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人魚ちゃんと拷問~初期~
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「うぅ」
人魚ちゃんが目を覚ますと、真っ白な場所にいた。そこには水は無く、彼女は生まれて初めて潮の香りが無い場所に居た。波の音も、仲間の声も、魚の声も聞こえない。彼女にとっての当たり前が失わことごとく失われた世界。
「誰か、誰かぁ」
空気中だと息ができない訳ではない。だがどうしても不安なのだ。
「ここ、どこ」
水が無ければ人魚はまともに動くことができない。いつものように尾を動かしてもべチン、べチンと床を叩くだけだ。ただただ尾が痛い。
「苦しい…、体がうまく動かないよ、助けて…」
人魚ちゃんはずっと海で暮らしていたため、重力の影響が浮力によりずっと軽減されてきた。浮力が失われた今、モロにその影響を受けた彼女の体は海の中よりもずっと重く、思うように動かすことができなかった。
「ーーーーー!ーーーーーー!!」
自分は仲間に捨てられ人間に捕らえられた。この場所に仲間などいる筈はない、いたとしても彼女と同じ状況で助ける余裕など無いことなど、少し考えれば分かる。それなのにじわじわとパニックに陥った彼女は必死に救援歌を歌った。まるで迷子の子供が親を必死に呼ぶように。
「ーーーっ?!キュッ!?……」
突然、声帯に痺れるような感覚が襲い掛かる。熱いような冷たいような締め付けられるような未知の刺激。それに抗いどれだけ喉に力を入れても声は少しも出ない。
「おやぁ。元気だねぇ」
少しして入ってきたのは白衣と耳当て、頑丈そうなゴム手袋をして銀色に光る金属製のスーツケースを持った中年の男。そして同じような姿のタブレットを持った若い女。人間を初めて見たわけではないが、きちんと顔が視認できる距離でまじまじと見たのは初めてだった。その姿に人魚ちゃんは困惑した
(なんであんな肌が汚いの?病気?それに目が腫れてる?雄?の方は全身が膨れてる?雌?のほうも髪があんなに荒れてる…)
人魚は総じて美しい。特徴的な髪や目の色を隠したところで、その美貌で簡単に人ではないと見破ることができるくらいに顔立ちが整っている。平凡な容姿の人間などまず人魚には存在しないレベル。だから人間の肌や髪は人魚目線ではありえないほどの荒れ具合を呈していることが殆ど。厳しい海の中では肥満体系の人魚などいないため、肥えた人間は体が風船のように膨れる恐ろしい病に罹患しているようにしか見えない。
「こんにちは。これから君はオーナーの下に行くんだ。けどその前に人魚にふさわしい振る舞いを身に着けないといけない。それを教える先生が僕たちだよ」
「……」
「オーナー?振る舞い?…。そういうのよく分かんない、けど…顔、とかどうしたの?……へ、変なもの食べちゃったの?」
厳しい彼らの視線に怯えながらも、人魚的には余りにも不健康な見た目の人間に心配の言葉をかける。人魚たちは病気の原因は全て食べ物だと思っている。だから人魚ちゃんは一ミリの悪気はなく原因を共に探そうと語りかけた。
「ちっ!!」
女が勢いよく舌打ちをし、人魚ちゃんを睨み付けた。
「ひ、ご、ごめんなさい?」
(し、心配しただけなのに?なんで?やっぱり病気でイライラしてるの?)
