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20.取り残された想いを抱いて
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アレクシスは、記憶が戻ったことを誰にも話さなかった。
話したところで、彼女が戻って来てくれるわけでもないし、あのときに戻れるわけでもないからと、気持ちが沈んで一人の殻に閉じこもっていた。
どうして、どうやって記憶を失くしたのか、思い出した記憶を巡らせてみると、恐らくミラの仕業だろうという答えに辿り着いた。
そうでなければ、あのように簡単に去って行くわけがない。
その方法はわからないけれど、彼女がそうしなければならなかった経緯の予想は出来た。
口も聞かなければ、何を考えているかわからない、卒業前にあんな嫌な場面を見せておいて弁明もしない。
王命は絶対であるからと、どんな状況でも彼女がアレクシスの妻になることは変わらないのだと高を括って、傲慢な態度を取る自分に愛想を尽かしたのだ。
思えば、王命であるこの婚姻を解消させることに成功した彼女は、随分と聡明な女性なのだな、と感心した。
可愛らしいだけではない彼女の新たな魅力に気付いたところで、その想いをぶつける相手がいないので虚しいだけだった。
そうやって思い出した記憶の整理をしていると、婚姻の取り消し――それと、あれから2年も経つという事実に気が付いたとき、もう全てが手遅れなのだと後悔の波が押し寄せた。
あの日、欲望に支配されずに想いを告白していれば……いや、あのとき彼女を追いかけて誤解だと弁明していれば……違う、もっと前。
始めから、間違っていた。
両親の意思と家門の威厳を守ろうとして、彼女のことを蔑ろにしてしまった。妻になったそのときに思う存分、甘やかそうと自分勝手に未来を描いて、一人で勝手に浮かれていた。
目の前にいるときに、どうして彼女を大切にできなかったのかと、自分が情けなくて、いなくなってもなお、彼女を求めている自分の心がみっともないと嘲笑すると、自責の念と共に自身を蔑んだ。
(ミラ……君に会いたい)
そう望んでも、もう二度と会えない。
敵対する家門の娘である彼女と自分は、相容れない関係だった。元々はそうだった。
決して交わることのない二人に戻ったのだから、紅茶色の髪の人に遠くから想いを馳せる……そんな一方的に想いを向ける日常に戻るしかなかった。
だけど、そんな人生に何の意味があるのか?
喪失感に襲われると、2年の空白の時間に見ていた夢は見なくなった。夢でさえ彼女に会えなくなった。それが余計にアレクシスの心を空っぽにした。
朝目覚めると、やるべきことだけをこなして一日を過ごして、夜は疲れを取るだけのために眠る。
感情なんて、必要なかった。
食欲が沸かなくて食卓に姿を見せないでいると、回復傾向にあったアレクシスの様子がまた突然変わったので、父親が心配をして声を掛けてきたけれど、アレクシスは淡々と答えた。
「溜まっていた仕事を片付けるのに、疲れてしまっただけです。……心配しないでください。取れるときに食事はしていますから」
ヴィガード公爵家の次期公爵としてのアレクシス――両親が望んだ、後継者らしい姿で生きる。アレクシスにとっての未来は、それだけだった。
すると、父がアレクシスにヴィガード家の別荘地に行くようにと指示を出した。
次期公爵として領地の視察を兼ねて、王都から離れて息抜きでもして来なさいと、父親なりの気配りだった。
ヴィガード公爵家の別荘地は、王都から馬車で7日もかけて行くほどの長距離にある場所で、海に面した土地であり海岸から見える星空がきれいなことで有名な観光スポットにもなっている。
だが、ここでもヴィガード公爵家といえばバンズ公爵家、と名を連ねてしまう因縁の相手の別荘地と隣同士であった。
