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本音はシンプル
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レオニー・ホワイト侯爵令嬢。
シェイキア国にいて彼女の名前を聞いたことがない者はいない。
国内で絶大な人気を誇る貴公子ユーグ・クラークの婚約者。気品に溢れ、人間離れした美しさを備え、それでいてどこか儚げな雰囲気。
「氷霜の姫君」とも称される彼女はめったに表舞台に現れないため、その素顔は神秘のヴェールに包まれている。
そんな事前知識がなかったとしても、自分はきっと彼女に心惹かれただろう。過去を振り返る度、マティアスはそう思わずにはいられない。
友人のリュカが連れてきた、まだどこか幼い印象の残る令嬢。名前を聞いて、マティアスは彼女にばれないようにリュカに目配せした。
(これがあの、レオニー・ホワイト……?)
リュカは苦笑を浮かべながら小さく頷いた。
硬い表情のままワイングラスに口をつけるレオニーを、マティアスは凝視した。
(まさか本物にお目にかかれるとは)
侯爵令嬢でありながら、今までこういった社交の場に現れたという話は聞いたことがない。あまりにも謎すぎるため、レオニー・ホワイトはユーグ・クラークが女性除けのために作った架空の人物ではないか、という説が一時期あったくらいだ。
そのレオニー・ホワイトとユーグ・クラークの婚約破棄の噂は貴族達の中で瞬く間に広がり、マティアスもつい数日前に耳にした。
(氷霜の姫君か……たしかに)
雪のように真っ白くほんのり輝いて見える肌。淡く光る艶やかなグレーの髪。
静かな海面のようにかすかに揺らめくアイスブルーの瞳は、目が合っただけで鼓動を早くさせる。その瞳に長い睫毛が落ちてくる様子に心奪われる。
(とんでもないお嬢様の登場だな)
ロゼワインは初めてだと恥ずかしそうに俯いたレオニーは、一口飲んだだけでほんのり頬を赤く染めた。
話のとっかかりにと始めたワインの話題に、レオニーは関心を持ったようだった。心のこもった相槌を打ちながら、時折質問をしてくれたりもする。その健気な姿にマティアスもリュカもすっかり調子に乗り、得意になって自分の知識を披露した。
アルコールも大いに進み、気づけば3人のテーブルは空いたグラスで一杯になっていた。レオニーはとろんとした目つきで今にも眠りそうなのに、ふにゃりとした何とも愛らしい笑顔を浮かべ、空のワイングラスを弄んでいる。
「やらかしちゃったなあ……ホワイト侯爵ってどんな人? 僕会ったことないんだけど」
「俺もだ。とりあえず急いで送り届けよう」
恐る恐るホワイト侯爵家へレオニーを送り届けると、幸いにもホワイト侯爵は不在、替わりに出迎えてくれた侯爵夫人に大いに気に入られ、ワインの大量発注まで受けてしまった。
帰りの馬車の中、すっかり酔いが覚めてしまったマティアスは、やれやれと頭を掻いた。
「大変な夜だったな」
「本当に。あの子やばくない? 氷霜の姫君だっけ?僕の想像と全然違ったんだけど。あんなあっさり気を許しちゃって隙だらけで、何あれ? いや可愛すぎるでしょ。思い出しても萌えるわ」
興奮して思いの丈をぶちまけ出したリュカに、マティアスはむっつりと黙り込んだ。
「このままお近付きになってあわよくば……とか。やばい鼻血出そう。ねえマティアス、聞いてる?」
「下世話な話はやめろ」
「は? いつもマティアスの方がよっぽど下世話な話してるじゃん。何を……あ、そういうことか」
「何だ」
「本気で惚れちゃったか」
にやにや気持ち悪い薄笑いを浮かべながら、リュカはマティアスの顔を覗き込んだ。マティアスの表情からは何も読み取れないものの、いつも歯切れ良く何でも言いたい放題の男が、今日は何やら思案している様子だ。
「あ、そう。へえ、あのマティアスがねえ」
「俺はまだ何も言ってない」
「いいよ、もう。うん」
その後、ホワイト侯爵家へのワインの納品はどうするかという話になった。普段ならマティアスがあまりやりたがらない裏方業務だが、俺が行くと即答したマティアスに、リュカはますます薄気味悪い笑みを深めた。