「河野さん、気持ちは分かるけど落ち着いて。これでもマシな方なんだよ。直接罵ってくる奴もいるから」
「す、すみません。所長」
「いやいや、僕も最初は過剰に反応してしまっていたから。調教師なら誰でも最初は犯すミスだよ。これから学んでいけばいい」
「はい」
「今回は調教しやすそうな初心者向けとはいえ、大口顧客の品物だからね。気を引き締めて僕のサポートをしてくれ。君には期待しているんだ」
「はい!」
人間たちは勝手に会話をしているが人魚ちゃんにはさっぱりだ。話し終えると男はスーツケースを開ける。そこからは手錠、口枷、目隠し、いくつかのリモコン、鞭、スプレー缶、ガスマスクなど様々なものが入っているた。人魚ちゃんはこれから自分の身に起こることなど露知らず、興味津々に物騒な品々を見ていた。
「それなぁに?」
「これかい」
彼女がスーツケースの中身の中でも特に興味をもったモノ、それはガスマスクだった。一番大きく存在感があったからだろう。
「これは僕たちが付けるものだよ。興味があるならこれを最初に使おうか」
「?」
不思議そうな顔の人魚ちゃんの前でガスマスクを被る人間たち。
「すごーい!顔が隠れた!」
この後起こることなど全く知らない彼女はキャッキャと子供のようにはしゃいだ。見たこともないモノへの好奇心で先ほどまでの恐怖や不安が吹っ飛んでるのだ。人魚たちは基本的に楽しいことを好む快楽主義なところがある。多少リスクがある行為でも、楽しそうならすぐに手を出してしまう。
「あ!しゅわしゅわだ!」
無邪気な彼女に人間はスプレー缶を向ける。彼女は海に不法投棄されたものを見たことがあった。僅かに残った気体を海中で仲間たちと出し合って遊んでいたのだ。トリガーを引けばしゅわしゅわと泡が出る、だからそのまっま「しゅわしゅわ」と仲間たちと呼んでいた。彼女は彼らがしゅわしゅわを使って自分と遊んでくれるのだと思って嬉しくなった。
「しゅわしゅわ?違うよ。これはスプレー缶と言ってね」
男がトリガーに指を掛ける。
「中身は催涙ガス、と言うんだよ」
「さいるいがす」
彼女がそう言い終える前に勢いよくガスが彼女の顔面に噴射された。
「い゛ぎッ!!!あ゛アッ!……ッ!!…ッ!!!」
瞬間、顔に感じたのは吹きかけられたガスの冷たさ。それからヂリヂリとした痛みがガスが付着した部位全体に襲う。目からは涙がボロボロと零れ落ちるが全く開くことができない。それどころか眼球全体が燃えているような痛みで溶けてしまいそうだ。人魚ちゃんは床をのたうち回った。吹きかけられたものが原因だと咄嗟に思い、必死に顔を擦って落とそうとしてもそこに触れた手や腕が同じように痛むだけだ。
「ひゅっ、カヒュっ!いたッ!!!い、いだいよぉ!!!!!」
喋っている途中で噴射されたものだからガスは口内にも侵入していた。まるで吸う空気の中に細かな針が混ざっていて、それが呼吸のたびに喉や舌、気道に刺さるような痛み。ヒュー、ヒュー、という喘鳴とともに陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせながら浅い呼吸を繰り返す。
「大丈夫だよ。これは催涙ガスの中でもOCガスという自然由来の安心安全成分からできている。痛いけど後遺症は起こらないさ」
男は苦しむ人魚ちゃんの様子にもろともせず冷静に解説する。だがそんなことは人魚ちゃんは理解できない。
「助け、て!!た、す゛…けっ!」
「自然と言っても侮れない。化学薬品よりもこれの方がよっぽど効くんだよ。ずっと自然の恵みの中で暮らしてきた君たちにはお似合いなんじゃないかな?人魚特性ブレンドにしてあるしね」
「ひ、ぐぅ………いたいぃ、ぃいぃ」
涙と脂汗でベタベタになった顔は、それでもなお美しい。部屋のあちこちにあるカメラから人魚ちゃんが苦しむ様子は撮られている。これは一年間は保存され、オーナーが望めば送られ嗜好品として楽しまれる。
「たしゅ、けて、おね、がぃ」
