【R18】さようなら、元旦那様。

あまやどんぐり

文字の大きさ
20 / 48

20.取り残された想いを抱いて

しおりを挟む
 アレクシスは、記憶が戻ったことを誰にも話さなかった。
 話したところで、彼女が戻って来てくれるわけでもないし、あのときに戻れるわけでもないからと、気持ちが沈んで一人の殻に閉じこもっていた。

 どうして、どうやって記憶を失くしたのか、思い出した記憶を巡らせてみると、恐らくミラの仕業だろうという答えに辿り着いた。
 そうでなければ、あのように簡単に去って行くわけがない。
 その方法はわからないけれど、彼女がそうしなければならなかった経緯の予想は出来た。

 口も聞かなければ、何を考えているかわからない、卒業前にあんな嫌な場面を見せておいて弁明もしない。
 王命は絶対であるからと、どんな状況でも彼女がアレクシスの妻になることは変わらないのだと高を括って、傲慢な態度を取る自分に愛想を尽かしたのだ。

 思えば、王命であるこの婚姻を解消させることに成功した彼女は、随分と聡明な女性なのだな、と感心した。
 可愛らしいだけではない彼女の新たな魅力に気付いたところで、その想いをぶつける相手がいないので虚しいだけだった。

 そうやって思い出した記憶の整理をしていると、婚姻の取り消し――それと、あれから2年も経つという事実に気が付いたとき、もう全てが手遅れなのだと後悔の波が押し寄せた。

 あの日、欲望に支配されずに想いを告白していれば……いや、あのとき彼女を追いかけて誤解だと弁明していれば……違う、もっと前。

 始めから、間違っていた。

 両親の意思と家門の威厳を守ろうとして、彼女のことを蔑ろにしてしまった。妻になったそのときに思う存分、甘やかそうと自分勝手に未来を描いて、一人で勝手に浮かれていた。

 目の前にいるときに、どうして彼女を大切にできなかったのかと、自分が情けなくて、いなくなってもなお、彼女を求めている自分の心がみっともないと嘲笑すると、自責の念と共に自身を蔑んだ。

(ミラ……君に会いたい)

 そう望んでも、もう二度と会えない。
 敵対する家門の娘である彼女と自分は、相容れない関係だった。元々はそうだった。
 決して交わることのない二人に戻ったのだから、紅茶色の髪の人に遠くから想いを馳せる……そんな一方的に想いを向ける日常に戻るしかなかった。

 だけど、そんな人生に何の意味があるのか?

 喪失感に襲われると、2年の空白の時間に見ていた夢は見なくなった。夢でさえ彼女に会えなくなった。それが余計にアレクシスの心を空っぽにした。

 朝目覚めると、やるべきことだけをこなして一日を過ごして、夜は疲れを取るだけのために眠る。

 感情なんて、必要なかった。

 食欲が沸かなくて食卓に姿を見せないでいると、回復傾向にあったアレクシスの様子がまた突然変わったので、父親が心配をして声を掛けてきたけれど、アレクシスは淡々と答えた。

「溜まっていた仕事を片付けるのに、疲れてしまっただけです。……心配しないでください。取れるときに食事はしていますから」

 ヴィガード公爵家の次期公爵としてのアレクシス――両親が望んだ、後継者らしい姿で生きる。アレクシスにとっての未来は、それだけだった。

 すると、父がアレクシスにヴィガード家の別荘地に行くようにと指示を出した。
 次期公爵として領地の視察を兼ねて、王都から離れて息抜きでもして来なさいと、父親なりの気配りだった。



 ヴィガード公爵家の別荘地は、王都から馬車で7日もかけて行くほどの長距離にある場所で、海に面した土地であり海岸から見える星空がきれいなことで有名な観光スポットにもなっている。

 だが、ここでもヴィガード公爵家といえばバンズ公爵家、と名を連ねてしまう因縁の相手の別荘地と隣同士であった。
 両家は、自身の領地のどちらがより価値のある土地にできるかと競争をして、それが互いを鼓舞する良いきっかけになって、どちらも王都に負けないほど賑やかな街並みを作り上げた。

 しかし、港が近いこともあり、他国から来る客人も多いために、ホテル事業に強いヴィガード公爵家の方がやや有利な立場である。

 その別荘地は、山道を越えて行かなければならず、アレクシスを乗せた馬車は人工的に作られた山道を走っていた。

 森林の間から見える景色は、バンズ公爵家の別荘地だった。

 ミラが今現在、どこで何をしているのかは知らない。調べることはできるけど、アレクシスは自分にそんな資格はないことをよく分かっていた。

 感情のない瞳で、窓から見える景色を眺めていた。
 バンズ公爵家の別荘地が見えるだけで、彼女がそこにいるわけでもない。
 どうでもいいと、虚無感に苛まれていると、不意に思い出される。

