫に向かった。
アカデミーの校舎には、3日後に上級生である自分たちが卒業をするのと同時に、休みの期間に入るため、最近では夕刻になると残っている生徒はほとんどいなかった。
だから彼も、この時間を指定したのだと思う。
わざわざ呼び出して、何か重大な話でもあるのかはわからないけれど、約束の時刻をすでに迎えていることに焦っているミラは、パタパタと走って向かった。
慌てていたので、白衣も着たままだった。
走ったせいで息が上がったまま、辿り着いた書庫の扉を開けて中に入ると、ガタガタと何やら騒がしい物音が聞こえた。
その音の方から話し声も聞こえてきて、アレクシス一人ではないのかと、疑問が浮かびながら本棚の裏から顔を出して見てみると、人影が見えた。
ミラから人影の距離は然程遠くなくて、その人達が誰であるのかは、すぐに判明した。
「お慕いしております……アレクシス様」
ミラを呼び出した張本人であるアレクシスと、その彼の胸に抱かれながら告白をしている令嬢の姿が目に飛び込んだ。
こういうとき、その場面を見せられた自分はどう反応をすれば良いのか、他の令嬢なら、どう対処するのかと頭の中をぐるぐると考えが巡って、アレクシスがミラを呼び出した理由が浮かぶと、思考が止まった。
ミラの存在に先に気付いたのは、令嬢の方だった。後ろ姿を見せていたアレクシスが、その令嬢の視線を追いかけて、振り返る。
ミラは、二人に向けて静かに微笑んでから、その場を去った。
医者をやっている叔父と、それを受け継ぐ従兄の影響で薬草に触れる機会の多かったミラは、幼い頃からアカデミーで薬学を学び、薬の研究をすると決めていた。
研究室に籠って、薬草に囲まれて本と睨み合いをする時間は、至福の時と言ってもいいほど楽しくて仕方のないものだった。
その時間を過ごしている内に、アレクシスとの交流も数が減って、ミラの心境は複雑になっていた。
彼との婚約がなければ、ミラは薬剤師としての人生を選んでいただろう。結婚は、二の次にして。
未来の旦那様は、彼のように顔がいい人と思っていたけれど、今となっては、それが本当に自分が望んでいることなのか分からなくなっていた。
王命で決まった婚約だから、破棄することなんて出来ないのだけど。
公爵夫人になったミラの隣には、彼はいないかもしれないと、数日前に見かけた光景を思い出して、ミラは虚しくなっていた。
望んだ未来を捨てて、惨めな生活を送るだけの日々が待っている。
わざわざ自分を嫌っている相手の元に嫁ぐなんて――今になって、ミラはこの王命が重い足枷のようになっていた。
楽しい時間を過ごすほど、その足枷が鬱陶しく感じた。
そんなときだった。とある夫婦の夫人が、事故で記憶を失くして、婚姻の刻印が消えたという記事を見たのは。
婚姻を結ぶには、互いの手の甲に刻印を施すのが、この国の決まりだった。
嫁ぎ先の家紋を刻むのが通例で、一度刻まれたそれが消える前例なんて、今までなかった。
しかし、現実に起こったその事実を知ったミラの脳裏に浮かんだ、とある計画――婚姻を結んだ後に、ミラの記憶と共に刻印が消えたら、彼は喜んでミラを捨てるだろう。一度した刻印が消えた後なら、王命に反したことにはならないのではないか。
(……そうすれば、私の自由が得られるかも)
記憶を消すことは、実は簡単にできる。
薬学に通じる者でないと思い浮かばない"忘却の薬"というものが、存在しているのだ。
忘却の薬は、事故や事件、または戦争などで生まれたトラウマに苦しむ心の病気に罹ってしまった人のために開発されたものだった。
本人や家族の承諾がないと使用してはいけない代物であるが、材料や作り方は案外、簡単なものだった。
気が付くと、ミラの目の前に完成した忘却の薬が置かれていた。
ミラは、自身の手で忘却の薬を作ってしまったのだ。
呆然と完成したそれを眺めて、揺れる心と向き合ったけれど、答えを出すことは出来なかった。
