三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

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第4章 騎士の忠義

14 裏切り

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 アレクスを部屋の外で待たせて手早く乗馬服を着ると、エフィミアは部屋の灯りを吹き消して廊下に出た。

「行くぞ」

 アレクスが声をひそめてうながし、エフィミアは黙って彼に続いた。

 足音を忍ばせて、二人は素早い身のこなしで廊下を進んだ。ほとんどの使用人たちはもう寝静まってしまったのか、彼らの進む先に人気ひとけはなく、ときおり見回りの足音が聞こえる以外、城内は妙に静まり返っていた。人のいない宮殿の廊下は無為に広いばかりで、エフィミアは寒々とした気分になった。

 露台に出た途端、エフィミアは横たわる白竜に一切の躊躇なく駆け寄りその首に抱きついた。

「ナーガ」

 呼びかけて縋りつくエフィミアの短い髪を、白竜が鼻先で撫でた。白竜のゆったりとした優しい動作に、共に暮らしたことのある若者と同じ気配を感じて胸が締めつけられるようだった。

 鎖で繋がれた彼の姿は、見るだけで心が痛む。エフィミアが捕まらなければこんなことにはならなかったと思うと、巻き込まれたのは自分の方なのに、なぜだかとても申し訳ない気持ちになった。

 金属がこすれぶつかり合う騒音がしてエフィミアは我に返った。見ると、白竜を縛めていた鎖がゆるんでいる。白竜が身じろぎすれば、鎖がじゃらじゃらと音をたてて純白の鱗を滑り落ち露台に山となった。

 白竜は動きを確かめるように体を仰け反らせ、翼を広げてたたみ直した。白竜がまた伏せるように頭を低くすると、足元の鎖をどかしながらアレクスがエフィミアの傍まで走り寄ってきた。彼はエフィミアではなく、白竜に向かって言った。

「エフィを乗せて飛べるな」
《もちろん》

 笑うように緑の目を細めて白竜が答え、アレクスは目をみはった。

「人の言葉が話せるのか」
《竜王をほかの竜と同じに考えない方がいい》
「そのようだな」

 抑揚なく返して、アレクスはエフィミアに向き直った。

「エフィ、竜王に乗って逃げろ」

 そうではないかと察してはいたものの、それでもやはりエフィミアは驚いてアレクスを見た。

「でもアレクス、そんなことしたらあなたが……」
「わたしの心配はしなくていい」
「だけど」

 大きな手に優しく頬を包まれて、エフィミアは言葉を途切れさせた。

「今ルーファンスをいさめなければドラディアは滅びる。だからこれは、わたし自身が決めたことだ。ルーファンスはわたしが止める」

 真摯に諭すアレクスにエフィミアは堪え切れず涙ぐみ、彼の胸に縋りついた。

「お願い……どうか無事で」

 答える代わりにアレクスはエフィミアを強く抱き締め、そっと口づけてすぐに体を離した。

「早く行け。あまり時間がない」
「アレクス、また会えるよね」

 エフィミアがかすかな期待を口にすれば、わずかな間のあとにアレクスはふっと笑んだ。

 彼の髪色と同じに温かく輝くような、極上のほほ笑みだった。彼が初めて見せた表情に、エフィミアの胸は高鳴った。その笑みが消えない内に、アレクスは力強く答えた。

「必ず」

 アレクスは白竜に乗れる位置まで動作でエフィミアを導き、素早く竜に囁いた。

「鞍と手綱は」
《必要ない》

 黙って頷くと、アレクスはエフィミアが白竜に乗るのを手伝うために、腕を伸ばして彼女の体を支えた。

「行かせない」

 前触れなく高い声が響き、その場の全員が驚いて振り向いた。城内へ繋がる扉の前に、細身の若者が立っていた。風に散る金糸の髪が、夜闇の中で輝く軌跡を描いている。いつからそこにいたのか、声を発するまで誰も彼の存在に気づかなかった。

「ルーファンス、陛下……」

 隠しようもない動揺から、アレクスは呟いた。ルーファンスはそんな彼を無言で見詰めていた。だがその瞳の青は、なにもとらえていないようにうつろな影を落としていた。

 時が凍りついたかのような沈黙のあと、ルーファンスはゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。アレクスはエフィミアから離れて、ルーファンスの正面に立った。

