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六章 霧に消える別れ結びの冬
58.腐りゆく実
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「さーて。次はメネシアの番だ。降りて来ても良いぞ」
エーデが張り上げると、炎の鬣を持つ白馬二匹が引く戦車が舞い降りる。
戦車から降りたアギスがニネティスの手を引く姿に、メネシアは言葉にならない悲鳴を上げる。
「どうして……」
誰にも聞こえない程小さく、しかし痛々しい声が漏れる。
天神フォルシュアはアギスへと歩み寄り、胸に左手を当てる。
「太陽神アギス。貴方の使命の邪魔をするような事態となり、誠にすまない」
『謝罪を受理。此度の事態は、多くの因果の絡みを確認している』
アギスの金の双眸が、我が子へと向けられる。
ゼネスは、生まれて初めて父を目の前にする。はじめての筈が懐かしく感じるのは、太陽として彼があり続けているからだろう。
どうして一度も会ってくれなかったのか。そんな言葉は、ゼネスの心には浮かんでは来なかった。ただ、彼が自分達と一線を画す神であると実感するばかりだ。
『驚愕。困窮。若き神より私の力を感知』
表情を一切変えず、アギスは言う。そして、次にメネシアへと顔を向ける。
『嫌悪。悲哀。憤怒。豊穣の女神が世界に及ぼした被害は絶大である』
「どうして!!!」
メネシアは、今までに聞いたことが無い程の悲痛な叫び声を上げる。
「何故、私を嫌うの?!」
『愚問。息子を認知し、妻を名乗る女神を拒絶する』
「豊穣の女神メネシア。現状では、貴方がアギスの休眠時に交わったと考えるのが濃厚です。一体、貴女はどんな目的があって、ゼネスを産んだのですか?」
「貴女とは話したくはないわ。貴女さえいなければ、私はきっと……」
ニネティスを睨みつけるメネシアの目は血走り、瞳は敵意と憎悪の色に染まっている。
「ならば、どうやってゼネスを身籠ったのか、私に説明してくれないか?」
フォルシュアは、全てを魅了する美しい微笑みをメネシアへと向ける。ニネティスしか目に入っていなかったメネシアは蒼白し、艶やかな唇を震わせる。
「どうして黙るのかな? 違いを理解させてほしいだけだ」
白き長い指がメネシアの髪を撫でる。
「さぁ、メネシア」
包み込むように甘く、それでいて冷たい。
最初から、冬の宴の頃より、フォルシュアはメネシアを警戒していた。予言紙を知らずとも、彼はメネシアが何をするか予想し、証拠が出るまで黙認していた。
「わ、私は……確かに、アギスの眠りの神殿に行った事があるわ。何度も通った。でも、私は彼に触れられなかった。嫌われたく、なかったから」
「それでは辻褄が合わないね。どうやって、ゼネス君を身籠ったのかな?」
「眠りの神殿……花の祝福満ちるアギスの寝台の周囲に落ちている真珠の実を集め、食べたのよ。毎日、一粒ずつ。アギスの力を感じられる……あの時は、それだけで良かったから」
神の力が自然物へ影響を及ぼす例は、余りにも多い。シャルシュリアの力が満ちる冥界に根差した睡蓮が、自然物では有り得ない生態と存在へと変化を遂げた。真珠のように虹色に輝く実もまた、その産物だ。
「次第に、私の体に変化が起こり、身籠ったと知ったわ」
メネシアは次第に熱を持った視線をアギスへと向ける。
豊かな実りを育み女神は、体内にアギスの力を蓄積させ、新たな命を誕生させた。
「きっとアギスが私を知って、子をくれたのだと思ったわ! だって、生まれてきた子は、色は駄目だったけれどアギスそっくりで……! きっと直ぐに私の元へ来てくれると思った。でも、貴方はずっと来てはくれなかった」
熱を持ったかと思えば、メネシアの目は一気に冷める。
喜怒哀楽の異常へ振れ幅にゼネスは不気味さを感じるが、転生の剣で傷付けられた左頬の怪我が治っていない事に気づく。彼女は、自分の力を上手く操れず、感情の制御が完全に効かなくなっている。
