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【聖者の薔薇園-終幕】
277.林檎の大木
しおりを挟む「おい聞いたか?さっき裸の人間が空から落ちてきたって!」
「はぁ?何言ってんだ。どうせ鳥か何かと見間違えたんだろ」
柄の悪そうな男の人達がすぐ傍を通りかかる。狭い裏路地、そこに置かれた木箱の裏に隠れた僕は、ついさっきよぼよぼのお爺さんから貰った薄汚れた布を体に巻いて蹲っていた。
空から物凄い速さで落っこちて、地上十センチくらいでぴたっと止まったのはつい数分前のこと。
あんまり速く落っこちたものだから、偶然空を見上げていた人でも『人間の形をした何か』が落ちてきたということしか分からなかったらしい。
この短時間で既にたくさんの噂が出回っているけれど、語られる内容は性別も年齢もばらばらで、中にはその正体が鳥だとか星だとかいう噂も混ざっていた。この分なら噂もすぐに収まるだろう。
問題はそれどころではない。現状では帰ることはおろか、今いる場所から動くことさえままならないのだ。
何故なら今の僕の恰好は全裸。これで大通りに出ようものなら即行で確保だ。それに加えて『神様のところにいて落っこちちゃって』なんて語ったらちょっとやばい人みたいな扱いになって終わりだろう。
それに問題はもう一つ。落っこちた場所が場所だった。
道行く人々の話を数分盗み聞いた結果、今いる場所は『スラム街』と呼ばれる所らしい。
その名から連想できる通り、劣悪な環境で犯罪に塗れた場所…というわけではなく、意外と整備された清潔な場所だ。
とは言え、劣悪な環境の名残で今も多くの犯罪者が潜んでいるらしいけれど。
どうやら半年前から始まった大規模なスラム街整備で、劣悪だった環境が大幅に見直されたらしい。新たにスラム街専門の騎士部隊まで出来ていたのだとか。
半年も前にそんなに大きな改革があったなんて。ローズの授業を受け始めてからそういう話も積極的に調べるようにしていただけに、大きな改革を全く知らなかった自分が恥ずかしくなった。
「うーむ…どうしよう…」
布に包まってしょんぼり肩を落とす。
これからどうするべきか…まずはここから動かないことにはどうしようもないから、勇気を出して動くしかないけれど。
優しいよぼよぼのお爺さんが布をくれなかったら本当に万事休すな状況だったはず。今度しっかりお礼をしに行かないと。
「ふむ……」
それにしても、と裏路地を見渡し首を傾げる。
スラム街というから、ローズから聞いた通り裏路地は孤児たちの溜まり場になっていると思っていたけれど。実際に来てみればそうでもない。むしろスラム街に落っこちてきてから、孤児らしき子供を一人も見ていない。
たまに人が倒れているかと思えば酔っ払いだったり、いかにも悪そうな人たちが数人いる程度。この場所がたまたま安全だっただけかな、と結論付けてとりあえずは納得した。
ひとまず裏路地を離れて、新たに配備された騎士部隊とやらの騎士さんに助けを求めるべきか。
突然大通りに出れば変質者扱いされるだろうから、ぬるっと密かに騎士に出会って迫真の演技をするしかない。追い剝ぎにあいましたーぐすぐすとでも言えばいけるだろうか。
「よしっ」
そうと決まれば!と勇気を出して立ち上がろうとしたその時。
突然「ねぇ君」と肩をとんとんされて「ぴゃっ!」と飛び上がった。ちがうんです怪しい者じゃないんです。
「なっ、なぬっ!」
「あ…ごめん。急に声かけられてびっくりしたよね」
ぶんっと振り返った先には、古そうだけれど清潔な服を着た一人の少年。
買い物の帰りなのだろうか。数個のパンが入った紙袋を抱えた彼は、心配そうに眉を下げて僕を見下ろして言った。
「君…もしかして捨て子?身ぐるみも剥がされて追い出されるなんて…騎士団が置かれて屑共が一掃されたって言うのに、まだ馬鹿な奴が残ってるんだね」
「へ、あの……」
「大丈夫だよ。治安部隊の詰所に行けば、一時的に衣食住を全て確保してもらえる。場所は分かる?連れて行ってあげようか?」
差し出された手を呆然と見つめる。
なんて親切な少年なのだろう。きっと同い年くらいだろうけれど、今はカッコいいお兄さんのはずの僕より大人っぽい子だ。ありがたくて涙が出そう。
うるうると潤む瞳。それを見て何を思ったのか、少年は苦しそうに顔を歪めて「大丈夫だよ。もう大丈夫だからね」と頭を優しく撫でてくれた。
よければどうぞと差し出されたパンをありがたく受け取り、半分こにした片方を返してもう片方をもぐもぐする。久しぶりのごはんだからとっても美味しく感じる…。
「君は優しいね…当然みたいにパンを半分こするなんて」
ふにゃりと微笑んだ少年がまた頭をなでなで。もぐもぐし終えてぎゅっと手を繋ぎ立ち上がると、少年はある一方を指さして語った。
「さっき言った治安部隊の詰所はあっち。あそこに林檎の大木が見えるでしょ?あの下に詰所があるんだ」
林檎の大木…?と首を傾げて視線を移した先。通常の木の何倍も大きな木が確かに聳え立っているのを見てぱちくり瞬いた。
あれだけ大きければ城下町からも見えそうだけれど、一度も見た記憶がないのは何故だろう。偶然気が付かなかっただけかな、と無理やり違和感を納得に変換した。
「魔塔と治安部隊が協力して作った木でね、四季関係なく林檎が実り続けるんだよ」
「りんごが…実り続ける…?」
「うん。あそこに生る林檎は誰でも食べていいんだよ。お陰で飢餓に苦しむ人たちが自分からやってきてくれるから、貧困者の保護も素早くなって一石二鳥なんだって。すごいよね」
そう語る少年の瞳は輝いていて、想像していたスラム街に暮らす子供とは遥かに異なる現実に胸が熱くなった。
知らなかっただけで、こんなにも素敵な改革が進められていたなんて。帰ったら学び直さないといけないな、と改めて反省した。
「あれだけ大きな木にした理由も勿論あって、君みたいなちっちゃい子供でも迷わず詰所に辿り着けるようにって意味なんだ」
「む……僕はちっちゃくない」
むすっと頬を膨らませて言うと、少年は「ごめんごめん!」と明快な笑顔を浮かべた。
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