何度も助けを乞う様子に人間の女は従順、意志薄弱、痛み・恐怖に弱い、などと性質欄にメモをしていく。
「人にものを頼む態度がそれかい?人魚には礼儀が無いんだね」
「いだっ」
男は人魚ちゃんの腹部に蹴りを入れた。ドンっと鈍い音共に柔らかい腹に革靴がめり込む。その勢いに逆らえずゴロゴロと転がっていく人魚ちゃん。無情にも男はそれを追いかけ再び蹴り上げる。
「ぐぇっ、げほっゴホっ!!いだ、やめ!あぐぅっ……!」
河野がそこに容赦なくスプレーを噴射する。反撃しようにも体は上手く動かず、喉は首輪から出る電流で痺れている。
「ご、め、なさっ……たす、けぇ、てぇ」
「そうかい、それは僕たちではなくオーナーに頼むんだ」
小一時間程、暴行を受けた人魚ちゃんはぐったりとして助けを懇願するだけとなっていた。男は頃合いと見たのか、ぼろ雑巾のようになった人魚ちゃんの首筋に注射を打つ。中身は一般的には違法ドラッグとされるもの。限りなく高純度で生成されており、少量でトランス状態に入る。
「お、なー?」
思惑通り、人魚ちゃんの意識は暗示をかけるのに適した状態となった。
「そう。オーナーは君がいい子にしている限り、痛いことは君にしない筈だよ」
人間より体が丈夫な人魚は、よほどの大量投薬でなえれば副作用がほとんど残らない。それを利用した人魚の調教に使用される代表的な催眠方法がコレだ。過度の肉体的ストレスと強烈な薬物によるトランス状態でオーナーに服従するように、懐くように暗示をかける。効果は個体差が大きいが、人魚ちゃんのような弱気なものには効果的な場合が多い。
「おーなー」
掠れた声で彼女にとって正体不明のナニカを呼ぶ。
「そう、まず僕らの言うことを聞く」
「おー、なぁ」
「僕らの言う通り勉強する」
「おー…ぁー」
「そうすれば、君のことをオーナーは迎えに来てくれる」
「…ぁ…ーー」
「じゃあ、まずはキチンと罰の痛みを知ろうか。僕らが帰ってくるまでいい子でいるんだよ」
「オー………ナー…」
人間たちは部屋から出ていった。だが目も開けず、痛みで余裕がない人魚ちゃんは音での判断もできなかった。すでに限界に近い彼女が理解できたのは、オーナーという存在が自分を苦痛から守ってくれるらしいということだけ。だから喉が裂けそうでも必死にその名を呼び続けた。
彼女は見事に暗示に掛かった。
「河野さん、メモを見せてくれ」
「はい。所長」
男はタブレットに目を通す。
「うん。上出来だ。さすがよく分かっている。あのタイプは気弱なのはよく分かるが、媚びて寝首を掻こうとするタイプと本当に従順なタイプの見分けが難しいんだ。君はどうして今回は従順なタイプだと思った?」
「最初拷問具を見せた際、無邪気な反応を見せたから、ですかね。精神が幼いタイプの個体は子供が親を慕うように調教できる可能性があると教本に書いてありました」
「よろしい。上出来だ。よく勉強できている。けれど無邪気に見せかけてくる個体もあるから注意するんだよ。それは実際の現場を見て自分なりのデータを作り上げて判断すると良い。どうしても文献には書きにくい、雰囲気などで判断することが多い現場だからね」
「はい」
「じゃあ、観察した性質を踏まえ、今回の調教プランはどう立てる?」
「精神薄弱なため与える苦痛のランクはB⁺に止めます。その過程で言うことを聞けば、という条件付きでオーナーへの信頼感を育む呼びかけを行います。しかし盲目的にオーナーを信じれば実際の触れ合いの中で失望し、コミュニケーション不良を起こすのであくまで自分は立場が下なのだと理解させるように心がけます」
「いいね。流石だよ、大筋はそれでオッケーだ。細かいプランは催涙ガスの効いている間に決めてしまおう。会議室は用意してあるから」
「はい」
買い手に届く前に人魚は専用の調教師のいる専門機関によって人間へ服従するように、尊厳と心を拷問によって砕かれる。彼らは養成場で人魚の愚かさと彼らが人間に加えてきた危害の歴史を叩き込まれるため、ほぼ全員が人魚を嫌悪している。そんな彼らに痛めつけられた人魚たちは殆ど人間を畏怖し、従順になった状態となりオーナーに出荷される。
