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勇ましき令嬢に薔薇を
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初めて感じた胸のときめき。
その正体を突き止めた途端、絶対に手に入れられないものだとわかってしまった。
レオニーはふかふかソファに座り込み小さく唸り声をあげた。
(ユーグの時とは違う)
ユーグとの婚約期間中、手紙や贈り物を貰ったり一緒に外出したり、ふわふわ幸せな気持ちになることはたくさんあった。
けれどユーグと会わない時間、ユーグを思い出すことが何度あっただろう。
会わないなら会わないで、ゆっくり自分の時間を満喫していて、ユーグのことを想って黄昏れるなんてこと、一度もなかった気がする。
婚約破棄された時でさえ、さすがに落ち込みはしたものの、ロゼワインに出会い、リュカやマティアスに出会い、ブランシュに出会って、生活ががらりと一変した中で、いつの間にか悲しい気持ちは消え去っていた。
(私って実は薄情な人間だったのね)
2年もの間、婚約者として1番そばにいた人のことを、案外あっさり過去の思い出に昇華できてしまっていた。
こんなレオニーの本性にどこかで気づいたから、ユーグは突然婚約を解消したんだろうか。
マティアスへの想いに気づいた今は、身体中の力が抜けきって、鬱々と過ごす日々。
読みかけだった小説はどうやっても内容が頭に入ってこないし、大好きな刺繍も全然手につかない。クロエが用意してくれるスイーツの味も、ぼんやりとしていまいちよくわからない。
何をしていても、気づけばマティアスのことを考えてしまう。
意地悪なことばかり言うあの口で、時々ものすごく優しいことを言ったりする。それにどうしようもなくドキドキさせられる。
あの優しさと、胸が疼くほど眩しい笑みは、全部ブランシュのものだ。
今日何度目かわからない溜め息をついたところで、クロエがやってきた。
「お嬢様、リュカ様より招待状が届いておりましたのでお持ち致しました」
「招待状?」
封を開け中身を読むと、リュカの家で行われるお茶会のお誘いだった。若い紳士淑女を集めて、健全な交流の場を提供しようというものらしい。
お茶会であればダンスやお酒が苦手な人も楽しめるし、若い人だけなら親や親戚など堅苦しいお付き合いは抜きで、気軽に親交を深めることができる。
(リュカらしいわね)
交友関係の広いリュカが声をかければ、かなりの人数が集まるだろう。シェイキア国内の若い貴族達がほぼ全員集まる勢いかもしれない。
これはチャンスだ、と事業拡大を狙いほくそ笑むマティアスの顔が目に浮かぶ。
(ああ……またマティアスのこと考えちゃった)
もはやこれは病気ではないかと、レオニーは頭を抱えた。
「お嬢様、どこかお加減でも悪いのですか」
「いいえクロエ……何でもないの。今度、リュカの家で若い人達のお茶会があるんですって」
「まあ、あのハワード伯爵家で。それは楽しみでございますね」
「楽しみ? 何が?」
首を傾げるレオニーに、クロエは興奮したような声で続ける。
「ハワード伯爵邸と言えば『ジャルダン・ドゥ・ローズ』で有名でございます。愛妻家であるハワード伯爵が、奥様のために何年もかけてお造りになられたとか。外から通りすがっただけでも大変目を惹かれますから、中に入ったらどんなに素敵でしょうね」
「薔薇の園……」
「お嬢様もきっと心を奪われると思います。お散歩気分で少しだけ参加されてはいかがですか」
「うーん、そうね……」
薔薇と言われるとたしかに心惹かれる。ホワイト家でも季節ごとに色とりどりの花が咲き乱れるが、母の趣味で薔薇は植えられていない。マーガレットような花びらが外に向かって開く花が好きらしい。
リュカからの手紙には、ブランシュも来る予定だと書かれていた。王宮の舞踏会ではブランシュに会えなかったから、しばらくの間会っていないことになる。
大好きな人の婚約者。けれどその前に大切な友人でもある。会いたくないわけがない。
「少しだけ顔を出してみるわ。クロエ、準備をお願いできる?」
「かしこまりました」
レオニーの予想通り、その日ハワード伯爵邸にはシェイキア国中の若い貴族がほとんど集まったようだ。
人混みの中でうろうろしていると、ぐっと強く手を引かれた。
「レオニーやっと見つけた。あっちに席取ってあるから行きましょ」