両家は、自身の領地のどちらがより価値のある土地にできるかと競争をして、それが互いを鼓舞する良いきっかけになって、どちらも王都に負けないほど賑やかな街並みを作り上げた。
しかし、港が近いこともあり、他国から来る客人も多いために、ホテル事業に強いヴィガード公爵家の方がやや有利な立場である。
その別荘地は、山道を越えて行かなければならず、アレクシスを乗せた馬車は人工的に作られた山道を走っていた。
森林の間から見える景色は、バンズ公爵家の別荘地だった。
ミラが今現在、どこで何をしているのかは知らない。調べることはできるけど、アレクシスは自分にそんな資格はないことをよく分かっていた。
感情のない瞳で、窓から見える景色を眺めていた。
バンズ公爵家の別荘地が見えるだけで、彼女がそこにいるわけでもない。
どうでもいいと、虚無感に苛まれていると、不意に思い出される。
『さようなら』
彼女の声で繰り返し言われる別れの言葉が、アレクシスを惨めにさせると、途端に彼女の事が恋しくなる。
一日に何回か、そんな苦しみに囚われる。そんな毎日だった。
紅茶色の髪が思い浮かぶと、アレクシスは目を閉じた。
記憶の中にしか存在しない彼女に想いを馳せる。そうしていれば、また、夢の中で会えるかと、いまだに消えない恋心にみっともなく縋りついていた。
眠りに落ちそうになっていると、遠くからゴロゴロと雷の音が聞こえてきて、アレクシスはゆっくりと目を開けた。
窓の向こうに見える空は、晴れていた。
雨に降られると、道がぬかるんで走行が難しくなると心配したが、あと少しで山道を抜けるので間に合うかと安心もした。
そしてもう一度、目を閉じた瞬間だった――。
轟音が鳴り響くと同時に、馬が暴れると、車内にいるアレクシスの体が見えない力に引っ張られた。
走行中の馬車の近くの木に雷が落ちて、驚いた馬が暴走したのだ。
アレクシスを乗せた馬車が、バランスを崩して山の斜面を勢いよく転がり落ちるまではあっという間の出来事で、気が付けばアレクシスは地面に背中を預けた状態で雨に打ちつけられていた。
体のあちこちが痛くて、その場所に固定されたようにどの部分も動かすことができなくて、ただ、降ってくる雨を見つめることしかできなかった。
思考を働かせる余裕なんてない状況だった。
そうであるのに、意識がだんだんと薄れていく中で、死を思い浮かべると脳裏に浮かんだ彼女に向ける想いが止まらなかった。
あの丸くて大きい蜂蜜色の瞳が可愛らしかった少女に会いたい。成長してからもその瞳が変わることはなくて、数えられるほどしか交わすことのなかった視線が懐かしく思い出されると、その気持ちが大きく膨らんだ。
(このまま死んで魂だけになれば、君に会いに行ける……)
そう思うと、死ぬのも悪くない気がして、久しぶりに気分が晴れやかになった。
目覚めると、ゆっくりと開かれる目に映る天蓋が見慣れないもので、その感覚が以前にも経験したように思えるが、覚えていない。だけど知っている……不思議な気分だった。
「――小公爵……」
横から誰かの声が聞こえて目線を動かすと、そこには白衣を着た男性が自分を覗き込んでいた。
「私の声が聞こえますか?」
彼の質問に、頷いた。
「ここが、どこかわかりますか?」
今度は首を横に小さく振った。
「……ご自分が誰か、わかりますか?」
それも、首を横に振って返事に代えた。
声を出そうとしたけれど、出なかった。
意識が段々とはっきりとしてくると、背中がズキズキと痛くて、両腕も足も拘束されているのか、身動きが取れなくてもどかしかった。
どうしてこんな状態であるのか、ここがどこで、自分が誰なのかわからないけれど、全てのことがどうでもよく感じた。
白衣の男性から視線を何もない宙に移すと、虚ろな目でそこを見つめたまま思考を止めた。
視界の端で白衣の男性が自分に向けて声を掛け続けているけれど、自分にとってはどうでもいいことだったので無視をした。
