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思わぬ再会
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オネーサン?
あんたにオネーサン呼ばわりされる筋合いはないんだけど、と思わず言ってやりたくなる。あの数ヶ月前の出来事、私が気にしていないとでも思っているのだろうか。できればもう関わり合いになりたくないというのに。
アヤは相変わらず不敵な笑みを浮かべ、私を見下ろしていた。そんな私たちを見比べて、×はとんでもないことを言い放った。
「あっれー、二人とも知り合いだったとか?」
「いや、別に──」
「うん、そうなのまぁくん。友達……かな」
「は? 何言って──」
「へぇ! あ、じゃあさ、俺ちょっとトイレ行ってくるから、二人で話しててよー」
「ちょっと待っ──」
「わかった。待ってるね」
二人の会話に邪魔されて、言いたいことを何一つ言わせて貰えなかった。その結果、私とアヤ、二人きりで席に座るという最悪のシチュエーションが生まれてしまった。
×が席を立ち、その姿が見えなくなると、アヤは私の真正面に腰掛けた。
気まずい時間。アヤがこの場所にいるのが偶然なのかそうじゃないのかがわからない。もし私とたろちゃんをつけてきたのなら、今度こそ危害を加えられるかもしれない。
そう思い、身を固くした瞬間だった。
「オバサンさぁ、まだたろちゃんと付き合ってるの?」
「はっ……?」
またオバサンって言いやがった、こいつ……。
「だからー、たろちゃんとまだ付き合ってるの? って。あ、もしや、もう振られた?」
アヤは甲高い声でキャハハと笑った。頭にキンキン響く声で耳障りだ。でも、そう言うということは、どうやらたろちゃんをつけてきたわけではないらしい。
「……付き合ってるけど」
「へー! なんだ、てっきりもう振られてるかと思った」
負けずにキッと睨み返すも、アヤは涼しい顔をしている。
「安心して? あたしさー、もうたろちゃんに興味ないから。まぁくん、超優しいし、たろちゃんには劣るけどまぁまぁカッコイイしね」
興味がないなら、もう突っかかってこないでほしい。アホらしくて返す言葉も見当たらない私は、彼女と向き合うのも嫌になって、窓に視線を移した。たろちゃんがやってくる気配はない。
「それに──」
アヤはお喋りをやめない。それどころか、私が思わずアヤを見つめてしまうくらいの気になる一言を放った。
「あんなのを見ちゃうとね……ぶっちゃけ、いくら顔が良くてもドン引きだし」
「え……──」
驚く私の顔がよほど面白かったのか、アヤは満足そうに目を細めた。そのアヤの表情にイラつく余裕など、今はなかった。私の頭の中にあるのはただ一つ。
今の言葉……どういう意味だ──?
「あれ? その顔……知らないんだ。ふぅん? 知らないままでいられるといいわね」
「それ、どういう意味?」
「ふふ、ナイショ」
アヤは心底楽しそうに笑った。何も知らない赤の他人がこの場を見たら、きっと仲のいい女友達が談笑していると思うだろう。
けど実際は違う。私は、アヤの余裕すら感じさせるその態度に恐怖を抱いていた。アヤはたろちゃんの何かを知っている。私の知らない、何かを──
「あやチャン、おまたせー!」
無駄に明るい声が聞こえてきて我に返った。×がトイレから帰ってきたのだ。聞くだけでイラついていたその声が、今ではなぜかホッとする。
「もー遅いよー」
「ごめんごめーん。楽しくお喋りできた?」
「うん、かなり楽しかったぁ」
鼻にかかった甘えるような声で、アヤは×を見つめた。
