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三章
70.お怒りジャック
しおりを挟むうんにゅぅー!くらいの勢いでジャックに飛びついてしがみつくと、ジャックはすぐに俺を受け止めてぎゅうっと抱き締め返してくれた。
コアラみたいにくっつく俺を鬱陶しがる様子はない。それどころかどことなく嬉しそうに頬を紅潮させたジャックは、ふにゃふにゃと微笑みながら俺に喋りかけた。
「ご主人様、なんでここにいるのぉ?もしかして!僕に会いにきてくれたとかぁ?」
周囲にお花を舞い散らせるくらいの上機嫌具合にぱちくり瞬く。
俺に会えたのがそんなに嬉しかったのかな、かわいいやつめ!と思いつつこくこくっと頷くと、ジャックはぱあぁっ!と瞳を輝かせて抱擁の力を強めた。ぐぇ。
うりうりーっと擦り寄るジャックをどんと受け入れる。
上機嫌でニコニコしていたジャックだったけれど、ふと俺の首に顔を埋めたところで突然ピタッと動きを止めた。どうしたのだろう。
「……ねぇご主人様。ここ、誰に傷付けられたのぉ?」
ぺろっと首筋を舐められ「ぴゃっ!」と思わず声を上げる。傷ってなんのことかね?と見下ろし、ハッとした。
そうだ、さっきジャックのお仲間二人組にナイフを突きつけられて……その時に、一瞬だけ刃先が皮膚を切ってしまったんだ。
そういえばその時に流れた血、まだ拭いてなかったな。そう思い慌てて血を拭おうとしたけれど、その前に再びジャックの舌が俺の血をぺろりと舐めとった。
「ぴゃっ!じゃ、じゃっく!それやめろっ、自分で拭けるからっ」
「だぁめ。ご主人様だってぇ、いっつもガウの耳ぺろぺろしてるじゃんかぁ」
もっともらしいことを言われむぐぅと口を噤む。言い返そうと思えばいくらでも反論出来そうだけれど、ジャックは口が達者なのですぐに言い伏せられて終わりだろう。
ぐぬぬ……と眉を寄せている間にジャックが首の血を全て拭い終える。
敏感な場所をぺろぺろされるのは結構な疲労が伴って、思わず脳内でガウにごめんなさいの土下座をしてしまった。俺はいつもガウにこんな疲労を味わわせていたのか……。
ガウが顔を真っ赤にしてぷるぷる震えていた理由がようやく分かった気がする。もうガウの耳をはむはむするのはやめよう。二度としないように気を付けよう……。
「ご主人様、大丈夫ぅ?ほっぺが真っ赤だよぉ?」
「だ、だいじょぶだ。ぬぅ……ぺろぺろって、とっても体力使うんだなぁ」
主に舐められる側が……なんてへとへとになっていると、ジャックはニコッと笑顔を浮かべて何やら淡々と歩き出した。
突然の動きにびっくりする俺のことは完全スルー。本当に切り替えが急なやつだな……とジト目をしながら待つと、ジャックはやがて例のお仲間二人組の前で立ち止まった。
光の無い黒色の瞳が真っ直ぐ見据えるのは、二人が手に持っているナイフの刃先だ。
俺の首を切った時についたらしい、真っ赤な血がほんのり付着した刃先。
「……ねぇ君達。その血は誰のもの?誰を切って、流した血なの?」
自分に向けられたものではないと分かっていても、その声音には恐怖を抱いて固まってしまった。
普段の軽快でへらへらとした声とはまるで違う。にこやかだけれど、それでいて重過ぎるくらいの殺意と怒りを含んだ声音だ。
「じゃ、じゃっく……?」
突然ブチ切れたジャックに動揺しつつ声を上げる。よくわからんけど、なんだかお仲間二人組が今にも殺されてしまいそうな雰囲気だ。流石の俺もその空気だけは確かに察した。
そういう訳なので、おずおずと声を掛けてみたのだが……どうやら今のジャックには俺の声が聞こえていないらしい。
長い足を突如振り上げたかと思うと、ジャックはなんの躊躇もなく爪先を二人組のうち一人のお腹にめり込ませた。
「──ッぐ……ッ!!」
蛙が潰されたみたいな、そんないかにもヤバめな呻き声の後に鳴り響く衝撃音。
瞬きの間には目の前から二人組が一人消えていて、恐る恐る視線を上げると、ジャックが蹴り飛ばした男性は数メートル先でぐったりと倒れ込んでいた。
「はぇ……?」
ポカーンとした声が思わず零れる。
呆然とする俺をぎゅっと抱き上げたまま、ジャックはニコニコ笑顔でもう一人の男性に視線を向けた。
もしやこの人のことも……!?と警戒したが、その警戒は予想外の形で裏切られる。
ジャックは彼を蹴り上げるどころか、内ポケットから取り出した拳銃を彼の頭に向けたのだ。予想外というか、予想の範疇を越えているというか……。
「じゃじゃっ、じゃっく!おばかっ!何してんだぁっ!」
とにもかくにも、突然始まったジャックの奇行を止めない限りはどうにもならない。
慌ててジャックの腕にぎゅっと抱き着き、銃口を地面に向けるようにして拳銃を下ろさせる。ふぅっと安堵の息を吐くと、ふいにジャックの呟きがぶつぶつと聞こえて首を傾げた。
「……どうして止めるの?ソレはご主人様の身体に傷をつけたんだよ。無能どころか有害な駒なんて、取っておいても損しかないでしょ?」
もはや笑顔の仮面すら剥がれ落ち、鬼のような怒りの形相がジャックの綺麗な顔を歪めている。
銃口を向けられた男性は従順に跪いていて……どうやら、今にもジャックに処されそうな状況に文句はないらしい。どいつもこいつもとち狂いすぎじゃなかろうか。
もしかして、まともなのって俺だけ?思い返せば怖い状況でぴーぴー号泣していたのは俺だけだったような……いや、思い出さないでおこう。なんだか自分が情けなくなる。
「お、おれが怪しい動きしたのがわるいんだっ……その人たちは、ぜんぜん悪くないんだ!ほんとだぞ、おれが悪い子なんだぞっ!」
ジャックじゃなく『切り裂きジャック』を目の当たりにしてしまったことで、身体がガクガクブルブルと大きく震える。
けれどなんとかその身体を叱咤して、涙目になりながらも精一杯にジャックをぎゅーして宥めた。お願いだから落ち着いてくれぃ。
「ジャックにぺろぺろしてもらったから、もうぜんぜん痛くないぞっ!」
半ばヤケクソにそう叫ぶ。
こんなんで怒りを収めてくれるわけ……とちょっぴり諦めモードに突入しようとした瞬間、ふとジャックの激おこオーラが完全にぷしゅーっと収まった。
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