「氷霜の姫君」は都市伝説のような存在だ。
誰だって知り合う機会があれば好奇心で飛びつくだろう。
マティアスはそう自分に言い聞かせていた。
(俺が彼女に惚れてる? いやただ単に興味があるだけだ)
リュカの従妹のブランシュも交えて4人でつるむようになってから、レオニーは少しずつ変化を見せた。
伏し目がちだった視線が真っ直ぐ合うようになった。聞き役に徹するだけでなく、自分の話もするようになった。表情が明るくなり、自然に笑うことが増えた。
会う度どんどん変わっていくレオニーから、目が離せなかった。元々人々の注目を集める存在だったが、その視線が好奇から羨望や敬意へ変わってきていることに、レオニー以外は気づいていた。
「変な奴に絡まれないように、私達でしっかり守らなきゃ」
ブランシュの言葉に、リュカとマティアスは深く頷いた。
決定的な出来事があったのは、ホワイト侯爵邸での夜会だった。
その夜、ホワイト侯爵と夫人の横に並んで、レオニーは訪れた客に笑顔を振りまいていた。
諸事情で欠席することになったリュカとブランシュから、レオニーを頼むと散々言い含められたが、それがなくともマティアスはレオニーから目を離す気はなかった。
レオニーにちらちらと嫌らしい目線を送る男達が、ざっと見渡しただけで十数人はいる。
(あんな隙だらけの危なっかしいお嬢様、放っておけるか)
初めて出会った王宮の舞踏会、あの時のように酔い潰れてしまったら。
想像しただけで苛立ちを抑えられず、マティアスはワイングラスを煽った。
いくらレオニー自身の家とは言え、泥酔して暗がりに引っ張り込まれたらどうしようもない。
(レオニーは絶対に俺が守る……)
一通り挨拶が終わったのか、レオニーがホワイト侯爵夫妻から離れる瞬間をマティアスは見逃さなかった。すかさず人混みをかき分けてレオニーの方へ向かった。
マティアスを見つけたレオニーが、可愛らしい笑みを浮かべ近づいてくる。
ひとまず変な輩に声をかけられるのだけは防げたと、マティアスは内心ほっとした。
普段通り軽口を叩きながらレオニーにレモネードを手渡すと、マティアスはさり気なくバルコニーの方へエスコートした。
これで人目につきにくくなる。追いかけてくる奴がいたとしても、騒ぎにならずに追い払える。
「うちのロゼは今夜は出さないんだな」
「ええそうなのよ。私も何度もお母様にお願いしたんだけど、あれはとっておきだから出したくない、って」
「あれだけ買い上げたんだから大盤振る舞いしたってまだ充分余るだろうに。一体どこで使ってるんだ?」
「さあ。内々のお食事会では出したりしてるみたいだけど詳しくは」
取り留めのない会話をしながら、マティアスは気分が良かった。レオニーを見守っている間に手持ち無沙汰で口にした赤ワインが、今更ながら効いているのかもしれない。
ふと視線を感じてレオニーの方を見ると、アイスブルーの大きな瞳がすっと逸らされた。そのまま俯き、じっとして動かない。
(何だ? いきなり……)
何かあったのかと心配になり、マティアスはまじまじとレオニーを見つめた。
その時、初めて気づいた。
(今夜レオニーをちゃんと見るのは、これが初めてだな……)
気を張っていてそれどころじゃなかった。
改めてよく見ると、レオニーはいつもの淡い色味のドレスではなく、妖艶さが見え隠れする濃紺のドレスを身に纏っていた。ところどころに散りばめられたパールの飾りが、月明かりを反射して星の瞬きのように煌めいている。
更に気になるのが体のラインだ。腰から太ももにかけて、たおやかな曲線がくっきりと浮かび上がっている。
(これは……)
特に露出が多いわけでもないのに、否応なしに意識させられる。
こんな薄暗いバルコニーで、2人きりで。
レオニーは都市伝説ではない。目の前に実在するとても魅力的な1人の女性だ。
自分が蒔いた種だが、マティアスは動悸が止まらなかった。
そのまま無言でレオニーを見つめ続けていたら、頭がおかしくなりそうだった。
慌ててその場を何とかするために、今日はいつもと違うな、とか何とかいい加減な台詞を口にした。
するとレオニーは、このドレスは自分には派手だと不満そうに口を尖らせた。
(何言ってるんだ、このお嬢様は……?)