なぜだかわからないけど、生きているということが、ただ虚しいだけだった。
話したところで、彼女が戻って来てくれるわけでもないし、あのときに戻れるわけでもないからと、気持ちが沈んで一人の殻に閉じこもっていた。
どうして、どうやって記憶を失くしたのか、思い出した記憶を巡らせてみると、恐らくミラの仕業だろうという答えに辿り着いた。
そうでなければ、あのように簡単に去って行くわけがない。
その方法はわからないけれど、彼女がそうしなければならなかった経緯の予想は出来た。
口も聞かなければ、何を考えているかわからない、卒業前にあんな嫌な場面を見せておいて弁明もしない。
王命は絶対であるからと、どんな状況でも彼女がアレクシスの妻になることは変わらないのだと高を括って、傲慢な態度を取る自分に愛想を尽かしたのだ。
思えば、王命であるこの婚姻を解消させることに成功した彼女は、随分と聡明な女性なのだな、と感心した。
可愛らしいだけではない彼女の新たな魅力に気付いたところで、その想いをぶつける相手がいないので虚しいだけだった。
そうやって思い出した記憶の整理をしていると、婚姻の取り消し――それと、あれから2年も経つという事実に気が付いたとき、もう全てが手遅れなのだと後悔の波が押し寄せた。
あの日、欲望に支配されずに想いを告白していれば……いや、あのとき彼女を追いかけて誤解だと弁明していれば……違う、もっと前。
始めから、間違っていた。
両親の意思と家門の威厳を守ろうとして、彼女のことを蔑ろにしてしまった。妻になったそのときに思う存分、甘やかそうと自分勝手に未来を描いて、一人で勝手に浮かれていた。
目の前にいるときに、どうして彼女を大切にできなかったのかと、自分が情けなくて、いなくなってもなお、彼女を求めている自分の心がみっともないと嘲笑すると、自責の念と共に自身を蔑んだ。
(ミラ……君に会いたい)
そう望んでも、もう二度と会えない。
敵対する家門の娘である彼女と自分は、相容れない関係だった。元々はそうだった。
決して交わることのない二人に戻ったのだから、紅茶色の髪の人に遠くから想いを馳せる……そんな一方的に想いを向ける日常に戻るしかなかった。
だけど、そんな人生に何の意味があるのか?
喪失感に襲われると、2年の空白の時間に見ていた夢は見なくなった。夢でさえ彼女に会えなくなった。それが余計にアレクシスの心を空っぽにした。
朝目覚めると、やるべきことだけをこなして一日を過ごして、夜は疲れを取るだけのために眠る。
感情なんて、必要なかった。
食欲が沸かなくて食卓に姿を見せないでいると、回復傾向にあったアレクシスの様子がまた突然変わったので、父親が心配をして声を掛けてきたけれど、アレクシスは淡々と答えた。
「溜まっていた仕事を片付けるのに、疲れてしまっただけです。……心配しないでください。取れるときに食事はしていますから」
ヴィガード公爵家の次期公爵としてのアレクシス――両親が望んだ、後継者らしい姿で生きる。アレクシスにとっての未来は、それだけだった。
すると、父がアレクシスにヴィガード家の別荘地に行くようにと指示を出した。
次期公爵として領地の視察を兼ねて、王都から離れて息抜きでもして来なさいと、父親なりの気配りだった。
ヴィガード公爵家の別荘地は、王都から馬車で7日もかけて行くほどの長距離にある場所で、海に面した土地であり海岸から見える星空がきれいなことで有名な観光スポットにもなっている。
だが、ここでもヴィガード公爵家といえばバンズ公爵家、と名を連ねてしまう因縁の相手の別荘地と隣同士であった。
両家は、自身の領地のどちらがより価値のある土地にできるかと競争をして、それが互いを鼓舞する良いきっかけになって、どちらも王都に負けないほど賑やかな街並みを作り上げた。