「貴方が見てくれるように、沢山試したわ。真珠の実と鉄を混ぜた剣を作り、ゼネスに持たせた事もあった。子供がアギスを恋しがっていると知れば、もしかしたらって……でも、貴方は、一度たりとも地上へは降りては来なかった!」
あれ程冥界で探し続けた剣は、アギスから賜った品では無かった。母がアギスに意識を向けてもらいたい一心で、こちらを利用していた。
母は息子への愛は一欠片もない。ただ使い捨ての道具としか見てはいない。
「どうして? 私は、天神や海神からも声をかけられる程に、強力な力を持った女神よ?」
誕生したその日より、全ての命はメネシアの美しさを称え、彼女が手を差し出せば多くの神々が口づけをした。一夜を共にしたいと多くの誘いが舞い込み、様々な品が送られた。
しかし、アギスだけは蒼天を掛けるばかり。世界で最も輝かしき光を持つ神。
メネシアは彼を欲しいと強く想った。
「なのに、貴方は天を駆けるばかり。私は、ずっと地上からあなたを見上げ、ずっと……ずっと……!」
自尊心。承認欲求。支配欲。所有欲。多くが連鎖し肥大化し、非の無い相手を加害者に仕立て上げ、被害者ぶるその姿。
ゼネスは、僅かに残っていた母への愛が消えていくのを感じた。
もう会話すらしたくはない。
『相互理解は不可能。私に内蔵された愛は世界、ニネティス、新たに加入した息子へ捧げるものである。何故ならば、世界を円滑に回す為に必要不可欠であるからだ』
アギスは、機能として動くことを重視する。ゼネスを認知すると共に、彼が世界にとって欠かせない存在であると承認した。
『私の替えに、ゼネスを加害した行為。許されざるものだ』
エーデが僅かに濁したゼネスの体への加害。暴力だけでなく、それは夫の役割を担わされていた可能性を孕んでいる。
「貴方が私を見なかったのが、いけないのよ! 折角ゼネスを産んで育ててやったのに、貴方は……!」
フォルシュアは、雷撃音を鳴らした。
「そこまでだ。メネシア。折角の君の美しさが損なわれてしまうよ」
「フォルシュア。私は……何も……」
反省の色を見せない豊穣の女神に、彼は目を細める。
「君はゼネスが攫われたと虚偽をした。本来の目的は、アギスに見てもらおう事。ゼネスを取り返す名目で、下位の神々を従え、世界の冬を異常なまでに発展させた行為は許されない。君には、それ相応の罰を受けてもらう」
フォルシュアはゼネスの肩を軽く叩き、そしてエーデを見る。
「エーデ。メネシアの記憶を消してくれ」
天神の発言に一同が騒然とする。
「おい。流石にマズくは無いか?」
フォルシュアの判決は、地上の神であっても退くことは出来ない。
だが、相手は豊穣を司る女神。記憶を消す程の重い罰によって、世界に何か異常が生じかねない。
「駄目だよ。こういう性格は、死んでも治らない。自分は被害者だと言い続け、加害行為を繰り返す。第二のゼネスを産ませない為にも、全てを白紙にしてから教育し直した方が良い」
「でもなぁ……」
メネシアはゼネスの母親である事に変わりはない。エーデは確認を取る様にゼネスを見た。
「俺は……もう、メネシア様と関わりたくはありません」
母親である。産んでくれた恩はある。だが、其れだけであると、身体はそう訴える様に何も動こうとはしない。それどころか、ようやく解放されるとばかりに、身体のこわばりが抜けていく様だ。
シャルシュリアを傷付けようとした行為を含め、もう顔も見たくはない。
あの剣は、もう必要ない。
「……混沌の神の騒めきもない辺り、許される行為か。わかった」
メネシアはゼネスに対し、罵倒を繰り返すが、もはや誰の耳にも届いてはいない。
「ただ、後にしてくれ」
アレを始末する必要がある、とエーデは小さく呟き、囚われているヘラナと下位の神達を見る。
