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七、
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「これを飲ませれば、そなたの姉君の喉も治ろう」
「ありがたき幸せにございます。何と御礼を申し上げればよいか」
膝をつき、深く頭を下げようとした常盤を遮って露姫は言った。
「よいのじゃ。それより、もう用は済んだのじゃろ?」
「さようでございますが」
「ならば、わらわの話し相手になってはくれぬか」
「話し相手でございますか?」
ここは内奥。召使や女中の類は大勢いる。
姫君付きの話相し手など、いくらでも用意できようものを。
なぜと問いたげな常盤に、露姫は寂しげな笑みを浮かべる。
「わらわは忘れられた存在じゃ。誰も見ようとせず、声をかけようともしない。気にかけてくださるのは兄様だけ」
やはり、この方は秋月の姫なのだ。
先代に何人の子供がいたのかは知らないが、直系にしろ傍系にしろ、秋月家の人間であることは間違いない。
だが、この冷遇ぶりはどういうことだろう。
露姫の言っていることが本当なら、放置されているとしか思えない。
「わたくしを助けていただいたこと、心より感謝します。しかしながら露姫様、わたくしには行かねばならぬところがあるのです」
露姫は哀しげに眉を寄せる。
袖で口元を覆う様子は健気なものだった。
「……そうか。皆、そう言ってわらわを置いて行ってしまう。そなたもなのじゃな」
常盤は罪悪感で胸が潰れるようだった。
「どうぞお許しください。わたくしは上様の正室にならねばならないのです」
露姫は大きな瞳をぱっと見開いた。
「兄上様の嫁に?」
常盤の襦袢の裾を引いて、露姫は食い入るようにその容貌を見つめる。
澄んだ大きな瞳に凝視され、しばらく、時が止まったように二人は見つめ合っていた。
そして――やがて露姫は、その形の良い唇を快く笑ませた。
「そうか。ではそなたはわたくしの姉上だ」
にっこりとして続ける。
「それで、どこに戻るのだ?」
「ええと……厨房に」
「厨房とな」
「料理の最中なのです」
露姫はぱっと顔を輝かせた。
「それは面白そうじゃな。よし分かった。わらわもついて行こう」
明るく無邪気な様子に常盤は慌てて、
「しかし、露姫様」
「よいのじゃ。常盤の邪魔はせぬ」
強引に押し切られてしまい、二人は厨房へ向かった。
「ありがたき幸せにございます。何と御礼を申し上げればよいか」
膝をつき、深く頭を下げようとした常盤を遮って露姫は言った。
「よいのじゃ。それより、もう用は済んだのじゃろ?」
「さようでございますが」
「ならば、わらわの話し相手になってはくれぬか」
「話し相手でございますか?」
ここは内奥。召使や女中の類は大勢いる。
姫君付きの話相し手など、いくらでも用意できようものを。
なぜと問いたげな常盤に、露姫は寂しげな笑みを浮かべる。
「わらわは忘れられた存在じゃ。誰も見ようとせず、声をかけようともしない。気にかけてくださるのは兄様だけ」
やはり、この方は秋月の姫なのだ。
先代に何人の子供がいたのかは知らないが、直系にしろ傍系にしろ、秋月家の人間であることは間違いない。
だが、この冷遇ぶりはどういうことだろう。
露姫の言っていることが本当なら、放置されているとしか思えない。
「わたくしを助けていただいたこと、心より感謝します。しかしながら露姫様、わたくしには行かねばならぬところがあるのです」
露姫は哀しげに眉を寄せる。
袖で口元を覆う様子は健気なものだった。
「……そうか。皆、そう言ってわらわを置いて行ってしまう。そなたもなのじゃな」
常盤は罪悪感で胸が潰れるようだった。
「どうぞお許しください。わたくしは上様の正室にならねばならないのです」
露姫は大きな瞳をぱっと見開いた。
「兄上様の嫁に?」
常盤の襦袢の裾を引いて、露姫は食い入るようにその容貌を見つめる。
澄んだ大きな瞳に凝視され、しばらく、時が止まったように二人は見つめ合っていた。
そして――やがて露姫は、その形の良い唇を快く笑ませた。
「そうか。ではそなたはわたくしの姉上だ」
にっこりとして続ける。
「それで、どこに戻るのだ?」
「ええと……厨房に」
「厨房とな」
「料理の最中なのです」
露姫はぱっと顔を輝かせた。
「それは面白そうじゃな。よし分かった。わらわもついて行こう」
明るく無邪気な様子に常盤は慌てて、
「しかし、露姫様」
「よいのじゃ。常盤の邪魔はせぬ」
強引に押し切られてしまい、二人は厨房へ向かった。
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