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七、
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「血じゃ」
露姫が呟き、常盤がやって来た内殿の方角を指差した。
「血の匂いがする」
そう言われて嗅いでみても、厨房特有の湯気と熱気と生臭さしか感じない。
「肉でも捌いたのでしょうか」
「違う」
露姫の目が糸のように引き絞られる。
「人の血じゃ」
常盤は慄然として悟った。
――まさか。
脱兎のごとく先程の大広間に駆け戻って立ちすくんだ。
飲み込んだ悲鳴が喉を震わせ、胸郭を擦る。
そこには、目を覆わんばかりの凄惨な光景が広がっていた。
人が折り重なるようにして倒れ、床に血の海ができている。
息を吸うと肺腑の奥まで血の匂いが巡り、吐き気が込み上げる。
思わず膝をついて口を手で押さえた。うめき声が漏れる。
常盤は、酸っぱい胃液が喉を逆流するのを堪えて何とか立ち上がった。
その時、なぜか甘い残り香が鼻先を掠めた。
倒れている者たちの中に、息のある者はないかと駆け寄って抱き起こす。
どけた腕の下から現れた顔に、あっと声をあげた。
「夕霧姐さん」
青ざめた顔でぐったりと横たわる夕霧の胸に手を当てる。
流れ出した血が緩く広がっていく。
呼吸を確かめる。震えが止まらなかった。
さっきまで生きて動いていたのに。艶やかな笑顔。しゃんと張った背筋。いつも励ましてくれた温かな言葉。
嫌だ、死んでしまうなんて。
「夕霧姐さん!」
ともかく夕霧の体を引っ張り出して手ぬぐいで止血し、顔の血を拭いた。
錯乱した候補者同士が傷つけ合ったのか、それとも外部から侵入した何者かに襲われたのか。
これは命がけの試練だと言い聞かせてきたはずなのに。認識の甘さがこんな形でしっぺ返しを食らわせるとは。
臍を噛む思いだった。
料理という試練は、誰もが凶器を自由に持ち出すための形式的なものにすぎない。
自己の身は自分で守るのが最低条件、その上で料理を提出できなければ失格ということだ。
透きとおるように白い顔をした夕霧を見ていると、不安と絶望が目の前を黒く染める。
そこで、あと一瞬気配に気づくのが遅れていたら、常盤も骸の仲間入りを果たしていたことだろう。
間一髪で身を反転させると、包丁が袖を切り裂く音がした。
耳障りな金切り声を上げて、少女がこちらに襲いかかってくる。
候補者だ。
目の色が変わっており、焦点がまるで合っていない。狂ったような喚き声が響き渡る。
露姫が呟き、常盤がやって来た内殿の方角を指差した。
「血の匂いがする」
そう言われて嗅いでみても、厨房特有の湯気と熱気と生臭さしか感じない。
「肉でも捌いたのでしょうか」
「違う」
露姫の目が糸のように引き絞られる。
「人の血じゃ」
常盤は慄然として悟った。
――まさか。
脱兎のごとく先程の大広間に駆け戻って立ちすくんだ。
飲み込んだ悲鳴が喉を震わせ、胸郭を擦る。
そこには、目を覆わんばかりの凄惨な光景が広がっていた。
人が折り重なるようにして倒れ、床に血の海ができている。
息を吸うと肺腑の奥まで血の匂いが巡り、吐き気が込み上げる。
思わず膝をついて口を手で押さえた。うめき声が漏れる。
常盤は、酸っぱい胃液が喉を逆流するのを堪えて何とか立ち上がった。
その時、なぜか甘い残り香が鼻先を掠めた。
倒れている者たちの中に、息のある者はないかと駆け寄って抱き起こす。
どけた腕の下から現れた顔に、あっと声をあげた。
「夕霧姐さん」
青ざめた顔でぐったりと横たわる夕霧の胸に手を当てる。
流れ出した血が緩く広がっていく。
呼吸を確かめる。震えが止まらなかった。
さっきまで生きて動いていたのに。艶やかな笑顔。しゃんと張った背筋。いつも励ましてくれた温かな言葉。
嫌だ、死んでしまうなんて。
「夕霧姐さん!」
ともかく夕霧の体を引っ張り出して手ぬぐいで止血し、顔の血を拭いた。
錯乱した候補者同士が傷つけ合ったのか、それとも外部から侵入した何者かに襲われたのか。
これは命がけの試練だと言い聞かせてきたはずなのに。認識の甘さがこんな形でしっぺ返しを食らわせるとは。
臍を噛む思いだった。
料理という試練は、誰もが凶器を自由に持ち出すための形式的なものにすぎない。
自己の身は自分で守るのが最低条件、その上で料理を提出できなければ失格ということだ。
透きとおるように白い顔をした夕霧を見ていると、不安と絶望が目の前を黒く染める。
そこで、あと一瞬気配に気づくのが遅れていたら、常盤も骸の仲間入りを果たしていたことだろう。
間一髪で身を反転させると、包丁が袖を切り裂く音がした。
耳障りな金切り声を上げて、少女がこちらに襲いかかってくる。
候補者だ。
目の色が変わっており、焦点がまるで合っていない。狂ったような喚き声が響き渡る。
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