なにが『楽しかった』だ。私のことをオバサン呼ばわりした挙句、意味深なセリフを吐いたくせに。アヤは会話を楽しんだんじゃない。私の顔色が変わるのを楽しんでいたんだ。
「そんなことより、まぁくん!」
「あ、やっべー。もう行くか」
アヤが×をせっついて、二人は慌てて席を立った。本来の予定を思い出したらしい。
ようやく開放される、と息を吐くと、去り際のアヤがくるりと振り返った。
「オネーサン、怪我には気をつけてね?」
彼女は意味ありげに微笑むと、今度こそ×と二人、カフェから出ていった。コツコツ、というヒールの音だけがいつまでも耳の奥で反響し続けた。
二人が視界からいなくなり、やっとちょっとだけ息ができる。だけど体は未だ石のように重く、朝の清々しい気持ちもどこかへ吹っ飛んで行った。
せっかくのデートだったのに、たろちゃんはマリコさんのお土産を買いに行くし、アヤには絡まれるし、ツイてない。
いや、一つだけよかったことがある。この場にたろちゃんがいなかったことだ。
この場にいて、私と×の繋がりがわかるのは嫌だったし、元カノのアヤにもあって欲しくなかったからだ。
それにしても──
私はお水の入っていたグラスをユラユラと回しながら、ぶつかり合う氷をぼーっと見ていた。
──それにしても、アヤは何を知っているんだろう。アヤが『ドン引き』するような、なにか。今のところ、たろちゃんはどんな時もかっこよくて、特に引くようなことはされていない。
変な趣味があるとか? 実はオタク? それとも超音痴? ……どれも想像ができない。
それに、『怪我に気をつけろ』ってどういう意味だろう。まさか、たろちゃんが私に危害を加えるとか……いや、そんなまさか。
あれこれ考えてもそれらしい答えは見つからなかった。『たろちゃんが何かを隠している』ということだけが、心の片隅に影を落とす。
いや、そもそも、隠し事だらけなんだっけ──
本名、家族、生い立ち……未だに何も知らない。いつか、全部打ち明けてくれるといいな。そう思いながらため息をつくと、頭上から声が降ってきた。
「おまたせ」
一言だ。たった一言なのに、アイツらのせいでどんよりしていた空気が、パッと華やいだ。好きな人の声って、そういうパワーがあるのかもしれない。
私は、口を尖らせながら顔を上げた。
「遅いよ、もー……」
「ごめんね、レジめっちゃ並んでて。その代わり──」
コトン。たろちゃんがテーブルに何かを置いた。
「これは、千春さんに」
それはガラスでできた、まねきねこだった。上品なデザインとは相反して、可愛らしい猫の表情が印象的だ。
「かわいい……」
「でしょ? それ、バカラのだからね」
「はっ!?」
バカラ……バカラって……あの高級な?
驚いて目の前の透明なまねきねこを凝視すると、たろちゃんがクスリと笑った。
「そんな高いものじゃないよ」
いや、それなりの値段はすると思う。だってバカラだもん。
「ええー……でもなんで私に……。あ、もしかしてこれが『お詫び』? でもレザーブレスレットだって貰ってるのに……」
私は、たろちゃんが遅れてやって来た時に言った『お詫びはする』という言葉を思い出した。それにしたって、レザーブレスレットとバカラのまねきねこ、どう考えても『お詫び』以上を貰っている気がする。
「違うよ。レザーブレスレットはそもそも俺が欲しかったものだし、それはインテリアが苦手な千春さんに丁度いいかなって。早速玄関に飾ろうよ」
「え、あ、うん……。いやでも悪いよ! 半分払うから値段教えて?」
「……何言ってんの──」
たろちゃんは不意に、私の手を握った。
「彼女なんだから、これくらいするよ?」
──カノジョ……かのじょ……彼女……?
