黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

文字の大きさ
41 / 48

第41話

しおりを挟む
「……痛ッ」

 歩くたびに足がじんじんと痛む。
 よくみると、白い足袋は左足の小指のあたりが血で滲んでいた。長距離を歩きすぎて足を痛めてしまったようだ。

 緒方家の館は都内に位置するが、高低差の激しい高台の街にあった。
 江戸時代の地割りの名残が残る街で、周辺は武家屋敷の広い邸宅が並んでいる。いわば高級住宅街だ。住民は車を所持しているのがあたり前で、歩いて移動する人間は少ない。その中でも緒方家の邸宅はかつて藩主の山荘があった場所に建てられたこともあり、深い深い森の中にあった。

「……んしょっと」

 痛む足を引きずりながら両手に抱えた荷物を持ち直し、一葉はゆっくり歩く。森の中ということもあり周辺は夜のように暗く静かだった。ぽつぽつと見える小さな街灯を頼りに館へと続く長い坂道を一歩、一歩登っていく。

「あ……」

 ようやく正面玄関が見えた。
 一葉は気力をふり絞って、前へ前へと進んでいく。

「か、一葉様!!」

 玄関を開けてただいま帰りましたと声を出す前に三上が飛んできた。

「ご無事で良かった……! お帰りにならないから心配いたしました! 一体どうなさったんです……!?」
「三上さん、ごめんなさい……お買い物してたら道に迷っちゃって……」

 手に持っていたとうの籠を三上に見せるようにひょいと持ち上げる。中にはじゃが芋、玉ねぎ、人参。杉の経木きょうぎで包まれた牛肉が入っていた。

「ずっとお店を探されていたのですか……? 三上が買いに行きましたのに……!」
「……あ、ええと……じ、実家に立ち寄っていたんです! 長居してしまって、それで遅くなっただけなんです!」
「そ……そうなのですか……?」
「お夕飯の支度が遅くなっちゃってごめんなさい……すぐ準備しますね!」

 一葉は急ぎ足で台所へ向かおうとした。
 三上がためらいがちに一葉の背中に声を掛ける。

「あの、一葉様。申し訳ありません。私、ちょっと用がありまして……本日はこれにて失礼をさせていただこうかと思っているんです」
「あ……!」

 一葉は血の気が引き、顔を引き攣らせる。

「わ……私が帰ってこないせいでお待たせしてしまいましたね……本当にごめんなさい……」

 三上が首を振る。

「一葉様は何もお気になさらないでくださいませ。お夕飯の準備、お手伝いが出来ずに申し訳ありません」

 三上が深々と頭を下げるものだから、一葉はますますいたたまれない気持ちになった。

 くつくつと鍋の中でお湯が煮える。
 トントンと包丁で野菜を切る。
 広い館に一人だとやけに大きく聞こえる。

(三上さんに迷惑掛けちゃったな……あんな嘘までついて……)

 道に迷って帰るのが遅くなったのは半分嘘だった。
 玲子と別れた後、一葉は近くの河川敷でぼんやりと時間を潰していた。家を出る前は早く帰りたいと思っていたのに、真っすぐに帰る気持ちにどうしてもなれなかった。
 
 軽く油のひいた鍋に牛肉を入れる。炒めて白っぽくなったら一口大に切ったじゃが芋、人参、玉ねぎを入れる。

(料理はいいな……作っている間は他のこと何も考えなくて済むから)

 野菜にも油が回ったら今度は浸かるほどの水と、酒を大匙入れて蓋をする。鍋を見つめながら一葉はそっと自分の襟足を触れた。切った時よりも少しだけ伸びているように感じた。

 ――大丈夫、髪なんてすぐに伸びるもの
 ――全て終わったら好きなだけ伸ばせばいい
 ――髪も身体も自由になれるのだから

 自分を慰めるために何度も何度もそう言い聞かせてきた。だが、髪が伸びたとしても自由になったとしても、あの日切り刻まれた心は元には戻らない。

(保胤さん……初めて会った時、私の髪が短いことどう思われたかしら……)

 この館に来て初めて保胤と会った時のことを思い出す。

(私が名乗った時……嘘だって言ってたな)

 緒方家の庭で初めて会った時、保胤は睨みながら一葉に近づいてきた。不審者に遭遇したかのような形相だった。

 ――え、あ、ええと、か、勝手に入って申し訳ありません! 喜多治一葉でございます!