どれだけ自分の魅力に無自覚なのか。
今夜、何人の男に熱っぽい視線で見つめられていたか、本当に気づいていないのか。
(少しは思い知った方が良い)
多少説教じみても仕方ない。
自分で自分の身を守れるように、ちゃんと教えてやらなければ。
そう思っていたはずなのに、マティアスの口から零れたのは、ただの男としての本音だった。
「似合ってるよ。すごく綺麗だ」
シェイキア国にいて彼女の名前を聞いたことがない者はいない。
国内で絶大な人気を誇る貴公子ユーグ・クラークの婚約者。気品に溢れ、人間離れした美しさを備え、それでいてどこか儚げな雰囲気。
「氷霜の姫君」とも称される彼女はめったに表舞台に現れないため、その素顔は神秘のヴェールに包まれている。
そんな事前知識がなかったとしても、自分はきっと彼女に心惹かれただろう。過去を振り返る度、マティアスはそう思わずにはいられない。
友人のリュカが連れてきた、まだどこか幼い印象の残る令嬢。名前を聞いて、マティアスは彼女にばれないようにリュカに目配せした。
(これがあの、レオニー・ホワイト……?)
リュカは苦笑を浮かべながら小さく頷いた。
硬い表情のままワイングラスに口をつけるレオニーを、マティアスは凝視した。
(まさか本物にお目にかかれるとは)
侯爵令嬢でありながら、今までこういった社交の場に現れたという話は聞いたことがない。あまりにも謎すぎるため、レオニー・ホワイトはユーグ・クラークが女性除けのために作った架空の人物ではないか、という説が一時期あったくらいだ。
そのレオニー・ホワイトとユーグ・クラークの婚約破棄の噂は貴族達の中で瞬く間に広がり、マティアスもつい数日前に耳にした。
(氷霜の姫君か……たしかに)
雪のように真っ白くほんのり輝いて見える肌。淡く光る艶やかなグレーの髪。
静かな海面のようにかすかに揺らめくアイスブルーの瞳は、目が合っただけで鼓動を早くさせる。その瞳に長い睫毛が落ちてくる様子に心奪われる。
(とんでもないお嬢様の登場だな)
ロゼワインは初めてだと恥ずかしそうに俯いたレオニーは、一口飲んだだけでほんのり頬を赤く染めた。
話のとっかかりにと始めたワインの話題に、レオニーは関心を持ったようだった。心のこもった相槌を打ちながら、時折質問をしてくれたりもする。その健気な姿にマティアスもリュカもすっかり調子に乗り、得意になって自分の知識を披露した。
アルコールも大いに進み、気づけば3人のテーブルは空いたグラスで一杯になっていた。レオニーはとろんとした目つきで今にも眠りそうなのに、ふにゃりとした何とも愛らしい笑顔を浮かべ、空のワイングラスを弄んでいる。
「やらかしちゃったなあ……ホワイト侯爵ってどんな人? 僕会ったことないんだけど」
「俺もだ。とりあえず急いで送り届けよう」
恐る恐るホワイト侯爵家へレオニーを送り届けると、幸いにもホワイト侯爵は不在、替わりに出迎えてくれた侯爵夫人に大いに気に入られ、ワインの大量発注まで受けてしまった。
帰りの馬車の中、すっかり酔いが覚めてしまったマティアスは、やれやれと頭を掻いた。
「大変な夜だったな」
「本当に。あの子やばくない? 氷霜の姫君だっけ?僕の想像と全然違ったんだけど。あんなあっさり気を許しちゃって隙だらけで、何あれ? いや可愛すぎるでしょ。思い出しても萌えるわ」
興奮して思いの丈をぶちまけ出したリュカに、マティアスはむっつりと黙り込んだ。
「このままお近付きになってあわよくば……とか。やばい鼻血出そう。ねえマティアス、聞いてる?」
「下世話な話はやめろ」
「は? いつもマティアスの方がよっぽど下世話な話してるじゃん。何を……あ、そういうことか」
「何だ」
「本気で惚れちゃったか」
にやにや気持ち悪い薄笑いを浮かべながら、リュカはマティアスの顔を覗き込んだ。マティアスの表情からは何も読み取れないものの、いつも歯切れ良く何でも言いたい放題の男が、今日は何やら思案している様子だ。
「あ、そう。へえ、あのマティアスがねえ」
「俺はまだ何も言ってない」
「いいよ、もう。うん」
その後、ホワイト侯爵家へのワインの納品はどうするかという話になった。普段ならマティアスがあまりやりたがらない裏方業務だが、俺が行くと即答したマティアスに、リュカはますます薄気味悪い笑みを深めた。
「氷霜の姫君」は都市伝説のような存在だ。
誰だって知り合う機会があれば好奇心で飛びつくだろう。
マティアスはそう自分に言い聞かせていた。
(俺が彼女に惚れてる? いやただ単に興味があるだけだ)
