氷霜とワインのマリアージュ 〜無自覚お嬢様は誰からも愛される?!〜

Futaba

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シンデレラになれたら

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 男性になれば、マティアスのそばにいられるかもしれない。

 ハワード伯爵邸でのお茶会以来、レオニーの頭の中でその考えがぐるぐると渦巻いていた。

(マティアスとブランシュの間に割って入るなんて、私にはできない……)

 レオニーにとってブランシュは、かけがえのない大切な友人だ。その友人を傷つけるようなことはしたくない。

 お茶会でのブランシュは何だか苛ついた様子だったけれど、マティアスとの喧嘩が原因なら早く仲直りしてほしい。嘘偽りなく心からレオニーはそう思っていた。

 けれどマティアスへの気持ちも、あっさりと捨て去ることはできない。むしろ自分の気持ちを自覚してから日に日にその想いは強くなるばかりだ。

 もし本当に男性になれたら。
 誰も傷つけずに、マティアスの近くで笑っていられる日常が手に入る。

(まあでも、そんなことできるわけないけど)

 下手な男装をしても、細くて小柄なレオニーではすぐに正体がばれて良い笑い者だ。

「世の中そうそう自分の思った通りにはならないものね。ねえクロエ」

 この部屋の中だけですべてが完結していた少し前の自分に教えてあげたい。
 世界にはもっとたくさん、嬉しいことも、悲しいことも、自分ではどうにもならないこともいっぱいあるんだってことを。

「……クロエ?」

 いつも影武者のようにそばに控えている侍女の応答がない。
 不思議に思いレオニーがソファから立ち上がると、侍女のクロエは窓際に立って、険しい表情をしていた。

「どうしたのクロエ」
「お嬢様。あちらの温室に……」

 クロエが指し示した、庭先の小さな温室に目を向けると、中で大きな黒い影がものすごい速さで動き回っているのが見て取れた。

「あれは……鷲? それとも鷹?」
「おそらく鷹でございましょう」
「何故あんなところに鷹が?」
「ジェラルドでございます」
「ジェラルド?」
「正体がばれたくないと言っていたのに、あんな人目につきやすいところで魔法を使うなんて、一体何を考えているのでしょう。お嬢様のご厚意を無駄にする所業です」

 クロエはぶつぶつと文句を口にしながら、窓から離れようとしない。

(ジェラルド……)

 父が連れて来た剣士。
 ピンクのネズミの姿でレオニーの前に現れた男。
 赤髪の魔法使い。

「そうだ! 魔法使い!」

 レオニーが突然大きな声を出したので、クロエはびっくりして振り返った。

「お嬢様?」
「魔法使いなら、何にでも変身できるわよね?」
「はい、おそらく」
「この前はネズミ、今日は鷹。彼ならきっと、性別を変えるくらいどうってことないわね」
「お嬢様、何をお考えなのですか?」

 いつになく生き生きとした瞳で、レオニーは嬉しそうに微笑んだ。

「ジェラルドをここへ」





 レオニーの願いを聞いたジェラルドは、ぽかんと口を開けたまましばらく動けなかった。

「男になりたいって……正気か? こんなでかい屋敷に住んで何不自由なく育って、何が不満なんだ」
「ずっとじゃなくて良いの。ほんの一時だけ私じゃない別の男性でいられる時間が欲しいの。貴方言ったわよね? 私のためなら何でもするって」
「言った。あの言葉に嘘はない。しかし解せないな。どうして侯爵令嬢が男性になる必要がある」
「男性として親しくなりたい人がいるの」

 できる限り何気ない風を装ってそう答えたものの、レオニーの頬はほんのりと色づいていた。
 ジェラルドの眉がぴくりと一瞬だけ動いた。

「わかった、協力しよう。ただし準備に少し時間が欲しい。そうだな……3日でどうだ」
「わかったわ。3日後にまた」

 そうしてきっちり3日後、ジェラルドは青い透明の液体が入った小瓶をいくつか小脇に抱え、レオニーの部屋へとやって来た。

「これを飲めば一瞬で性別が入れ替わる。時間は数時間程度。軽い目眩がしてきたらそろそろ元に戻ると思えば良い」
「これを飲むだけで?」
「俺が直接魔法をかけても良いが、いちいち俺を呼ぶのも面倒だろう。何回分か用意したから、好きに使うと良い。これで足りないならまた言ってくれ」