「な……んて……? もう一回言って……?」
今たろちゃんが言った言葉、信じられずに聞き直してしまった。だってもしかしたら私は寝ていて、これは夢なのかもしれないから。
「だから、彼女なんだもん、このくらいするって」
たろちゃんは『仕方ないなぁ』とでも言いたげに困ったように笑った。
今度はハッキリ聞こえた。今たろちゃん、『彼女』って言ったんだ。私のことを『彼女』って──
「彼女……私が?」
「付き合ってるんだもん、彼女でしょ?」
「馬鹿だなぁ」そう言って、私の頭をふわりと撫でた。
夢じゃなかった。
『付き合ってもいいよ』とは言われていたけれど、私たちの関係って曖昧だった。キスはされたけどそれ以上はなし。『好きだよ』とも言われていない。それに加えて『ロミオとジュリエット』と言われる始末だ。
ずっと不安だった。私たちってちゃんと付き合ってるよね? 彼女だよね? って。たろちゃんの口からちゃんとした言葉で聞きたかった。だから──
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない。」
潤んだ瞳を悟られないよう、サッと顔を伏せた。私、恥ずかしげもなく少女みたいな恋をしている。
あんたにオネーサン呼ばわりされる筋合いはないんだけど、と思わず言ってやりたくなる。あの数ヶ月前の出来事、私が気にしていないとでも思っているのだろうか。できればもう関わり合いになりたくないというのに。
アヤは相変わらず不敵な笑みを浮かべ、私を見下ろしていた。そんな私たちを見比べて、×はとんでもないことを言い放った。
「あっれー、二人とも知り合いだったとか?」
「いや、別に──」
「うん、そうなのまぁくん。友達……かな」
「は? 何言って──」
「へぇ! あ、じゃあさ、俺ちょっとトイレ行ってくるから、二人で話しててよー」
「ちょっと待っ──」
「わかった。待ってるね」
二人の会話に邪魔されて、言いたいことを何一つ言わせて貰えなかった。その結果、私とアヤ、二人きりで席に座るという最悪のシチュエーションが生まれてしまった。
×が席を立ち、その姿が見えなくなると、アヤは私の真正面に腰掛けた。
気まずい時間。アヤがこの場所にいるのが偶然なのかそうじゃないのかがわからない。もし私とたろちゃんをつけてきたのなら、今度こそ危害を加えられるかもしれない。
そう思い、身を固くした瞬間だった。
「オバサンさぁ、まだたろちゃんと付き合ってるの?」
「はっ……?」
またオバサンって言いやがった、こいつ……。
「だからー、たろちゃんとまだ付き合ってるの? って。あ、もしや、もう振られた?」
アヤは甲高い声でキャハハと笑った。頭にキンキン響く声で耳障りだ。でも、そう言うということは、どうやらたろちゃんをつけてきたわけではないらしい。
「……付き合ってるけど」
「へー! なんだ、てっきりもう振られてるかと思った」
負けずにキッと睨み返すも、アヤは涼しい顔をしている。
「安心して? あたしさー、もうたろちゃんに興味ないから。まぁくん、超優しいし、たろちゃんには劣るけどまぁまぁカッコイイしね」
興味がないなら、もう突っかかってこないでほしい。アホらしくて返す言葉も見当たらない私は、彼女と向き合うのも嫌になって、窓に視線を移した。たろちゃんがやってくる気配はない。
「それに──」
アヤはお喋りをやめない。それどころか、私が思わずアヤを見つめてしまうくらいの気になる一言を放った。
「あんなのを見ちゃうとね……ぶっちゃけ、いくら顔が良くてもドン引きだし」
「え……──」
驚く私の顔がよほど面白かったのか、アヤは満足そうに目を細めた。そのアヤの表情にイラつく余裕など、今はなかった。私の頭の中にあるのはただ一つ。
今の言葉……どういう意味だ──?
「あれ? その顔……知らないんだ。ふぅん? 知らないままでいられるといいわね」
「それ、どういう意味?」
「ふふ、ナイショ」
アヤは心底楽しそうに笑った。何も知らない赤の他人がこの場を見たら、きっと仲のいい女友達が談笑していると思うだろう。
けど実際は違う。私は、アヤの余裕すら感じさせるその態度に恐怖を抱いていた。アヤはたろちゃんの何かを知っている。私の知らない、何かを──
「あやチャン、おまたせー!」
無駄に明るい声が聞こえてきて我に返った。×がトイレから帰ってきたのだ。聞くだけでイラついていたその声が、今ではなぜかホッとする。
「もー遅いよー」
「ごめんごめーん。楽しくお喋りできた?」
「うん、かなり楽しかったぁ」
鼻にかかった甘えるような声で、アヤは×を見つめた。
なにが『楽しかった』だ。私のことをオバサン呼ばわりした挙句、意味深なセリフを吐いたくせに。アヤは会話を楽しんだんじゃない。私の顔色が変わるのを楽しんでいたんだ。
「そんなことより、まぁくん!」