「おー、なぁ、……た、す゛……」
傷がつかないように、後遺症が残らないように、完全に精神が壊れてしまわないように、自決をしないように、丁寧に人魚たちは拷問される。
人魚ちゃんが拷問されるのはB⁺なので後3日。その後教育を受け、オーナーこと、巽の下へ行く。
(オーナーが助けてくれる助けてくれる助けてくれる)
通常なら流石の人魚ちゃんでも、こうもあっさり初対面の人間の言うことを信じない。だが、催涙ガスの強烈な痛みで思考力が削ぎ落された脳みそは、見たことすらないオーナーの存在に盲目的な信頼を置き始めた。今の人魚ちゃんにはそれしか希望が無いから、とも言える。
「ぁー……」
人魚ちゃんが目を覚ますと、真っ白な場所にいた。そこには水は無く、彼女は生まれて初めて潮の香りが無い場所に居た。波の音も、仲間の声も、魚の声も聞こえない。彼女にとっての当たり前が失わことごとく失われた世界。
「誰か、誰かぁ」
空気中だと息ができない訳ではない。だがどうしても不安なのだ。
「ここ、どこ」
水が無ければ人魚はまともに動くことができない。いつものように尾を動かしてもべチン、べチンと床を叩くだけだ。ただただ尾が痛い。
「苦しい…、体がうまく動かないよ、助けて…」
人魚ちゃんはずっと海で暮らしていたため、重力の影響が浮力によりずっと軽減されてきた。浮力が失われた今、モロにその影響を受けた彼女の体は海の中よりもずっと重く、思うように動かすことができなかった。
「ーーーーー!ーーーーーー!!」
自分は仲間に捨てられ人間に捕らえられた。この場所に仲間などいる筈はない、いたとしても彼女と同じ状況で助ける余裕など無いことなど、少し考えれば分かる。それなのにじわじわとパニックに陥った彼女は必死に救援歌を歌った。まるで迷子の子供が親を必死に呼ぶように。
「ーーーっ?!キュッ!?……」
突然、声帯に痺れるような感覚が襲い掛かる。熱いような冷たいような締め付けられるような未知の刺激。それに抗いどれだけ喉に力を入れても声は少しも出ない。
「おやぁ。元気だねぇ」
少しして入ってきたのは白衣と耳当て、頑丈そうなゴム手袋をして銀色に光る金属製のスーツケースを持った中年の男。そして同じような姿のタブレットを持った若い女。人間を初めて見たわけではないが、きちんと顔が視認できる距離でまじまじと見たのは初めてだった。その姿に人魚ちゃんは困惑した
(なんであんな肌が汚いの?病気?それに目が腫れてる?雄?の方は全身が膨れてる?雌?のほうも髪があんなに荒れてる…)
人魚は総じて美しい。特徴的な髪や目の色を隠したところで、その美貌で簡単に人ではないと見破ることができるくらいに顔立ちが整っている。平凡な容姿の人間などまず人魚には存在しないレベル。だから人間の肌や髪は人魚目線ではありえないほどの荒れ具合を呈していることが殆ど。厳しい海の中では肥満体系の人魚などいないため、肥えた人間は体が風船のように膨れる恐ろしい病に罹患しているようにしか見えない。
「こんにちは。これから君はオーナーの下に行くんだ。けどその前に人魚にふさわしい振る舞いを身に着けないといけない。それを教える先生が僕たちだよ」
「……」
「オーナー?振る舞い?…。そういうのよく分かんない、けど…顔、とかどうしたの?……へ、変なもの食べちゃったの?」
厳しい彼らの視線に怯えながらも、人魚的には余りにも不健康な見た目の人間に心配の言葉をかける。人魚たちは病気の原因は全て食べ物だと思っている。だから人魚ちゃんは一ミリの悪気はなく原因を共に探そうと語りかけた。
「ちっ!!」
女が勢いよく舌打ちをし、人魚ちゃんを睨み付けた。
「ひ、ご、ごめんなさい?」
(し、心配しただけなのに?なんで?やっぱり病気でイライラしてるの?)
