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episode.5
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屋上に出た。当然黄君はいない。黄君どころか、休みの日の屋上に誰かがいるはずもない。
そう思っていた。
「里沙?」
さらさらと金色の髪が揺れる。緑色の瞳がドアを開けた音に振り返り、私を見つけた。
私の目も、緑の目も、大きく見開かれていた。
「なんでいんの?」
「里沙こそそんな格好でどうしたの?」
あ。しまった。今の私はノーメイクだ。
そう思いつつも、私は堂々と彼の隣に歩いていった。メイクは何も黄君のためにしているわけじゃないのだ。強がりとかじゃない。むしろ黄君と千代以外の人たちのためにしているのかもしれない。
彼の隣で金網越しの校庭を見た。サッカー部が走り回っている。普段風のように走る彼らが、ここからだとおもちゃのような動きに見えた。校庭の隅には雷に折られた桜の木がある。近くで見ると神秘的な雰囲気の老いた倒木も、ここから見たら箱庭のミニチュアだ。
ああ。
屋上は好きだ。開放感がたまらない。
思わず叫び出したくなる。叫ぶとしたらあの言葉しかないだろう。
しかしさすがにそれは恥ずかしすぎる。
私がフェンスに寄りかかって座ると、黄君はコートを脱いだ。そして私の肩からブランケットをはがし、脱いだコートを着せてくれた。その上にまたブランケットをかぶせてくれる。彼はワイシャツとベストの上にブレザーという薄着で、私の隣に座った。
「寒くないの?」
「うん。里沙よりは」
小麦色のショートコートは、思っていたよりぶかぶかだった。私の方が彼よりもチビだったらしい。
「なら手袋も貸してくれていいよ」
黄君が声を出して笑った。
私のむちゃくちゃなゆすりに、黄君は素直に手袋を外した。
なんだかとても悪者になった気分だ。
しかし今日は黄君の方が悪者だった。左の手袋のみ私に付けると、彼は素肌の手で私の手を握ってきた。
平然と重ねられた手。一言の断りもなく。
おかげでコートのお礼も言いそびれてしまった。
さすがにこの流れでありがとうとは言えまい。
むしろそっちから言え。
「里沙って部活してたの?」
「このジャージは体操着兼部屋着なのよ」
「ずぼらだね。つまり部屋着でここまで来たの?」
「うるさい男はしばかれるぜ」
「なにそれ」
私はいつもの調子でゲラゲラ笑った。
黄君に色々聞いてみようと思ったことも、なんだかどうでも良くなってしまった。本当に私は適当だ。
黄君はそれから何も話さなかった。ただ繋いだ右手を眺めている。
彼といて会話が途切れるのは珍しい。平然としてるようでいて、彼は彼で手を繋ぐことに何か感慨があったのだろうか。
そう思えば私のプライドも少し満たされたが、何も会話がないのは辛い。
適当だと自負する私は、ここで思い付いたことを適当に口にしてみた。
「あーあ、なんかいいこと起こんないかな」
黄君がショックを受けた顔を向けてくる。
そういえば私は今、男の子と手を繋いでいるのだ。自分の言葉の残酷さが非常に笑える。
「例えばどんなことが起こってほしいの?」
「ん? 何かしてくれるの?」
言われてみたら、どんなことだろう。
ただ漫然と過ぎる日常に、私は飽きていたのだ。その日常が波立つような何かが起こればいい。けど私にはそれが思い付かない。
「ふむ、私が思いもしない何かだね」
真面目君モードの口調で言ってみる。本当に真面目な彼は真剣に考え始める。こんな私のために何かをしてくれようと考えているのだ。時間の無駄を諭すべきか、自分自身の素直な気持ちに従うべきか。
問われるまでもない。私はいつも通り不真面目な態度を取り続けた。
「楽しみだなぁ、どんな思いもしない何かが起こるんだろ。早く起こらないかなぁ」
私の嫌がらせにも屈せず、黄君は悩み続ける。可愛い顔の眉根をひそめ、私のために悩む姿は痛快だった。
「宇宙旅行とかかなー」
「この学校からじゃ宇宙飛行士にはなれないよ」
考えても答えなど出るはずもなく、黄君はため息のあとに反論してきた。
「あなたが毎朝乗ってきてるものがあるじゃない」
黄君が訝しげな顔をする。私は自分のくだらなさに嫌気が差して、いつものようには笑えなかった。
「いつもより楽しそうじゃないね」
ど真ん中に投げられた言葉。冴えない笑い声。私の醜い優越感。分かってもらえなくていい。私はこのとき不機嫌になった。
幸いに私は黄君に八つ当たりはしなかった。ただ不機嫌になった私は何も話さなくなる。
黙ったままじっと一点を見つめる私に、黄君は何を思ったのだろう。ふいに立ち上がって私の腕を引っ張った。
一瞬払いのけたい衝動にかられたが、すんでのところで思いとどまる。彼の手に従って私も立ち上がる。
何をするつもりなのかと彼を見てみる。彼はまっすぐに体を向け、真剣な目で私を見つめていた。
「里沙が思いもしない何かなんて分からないけど、きっとそれは僕にも思いもしないものなんだと思う」
「急にどうした?」
少し茶化すつもりで聞いたのに、黄君の瞳は微塵も動かず真剣なままだ。
「どうってことはないよ。ただどうして僕はここにいるのかなって」
ますます意味が分からない。怯えの上に決意を固めたような声で、黄君は言った。