リュカの従妹のブランシュも交えて4人でつるむようになってから、レオニーは少しずつ変化を見せた。
伏し目がちだった視線が真っ直ぐ合うようになった。聞き役に徹するだけでなく、自分の話もするようになった。表情が明るくなり、自然に笑うことが増えた。
会う度どんどん変わっていくレオニーから、目が離せなかった。元々人々の注目を集める存在だったが、その視線が好奇から羨望や敬意へ変わってきていることに、レオニー以外は気づいていた。
「変な奴に絡まれないように、私達でしっかり守らなきゃ」
ブランシュの言葉に、リュカとマティアスは深く頷いた。
決定的な出来事があったのは、ホワイト侯爵邸での夜会だった。
その夜、ホワイト侯爵と夫人の横に並んで、レオニーは訪れた客に笑顔を振りまいていた。
諸事情で欠席することになったリュカとブランシュから、レオニーを頼むと散々言い含められたが、それがなくともマティアスはレオニーから目を離す気はなかった。
レオニーにちらちらと嫌らしい目線を送る男達が、ざっと見渡しただけで十数人はいる。
(あんな隙だらけの危なっかしいお嬢様、放っておけるか)
初めて出会った王宮の舞踏会、あの時のように酔い潰れてしまったら。
想像しただけで苛立ちを抑えられず、マティアスはワイングラスを煽った。
いくらレオニー自身の家とは言え、泥酔して暗がりに引っ張り込まれたらどうしようもない。
(レオニーは絶対に俺が守る……)
一通り挨拶が終わったのか、レオニーがホワイト侯爵夫妻から離れる瞬間をマティアスは見逃さなかった。すかさず人混みをかき分けてレオニーの方へ向かった。
マティアスを見つけたレオニーが、可愛らしい笑みを浮かべ近づいてくる。
ひとまず変な輩に声をかけられるのだけは防げたと、マティアスは内心ほっとした。
普段通り軽口を叩きながらレオニーにレモネードを手渡すと、マティアスはさり気なくバルコニーの方へエスコートした。
これで人目につきにくくなる。追いかけてくる奴がいたとしても、騒ぎにならずに追い払える。
「うちのロゼは今夜は出さないんだな」
「ええそうなのよ。私も何度もお母様にお願いしたんだけど、あれはとっておきだから出したくない、って」
「あれだけ買い上げたんだから大盤振る舞いしたってまだ充分余るだろうに。一体どこで使ってるんだ?」
「さあ。内々のお食事会では出したりしてるみたいだけど詳しくは」
取り留めのない会話をしながら、マティアスは気分が良かった。レオニーを見守っている間に手持ち無沙汰で口にした赤ワインが、今更ながら効いているのかもしれない。
ふと視線を感じてレオニーの方を見ると、アイスブルーの大きな瞳がすっと逸らされた。そのまま俯き、じっとして動かない。
(何だ? いきなり……)
何かあったのかと心配になり、マティアスはまじまじとレオニーを見つめた。
その時、初めて気づいた。
(今夜レオニーをちゃんと見るのは、これが初めてだな……)
気を張っていてそれどころじゃなかった。
改めてよく見ると、レオニーはいつもの淡い色味のドレスではなく、妖艶さが見え隠れする濃紺のドレスを身に纏っていた。ところどころに散りばめられたパールの飾りが、月明かりを反射して星の瞬きのように煌めいている。
更に気になるのが体のラインだ。腰から太ももにかけて、たおやかな曲線がくっきりと浮かび上がっている。
(これは……)
特に露出が多いわけでもないのに、否応なしに意識させられる。
こんな薄暗いバルコニーで、2人きりで。
レオニーは都市伝説ではない。目の前に実在するとても魅力的な1人の女性だ。
自分が蒔いた種だが、マティアスは動悸が止まらなかった。
そのまま無言でレオニーを見つめ続けていたら、頭がおかしくなりそうだった。
慌ててその場を何とかするために、今日はいつもと違うな、とか何とかいい加減な台詞を口にした。
するとレオニーは、このドレスは自分には派手だと不満そうに口を尖らせた。
(何言ってるんだ、このお嬢様は……?)
どれだけ自分の魅力に無自覚なのか。
今夜、何人の男に熱っぽい視線で見つめられていたか、本当に気づいていないのか。
(少しは思い知った方が良い)
多少説教じみても仕方ない。
自分で自分の身を守れるように、ちゃんと教えてやらなければ。
そう思っていたはずなのに、マティアスの口から零れたのは、ただの男としての本音だった。
「似合ってるよ。すごく綺麗だ」
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