笑み。

大峰亮太

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御使い

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 ◯

 深夜、時刻は二十三時三十分をまわる。私は歩いていた。理由はない。ただ歩く。私はそれだけだった。
 すでに夏は終わり、秋も半ば、十月の夜にもなると空気はひんやりと冷たい。空には幾千、幾万もの星が散らばり、細く笑った月は煌々と輝きを見せていた。

 私は福岡の学生である。大学から近いアパートに住み、日中は大学に行って、帰ってきては寝て、夜に起きると寝静まりかける町を歩いた。
 別に何があるわけではない、ただ夜というのは考えなくともいいことを悶々とさせるものである。そしてそれを紛らすために歩く、そうしていくうちに歩いている理由は薄れ消えていく。

 半刻ほど歩いたであろうか、しゃらんっと鈴の音がなったかと思うと、私は幻を見ているのかと思った。
 私の目の前には、長い行列があらわれ、一人一人が提灯を持ちふらりふらりと揺れている。揺れる提灯は暗い地面に行列の影を落とし、その影もまた、揺れていた。
 行列に並ぶ人の中で一際目立つ者が居た。それはいい意味ではなく、悪い意味で。
 異様なまでに背が高く、背は曲がっている。手に持つ提灯がそれの顔を照らした。顔にあるはずの目や鼻は無く、代わりに顔を埋め尽くすように、ぽっかりと開いた口があった。
 背の高い異様なそれはぴたりと立ち止まると、辺りをくるりと見渡し私を見つけた。それにはやはり目はなかったが、目が合ったような気がした。
 私は踵を返し走り出した。直感がそうさせた。住宅街を右へ曲がり左へ曲がり、路地に飛び込んだ。。先ほど走った道の方からどたりばたり、しゃらんしゃらんと音が聞こえた。かなり五月蠅かったが、住宅の人間が起きる気配は無かった。
 私はそのまま路地を抜けた。しかしそこにはあるはずの住宅街は無く、代わりにただ広いだけの空間があった。
 おかしいなと思い私は路地に戻ろうとしたが路地は無かった。
 私は広いだけの空間に取り残された。

 ◯

 幸いなことにそこからは空が見えた。空が見えるなら、ある程度の時間がわかる。
 その広い空間は野球のグラウンドほどの大きさであろう。地面は芝生であり少しふかふかしていた。その空間を囲うように、黒い壁が聳えていた。
「これは出られないなア」と私は呟いた。

 私は持っていた煙草を燻らせ空を見た。雲の一つもない空には無数の星と細く笑う月。紫煙が空を舞った。
 さて、一体どうしたことやらと思った。高く聳え立つ黒い壁。無論、外周を周って出られるところがないか調べたがそんなものはなかった。
「はあ、なんでこんなことになるんだ。それよりあの行列と化け物はなんだ」
 私は誰もいないことをいいことに大きめの独り言を言う。
 その時であった。空間が歪んだ。ぐるりと回るものだから、煙草の吸いすぎかと思ったが、そうではなかった。そのまま空間は回り続ける。そして見知らぬところに私は立っていた。

 それはどこかの山であろうか、山の一角を切り倒し広い空間が作られていた。そこから見える景色は、遥か奥まで街の煌めきは続き、右の方は海であろう、黒く塗りつぶされたようだった。綺麗だなと思った。
 しかしここはどこだろうと思った。そんな時だった。背が高く、腰はしゃんとしている老人が歩いてきた。そして私と同じ街を眺めた。私は聞いた。
「すみません、ここはどこですか」
 老人は答えなかった。
 もしかして聞こえていないのかと思い、今度は老人の目の前に立った。しかし、老人の窪んだ目は私を捉えることはなく、街の煌めきを見つめるだけだった。
 なんなのだと思って私は老人と並び、また煌めく街を眺めた。
 私の背後からしゃらんっと音がした。私と老人は振り返った。そこには先ほどの提灯を揺らす行列と、あの化け物が居た。私は逃げなければと思い走ろうとしたが、おかしなことに気づいた。化け物は私を見ていないし、何よりもぽっかりと開いていた口はぎゅむっと固く閉ざされているように思えた。そして隣では老人が言っていた。
「ああ、今年は君なんだな」
 君?と私は思った。
 行列は私たちの方に歩いてきた、私はその間、老人に「あれはなんなんだ!」と聞いたが老人に声は届かなかった。
 ついに行列は私たちの前まで来たかと思うと、地面に沈んでいった。そして私たちの前には化け物だけが残った。老人は化け物の腹あたりに手を突っ込み
「しっかりしなさい!こら!起きるんだ!」
 そう叫んでいた。すると化け物は口を大きく開け、何かを吐き出した。
 それは白いブラウスとロングスカートに身を包んだ女性だった。老人の手は女性のスカートの端を掴んでいた。化け物が吐き出す時より前には、老人はすでに掴んでいたように思えた。
 化け物は老人に口だけの顔を寄せた。
「マタ…マタ…スクエナイ…アワレ…アワレ…」
 化け物はそう言うと、けたけた笑い出した。
 そして私に口を向け言った。
「モウスグ…クルヨ…」
 そして化け物は女性の頭を持つとずぶりずぶりと女性と土に潜っていった。
 老人は「くそう!またか!またなのか!」と言って女性の服の端を離さなかったが、しばらくして手を離した。女性の服は土に埋まっていた。老人は手で顔を覆い泣いていた。
「ご老人、さっきのは」
 私は老人の方に手を置こうとしたが、私の手は空を切った。次の瞬間、空間が歪んだ。

 ◯

 気づけば私は元の場所に戻っていたが、あの空間を囲うように聳え立つ真っ黒な壁は無く、私の後ろには路地があった。

 私は悪い夢でも見ているんだと思い路地に入ろうとした。
 しゃらんっと鈴の音が鳴り響いた。私が振り向くと案の定、空間の真ん中あたりに行列と口を閉ざした化け物がいた。行列は既に土に沈んで行っている。
 私は走り出していた、化け物に向かう。
「おい、腹の中にいるんだろう、誰かが」
 私がそう言い終わると化け物は、べろりと男性を吐き出した。その男性はスーツを着ていた。化け物は言った。
「ワタシ…オツカイ…コレ…ツレテク…」
 化け物は男に手を伸ばし出した。あの老人を見て、私は掴んでも無駄だと分かっていた。
 私は 「うおおおおお」という雄叫びと共に男を抱えた。まさか、人生で男を抱き抱えることがあるとは。私はそのままの勢いで走り路地に入った。
 後ろでは「アッ…アッ…マズイ…」と化け物の声が聞こえ、どたりばたりと追ってきていることもわかった。
 私は男を抱え無我夢中で走った。どこか、逃げ込める場所を探していた。後ろからはどたりばたり聞こえる。
 早く、早く。
 私の心臓がはち切れる寸前のとこで交番が見えた。中には警官が何人か居ることもわかった。私は駆け込もうと勢いを上げた。
「アア…オコラレ…チャウ…ホカノ…ダレカ…」
 そう聞こえた。が、私は聞かなかったことにした。もう、無理だ。

 〇

 私は交番に駆け込むと、今まであったことを説明したが、警官は怪訝な顔をするだけで信じてはくれなかった。
 私が抱えた男はすぐに病院へ運ばれたが、まだ目を覚ましていないらしい。彼はいつか目を覚ますのだろうか。

 あの日から私は夜の散歩をやめた。
 あんな目に遭うなら、考えなくていいことを悶々とさせたほうがマシだから。
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