そして、忘却の薬を小瓶に移して、凍結保管した。
アカデミーを卒業すると、いよいよ二人の婚姻を結ぶ日がやってくる。
ミラは、例の計画を決行するか否か、あれからずっと悩んでいた。
忘却の薬の悪い点は、消せる記憶の選択が出来ないことだった。
思い出したくないことを覚えていて、忘れたくないことを忘れる。そんな事例はたくさんあった。
だから、これを飲んで記憶を失くすとしても、どれだけの量の記憶を失くすのかが明確ではないので、その後のことが気掛かりだった。
ただ、良い点として一定期間、記憶喪失になるだけで、その期間を過ぎると失われた記憶が蘇るらしい。
ミラの目的は、記憶を失くして刻印を消すこと。そして、離縁することであったから、その目的が達成されるのであれば、喜んで実行したいところだった。
それでも、まだ決めかねていた。
そんなときに、研究室に籠っていたミラの元に、一通の手紙が届いた。
差出人は、アレクシスだった。
彼からの手紙なんて、一度も貰ったことがない。だから、誰かのいたずらではないのかと疑った。
しかし、それを送り届けた人は、ヴィガード公爵家の使者で、手紙には確かにヴィガード公爵家の家紋で封蝋印が押されていた。
(呪いの手紙……とか?)
灯りにかざして、中身が透けて見えないかとやってみたけれど、わからなかった。パタパタと振って、中に異物が入っていないか確認してみたけれど、特に異変は感じられなかった。
怪しくて、開けるまでに時間が掛かった。
机の上に置いて、手紙と睨めっこをしてしばらく考えてから、意を決して封を開けた。
そこには、初めて見る彼の字で《明日の夕刻、アカデミーの書庫に来て欲しい》と書かれていた。
使者にこの手紙を持たせたのだから、わざわざ手紙にしなくても、口頭で伝えるようにすればいいのに、と訝し気に手紙を見つめながらも、呪いの手紙ではないようで安心した。
しかし、なぜ突然このように呼び出すことにしたのか、見当も付かなくて、ミラは首を傾げるしかなかった。
――翌日、約束の時間が迫っていたのだけど、ミラは卒業までに仕上げたい研究があって、それに夢中になっていたから、すでに時間になっていることに気が付かなくて、慌てて書庫に向かった。
アカデミーの校舎には、3日後に上級生である自分たちが卒業をするのと同時に、休みの期間に入るため、最近では夕刻になると残っている生徒はほとんどいなかった。
だから彼も、この時間を指定したのだと思う。
わざわざ呼び出して、何か重大な話でもあるのかはわからないけれど、約束の時刻をすでに迎えていることに焦っているミラは、パタパタと走って向かった。
慌てていたので、白衣も着たままだった。
走ったせいで息が上がったまま、辿り着いた書庫の扉を開けて中に入ると、ガタガタと何やら騒がしい物音が聞こえた。
その音の方から話し声も聞こえてきて、アレクシス一人ではないのかと、疑問が浮かびながら本棚の裏から顔を出して見てみると、人影が見えた。
ミラから人影の距離は然程遠くなくて、その人達が誰であるのかは、すぐに判明した。
「お慕いしております……アレクシス様」
ミラを呼び出した張本人であるアレクシスと、その彼の胸に抱かれながら告白をしている令嬢の姿が目に飛び込んだ。
こういうとき、その場面を見せられた自分はどう反応をすれば良いのか、他の令嬢なら、どう対処するのかと頭の中をぐるぐると考えが巡って、アレクシスがミラを呼び出した理由が浮かぶと、思考が止まった。
ミラの存在に先に気付いたのは、令嬢の方だった。後ろ姿を見せていたアレクシスが、その令嬢の視線を追いかけて、振り返る。
ミラは、二人に向けて静かに微笑んでから、その場を去った。
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