「河野さん、気持ちは分かるけど落ち着いて。これでもマシな方なんだよ。直接罵ってくる奴もいるから」
「す、すみません。所長」
「いやいや、僕も最初は過剰に反応してしまっていたから。調教師なら誰でも最初は犯すミスだよ。これから学んでいけばいい」
「はい」
「今回は調教しやすそうな初心者向けとはいえ、大口顧客の品物だからね。気を引き締めて僕のサポートをしてくれ。君には期待しているんだ」
「はい!」
人間たちは勝手に会話をしているが人魚ちゃんにはさっぱりだ。話し終えると男はスーツケースを開ける。そこからは手錠、口枷、目隠し、いくつかのリモコン、鞭、スプレー缶、ガスマスクなど様々なものが入っているた。人魚ちゃんはこれから自分の身に起こることなど露知らず、興味津々に物騒な品々を見ていた。
「それなぁに?」
「これかい」
彼女がスーツケースの中身の中でも特に興味をもったモノ、それはガスマスクだった。一番大きく存在感があったからだろう。
「これは僕たちが付けるものだよ。興味があるならこれを最初に使おうか」
「?」
不思議そうな顔の人魚ちゃんの前でガスマスクを被る人間たち。
「すごーい!顔が隠れた!」
この後起こることなど全く知らない彼女はキャッキャと子供のようにはしゃいだ。見たこともないモノへの好奇心で先ほどまでの恐怖や不安が吹っ飛んでるのだ。人魚たちは基本的に楽しいことを好む快楽主義なところがある。多少リスクがある行為でも、楽しそうならすぐに手を出してしまう。
「あ!しゅわしゅわだ!」
無邪気な彼女に人間はスプレー缶を向ける。彼女は海に不法投棄されたものを見たことがあった。僅かに残った気体を海中で仲間たちと出し合って遊んでいたのだ。トリガーを引けばしゅわしゅわと泡が出る、だからそのまっま「しゅわしゅわ」と仲間たちと呼んでいた。彼女は彼らがしゅわしゅわを使って自分と遊んでくれるのだと思って嬉しくなった。
「しゅわしゅわ?違うよ。これはスプレー缶と言ってね」
男がトリガーに指を掛ける。
「中身は催涙ガス、と言うんだよ」
「さいるいがす」
彼女がそう言い終える前に勢いよくガスが彼女の顔面に噴射された。
「い゛ぎッ!!!あ゛アッ!……ッ!!…ッ!!!」
瞬間、顔に感じたのは吹きかけられたガスの冷たさ。それからヂリヂリとした痛みがガスが付着した部位全体に襲う。目からは涙がボロボロと零れ落ちるが全く開くことができない。それどころか眼球全体が燃えているような痛みで溶けてしまいそうだ。人魚ちゃんは床をのたうち回った。吹きかけられたものが原因だと咄嗟に思い、必死に顔を擦って落とそうとしてもそこに触れた手や腕が同じように痛むだけだ。
「ひゅっ、カヒュっ!いたッ!!!い、いだいよぉ!!!!!」
喋っている途中で噴射されたものだからガスは口内にも侵入していた。まるで吸う空気の中に細かな針が混ざっていて、それが呼吸のたびに喉や舌、気道に刺さるような痛み。ヒュー、ヒュー、という喘鳴とともに陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせながら浅い呼吸を繰り返す。
「大丈夫だよ。これは催涙ガスの中でもOCガスという自然由来の安心安全成分からできている。痛いけど後遺症は起こらないさ」
男は苦しむ人魚ちゃんの様子にもろともせず冷静に解説する。だがそんなことは人魚ちゃんは理解できない。
「助け、て!!た、す゛…けっ!」
「自然と言っても侮れない。化学薬品よりもこれの方がよっぽど効くんだよ。ずっと自然の恵みの中で暮らしてきた君たちにはお似合いなんじゃないかな?人魚特性ブレンドにしてあるしね」
「ひ、ぐぅ………いたいぃ、ぃいぃ」
涙と脂汗でベタベタになった顔は、それでもなお美しい。部屋のあちこちにあるカメラから人魚ちゃんが苦しむ様子は撮られている。これは一年間は保存され、オーナーが望めば送られ嗜好品として楽しまれる。
「たしゅ、けて、おね、がぃ」
何度も助けを乞う様子に人間の女は従順、意志薄弱、痛み・恐怖に弱い、などと性質欄にメモをしていく。
「人にものを頼む態度がそれかい?人魚には礼儀が無いんだね」
「いだっ」
男は人魚ちゃんの腹部に蹴りを入れた。ドンっと鈍い音共に柔らかい腹に革靴がめり込む。その勢いに逆らえずゴロゴロと転がっていく人魚ちゃん。無情にも男はそれを追いかけ再び蹴り上げる。
「ぐぇっ、げほっゴホっ!!いだ、やめ!あぐぅっ……!」