「陛下、わたしは……」
「――……のに」

 ルーファンスがぼそぼそとなに事か呟いたが、アレクスは聞きとれなかった。咄嗟に訊き返そうとして、金属のこすれ合う音を聞いた。気づいたときには、鈍痛が体の中心を貫いていた。

 ルーファンスと体が密着している。横目で見下ろせる位置に金髪の頭頂部が見える。腹部が、熱い。
 いまだ状況が理解できないアレクスの耳に、ルーファンスのか細い声が届いた。

「君だけは、信じてたのに」

 アレクスはゆるゆるとルーファンスの顔を見た。その碧眼から涙は流れていないのに、アレクスには彼が泣いているように見えた。思わず、泣くな、と言おうとしたが、声が出なかった。

 体を貫いていたものが、ねじるように引き抜かれた。途端に体が均整を失い、アレクスは前のめりに倒れ込んだ。

「アレクスっ!」

 凍りついていたところからエフィミアは叫んで駆け寄り、倒れるアレクスの体を抱きとめ、重さに座り込んだ。

「アレクス、アレクス、しっかりして」

 目を見開いてゆっくり顔を持ち上げると、アレクスは柄まで紅く濡れた剣とそれを握る幼馴染みを見た。

「…ルー……――」

 荒い呼吸の合間に、アレクスはかろうじて声をもらした。彼の顔からは見る見る血の気がうせ、若者の全体重がエフィミアの腕にのしかかる。ぐったりするアレクスを見て、エフィミアはさらに叫んだ。

「アレクスっ、いやあっ! アレクスっ!」

 流れ出る血さえも掻き集めるようにエフィミアはアレクスを抱き締めた。弱々しい脈拍と、細く苦しげな息づかいを感じる。

「アレクス、死なないで。生きて、生きて……お願い。アレクス……っ」

 祈るように、エフィミアはまだ息のあるアレクスを掻き抱いた。自分のせいで、彼を失いたくはなかった。

 突然、横から肩をつかまれてエフィミアは息をのんでそちらを見た。薄笑いを浮かべたルーファンスがそこに立っていた。

 彼は強い力でエフィミアを自分の方に引き寄せた。エフィミアは抵抗してアレクスにしがみついたが、力ずくで引きはがされた。

「いやっ、アレクスっ!」
《シュリ!》

 白竜が鋭く呼ばわると、どこからともなく闇に色を濃くした深緑の小竜が飛来した。

《ナッちゃん》
《シュリ、彼を頼む。わたしはエフィを》
《分かった》

 緑竜は一直線に急降下すると、血だまりの中に倒れ伏す若者を前足でつかみ上げ、来たときと同じ速度で飛び上がった。ルーファンスは突如現れたもう一頭の竜に驚いたが、巨大な白竜がこちらを向いて翼を広げるのを見て、血塗れた刃をエフィミアの喉に押しつけた。

「来るなっ」

 ルーファンスの咄嗟の行動に、白竜は空中で動きを止めた。刃を突きつけられながら、エフィミアは声を張り上げた。

「逃げて!」

 白竜は息をのんでエフィミアを見たが、彼女は構わずに声の限り叫んだ。

「早く逃げて! あたしはいいから、アレクスを!」
「うるさいっ」

 興奮したルーファンスがさらに強く刃を押しつけて、皮一枚が細く裂けた。死への恐怖に、エフィミアはたまらず口を閉ざす。

 ナーガは顔を歪ませて逡巡したが、一瞬あとには決断した。

《シュリ、行こう》
《エフィはどうするの》
《…………》

 白竜は無言のまま高く飛び上がり、東に頭を向けた。

《待って、ナッちゃん!》

 前足に瀕死の若者をつかんだまま、緑竜は慌てて白竜のあとを追う。飛び去る竜を見て、ルーファンスは焦ったように叫んだ。

「待て、逃げるのかっ。竜王!」

 二頭の竜は東の空の果てへと消え、若き王の声は夜の虚空に響いて消えた。


 ☫


 かなたに飛び去る白き竜の姿を、ヴィナは王宮最上階の窓から見送り、人知れずくすりと笑んだ。

「もっと苦しんで、また遊びにいらっしゃいな。ナーガ」

 楽しげに呟きながらヴィナは指の細い手を持ち上げ、そこに纏わせた赤黒い液体を啜るように舐めた。

 足もとには、引き裂かれた従僕の制服と、髄まで吸い尽くされた無数の白い骨が、一面に広がる血の海に沈んでいた。
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