フォルシュアは、待機していたイレンにメネシアを移動させるように命じる。彼女は最後までアギスに呼びかけをしていたが、太陽神は決して彼女を視界に入れなかった。
エーデが張り上げると、炎の鬣を持つ白馬二匹が引く戦車が舞い降りる。
戦車から降りたアギスがニネティスの手を引く姿に、メネシアは言葉にならない悲鳴を上げる。
「どうして……」
誰にも聞こえない程小さく、しかし痛々しい声が漏れる。
天神フォルシュアはアギスへと歩み寄り、胸に左手を当てる。
「太陽神アギス。貴方の使命の邪魔をするような事態となり、誠にすまない」
『謝罪を受理。此度の事態は、多くの因果の絡みを確認している』
アギスの金の双眸が、我が子へと向けられる。
ゼネスは、生まれて初めて父を目の前にする。はじめての筈が懐かしく感じるのは、太陽として彼があり続けているからだろう。
どうして一度も会ってくれなかったのか。そんな言葉は、ゼネスの心には浮かんでは来なかった。ただ、彼が自分達と一線を画す神であると実感するばかりだ。
『驚愕。困窮。若き神より私の力を感知』
表情を一切変えず、アギスは言う。そして、次にメネシアへと顔を向ける。
『嫌悪。悲哀。憤怒。豊穣の女神が世界に及ぼした被害は絶大である』
「どうして!!!」
メネシアは、今までに聞いたことが無い程の悲痛な叫び声を上げる。
「何故、私を嫌うの?!」
『愚問。息子を認知し、妻を名乗る女神を拒絶する』
「豊穣の女神メネシア。現状では、貴方がアギスの休眠時に交わったと考えるのが濃厚です。一体、貴女はどんな目的があって、ゼネスを産んだのですか?」
「貴女とは話したくはないわ。貴女さえいなければ、私はきっと……」
ニネティスを睨みつけるメネシアの目は血走り、瞳は敵意と憎悪の色に染まっている。
「ならば、どうやってゼネスを身籠ったのか、私に説明してくれないか?」
フォルシュアは、全てを魅了する美しい微笑みをメネシアへと向ける。ニネティスしか目に入っていなかったメネシアは蒼白し、艶やかな唇を震わせる。
「どうして黙るのかな? 違いを理解させてほしいだけだ」
白き長い指がメネシアの髪を撫でる。
「さぁ、メネシア」
包み込むように甘く、それでいて冷たい。
最初から、冬の宴の頃より、フォルシュアはメネシアを警戒していた。予言紙を知らずとも、彼はメネシアが何をするか予想し、証拠が出るまで黙認していた。
「わ、私は……確かに、アギスの眠りの神殿に行った事があるわ。何度も通った。でも、私は彼に触れられなかった。嫌われたく、なかったから」
「それでは辻褄が合わないね。どうやって、ゼネス君を身籠ったのかな?」
「眠りの神殿……花の祝福満ちるアギスの寝台の周囲に落ちている真珠の実を集め、食べたのよ。毎日、一粒ずつ。アギスの力を感じられる……あの時は、それだけで良かったから」
神の力が自然物へ影響を及ぼす例は、余りにも多い。シャルシュリアの力が満ちる冥界に根差した睡蓮が、自然物では有り得ない生態と存在へと変化を遂げた。真珠のように虹色に輝く実もまた、その産物だ。
「次第に、私の体に変化が起こり、身籠ったと知ったわ」
メネシアは次第に熱を持った視線をアギスへと向ける。
豊かな実りを育み女神は、体内にアギスの力を蓄積させ、新たな命を誕生させた。
「きっとアギスが私を知って、子をくれたのだと思ったわ! だって、生まれてきた子は、色は駄目だったけれどアギスそっくりで……! きっと直ぐに私の元へ来てくれると思った。でも、貴方はずっと来てはくれなかった」
熱を持ったかと思えば、メネシアの目は一気に冷める。
喜怒哀楽の異常へ振れ幅にゼネスは不気味さを感じるが、転生の剣で傷付けられた左頬の怪我が治っていない事に気づく。彼女は、自分の力を上手く操れず、感情の制御が完全に効かなくなっている。
「貴方が見てくれるように、沢山試したわ。真珠の実と鉄を混ぜた剣を作り、ゼネスに持たせた事もあった。子供がアギスを恋しがっていると知れば、もしかしたらって……でも、貴方は、一度たりとも地上へは降りては来なかった!」
