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九、
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「誰ぞ!」
と京次郎が声を上げるが、離れには人っ子一人いない。
「無駄です」
「皆殺しか」
惨いことをする、と京次郎が吐き捨てた。
常に一定の間合いを取って戦う隠密と、距離を詰めて力に物を言わせようとする京次郎。
実力は伯仲し、刃のぶつかり合う音が響き渡った。
すくみ上がっていた初姫だが、一瞬の隙を突いた一撃が隠密の腹を掠め、体勢を崩したところへ京次郎が覆いかぶさって剣を突き立てたところで息を呑んだ。
「これでしまいだ」
振り下ろした剣を隠密は急所から外して避け、切っ先はずぶりと腕に突き刺さった。
ぐ、とくぐもった呻き声が洩れる。ひどく生臭い匂いがした。
京次郎の目は冷酷さを増し、息の根を止めんと剣を引き抜き、今度こそ心の臓をあやまたず狙う。
その時、隠密の左手が放った微細な針が、咄嗟に庇った京次郎の手の甲に刺さった。
鈍い音を立てて剣を取り落とす。
「若様」
初姫は思わず立ち上がり、京次郎の元に駆け寄った。
「毒か」
京次郎は苦悶に眉を寄せた。
痺れて腕や手足が思うように動かせないらしく、立とうとするがその場に倒れ込む。
「油断なさいましたね」
相変わらず隠密は丁重な物言いだった。
即座にクナイを構えて打ち放つ。
京次郎は死を覚悟して目を閉じた。
だが、痛みも衝撃も訪れることはなかった。
目を開くと、両手を伸ばして盾となる姿がそこにあった。
「初姫……」
息を吐くと、ごぽりと血の泡がこぼれた。
「退きなさい」
口の端から流れる一筋の血が、白い顔と相まって鮮やかだった。
胸と肩と腕に突き刺さるクナイの刃をものともせず、初姫は毅然とこうべを上げていた。
「お前などにこの方を殺させはしない。京次郎様は国を統べるお方なのだから」
滲み出した血が衣を染め、畳に点々と赤い花を咲かせる。
立っているのが不思議なほどの深手を負ってなお、初姫の顔には気迫が漲っていた。
京次郎は、理解しがたいものを見る目で初姫を見つめた。
未だかつて、身を挺して自分を守ろうとする者などいなかった。
しかし、これは嘘でもまやかしでもない。現実に起こっていることだ。
初姫の心は本物だったのだ。
「お退きください。いたずらに命を散らせることはない」
諭すように隠密は言う。
「いいえ。わたくしは京次郎様の妻です。京次郎様が死ぬ時は、私が死ぬ時です」
裂帛の気迫で言い放つ初姫に、隠密はかすかにたじろいだ。
刹那、京次郎の腕から先が凄まじい速さで動いた。
咄嗟に避けたが額を切りつけられ、どっと溢れだした血が目に入る。
「油断したな」
驚愕している隠密に、京次郎は悠々と立ち上がって言った。
「一服盛られることなど、俺にとっては日常茶飯事でな。この程度の毒など、少々時間があれば体内で解毒できる」
飛び退った足を斬られて、隠密はよろめき蛇行した。
「化け物……」
「俺を甘く見たな。お前の負けだ」
振りかぶった斬撃が襲う前に、隠密は煙のように姿を消した。
と京次郎が声を上げるが、離れには人っ子一人いない。
「無駄です」
「皆殺しか」
惨いことをする、と京次郎が吐き捨てた。
常に一定の間合いを取って戦う隠密と、距離を詰めて力に物を言わせようとする京次郎。
実力は伯仲し、刃のぶつかり合う音が響き渡った。
すくみ上がっていた初姫だが、一瞬の隙を突いた一撃が隠密の腹を掠め、体勢を崩したところへ京次郎が覆いかぶさって剣を突き立てたところで息を呑んだ。
「これでしまいだ」
振り下ろした剣を隠密は急所から外して避け、切っ先はずぶりと腕に突き刺さった。
ぐ、とくぐもった呻き声が洩れる。ひどく生臭い匂いがした。
京次郎の目は冷酷さを増し、息の根を止めんと剣を引き抜き、今度こそ心の臓をあやまたず狙う。
その時、隠密の左手が放った微細な針が、咄嗟に庇った京次郎の手の甲に刺さった。
鈍い音を立てて剣を取り落とす。
「若様」
初姫は思わず立ち上がり、京次郎の元に駆け寄った。
「毒か」
京次郎は苦悶に眉を寄せた。
痺れて腕や手足が思うように動かせないらしく、立とうとするがその場に倒れ込む。
「油断なさいましたね」
相変わらず隠密は丁重な物言いだった。
即座にクナイを構えて打ち放つ。
京次郎は死を覚悟して目を閉じた。
だが、痛みも衝撃も訪れることはなかった。
目を開くと、両手を伸ばして盾となる姿がそこにあった。
「初姫……」
息を吐くと、ごぽりと血の泡がこぼれた。
「退きなさい」
口の端から流れる一筋の血が、白い顔と相まって鮮やかだった。
胸と肩と腕に突き刺さるクナイの刃をものともせず、初姫は毅然とこうべを上げていた。
「お前などにこの方を殺させはしない。京次郎様は国を統べるお方なのだから」
滲み出した血が衣を染め、畳に点々と赤い花を咲かせる。
立っているのが不思議なほどの深手を負ってなお、初姫の顔には気迫が漲っていた。
京次郎は、理解しがたいものを見る目で初姫を見つめた。
未だかつて、身を挺して自分を守ろうとする者などいなかった。
しかし、これは嘘でもまやかしでもない。現実に起こっていることだ。
初姫の心は本物だったのだ。
「お退きください。いたずらに命を散らせることはない」
諭すように隠密は言う。
「いいえ。わたくしは京次郎様の妻です。京次郎様が死ぬ時は、私が死ぬ時です」
裂帛の気迫で言い放つ初姫に、隠密はかすかにたじろいだ。
刹那、京次郎の腕から先が凄まじい速さで動いた。
咄嗟に避けたが額を切りつけられ、どっと溢れだした血が目に入る。
「油断したな」
驚愕している隠密に、京次郎は悠々と立ち上がって言った。
「一服盛られることなど、俺にとっては日常茶飯事でな。この程度の毒など、少々時間があれば体内で解毒できる」
飛び退った足を斬られて、隠密はよろめき蛇行した。
「化け物……」
「俺を甘く見たな。お前の負けだ」
振りかぶった斬撃が襲う前に、隠密は煙のように姿を消した。
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