『さようなら』

 彼女の声で繰り返し言われる別れの言葉が、アレクシスを惨めにさせると、途端に彼女の事が恋しくなる。
 一日に何回か、そんな苦しみに囚われる。そんな毎日だった。

 紅茶色の髪が思い浮かぶと、アレクシスは目を閉じた。
 記憶の中にしか存在しない彼女に想いを馳せる。そうしていれば、また、夢の中で会えるかと、いまだに消えない恋心にみっともなく縋りついていた。

 眠りに落ちそうになっていると、遠くからゴロゴロと雷の音が聞こえてきて、アレクシスはゆっくりと目を開けた。
 窓の向こうに見える空は、晴れていた。

 雨に降られると、道がぬかるんで走行が難しくなると心配したが、あと少しで山道を抜けるので間に合うかと安心もした。
 そしてもう一度、目を閉じた瞬間だった――。

 轟音が鳴り響くと同時に、馬が暴れると、車内にいるアレクシスの体が見えない力に引っ張られた。

 走行中の馬車の近くの木に雷が落ちて、驚いた馬が暴走したのだ。

 アレクシスを乗せた馬車が、バランスを崩して山の斜面を勢いよく転がり落ちるまではあっという間の出来事で、気が付けばアレクシスは地面に背中を預けた状態で雨に打ちつけられていた。

 体のあちこちが痛くて、その場所に固定されたようにどの部分も動かすことができなくて、ただ、降ってくる雨を見つめることしかできなかった。

 思考を働かせる余裕なんてない状況だった。
 そうであるのに、意識がだんだんと薄れていく中で、死を思い浮かべると脳裏に浮かんだ彼女に向ける想いが止まらなかった。
 あの丸くて大きい蜂蜜色の瞳が可愛らしかった少女に会いたい。成長してからもその瞳が変わることはなくて、数えられるほどしか交わすことのなかった視線が懐かしく思い出されると、その気持ちが大きく膨らんだ。

(このまま死んで魂だけになれば、君に会いに行ける……)

 そう思うと、死ぬのも悪くない気がして、久しぶりに気分が晴れやかになった。



 目覚めると、ゆっくりと開かれる目に映る天蓋が見慣れないもので、その感覚が以前にも経験したように思えるが、覚えていない。だけど知っている……不思議な気分だった。

「――小公爵……」

 横から誰かの声が聞こえて目線を動かすと、そこには白衣を着た男性が自分を覗き込んでいた。

「私の声が聞こえますか?」

 彼の質問に、頷いた。

「ここが、どこかわかりますか?」

 今度は首を横に小さく振った。

「……ご自分が誰か、わかりますか?」

 それも、首を横に振って返事に代えた。

 声を出そうとしたけれど、出なかった。
 意識が段々とはっきりとしてくると、背中がズキズキと痛くて、両腕も足も拘束されているのか、身動きが取れなくてもどかしかった。

 どうしてこんな状態であるのか、ここがどこで、自分が誰なのかわからないけれど、全てのことがどうでもよく感じた。

 白衣の男性から視線を何もない宙に移すと、虚ろな目でそこを見つめたまま思考を止めた。
 視界の端で白衣の男性が自分に向けて声を掛け続けているけれど、自分にとってはどうでもいいことだったので無視をした。

 なぜだかわからないけど、生きているということが、ただ虚しいだけだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

いっそあなたに憎まれたい

石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。 貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。 愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。 三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。 そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。 誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。 これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。 この作品は小説家になろうにも投稿しております。 扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、 結婚初日から気づいていた。 夫は優しい。 礼儀正しく、決して冷たくはない。 けれど──どこか遠い。 夜会で向けられる微笑みの奥には、 亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。 社交界は囁く。 「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」 「後妻は所詮、影の夫人よ」 その言葉に胸が痛む。 けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。 ──これは政略婚。 愛を求めてはいけない、と。 そんなある日、彼女はカルロスの書斎で “あり得ない手紙”を見つけてしまう。 『愛しいカルロスへ。  私は必ずあなたのもとへ戻るわ。          エリザベラ』 ……前妻は、本当に死んだのだろうか? 噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。 揺れ動く心のまま、シャルロットは “ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。 しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、 カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。 「影なんて、最初からいない。  見ていたのは……ずっと君だけだった」 消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫── すべての謎が解けたとき、 影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。 切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。 愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる

悪女の最後の手紙

新川 さとし
恋愛
王国を揺るがす地震が続く中、王子の隣に立っていたのは、婚約者ではなかった。 人々から「悪女」と呼ばれた、ひとりの少女。 彼女は笑い、奪い、好き勝手に振る舞っているように見えた。 婚約者である令嬢は、ただ黙って、その光景を見つめるしかなかった。 理由も知らされないまま、少しずつ立場を奪われ、周囲の視線と噂に耐えながら。 やがて地震は収まり、王国には安堵が訪れる。 ――その直後、一通の手紙が届く。 それは、世界の見え方を、静かに反転させる手紙だった。 悪女と呼ばれた少女が、誰にも知られぬまま選び取った「最後の選択」を描いた物語。 表紙の作成と、文章の校正にAIを利用しています。

私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。 でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。 でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。 だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。 夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。 *設定はゆるいです。

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

処理中です...