そうしてまで破棄したがった婚約は、

こうやさい

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そうしてまで破棄したがった婚約は、

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『あなたはわたくしを愛しているとは一度も言って下さいませんでした』
 その日、「君の代わりはいない」は愛の言葉足り得ないと知った。


 彼女とは政略、要するに条件で婚約した関係だった。
 そうはいうものの、正直いえばひとめぼれだったし、会えば会うほどに惹かれていった。
 彼女の笑顔はいつもどこか儚げで、今にも存在自体が消えてしまいそうで。
 引き留めなければと、そればかり考えていた気がする。

「君の代わりはいない」

 だからいつまでも傍にいてほしいと。
 愛していると。
 そう告げていたつもりだった。

 けれどはっきりそう言わなかったせいで、ずっと最初の条件だけをもとめられていると思っていたらしい。
 それも彼女の一部である以上要らないとまでは言わないが、なくなったとしてもきっと好意は続いただろうのに。

 それがどこまで嫌だったのか、彼女はよりにもよって結婚式の当日、関係を誓う直前にそう言い残し神の御前から花嫁装束のまま逃げ出した。
 そして高い塔に登りそこから飛び降り、魂と共に彼女を形作る姿にくたいも永遠に届かない神の御元せかいに逃げる……つもりだったのだろう。
 現実は長い階段のほんの最初で足を踏み外し、打ち所が悪く、しばらく昏睡した末に、結局亡くなった。
 結局彼女を亡くしたことには変わりはないが、意識がなくとも生きているのだからと、政略ゆえにそのまま周りが詭弁でその前に婚姻を成立させてしまった。
 彼女は逃げようとして、結局逃げきれなかった。
 けれど結局わたしの目の前にはいない。
 抱きしめることはできない。


 彼女の代わりはいないが、わたしの代わりはいる。
 いっこうに再婚しつぎのりようあいてをみつけないことにじれた周りによって、今度はわたしが後続から外された。
 そうはいって幸い生き死に関わるほど追い詰めては来なかったので、権限は減ったが自由は増えた。
 暮らしの質が下がったとはいえ、それで彼女を想い続けることを許してくれるというなら不満はない。


 そんな風になにもなさないまま、どれだけの時を過ごしただろうか?
 名目上療養で引きこもっている、一族の領地の片隅にある別荘の周りを当てもなく散歩をしていたとき。

 一人の少女が目に止まった。

 見慣れない顔ではあるものの、そもそも名目の関係で住民との交流はあまり持っていないのだから不思議ではない。
 それに彼女以外に興味はない。
 そうでなくとも、普段ならば気づいてもそのまま視線が通りすぎるような、どこにでもいそうな存在なのに。
 なぜか目が離せない。
 別に好みではない。彼女がそうとうな美人だったせいもあるが、そのことがなかったとしてもそう断言できる。
 一般論としても特に美しかったり目立っていたというわけではない。ごく平凡な村娘……と呼ぶには幼い女の子だった。
 そして場違いなわけでもない。それをいうならわたしの方がよほど場違いだろう。
 なぜこんなに惹かれるのかと理由を探そうとするが、考えれば考えるほど分からない。
 そして、どうしてか彼女を思い出す。
 愛おしいとすら思う。

 ふと、莫迦げたことを思い出す。
 この国の国教では、死した人の魂は、性質や行動、周りとの関連性によって、それにふさわしい姿となり、神の御元で暮らすという。
 けれど他国には、魂は神の御元ではなくこちらの世界に生まれ変わるという概念を持つ宗教があるそうだ。

 ……もしもそちらが正しいとしたら。

 彼女が死んでから経った年月を数え、それが思っていたよりも短かったことに愕然とする。
 そしてそれは少女の見た目にも合った時間だった。思うよりも年下なことはあっても、年上なことは恐らくない。

 もしかすればこの子は彼女の生まれ変わりなのかもしれない。
 だとすれば今度こそ今度こそ今度こそ――。

 ――結局、声すらかけずに少女を見送る。
 国教の教義に逆らうことが恐ろしかったわけではない。彼女を取り戻せるというなら、神敵になることすら厭わないだろう。
 だが。

『君の代わりはいない』

 それは彼女を追い詰めただけの言葉で、今や憎んですらいるかもしれない。
 なのに、その発したはずの言葉に自らが縛られていた。

 最初の条件が失われてしまっても彼女が好きだろうと思ったように。
 肉体が記憶がなにもかもが失われていたとしても、魂だけでも愛せるだろう。
 けれど彼女自身はそう認識してくれるだろうか?

 何がどこまで変わるまで同一人物と認めるのかという定義の問題だ。
 魂が同じだとしても、違う人生を送ってきたのなら、違う人だと考えることもできる。
 確かに自らのことでもありながら、政略の理由となった部分は己ではないと切り捨てた彼女は、それを自分だと認めるだろうか?
 その答えをわたしは出せない。

 もしも認めないのなら。
 代わりはいないといったのはわたしなのだから。
 生まれ変わりだったとしても、それは裏切りだろう。
 その誓いにも呪いにも似た気持ちをなかったことにはできなかった。

 ……本当はもう分かっている。
 言葉通り愛されたかっただけなら、きっと結婚後でも機会はあった。
 けれど彼女はそれを選ばなかった。
 つまり政略でも耐えられないほど嫌な理由があったのだろう。
 あれだけ逃げたがっていた人を捕まえて、どの口がそれを愛だというのだろう。

 生まれ変わりだとしても、今度こそ解放するべきなのだろう。
 どちらにしろ、結局彼女はそばにはいてくれない。

 彼女の発した言葉が建前だったとしても、わたしの発した言葉を嘘にはしない。
 ただの意地なのかもしれないが。
 それでも彼女を愛している。


 さっきの少女を思い出す。
 あるいはただ単純に一目惚れしただけなのかもしれない存在に。

 そっと、心の中で別れを告げた。
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