 ――嘘だな

 あの時の怪訝な保胤の顔を思い出す。

(あれは、私がこんな失礼なことする人間だとは思わなかったって意味だったのかな)

 自分が好意を寄せた相手はこんな無礼で傲慢な人間だったのだろうかと失望したに違いない。

(ずっと傷つけてばかりだわ……)

 保胤はあくまで任務の標的。
 緒方商会の情報を聞き出すためだけの結婚。
 どう思われたってどうでもいいはずなのに、彼を傷つけたのだと思うといつも胸が苦しくなる。

(……保胤さん今夜は遅いんだよね)

 一葉は胸のあたりをぎゅっと握る。

(早く……帰って来ないかな)

 足の小指の痛みは増して、立っているのが段々と辛くなってきた。一葉の身体がふらりと揺れた。

「お鍋、沸騰してますよ?」

 ――カチリ。

 背後から手が伸びて鍋の火を止める。ふらつく身体を支えるように大きな掌に肩を抱かれる。顔をあげると、一葉は目を大きく見開いた。

「ただいま、一葉さん」

 まだ帰るはずのない保胤がそこにいた。



*********
最新話までお読みいただき本当にありがとうございます。
少しでも気に入っていただけましたら
♡やお気に入り登録いただけると嬉しいです。執筆の励みになります。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ふしあわせに、殿下

古酒らずり
恋愛
帝国に祖国を滅ぼされた王女アウローラには、恋人以上で夫未満の不埒な相手がいる。 最強騎士にして魔性の美丈夫である、帝国皇子ヴァルフリード。 どう考えても女泣かせの男は、なぜかアウローラを強く正妻に迎えたがっている。だが、将来の皇太子妃なんて迷惑である。 そんな折、帝国から奇妙な挑戦状が届く。 ──推理ゲームに勝てば、滅ぼされた祖国が返還される。 ついでに、ヴァルフリード皇子を皇太子の座から引きずり下ろせるらしい。皇太子妃をやめるなら、まず皇太子からやめさせる、ということだろうか? ならば話は簡単。 くたばれ皇子。ゲームに勝利いたしましょう。 ※カクヨムにも掲載しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

国宝級イケメンとのキスは、最上級に甘いドルチェみたいに私をとろけさせます♡ 〈Dulcisシリーズ〉

はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。 ★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください ◆出会い編あらすじ 毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。 そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。 まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。 毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。 ◆登場人物 佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動 天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味 お読みいただきありがとうございます! ★番外編はこちらに集約してます。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517 ★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279

主人公の義兄がヤンデレになるとか聞いてないんですけど!?

玉響なつめ
恋愛
暗殺者として生きるセレンはふとしたタイミングで前世を思い出す。 ここは自身が読んでいた小説と酷似した世界――そして自分はその小説の中で死亡する、ちょい役であることを思い出す。 これはいかんと一念発起、いっそのこと主人公側について保護してもらおう!と思い立つ。 そして物語がいい感じで進んだところで退職金をもらって夢の田舎暮らしを実現させるのだ! そう意気込んでみたはいいものの、何故だかヒロインの義兄が上司になって以降、やたらとセレンを気にして――? おかしいな、貴方はヒロインに一途なキャラでしょ!? ※小説家になろう・カクヨムにも掲載

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜

yuzu
恋愛
 人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて…… 「オレを好きになるまで離してやんない。」

処理中です...