「ブランシュ、久しぶりね」
手を引かれるままについていくと、美しいピンクの薔薇が咲き誇る庭の片隅に出た。
「わあ……」
「素敵よね。私も遊びに来る度つい見入っちゃうもの。あっちには黄色の薔薇が咲いてるんだけど、レオニーはやっぱりピンクかなあって思って」
ピンクの薔薇が1番よく見えるテーブルに、見覚えのあるブランシュのハンカチと日傘が置いてあった。
「従妹の特権でこのテーブルは確保させてもらったの」
「さすがブランシュ」
得意げに胸を張るブランシュに、レオニーは笑いながら小さく拍手した。
交流の場、というのは名目だけではないようで、美しい薔薇が咲き誇る庭のあちこちで、頬を染めた男女が会話に花を咲かせているのが見て取れた。
「春ねえ……」
「え、もうだいぶ暑くなってきたのに?」
「もうレオニーったら。例えよ例え。貴方にもほら、熱っぽい視線を送ってくる男性方がいるじゃない」
「あの方々は、私じゃなくてブランシュと話がしたいんじゃない?」
「そんなことあるわけないでしょう」
何を言ってるんだと言わんばかりに、ブランシュは大袈裟に肩を竦めた。
「レオニーは自分のことをまるでわかってないのね」
「何の話?」
「レオニーには、ぜひお嫁さんになってほしいって懇願する男性がたくさんいるわよねって話。今までは手が伸ばせなかっただけで」
「私は結婚なんてまだまだ。ブランシュには」
(貴方にはマティアスがいるじゃない)
そう言いかけたレオニーだったが、ブランシュが遠くの方を真剣に見つめているのに気づき、口を噤んだ。
ブランシュの視線の先では、マティアスとリュカが親しい友人達と談笑していた。何がおかしいのか、大口を開けて笑っていて、賑やかな声がレオニー達のいるテーブルにまで聞こえてくる。
王宮の舞踏会以来、初めて見たマティアス。
これだけ離れていても、ほんの少しその姿が見られただけで、その笑い声が聞けただけで、レオニーの胸はうるさく鼓動する。
「良いわよね、男性って呑気で」
独り言のようにぽつりとブランシュが呟いた。
「男性だけ自由に好きなことして、あんな風にへらへら笑ってて許されるってずるいと思わない? 女の私達は結婚結婚って、それがすべてみたいに言われて。行き遅れでもしたら、変人扱いされて」
(ブランシュどうしちゃったの? 行き遅れなんて、マティアスがいるんだからそんな心配いらないじゃない。あ、マティアスと喧嘩でもしたのかしら?)
レオニーの頭の中は疑問符でいっぱいになる。
けれど迂闊に2人の婚約に触れることは躊躇われる。ブランシュからもマティアスからも、直接婚約の話を聞いたことがない。まだ正式に婚約してはいないのだろうか。何かトラブルでもあったのかもしれない。
そのことを個人的に喜んで良いのか、友人として悲しむべきなのか、レオニーの心はゆらゆらと揺れ動く。
複雑な心境を胸の内に隠し、レオニーはブランシュの小さな手をそっと握った。
「ブランシュ……何か辛いことがあったの?」
「ごめんなさいレオニー、心配かけて。特別何かあったわけじゃないの。ただね、時々、無性に自分が女性だってことが嫌になるの」
「女性が?」
「そう。もし女性じゃなく男性に生まれてたら、もっと違う人生があったんじゃないかって。例えば、私達はリュカやマティアスと親しい。とは言っても、やっぱり男女の壁ってあると思うの。仕事の話なんて私達が聞いても全然わからないから、あの2人、私達の前ではあんまりしないじゃない? でも私がもし男性だったら、そういう話も全部できるからもっと楽しいんじゃないかなって、想像するの」
「面白い考えね。ブランシュらしいわ」
「それに、あんな間抜けな顔してへらへら笑ってる人達に、女性ってだけで見下されてるなんて悔しくない?」
「別に私達を見下してはいないと思うけど」
「私が男性だったら、あんな人達には負けないわ。誰よりも出世すると思うの」
「それはたしかにそうね」
ブランシュの話に相槌を入れながら、男装姿で男性達を次々となぎ倒していくブランシュを想像して、レオニーは必死に笑いを堪えた。
「男性になりたいだなんて、面白い考えね」
「レオニーはそういうこと考えたこと一度もないの?」
「そうねえ」
男装した自分を何となく想像してみた。
(うーん……)
悪くないかもしれない。
男性だったら、マティアスが婚約しようと結婚しようと、関係ない。