「明日の夜、一緒に探し物をしよう」
■ ■ ■ ■ ■ ◆ ◆
私は彼の熱烈な誘いに流されるまま、何も考えることなく頷いてしまった。
探し物とはなんなのか。どうして明日の夜なのか。彼の表情や声音の意味はなんだったのだろう。彼すら思いもしないものとは……。
家に帰ると千代からの報告が届いていた。
「幸せになりましたとさ」
人は現金なものだとはよく言う。
そもそも悩みなどとはそんなものだ。一つのことをずっと悩み続けるなんて、偉い哲学者にもできないだろう。
ふざけた親友の文面に、私の気持ちはもう少したりとも揺らがなかった。
■ ■ ■ ■ ■ ◆ ◆
次の日、朝から身の入らない一日を過ごし始め、昼食を食べ終えた私はあらゆるメイク道具を引っ張り出した。普段は使わないコンシーマーまで塗ってみた。アイラインを引くのもいつもの二倍は時間をかけた。仕上げにリップを塗りたくる。
鏡の中にめかし込みすぎた私がいた。滅多にないほど気合いの入ったメイクアップだ。
私は深々ため息をついた。
いくらなんでもこれは気持ちが悪い。まったくまだ昼もすぎたばかりなのに、夜のためにここまでする必要もないだろう。まずファンデーションの下に塗ったチークがあからさま過ぎる。時間がたってもこれはなじまないだろう。
私はメイク落としを持って洗面場へ向かう。
せめて今日がクリスマスイブじゃなければ、こんなに意識することもなかっただろうに。
まあ、昨日のあの感じだと、黄君の方はイブとか考えてなさそうだけど。
満足いくメイクができたのは、それから三時間もたってからだった。着ていく服を選ぶのにも一時間を要した。
結果的に昼から始めてよかった。
夜に探し物をすると言っていたので、それから私は懐中電灯を持ち出した。それをハンドバッグに詰め込んだ。
今日はちゃんと暖かい格好だ。ラクダ色のコートと暗い赤を基調にしたバーバリーのマフラー。コートの下は紫色のセーターで、スラックスは細身の青を選んだ。その下には防寒用のストッキングを穿いている。
改めて鏡の前に立つと地味すぎるようにも思えた。ハンドバッグとマフラーの色を合わせてみたが、とても可愛い感じには見えない。そもそも私に可愛い感じなど出せるのだろうか。せめて髪をもっと伸ばしていたら。
私は肩までの巻き毛をひとつまみ、恨めしげに伸ばしてみる。
長く伸ばしたらしたで、この癖毛が面倒なのだ。それにあまりに今更過ぎる。
私は呆れたため息をつく。
今更なのは髪だけじゃない。私自身今更可愛い感じなんて虫が良すぎる。第一相手は黄君なのだ。あれだけ適当に扱っていて、もう女らしくもなにもないだろう。大体あからさまに気合いが入っているようじゃ、ちょっと抵抗があるというか、引かれてしまうだろう。
面倒になってきたのが半分。決意を固めたのが半分。中途半端な気持ちのまま私は家を出る。時間はまだ四時だったが、十二月の空はもう大分暗くなっていた。
早い時間に着きすぎるのも格好悪い。そう思った私はコンビニへと足を伸ばした。
コンビニに着いたときに、私はちゃんとした時間を決めていないことに気付いた。夜とは大雑把過ぎるだろう。今までなんの疑問も持たなかった自分もすごい。
そもそもちょっと待て。
場所を決めてない。
私は当然黄君が学校にいると考えていたが、別にそんな保証はどこにもない。もし彼が学校にいなかったら、私は連絡先も知らないのだ。この広い世界のどこに彼がいるかなど分かりようもない。
もし会えずじまいになったら、私の四時間、この努力の結晶をどうしてくれる。
私はぐるりとコンビニを一周すると、とりあえずは学校に向かってみた。
道中に色々と考えた。
学校の中と言ってもかなり広い。屋上にいなかったら、どこを探せばいいだろう。
どうやら適当なのは私だけではなく、黄君の方もだったらしい。こんなに適当な待ち合わせは初めてだ。
不安を覚え始める心に、私はなるべく目をそらしながら歩みを進めた。たかが後輩君に会えるか否かで不安になるなど、どうかしている。最悪会えなくても何が変わるわけでもないのだ。
はっきり言って強がりだ。素直じゃないにもほどがある。
私の客観的な半面が自嘲する。
恋愛なんて気分には相変わらずなれないはずなのに、正直な心を覗いてみれば、私は黄君にすごく会いたい。
これこそが恋愛なのだろうか。それともただの依存なのか。それか暇つぶしの一環でしかないのか。
客観的な半面も、素直ではない主観的な半面も、その疑問には答えを持っていなかった。
日曜日は部活も禁止されているので、夕闇の学校に人影はなかった。
正門の脇にある通用門から私は校内に入った。学校にいるような格好じゃないのが少し笑えた。昇降口の一つが開いていて、私はそこから校内に入った。下駄箱に入れた靴がショートブーツなのも無性に笑えた。私は校内用のローファーに履き替え、一路屋上を目指した。
怖い話が苦手な私だが、幸いまだ夕暮れ時で完全には暗くない。しかし考えてみると、この時間ではどの道彼はまだいないだろう。
そう思う自分と、彼がもういるような気がする自分がいる。
そして屋上の扉を開けた目に、緑の瞳が合わさった。
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