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九、
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信用いただけるまではと共寝もせず、ただ寄り添い庭の景色を眺める。
季節は秋。透けるような紅葉が川の水を織りあげていた。
暗殺が首尾よく進まないことに苛立った倉橋家からは、何度も矢のような催促の文が来た。
侍女も毒を盛る算段を整え、首に突き立てる微細な針を用意しては忍びこませた。
しかし、初姫は殺さなかった。
そうして数ヶ月が経った頃、京次郎はぽつりと言った。
「そろそろ俺を殺さねば、お前の身が危うくなるのではないか」
「構いませぬ。今のわたくしは、死ぬまで若様のお傍にありたいと、それだけを思うております」
「一度俺を殺そうとした者の言葉を、俺が信じると思うか」
「いいえ」
と初姫は首を振った。
「若様は生涯、わたくしをお信じにはならないでしょう。それで良いのです。わたくしはそれだけのことを致しました」
「では、殺される前に、お前の息の根を止めておくか」
と京次郎は長剣を抜き放ち、喉元に切っ先を突きつける。
初姫は瞳を見据えたまま微動だにしなかった。
「どうぞ上様の御心のままに」
殺されても構わないと、その目は本気で言っていた。
「わたくしは謀反を企んだ大罪人にございます。一家粛清も覚悟の上です。しかし、妹の次子だけは、どうかお目こぼしいただけませんでしょうか。それが、わたくしの最後の望みにございます」
笑ったつもりだった。
だが京次郎の口元は無残に歪み、目は薄く膜が張っていた。
「そなたの妹君は幸せだな」
押し殺した声で呟く。
「我が身にかえても守る、自分が亡き後も生き延びてほしいと願う。そんな風に思ってくれる者がいれば、己を強く保って生きてゆける」
手の平を見つめる暗鬱な瞳。
そこには何もなかった。虚無だけが闇を吸い込んでいた。
「ただ一人でいい、そんな者が俺にもいてくれれば……」
声がかすれて途切れる。
「京次郎様」
「触るな」
伸ばした手を振り払われ、初姫はよろめいた。
手厳しい拒絶とは裏腹に、京次郎の表情は胸が張り裂けそうに寂しい。
「わたくしは、死ぬまであなた様のお傍におります」
「よく言うわ。俺を殺しにきたのだろう」
「はい。しかし、今は違います」
初姫は京次郎の手を取り、自らの頬に当てた。
「わたくしは、若様の本当の妻となりたいのです」
手の平が熱い。頬が熱い。
「ふざけたことを」
京次郎は初姫を突き飛ばすと、寝床に横になった。
「なぜ今すぐわたくしを殺されないのです。お家を取り潰さないのです」
初姫は静かに問うた。
京次郎は背を向けたまま応えない。
「あなた様はお優しすぎる」
「のん気なものだな」
京次郎は肩を揺すぶって剣呑に笑った。
「今貴様らを粛清したところで、次の反乱分子が現れるまでよ。ならば謀反人は泳がせるだけ泳がせておいて、集まったところで一網打尽にする方が早い」
初姫の表情は複雑に翳る。
あまりの敵の多さ、若すぎる年齢。
下手に手を出しては返り討ちに遭うだけだということを、若君は知っている。
あらゆる屈辱に耐え、辛酸を舐め、それでも這い上がろうと明日に手を伸ばす。
国を統べる宗家の次男に生まれながら、彼には自由も権利も何一つ与えられてはいないのだ。
「京次郎様。いつかその日が来たら、どうぞわたくしをお裁きください」
初姫は静かな微笑を湛えて言った。
「それまでは、あなた様の傍で、あなた様の支えとなりとう存じます」
季節は秋。透けるような紅葉が川の水を織りあげていた。
暗殺が首尾よく進まないことに苛立った倉橋家からは、何度も矢のような催促の文が来た。
侍女も毒を盛る算段を整え、首に突き立てる微細な針を用意しては忍びこませた。
しかし、初姫は殺さなかった。
そうして数ヶ月が経った頃、京次郎はぽつりと言った。
「そろそろ俺を殺さねば、お前の身が危うくなるのではないか」
「構いませぬ。今のわたくしは、死ぬまで若様のお傍にありたいと、それだけを思うております」
「一度俺を殺そうとした者の言葉を、俺が信じると思うか」
「いいえ」
と初姫は首を振った。
「若様は生涯、わたくしをお信じにはならないでしょう。それで良いのです。わたくしはそれだけのことを致しました」
「では、殺される前に、お前の息の根を止めておくか」
と京次郎は長剣を抜き放ち、喉元に切っ先を突きつける。
初姫は瞳を見据えたまま微動だにしなかった。
「どうぞ上様の御心のままに」
殺されても構わないと、その目は本気で言っていた。
「わたくしは謀反を企んだ大罪人にございます。一家粛清も覚悟の上です。しかし、妹の次子だけは、どうかお目こぼしいただけませんでしょうか。それが、わたくしの最後の望みにございます」
笑ったつもりだった。
だが京次郎の口元は無残に歪み、目は薄く膜が張っていた。
「そなたの妹君は幸せだな」
押し殺した声で呟く。
「我が身にかえても守る、自分が亡き後も生き延びてほしいと願う。そんな風に思ってくれる者がいれば、己を強く保って生きてゆける」
手の平を見つめる暗鬱な瞳。
そこには何もなかった。虚無だけが闇を吸い込んでいた。
「ただ一人でいい、そんな者が俺にもいてくれれば……」
声がかすれて途切れる。
「京次郎様」
「触るな」
伸ばした手を振り払われ、初姫はよろめいた。
手厳しい拒絶とは裏腹に、京次郎の表情は胸が張り裂けそうに寂しい。
「わたくしは、死ぬまであなた様のお傍におります」
「よく言うわ。俺を殺しにきたのだろう」
「はい。しかし、今は違います」
初姫は京次郎の手を取り、自らの頬に当てた。
「わたくしは、若様の本当の妻となりたいのです」
手の平が熱い。頬が熱い。
「ふざけたことを」
京次郎は初姫を突き飛ばすと、寝床に横になった。
「なぜ今すぐわたくしを殺されないのです。お家を取り潰さないのです」
初姫は静かに問うた。
京次郎は背を向けたまま応えない。
「あなた様はお優しすぎる」
「のん気なものだな」
京次郎は肩を揺すぶって剣呑に笑った。
「今貴様らを粛清したところで、次の反乱分子が現れるまでよ。ならば謀反人は泳がせるだけ泳がせておいて、集まったところで一網打尽にする方が早い」
初姫の表情は複雑に翳る。
あまりの敵の多さ、若すぎる年齢。
下手に手を出しては返り討ちに遭うだけだということを、若君は知っている。
あらゆる屈辱に耐え、辛酸を舐め、それでも這い上がろうと明日に手を伸ばす。
国を統べる宗家の次男に生まれながら、彼には自由も権利も何一つ与えられてはいないのだ。
「京次郎様。いつかその日が来たら、どうぞわたくしをお裁きください」
初姫は静かな微笑を湛えて言った。
「それまでは、あなた様の傍で、あなた様の支えとなりとう存じます」
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