リュカのように友人として、あるいは仕事のパートナーとして、そばにいることができる。
その正体を突き止めた途端、絶対に手に入れられないものだとわかってしまった。
レオニーはふかふかソファに座り込み小さく唸り声をあげた。
(ユーグの時とは違う)
ユーグとの婚約期間中、手紙や贈り物を貰ったり一緒に外出したり、ふわふわ幸せな気持ちになることはたくさんあった。
けれどユーグと会わない時間、ユーグを思い出すことが何度あっただろう。
会わないなら会わないで、ゆっくり自分の時間を満喫していて、ユーグのことを想って黄昏れるなんてこと、一度もなかった気がする。
婚約破棄された時でさえ、さすがに落ち込みはしたものの、ロゼワインに出会い、リュカやマティアスに出会い、ブランシュに出会って、生活ががらりと一変した中で、いつの間にか悲しい気持ちは消え去っていた。
(私って実は薄情な人間だったのね)
2年もの間、婚約者として1番そばにいた人のことを、案外あっさり過去の思い出に昇華できてしまっていた。
こんなレオニーの本性にどこかで気づいたから、ユーグは突然婚約を解消したんだろうか。
マティアスへの想いに気づいた今は、身体中の力が抜けきって、鬱々と過ごす日々。
読みかけだった小説はどうやっても内容が頭に入ってこないし、大好きな刺繍も全然手につかない。クロエが用意してくれるスイーツの味も、ぼんやりとしていまいちよくわからない。
何をしていても、気づけばマティアスのことを考えてしまう。
意地悪なことばかり言うあの口で、時々ものすごく優しいことを言ったりする。それにどうしようもなくドキドキさせられる。
あの優しさと、胸が疼くほど眩しい笑みは、全部ブランシュのものだ。
今日何度目かわからない溜め息をついたところで、クロエがやってきた。
「お嬢様、リュカ様より招待状が届いておりましたのでお持ち致しました」
「招待状?」
封を開け中身を読むと、リュカの家で行われるお茶会のお誘いだった。若い紳士淑女を集めて、健全な交流の場を提供しようというものらしい。
お茶会であればダンスやお酒が苦手な人も楽しめるし、若い人だけなら親や親戚など堅苦しいお付き合いは抜きで、気軽に親交を深めることができる。
(リュカらしいわね)
交友関係の広いリュカが声をかければ、かなりの人数が集まるだろう。シェイキア国内の若い貴族達がほぼ全員集まる勢いかもしれない。
これはチャンスだ、と事業拡大を狙いほくそ笑むマティアスの顔が目に浮かぶ。
(ああ……またマティアスのこと考えちゃった)
もはやこれは病気ではないかと、レオニーは頭を抱えた。
「お嬢様、どこかお加減でも悪いのですか」
「いいえクロエ……何でもないの。今度、リュカの家で若い人達のお茶会があるんですって」
「まあ、あのハワード伯爵家で。それは楽しみでございますね」
「楽しみ? 何が?」
首を傾げるレオニーに、クロエは興奮したような声で続ける。
「ハワード伯爵邸と言えば『ジャルダン・ドゥ・ローズ』で有名でございます。愛妻家であるハワード伯爵が、奥様のために何年もかけてお造りになられたとか。外から通りすがっただけでも大変目を惹かれますから、中に入ったらどんなに素敵でしょうね」
「薔薇の園……」
「お嬢様もきっと心を奪われると思います。お散歩気分で少しだけ参加されてはいかがですか」
「うーん、そうね……」
薔薇と言われるとたしかに心惹かれる。ホワイト家でも季節ごとに色とりどりの花が咲き乱れるが、母の趣味で薔薇は植えられていない。マーガレットような花びらが外に向かって開く花が好きらしい。
リュカからの手紙には、ブランシュも来る予定だと書かれていた。王宮の舞踏会ではブランシュに会えなかったから、しばらくの間会っていないことになる。
大好きな人の婚約者。けれどその前に大切な友人でもある。会いたくないわけがない。
「少しだけ顔を出してみるわ。クロエ、準備をお願いできる?」
「かしこまりました」
レオニーの予想通り、その日ハワード伯爵邸にはシェイキア国中の若い貴族がほとんど集まったようだ。
人混みの中でうろうろしていると、ぐっと強く手を引かれた。
「レオニーやっと見つけた。あっちに席取ってあるから行きましょ」
「ブランシュ、久しぶりね」
手を引かれるままについていくと、美しいピンクの薔薇が咲き誇る庭の片隅に出た。
「わあ……」