あれ程冥界で探し続けた剣は、アギスから賜った品では無かった。母がアギスに意識を向けてもらいたい一心で、こちらを利用していた。
母は息子への愛は一欠片もない。ただ使い捨ての道具としか見てはいない。
「どうして? 私は、天神や海神からも声をかけられる程に、強力な力を持った女神よ?」
誕生したその日より、全ての命はメネシアの美しさを称え、彼女が手を差し出せば多くの神々が口づけをした。一夜を共にしたいと多くの誘いが舞い込み、様々な品が送られた。
しかし、アギスだけは蒼天を掛けるばかり。世界で最も輝かしき光を持つ神。
メネシアは彼を欲しいと強く想った。
「なのに、貴方は天を駆けるばかり。私は、ずっと地上からあなたを見上げ、ずっと……ずっと……!」
自尊心。承認欲求。支配欲。所有欲。多くが連鎖し肥大化し、非の無い相手を加害者に仕立て上げ、被害者ぶるその姿。
ゼネスは、僅かに残っていた母への愛が消えていくのを感じた。
もう会話すらしたくはない。
『相互理解は不可能。私に内蔵された愛は世界、ニネティス、新たに加入した息子へ捧げるものである。何故ならば、世界を円滑に回す為に必要不可欠であるからだ』
アギスは、機能として動くことを重視する。ゼネスを認知すると共に、彼が世界にとって欠かせない存在であると承認した。
『私の替えに、ゼネスを加害した行為。許されざるものだ』
エーデが僅かに濁したゼネスの体への加害。暴力だけでなく、それは夫の役割を担わされていた可能性を孕んでいる。
「貴方が私を見なかったのが、いけないのよ! 折角ゼネスを産んで育ててやったのに、貴方は……!」
フォルシュアは、雷撃音を鳴らした。
「そこまでだ。メネシア。折角の君の美しさが損なわれてしまうよ」
「フォルシュア。私は……何も……」
反省の色を見せない豊穣の女神に、彼は目を細める。
「君はゼネスが攫われたと虚偽をした。本来の目的は、アギスに見てもらおう事。ゼネスを取り返す名目で、下位の神々を従え、世界の冬を異常なまでに発展させた行為は許されない。君には、それ相応の罰を受けてもらう」
フォルシュアはゼネスの肩を軽く叩き、そしてエーデを見る。
「エーデ。メネシアの記憶を消してくれ」
天神の発言に一同が騒然とする。
「おい。流石にマズくは無いか?」
フォルシュアの判決は、地上の神であっても退くことは出来ない。
だが、相手は豊穣を司る女神。記憶を消す程の重い罰によって、世界に何か異常が生じかねない。
「駄目だよ。こういう性格は、死んでも治らない。自分は被害者だと言い続け、加害行為を繰り返す。第二のゼネスを産ませない為にも、全てを白紙にしてから教育し直した方が良い」
「でもなぁ……」
メネシアはゼネスの母親である事に変わりはない。エーデは確認を取る様にゼネスを見た。
「俺は……もう、メネシア様と関わりたくはありません」
母親である。産んでくれた恩はある。だが、其れだけであると、身体はそう訴える様に何も動こうとはしない。それどころか、ようやく解放されるとばかりに、身体のこわばりが抜けていく様だ。
シャルシュリアを傷付けようとした行為を含め、もう顔も見たくはない。
あの剣は、もう必要ない。
「……混沌の神の騒めきもない辺り、許される行為か。わかった」
メネシアはゼネスに対し、罵倒を繰り返すが、もはや誰の耳にも届いてはいない。
「ただ、後にしてくれ」
アレを始末する必要がある、とエーデは小さく呟き、囚われているヘラナと下位の神達を見る。
フォルシュアは、待機していたイレンにメネシアを移動させるように命じる。彼女は最後までアギスに呼びかけをしていたが、太陽神は決して彼女を視界に入れなかった。
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