秋月の鬼

凪子

文字の大きさ
61 / 74
九、

61

しおりを挟む





秋月家の長男、政信まさのぶは性向好色にして残虐。

権勢と栄華をほしいままにし、放埓な生活と非道の限りを尽くしていた。

対して次男の京次郎は聡明利発、目から鼻へ抜けるような先見の明と、広く意見を容れるだけの度量を持ち合わせていた。

当主の器は明らかに京次郎のほうだった。

だが秋月の一の門家である倉橋家は、兄君を当主にと押し立てようとしていた。

浴びるように金を使う放蕩息子は傀儡には相応しい。

それよりも賢すぎる若君の方が、政事に参画されては厄介だと危険視した。

手に負えない大樹となる前に芽を摘み取ろうとした倉橋家は、適齢期であった京次郎に一の姫である初姫を嫁がせることを考えた。

奥と呼ばれる場所は、城中で最も毒殺や不審死が頻発する。

隙を突いて京次郎を殺し、姉は未亡人として秋月家に居座り、妹である次姫を改めて当主政信に嫁がせる算段であった。

婚礼の儀の際、京次郎には全ての目論見が手に取るように見えていた。

めでたいめでたいと祝うは口先ばかり、白々しい笑顔と虚偽に満ちたお追従、どの顔も能面のように不気味に思えた。

花嫁は申し分のない美しさであった。

輿入れの着物や家財道具たるや壮観で、それだけで城一つ買えそうな富裕を見せびらかしていた。

「殺したければ殺すがいい」

初夜の床で、横になった京次郎はそっと懐剣を握り締めた初姫に告げた。

ぎくりと緊張する背中に向けて語りかける。

「だが、そのような危なっかしい手つきで俺は殺せまいよ」

そう言って寛容に微笑み、刃の握り方を教えてやった。

「あまり下手な手つきで刺さんでくれよ。苦しみが長引くのは嫌だからな」

物心ついた時から兄と比べられ、命を脅かされることにいつしか馴れていた。

冷たい食膳に盛られた毒で、三日三晩転げ回って苦しんだこともある。

殺すか殺されるまで、永遠に気の休まる日はやってこない。

死にたくはない。だが、兄を殺すほどの覚悟もない。

気力を失った京次郎は、自らの手で運命を放り投げた。

「若様」

初姫は打たれたような顔で、刃を手から取り落とした。

愛せる者、心の底から気を許せる者が誰一人としていない。

妻でさえ己が命を狙っている。その壮絶な孤独。

彼の生きる地獄を目にしてしまった。

「お許しください。……お許しください」

額づいて身を伏し詫びた。

――殺せない。どうしてこのような方を殺せよう。

もう、死んでいるも同然なのに。

その瞬間、初姫は家の命令に背き、京次郎を支える真の正室となることを決めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【完結】指先が触れる距離

山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。 必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。 「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。 手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。 近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。

閉じたまぶたの裏側で

櫻井音衣
恋愛
河合 芙佳(かわい ふうか・28歳)は 元恋人で上司の 橋本 勲(はしもと いさお・31歳)と 不毛な関係を3年も続けている。 元はと言えば、 芙佳が出向している半年の間に 勲が専務の娘の七海(ななみ・27歳)と 結婚していたのが発端だった。 高校時代の同級生で仲の良い同期の 山岸 應汰(やまぎし おうた・28歳)が、 そんな芙佳の恋愛事情を知った途端に 男友達のふりはやめると詰め寄って…。 どんなに好きでも先のない不毛な関係と、 自分だけを愛してくれる男友達との 同じ未来を望める関係。 芙佳はどちらを選ぶのか? “私にだって 幸せを求める権利くらいはあるはずだ”

秋色のおくりもの

藤谷 郁
恋愛
私が恋した透さんは、ご近所のお兄さん。ある日、彼に見合い話が持ち上がって―― ※エブリスタさまにも投稿します

【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】

里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前ににいる。 奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……

処理中です...