三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

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第2章 竜王の憂鬱

2 秘密

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「こんなところにいたのか」

 ナーガは風に揺れる深緑の後姿を見つけ、扉を閉めて歩み寄った。

「なかなか戻ってこないからどうしたのかと思った」

 しかし少女は反応を示さず、地面から突き出た一枚岩に腰かけて朱色の空をぼんやりと見上げている。

 彼らの正面には、木々の密集する森が広がっていた。今は落葉樹の赤と、常緑樹の緑とで不規則なまだら模様を描き出しており、現実味の欠けた空間となっていた。ちろちろという水の流れる音も、どこからか聞こえてくる。

 背後にせまるのは、ごつごつと切り立った断崖絶壁。南北に長く伸びるそこに、今は人の出入する両開きの扉がついている。

 歩み寄ったナーガは、無言のままの少女の隣に腰を下ろした。

 少女がゆっくりとナーガに顔を向けた。種族独特の黄色い瞳が、夕日で金色に光る。その瞳を見返しながら、ナーガは少女に話しかけた。

「たのんだはずの水も持ってこずに、こんなところでなにをやっているんだ」

 責める口調ではなく、ただの質問としてナーガは言った。シユリーは黙してすぐには答えなかったが、やがて膝を抱えるように足を石の上に持ち上げ、やっと口を開いた。

「別に。ただぼーっとしてただけ。いい雰囲気のところ、お邪魔しちゃあ悪いかなぁ、と思って。気をきかせてあげたのよ」

 幼い少女の言に、ナーガは苦笑した。分かっていて言っているのだ。この、外見のなん倍もの歳月を生きる少女は。かといって、ナーガも彼女のことを言える立場ではないが。

「礼を言っていいものなのか、悩みどころだな」
「言ってもいいのよ。愛しのエフィと二人きりにさせてくれてありがとうございましたー、ってね」

 少女の軽口に、ナーガはつい鼻を鳴らした。

「お気づかいどうも」
「いえいえ。こちらこそ、ごちそうさまでした」

 シユリーの台詞を最後に、二人の間に冷めた沈黙が横たわった。
 冷たい風が吹き過ぎ、夕闇がせまる。空が朱から紫、紺へと移ろっていく。森のざわめきだけが沈黙に重しをするように、寄り添う二人を包み込んだ。

 先に沈黙を破ったのは、シユリーだった。

「水、持っていかなかったけど、エフィミアはどうしてる?」

 ナーガは目線を、背後の扉へと向けた。

「眠っている、泣き疲れて。まだ、体力が戻っていないからね。わたしも体がだるい。やはり、お互い多少なりとも影響が出るな」

 シユリーは口元を膝の間に埋めて、唇を尖らせた。

「あんな子じゃあなくて、あたしに預けてくれればよかったのに」
「無茶を言う。そんなことできるわけないだろう。それに、王国軍以外で近くにいたのは彼女だけだった」
「それでも……」

 シユリーの頭に大きな手が置かれ、くしゃりと撫でられた。見ればそこには、出会ったときから変わらぬ翡翠の瞳がある。

「今回は君にもずいぶん無理をさせてしまっている……本当にすまない」

 シユリーは足を改めて下ろすと、ぶらぶらと揺らした。

「いいのよ、別に。ナッちゃんのせいじゃあないもの。とにかく今は、傷を治す方に力を集中させないと。そもそもナッちゃんを狙った、あのばか王が悪いんだし」
「ばかなんて、言うもんじゃあない」

 ナーガは苦笑まじりにたしなめたが、シユリーはちょっと肩をすくめただけだった。

「それで、これからどうするの?」

 シユリーはごく軽く、それでも最も重要と思われることを口にした。口元にかすかな微笑を残したまま、ナーガはそれに答えて呟いた。

「そうだな……当面はエフィを手元に置いておこうと思う。彼女に追っ手がついた以上は、このまま帰しても同じことのくり返しになるだけだろうから」
「監視下に置くということ?」
「そういうことになるかな。大事なモノを預けているわけだし。その方がわたしもなにかと安心だ」

 疲弊から、ナーガは一度息を吐いた。

「正直、彼女が狙われることになるとは思わなかった。彼らはどこから秘密を得たんだろうな」

 想像以上のことの深刻さに閉口しながら、ナーガは顔にかかる髪を鬱陶しく払いのけた。シユリーは小さく首を傾けて、彼を見た。

「しばらくはこのまま?」

 一瞬だけ考えて、ナーガは首肯した。

「そうだね。今のわたしよりも、まだ彼女の体の方が強いから分けておきたい。それに、どちらかが捕まっても片割れだけではどうこうできないはずだ」

 冷静に言ってから、ナーガはうんざりと脱力した。

「早く諦めてくれれば、それが一番なんだがな」
「希望でしかないわね」
「違いない。なんにしても力が足りない。源がないだけでこんなにも違うものとは思わなかった」
「当たり前でしょう。今は、焦ってもしかたがないわよ」