「素敵よね。私も遊びに来る度つい見入っちゃうもの。あっちには黄色の薔薇が咲いてるんだけど、レオニーはやっぱりピンクかなあって思って」
ピンクの薔薇が1番よく見えるテーブルに、見覚えのあるブランシュのハンカチと日傘が置いてあった。
「従妹の特権でこのテーブルは確保させてもらったの」
「さすがブランシュ」
得意げに胸を張るブランシュに、レオニーは笑いながら小さく拍手した。
交流の場、というのは名目だけではないようで、美しい薔薇が咲き誇る庭のあちこちで、頬を染めた男女が会話に花を咲かせているのが見て取れた。
「春ねえ……」
「え、もうだいぶ暑くなってきたのに?」
「もうレオニーったら。例えよ例え。貴方にもほら、熱っぽい視線を送ってくる男性方がいるじゃない」
「あの方々は、私じゃなくてブランシュと話がしたいんじゃない?」
「そんなことあるわけないでしょう」
何を言ってるんだと言わんばかりに、ブランシュは大袈裟に肩を竦めた。
「レオニーは自分のことをまるでわかってないのね」
「何の話?」
「レオニーには、ぜひお嫁さんになってほしいって懇願する男性がたくさんいるわよねって話。今までは手が伸ばせなかっただけで」
「私は結婚なんてまだまだ。ブランシュには」
(貴方にはマティアスがいるじゃない)
そう言いかけたレオニーだったが、ブランシュが遠くの方を真剣に見つめているのに気づき、口を噤んだ。
ブランシュの視線の先では、マティアスとリュカが親しい友人達と談笑していた。何がおかしいのか、大口を開けて笑っていて、賑やかな声がレオニー達のいるテーブルにまで聞こえてくる。
王宮の舞踏会以来、初めて見たマティアス。
これだけ離れていても、ほんの少しその姿が見られただけで、その笑い声が聞けただけで、レオニーの胸はうるさく鼓動する。
「良いわよね、男性って呑気で」
独り言のようにぽつりとブランシュが呟いた。
「男性だけ自由に好きなことして、あんな風にへらへら笑ってて許されるってずるいと思わない? 女の私達は結婚結婚って、それがすべてみたいに言われて。行き遅れでもしたら、変人扱いされて」
(ブランシュどうしちゃったの? 行き遅れなんて、マティアスがいるんだからそんな心配いらないじゃない。あ、マティアスと喧嘩でもしたのかしら?)
レオニーの頭の中は疑問符でいっぱいになる。
けれど迂闊に2人の婚約に触れることは躊躇われる。ブランシュからもマティアスからも、直接婚約の話を聞いたことがない。まだ正式に婚約してはいないのだろうか。何かトラブルでもあったのかもしれない。
そのことを個人的に喜んで良いのか、友人として悲しむべきなのか、レオニーの心はゆらゆらと揺れ動く。
複雑な心境を胸の内に隠し、レオニーはブランシュの小さな手をそっと握った。
「ブランシュ……何か辛いことがあったの?」
「ごめんなさいレオニー、心配かけて。特別何かあったわけじゃないの。ただね、時々、無性に自分が女性だってことが嫌になるの」
「女性が?」
「そう。もし女性じゃなく男性に生まれてたら、もっと違う人生があったんじゃないかって。例えば、私達はリュカやマティアスと親しい。とは言っても、やっぱり男女の壁ってあると思うの。仕事の話なんて私達が聞いても全然わからないから、あの2人、私達の前ではあんまりしないじゃない? でも私がもし男性だったら、そういう話も全部できるからもっと楽しいんじゃないかなって、想像するの」
「面白い考えね。ブランシュらしいわ」
「それに、あんな間抜けな顔してへらへら笑ってる人達に、女性ってだけで見下されてるなんて悔しくない?」
「別に私達を見下してはいないと思うけど」
「私が男性だったら、あんな人達には負けないわ。誰よりも出世すると思うの」
「それはたしかにそうね」
ブランシュの話に相槌を入れながら、男装姿で男性達を次々となぎ倒していくブランシュを想像して、レオニーは必死に笑いを堪えた。
「男性になりたいだなんて、面白い考えね」
「レオニーはそういうこと考えたこと一度もないの?」
「そうねえ」
男装した自分を何となく想像してみた。
(うーん……)
悪くないかもしれない。
男性だったら、マティアスが婚約しようと結婚しようと、関係ない。
リュカのように友人として、あるいは仕事のパートナーとして、そばにいることができる。
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