しかし、港が近いこともあり、他国から来る客人も多いために、ホテル事業に強いヴィガード公爵家の方がやや有利な立場である。
その別荘地は、山道を越えて行かなければならず、アレクシスを乗せた馬車は人工的に作られた山道を走っていた。
森林の間から見える景色は、バンズ公爵家の別荘地だった。
ミラが今現在、どこで何をしているのかは知らない。調べることはできるけど、アレクシスは自分にそんな資格はないことをよく分かっていた。
感情のない瞳で、窓から見える景色を眺めていた。
バンズ公爵家の別荘地が見えるだけで、彼女がそこにいるわけでもない。
どうでもいいと、虚無感に苛まれていると、不意に思い出される。
『さようなら』
彼女の声で繰り返し言われる別れの言葉が、アレクシスを惨めにさせると、途端に彼女の事が恋しくなる。
一日に何回か、そんな苦しみに囚われる。そんな毎日だった。
紅茶色の髪が思い浮かぶと、アレクシスは目を閉じた。
記憶の中にしか存在しない彼女に想いを馳せる。そうしていれば、また、夢の中で会えるかと、いまだに消えない恋心にみっともなく縋りついていた。
眠りに落ちそうになっていると、遠くからゴロゴロと雷の音が聞こえてきて、アレクシスはゆっくりと目を開けた。
窓の向こうに見える空は、晴れていた。
雨に降られると、道がぬかるんで走行が難しくなると心配したが、あと少しで山道を抜けるので間に合うかと安心もした。
そしてもう一度、目を閉じた瞬間だった――。
轟音が鳴り響くと同時に、馬が暴れると、車内にいるアレクシスの体が見えない力に引っ張られた。
走行中の馬車の近くの木に雷が落ちて、驚いた馬が暴走したのだ。
アレクシスを乗せた馬車が、バランスを崩して山の斜面を勢いよく転がり落ちるまではあっという間の出来事で、気が付けばアレクシスは地面に背中を預けた状態で雨に打ちつけられていた。
体のあちこちが痛くて、その場所に固定されたようにどの部分も動かすことができなくて、ただ、降ってくる雨を見つめることしかできなかった。
思考を働かせる余裕なんてない状況だった。
そうであるのに、意識がだんだんと薄れていく中で、死を思い浮かべると脳裏に浮かんだ彼女に向ける想いが止まらなかった。
あの丸くて大きい蜂蜜色の瞳が可愛らしかった少女に会いたい。成長してからもその瞳が変わることはなくて、数えられるほどしか交わすことのなかった視線が懐かしく思い出されると、その気持ちが大きく膨らんだ。
(このまま死んで魂だけになれば、君に会いに行ける……)
そう思うと、死ぬのも悪くない気がして、久しぶりに気分が晴れやかになった。
目覚めると、ゆっくりと開かれる目に映る天蓋が見慣れないもので、その感覚が以前にも経験したように思えるが、覚えていない。だけど知っている……不思議な気分だった。
「――小公爵……」
横から誰かの声が聞こえて目線を動かすと、そこには白衣を着た男性が自分を覗き込んでいた。
「私の声が聞こえますか?」
彼の質問に、頷いた。
「ここが、どこかわかりますか?」
今度は首を横に小さく振った。
「……ご自分が誰か、わかりますか?」
それも、首を横に振って返事に代えた。
声を出そうとしたけれど、出なかった。
意識が段々とはっきりとしてくると、背中がズキズキと痛くて、両腕も足も拘束されているのか、身動きが取れなくてもどかしかった。
どうしてこんな状態であるのか、ここがどこで、自分が誰なのかわからないけれど、全てのことがどうでもよく感じた。
白衣の男性から視線を何もない宙に移すと、虚ろな目でそこを見つめたまま思考を止めた。
視界の端で白衣の男性が自分に向けて声を掛け続けているけれど、自分にとってはどうでもいいことだったので無視をした。
なぜだかわからないけど、生きているということが、ただ虚しいだけだった。
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