「あ、やっべー。もう行くか」
アヤが×をせっついて、二人は慌てて席を立った。本来の予定を思い出したらしい。
ようやく開放される、と息を吐くと、去り際のアヤがくるりと振り返った。
「オネーサン、怪我には気をつけてね?」
彼女は意味ありげに微笑むと、今度こそ×と二人、カフェから出ていった。コツコツ、というヒールの音だけがいつまでも耳の奥で反響し続けた。
二人が視界からいなくなり、やっとちょっとだけ息ができる。だけど体は未だ石のように重く、朝の清々しい気持ちもどこかへ吹っ飛んで行った。
せっかくのデートだったのに、たろちゃんはマリコさんのお土産を買いに行くし、アヤには絡まれるし、ツイてない。
いや、一つだけよかったことがある。この場にたろちゃんがいなかったことだ。
この場にいて、私と×の繋がりがわかるのは嫌だったし、元カノのアヤにもあって欲しくなかったからだ。
それにしても──
私はお水の入っていたグラスをユラユラと回しながら、ぶつかり合う氷をぼーっと見ていた。
──それにしても、アヤは何を知っているんだろう。アヤが『ドン引き』するような、なにか。今のところ、たろちゃんはどんな時もかっこよくて、特に引くようなことはされていない。
変な趣味があるとか? 実はオタク? それとも超音痴? ……どれも想像ができない。
それに、『怪我に気をつけろ』ってどういう意味だろう。まさか、たろちゃんが私に危害を加えるとか……いや、そんなまさか。
あれこれ考えてもそれらしい答えは見つからなかった。『たろちゃんが何かを隠している』ということだけが、心の片隅に影を落とす。
いや、そもそも、隠し事だらけなんだっけ──
本名、家族、生い立ち……未だに何も知らない。いつか、全部打ち明けてくれるといいな。そう思いながらため息をつくと、頭上から声が降ってきた。
「おまたせ」
一言だ。たった一言なのに、アイツらのせいでどんよりしていた空気が、パッと華やいだ。好きな人の声って、そういうパワーがあるのかもしれない。
私は、口を尖らせながら顔を上げた。
「遅いよ、もー……」
「ごめんね、レジめっちゃ並んでて。その代わり──」
コトン。たろちゃんがテーブルに何かを置いた。
「これは、千春さんに」
それはガラスでできた、まねきねこだった。上品なデザインとは相反して、可愛らしい猫の表情が印象的だ。
「かわいい……」
「でしょ? それ、バカラのだからね」
「はっ!?」
バカラ……バカラって……あの高級な?
驚いて目の前の透明なまねきねこを凝視すると、たろちゃんがクスリと笑った。
「そんな高いものじゃないよ」
いや、それなりの値段はすると思う。だってバカラだもん。
「ええー……でもなんで私に……。あ、もしかしてこれが『お詫び』? でもレザーブレスレットだって貰ってるのに……」
私は、たろちゃんが遅れてやって来た時に言った『お詫びはする』という言葉を思い出した。それにしたって、レザーブレスレットとバカラのまねきねこ、どう考えても『お詫び』以上を貰っている気がする。
「違うよ。レザーブレスレットはそもそも俺が欲しかったものだし、それはインテリアが苦手な千春さんに丁度いいかなって。早速玄関に飾ろうよ」
「え、あ、うん……。いやでも悪いよ! 半分払うから値段教えて?」
「……何言ってんの──」
たろちゃんは不意に、私の手を握った。
「彼女なんだから、これくらいするよ?」
──カノジョ……かのじょ……彼女……?
「な……んて……? もう一回言って……?」
今たろちゃんが言った言葉、信じられずに聞き直してしまった。だってもしかしたら私は寝ていて、これは夢なのかもしれないから。
「だから、彼女なんだもん、このくらいするって」
たろちゃんは『仕方ないなぁ』とでも言いたげに困ったように笑った。
今度はハッキリ聞こえた。今たろちゃん、『彼女』って言ったんだ。私のことを『彼女』って──
「彼女……私が?」
「付き合ってるんだもん、彼女でしょ?」
「馬鹿だなぁ」そう言って、私の頭をふわりと撫でた。
夢じゃなかった。
『付き合ってもいいよ』とは言われていたけれど、私たちの関係って曖昧だった。キスはされたけどそれ以上はなし。『好きだよ』とも言われていない。それに加えて『ロミオとジュリエット』と言われる始末だ。
ずっと不安だった。私たちってちゃんと付き合ってるよね? 彼女だよね? って。たろちゃんの口からちゃんとした言葉で聞きたかった。だから──
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない。」
潤んだ瞳を悟られないよう、サッと顔を伏せた。私、恥ずかしげもなく少女みたいな恋をしている。
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