河野がそこに容赦なくスプレーを噴射する。反撃しようにも体は上手く動かず、喉は首輪から出る電流で痺れている。
「ご、め、なさっ……たす、けぇ、てぇ」
「そうかい、それは僕たちではなくオーナーに頼むんだ」
小一時間程、暴行を受けた人魚ちゃんはぐったりとして助けを懇願するだけとなっていた。男は頃合いと見たのか、ぼろ雑巾のようになった人魚ちゃんの首筋に注射を打つ。中身は一般的には違法ドラッグとされるもの。限りなく高純度で生成されており、少量でトランス状態に入る。
「お、なー?」
思惑通り、人魚ちゃんの意識は暗示をかけるのに適した状態となった。
「そう。オーナーは君がいい子にしている限り、痛いことは君にしない筈だよ」
人間より体が丈夫な人魚は、よほどの大量投薬でなえれば副作用がほとんど残らない。それを利用した人魚の調教に使用される代表的な催眠方法がコレだ。過度の肉体的ストレスと強烈な薬物によるトランス状態でオーナーに服従するように、懐くように暗示をかける。効果は個体差が大きいが、人魚ちゃんのような弱気なものには効果的な場合が多い。
「おーなー」
掠れた声で彼女にとって正体不明のナニカを呼ぶ。
「そう、まず僕らの言うことを聞く」
「おー、なぁ」
「僕らの言う通り勉強する」
「おー…ぁー」
「そうすれば、君のことをオーナーは迎えに来てくれる」
「…ぁ…ーー」
「じゃあ、まずはキチンと罰の痛みを知ろうか。僕らが帰ってくるまでいい子でいるんだよ」
「オー………ナー…」
人間たちは部屋から出ていった。だが目も開けず、痛みで余裕がない人魚ちゃんは音での判断もできなかった。すでに限界に近い彼女が理解できたのは、オーナーという存在が自分を苦痛から守ってくれるらしいということだけ。だから喉が裂けそうでも必死にその名を呼び続けた。
彼女は見事に暗示に掛かった。
「河野さん、メモを見せてくれ」
「はい。所長」
男はタブレットに目を通す。
「うん。上出来だ。さすがよく分かっている。あのタイプは気弱なのはよく分かるが、媚びて寝首を掻こうとするタイプと本当に従順なタイプの見分けが難しいんだ。君はどうして今回は従順なタイプだと思った?」
「最初拷問具を見せた際、無邪気な反応を見せたから、ですかね。精神が幼いタイプの個体は子供が親を慕うように調教できる可能性があると教本に書いてありました」
「よろしい。上出来だ。よく勉強できている。けれど無邪気に見せかけてくる個体もあるから注意するんだよ。それは実際の現場を見て自分なりのデータを作り上げて判断すると良い。どうしても文献には書きにくい、雰囲気などで判断することが多い現場だからね」
「はい」
「じゃあ、観察した性質を踏まえ、今回の調教プランはどう立てる?」
「精神薄弱なため与える苦痛のランクはB⁺に止めます。その過程で言うことを聞けば、という条件付きでオーナーへの信頼感を育む呼びかけを行います。しかし盲目的にオーナーを信じれば実際の触れ合いの中で失望し、コミュニケーション不良を起こすのであくまで自分は立場が下なのだと理解させるように心がけます」
「いいね。流石だよ、大筋はそれでオッケーだ。細かいプランは催涙ガスの効いている間に決めてしまおう。会議室は用意してあるから」
「はい」
買い手に届く前に人魚は専用の調教師のいる専門機関によって人間へ服従するように、尊厳と心を拷問によって砕かれる。彼らは養成場で人魚の愚かさと彼らが人間に加えてきた危害の歴史を叩き込まれるため、ほぼ全員が人魚を嫌悪している。そんな彼らに痛めつけられた人魚たちは殆ど人間を畏怖し、従順になった状態となりオーナーに出荷される。
「おー、なぁ、……た、す゛……」
傷がつかないように、後遺症が残らないように、完全に精神が壊れてしまわないように、自決をしないように、丁寧に人魚たちは拷問される。
人魚ちゃんが拷問されるのはB⁺なので後3日。その後教育を受け、オーナーこと、巽の下へ行く。
(オーナーが助けてくれる助けてくれる助けてくれる)
通常なら流石の人魚ちゃんでも、こうもあっさり初対面の人間の言うことを信じない。だが、催涙ガスの強烈な痛みで思考力が削ぎ落された脳みそは、見たことすらないオーナーの存在に盲目的な信頼を置き始めた。今の人魚ちゃんにはそれしか希望が無いから、とも言える。
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