王都から追放されて、貴族学院の落ちこぼれ美少女たちを教育することになりました。

スタジオ.T

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32時限目 窮地(1)

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 深い断裂だんれつの向こうに手を伸ばす夢を見る。

 大きな地割れによって、こちらとあちらに分かれた世界には、橋はかかっていない。あちら側に行く方法は、勇気を振り絞って飛び移ることしかない。

 けれど自分の力でその断裂を飛び越えられないことを、彼は知っていた。飛び越えようとすると、地の底へと引きずり込む手が伸びてくる。運命には逆らえないと、何度も耳の中で反響する。

「おいで」

 ただ立ちすくみながめていると、向こう側から優しい声が聞こえた。

「おいでよ。ねぇ僕と友達になろう。イムドレッド」

「俺には無理だ。お前の言う通り、俺は臆病者だったんだよ。俺にはここを超える権
利なんてないんだよ、シオン」

「そんなことない。ほら、境界線なんてどこにもないよ」

 シオンは地割れをぴょんと飛び越えて、イムドレッドの前に立った。

「ほらね」

「俺には無理だ」

「ね、一緒に行こう。僕たち友達だろ」

 シオンはイムドレッドの手を引っ張ると、彼を地割れの向こう側まで連れていった。恐ろしい怪物の口のような裂け目からは、ひゅうひゅうと冷たい風が吹いていた。地の底から彼らを掴もうと、手が伸びてくる。足の先から頭の天辺まで恐怖で包まれる。

 だめだ、こんなことは間違っている。イムドレッドはきつく目を閉じた。

「ほら、着いたよ」

 シオンの声が聞こえた。イムドレッドが目を開けると、そこには今までと違う地平が広がっていた。寂れた荒野とは違う場所。悪意と血に染まっていない無垢な場所。

「ね」

「……あぁ、そうだな」

「何して遊ぶ?」

「何でも」

 彼は目を閉じて深呼吸して言った。

「お前と一緒なら何でも。きっと楽しいはずだ」

 自分をここまで連れてきてくれた手のひらを見て、彼は言った。それが無ければ、自分の人生は無味乾燥むみかんそうで平坦なものだった。なんてことはない日々が楽しいだなんて、思いもよらなかった。

 俺はこの手のひらにまだ何も返せていない。

「……お疲れのようだね、イムドレッド?」

 イムドレッドのまどろみを男の声が打ち破る。

 幸福な風景がけて、狭く重苦しい自室が目に入ってくる。エスコバルに入った彼は、酒場の地下で毒物の作成にあたっていた。彼が突っ伏していた机には、古今東西いくつもの毒や薬草がらばっていた。

 部屋の隅にある椅子に腰掛けるパブロフを見て、イムドレッドは眉をひそめた。

「勝手に入ってくるな」

「すまない、ノックしても返事がなかったから心配になってね」

 パブロフは笑みを浮かべて言った。ボディーガードも連れてこずに、彼はたった一人でイムドレッドの部屋に入ってきていた。自分のことを信用しきっているのか、それともただのバカなのかイムドレッドには判別が付かなかった。

 ここ一月近くパブロフと行動を共にしていたが、イムドレッドにさえ彼という人間の底は見えなかった。殺そうと思えば殺せるが、とんでもないしっぺ返しを喰らいそうな底の知れなさがある。

 この若さでロス・エスコバルのリーダーになっただけあって、異様なオーラがあった。べっとりと血に汚れた過去は隠そうとしても、隠しきれていない。

「毒物の生成は順調かい?」

 パブロフは立ち上がり、イムドレッドの机の上に置かれている小瓶を見て言った。小瓶の中には紫色の液体が入っていて、ランプに照らされてぼんやりと輝いていた。

「決行の日が近づいてきている。進捗状況が気になってね」

「心配する必要はない。与えられた仕事はきっちりこなす。あと3日あれば、最上級の毒ができあがるさ」

「あぁ、そうか。杞憂きゆうだったようだね。あの男が来てから、君の感情が少し鈍っているようだったから」

「まさか」

「本当だよ」

 イムドレッドの返答に笑いを漏らして、パブロフは小瓶を持ち上げた。薄いガラスから透かして、彼はイムドレッドの顔を見つめた。

「微妙な顔色の変化だよ。アカデミアという言葉が出た時、珍しく君の心が動いていた」

「……へぇ」

「心残りが?」

 イムドレッドは首を横に振った。

「無い。もう捨ててきたものだ」

「どうして君が私たちの組に協力してくれるのか気になってね」

「俺を尋問でもしたいのか?」

「雑談だよ。興味が抑えられなくてね。気に食わなかったら黙っていて構わない」 

 パブロフは表情を動かさず、言葉を続けた。

「君の仕事に対して我々が提示できるものは、金しかなかった。もちろん高い買い物だったが、ブラッドの血は最高級品だ。君が急いで金を必要とすることがずっと引っかかっていた」

「何が言いたい」

「私はその答えが分かった」

「……まさか」

「察しが良いね。つい先ごろ、お客さんがあってね。君と同い年くらいの可愛らしい子だった。君のことをぎ回っていたから、ここまで案内しておいたよ」

 パブロフの言葉を最後まで聞くことなく、イムドレッドは立ち上がりナイフをその首に押し当てた。血相を変えて殺気をむき出しにする彼を見て、パブロフは嬉しそうに笑った。

「君のそんな表情を見られて光栄だよ」

「どこにいる!」

「二階の事務所だ。大丈夫、彼女……いや彼には傷一つ付けていない」

 部屋から飛び出したイムドレッドは、階段を駆け上がり、二階の事務所に入った。椅子に座らされ猿ぐつわをまされたシオンと、彼を拘束するエスコバルの幹部、トニーの姿があった。
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