 少女の言葉にナーガはふっと目を細めると、遠くに消えていく黄昏の残照を見やった。

「それもそうだな」


 ☫


 額に冷たいものが触れるのを感じて、エフィミアは眠りから覚めた。わずかに顔を動かせば、そこにナーガの優しい瞳があった。

「目が覚めたかい」
「ナーガ……」

 彼はベッドの傍に置いた椅子に腰かけ、エフィミアの顔を覗き込んでいた。見ると、ナーガの手に白いきれが握られている。さっきの感触は、彼が額の汗をぬぐってくれたのだ。

 エフィミアは上体を起こそうと、腕に力を入れた。気づいたナーガは軽く椅子から腰を浮かせてエフィミアの背中を支え、起き上がるのを手伝ってくれた。彼女の体が安定したのを確認すると、ナーガは背中に枕をあてがい身を離した。

「ありがとう」

 エフィミアが素直に礼を言うと、ナーガはほほ笑みだけを返し席を立った。部屋のテーブルまで行って戻ってきた彼は、細かな水滴のついた陶器のカップを持っていた。

「水だ。飲むといい」

 エフィミアはありがたくカップを受け取ると、そのふちに唇をあてて、中身を喉へと流し込んだ。冷たい感触が喉を伝い、ほてった体に染み込んでいく。口からカップを離すと、エフィミアはようやく癒された渇きにほっと息をついた。

 ナーガはエフィミアからカップを預かると、今度は白い小皿を取り出した。小皿の上には、ほのかに黄色く色づいた甘い香りの欠片がいくつかと、銀の小さなフォークが乗っていた。

「林檎だ。食べられそうか?」

 頷いてエフィミアはフォークを取り、林檎のひとかけらを口に運んだ。濃密な果汁が口いっぱいに広がり、渇きが癒えたばかりの喉がさらなる潤いで満たされた。つかの間の至福に、エフィミアは瞳を輝かせた。

「……おいしい」

 さらに二口、三口とほおばり、その夢のような甘さと絶妙な酸味に、エフィミアはうっとりと表情をゆるめた。

 林檎は大好物だが、これほど質の良いものはなかなか手に入らないとエフィミアは思った。故郷の村にも林檎の木が一本あり果実の質も悪くなかったが、もう少し酸味が強かった。

 ナーガがエフィミアを見ながらくすりと笑った。なにがおかしいのかと思い、ナーガに顔を向けると、彼はエフィミアの内心を察して言った。

「君ほど素直な子を見るのは本当に久しぶりだ。体調もよさそうでよかった。食欲もあるようだし、もう少しなにか持ってこようか」

 彼の気遣いに感謝をあらわしつつ、エフィミアは小さく首を振った。

「ううん。まだそんなにたくさん食べたい気分じゃあないの。今ある分で十分よ」
「そうか」

 エフィミアは最後の林檎のかけらを口に含み、空になった皿をナーガは床に置いた。

「もう少し眠るといい。まだ体力が回復しきっていない。なにか用があるときはシュリを呼べ。わたしはこれから少し出かける」

 掛布を引き寄せてナーガはうながし、エフィミアは逆らわず再びベッドに横たわった。

「どこに行くの?」
「少し用事をすませてくるだけだ。エフィが気にする必要はないよ」

 ナーガに答える気がなさそうだったので、エフィミアはそれ以上問い詰めることはしなかった。
 本音を言えば、ひとりになるのが不安で、ナーガにずっと傍にいて欲しかったが、それを言うほど図々しくもなれない。

「そんな顔をするな」

 苦笑してエフィミアの髪を撫でるナーガに、エフィミアは心の中で首をひねった。いったいどんな顔をしているというのか。

 苦笑いだったナーガの笑みが、不意に優しいものへと変わる。

「不安なんだね。大丈夫、すぐに戻るから。シュリも傍にいさせる。だから今は眠るんだ。体が弱っていてはなにもできない。元気になったら一緒にどこかへ出かけよう」
「……うん」

 ナーガの声にエフィミアの目蓋は自然に下り、返事はうつろなものになった。ゆるやかな睡魔が、足元からはい上ってくる。柔らかな寝具の重みが、心地よく全身を包み込む。

「おやすみ、エフィ」

 完全に目を閉じたエフィミアの額に、温かいものが優しく触れた。それが不安をぬぐって安堵をもたらし、エフィミアをさらなる眠りへと引き込んでいく。

 眠りの底へと沈んでいく意識の中で、ナーガがそっと傍を離れるのを、エフィミアは感じた。
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