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7.さようならをする前に(下)
しおりを挟む(どうして……)
今になって、どうしてそんな表情をみせるのかと責めたくなった。
いつも横顔しか見せない彼、声も聞かせない彼、冷たい視線しか送らない彼が、今日になって違う表情を見せる。
今更なことだった。
婚約をしたあの日から、昨日までの日々が、まだ記憶に刻まれている。
彼の態度は、確かに拒絶と嫌悪だった。
敵対する家門の娘だからだったのか、それともミラ自身のことが気に喰わなかったのか、もしくは両方――今となっては、もう、どうでもいいことだけれど。
微笑んだアレクシスの顔が、ミラの顔に近付くと、彼はそのまま意識を失ってミラの上に重なるようにうつ伏せで倒れ込んでしまった。
ミラの上に重なる体温と鼓動を体で感じ取りながら、ミラはアレクシスの呼吸と脈を確認した。問題は、ないようだった。
アレクシスの温もりから抜け出して、まだ体に残った熱にため息を零すと、乱れた胸元に目をやった。
紅い痕跡がいくつかあることに気が付くと、浴室に駆け込んで、鏡に自分の姿を映した。
首から胸の下辺りまで散りばめられた赤い花々が、肌に刻まれていた。
彼の舌が肌を舐める感触と、吸われた痛みと熱が思い出されると、顔が火照って恥ずかしさが込み上げたから、鏡から目を逸らした。
「……なんてこと」
彼にそのつもりはなかっただろうけど、ミラの計画に対する仕返しのように思えた。
記憶を消して、離縁をする。
敵対する家門の、嫌いな娘の計画にまんまと引っ掛かる屈辱を味わわせてあげるつもりが、屈辱を受けたのはミラの方だった。
軽く体を洗い流してからベッドに戻ると、アレクシスは眠ったままだった。
彼の側に腰掛けて、口元に手を近付けて呼吸を確認すると、穏やかな呼吸で安心した。
右手の甲にある刻印は、まだそのままだった。
時折、疼いて、くすぐったいのが気になったけれど、そんなことよりもこの計画が成功するのか、破綻するのかの結果を心配した。
成功すれば、離縁して出て行く。
破綻すれば、このまま彼の妻として生きる人生を過ごす。
前者であって欲しいと願っているけれど、今日の彼の姿が思い出されると胸が締め付けられて苦しかった。
昼間の困ったように笑う彼、名前を呼んで欲しいと強請る彼、熱を帯びた瞳で見つめて微笑んだ彼――今日のアレクシスからは、今までのような拒絶と嫌悪は感じられなかった。
(どうして、抱こうとしたの? 何を想って、私を……)
眠るアレクシスの前髪を指先で撫でて、流れるように頬に触れた。
疑問を投げかけて、果たして彼は答えてくれるのだろうか。
じっと彼の寝顔を眺めていると、顔がいい人は寝ていても素敵なのだなと呑気なことを考えてしまって、可笑しくなると一人でクスクスと笑いを零した。
薬を飲んだ彼の体調の変化が気になるのもあって、ミラは眠ることを諦めて、ソファに座って物思いに耽りながら時間を過ごしていた。
彼に異変があればすぐに医者を呼ぼうと思っていたのだけど、やって来る睡魔に勝てずに座ったままうたた寝をしてしまったようで、気が付けば閉められたカーテンの隙間から朝を告げる光が差し込んでいた。
慌ててベッドに視線を向けると、彼はまだ眠っているようだった。
近づいて様子を見ると、変化は見られなくて大丈夫そうだった。
安堵の息を漏らしてから、そうだと思い出して右手の甲を見ると、刻印が消えていた。
「あ……」
見間違いではないかと思って、上にかざしてみたり、下に向けてみたり、近くで見ては遠くから見ることもしてみたけど、どの角度から見ても、そこにあった筈の刻印が跡形もなく消えていた。
(……アレクシスの方は?)
ベッドに乗り上げて彼の左手を手に取った。
そこにも、刻印はなかった。
まるで、そんなものは初めからなかったようだった。
昨日のことが実は夢だったのかもしれない。いや、今この瞬間が夢なのかもしれないと急に不安になって、腕をつねってみると、痛かった。
「フ、ハハ……」
成功を望んだのは、ミラ自身だった。この計画を思いついて、実行したのもそうだった。
なのに、こうやっていとも容易く消えてしまったことが悲しかった。
もしも消えなければ、それが彼の意思であることを願っていた自分の気持ちに気付いてしまって、最後まで彼に期待をしてしまった愚かな自分が滑稽で、虚しさが押し寄せて、笑いが出た。
最後に、彼が目覚めてミラのことを忘れてくれていれば、この計画は完璧になる。
どうせなら、最後まで拒絶を示して欲しいと願った。
その願い通り、目覚めた彼は冷たい視線を向けてくれた。
「君は、誰だ?」
元夫になった彼に向けて、ミラは静かに微笑んだ。
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