 レオニーはテーブルに並べられた小瓶の1つを手に取ってみた。
 光にかざすと、きらきらと光り輝く水面のように見えた。

「注意事項がある。これを飲む前に先に服装を着替えておくこと。そんなドレスのまま男になったら悲惨だろう」
「服装は勝手には変わらないの? 貴方がネズミから人に戻った時はちゃんと服を着てたじゃない」
「自己魔法はある程度コントロールできるが、他人にしかも薬を用いてとなると、さすがに難しい」
「効果が数時間っていうのも何だか曖昧ね。12時までとか、もっとわかりやすい指標はないの?」
「無理を言うな。これを作るのにどれだけ苦労したか」
「現実の魔法ってけっこう不便なのね」
「悪かったな。まあ外に出る前に一度試しに使ってみた方が良いだろう」
「そうね、そうするわ。ありがとうジェラルド」
「何が不都合があったらいつでも言ってくれ」

 クロエに付いて部屋を後にするジェラルドを、レオニーは笑顔で見送った。

(これで男性になれるのね……)

 マティアスとブランシュが婚約したとしても、この薬があれば罪悪感を抱くことなく、友人としてマティアスのそばにいることができる。
 ひょっとしたら、女性のままの今の自分より色んな深い話ができるかもしれない。
 
レオニーの頭の中は、マティアスとの空想話で埋め尽くされていった。





 ジェラルドとレオニーの密談を、人目につかないよう手引きするのはクロエの役目だった。
 
「クロエと言ったか。あれは放っておいて大丈夫なのか?」

 レオニーの部屋からの帰り道、ジェラルドは疑問に思っていたことを素直にクロエにぶつけた。

「何のことです?」
「お前の主人はとんでもない男にひっかかってるんじゃないのか。男になってまで会いに行くなんておかしいだろ。騙されてるんじゃないのか」
「ああ、そのことでしたらお気遣い無用です」

 ジェラルドには目もくれず、周りを警戒しながらクロエは答えた。

「お相手の方はお嬢様と比べると多少見劣りはしますが、素性は確かです。妙な真似はできません」
「調査済みってわけか」
「もちろんです。お嬢様を危険な目に遭わせるわけにはまいりませんので」
「妙な薬を飲んで男になるのは危険じゃないのか?」
「それも問題ないでしょう。貴方がご自身を実験台にして何度も試しているところを見ました」
「なっ……」
「あの温室は角度によっては屋敷の2階の窓から丸見えなので、練習場所には向きませんよ」

 眉1つ動かさず淡々と言い返してくるクロエに、ジェラルドは言い知れぬ恐ろしさを感じた。

「覚えておこう……それにしても、貴族のご令嬢が男に化けたいと言い出すなど、只事ではないと思うが」
「ええ、仰る通りです。ですがお嬢様はこれまで『これがやりたい』と我が儘を仰ったことなど、ほとんどありません。侍女として寂しくなるほどに。だから多少おかしなことでも、お望みならば叶えて差し上げたいのです」
「そうか……」

 母のように優しい眼差しを見せたクロエに、ジェラルドも気を緩めた。
 が、それはほんの一瞬のことだった。

「それに、そもそもはあちらの方が悪いのです。お嬢様のことは少なからず想っておられるはずなのに、ちっとも動かない。今回のことで大いに苦労したら良いのです。いっそ揉めに揉めれば良い。お嬢様が簡単に手に入ると思ったら大間違いです」

 再び無表情で淡々と毒づくクロエの横で、この侍女だけは敵に回さないようにしよう、とジェラルドは深く心に刻み込んだ。


 
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