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3章 こうして私はメインストーリーから外れる

38話 ダンジョンとは

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 ゲーム上で〈アンジェラ・シング〉の名前はあったか、と思い出そうとしたが、一向に出ては来ない。学園の先生や同級生、他にも沢山の人達と同じく、ゲームでは登場しないがこの世界で生きている人だ。

「そうだなぁ……あ、まずは、魔学合成系の基本を知ってもらった方が良いかな。話がとても長くなるけど、良いかな?」

 魔術で生み出した水を注ぎ入れた金属製のコップを、私に差し出しながらアンジェラさんは言った。無詠唱だったので、アンジェラさんの体のどこかに書いた魔方陣が発動したようだ。

「お願いします……今、機会を逃してはいけない気がするんです」

 コップを受け取りそう言うと、私は空腹が我慢できずにパンを口に運ぶ。
 通称〈風の体〉と私が呼んでいる遺物の存在によって、風森の神殿が成り立っている。どうすれば風森の神殿や他の3つのダンジョンを守れるか、まずは根本的な部分を知る必要があると思った。まだ取り返しがつくが、ダンジョンは攻略できないからとその知識に手を付けなかったのを少し後悔する。

「魔学合成系は2種類。日光と魔力の両方の〈複合魔学合成系〉と完全に魔力だけの〈単一魔学合成系〉だ。一般的には〈魔力〉とされているけど、正確には〈魔素〉が源だよ」

「魔素?」

 意味合いは分かるが、魔術の授業もゲームでも聞いた事が無い単語だ。

「確か中等部で習うから、まだミューゼリアちゃんは知らないか。魔素については、魔力になる前の段階だ。分子の状態だね。身近なもので例えるなら、魔力は水、魔素は水蒸気かな。魔素は空気中や水の中、様々な物質に溶け込んでいるんだ」

 ベーコンが焼き終わると、アンジェラさんは小型コンロの上にクッカーセットの一番大きな鍋を置いた。そして、魔術で水を生み出し、鍋の中へ注ぎ入れた。
 今まで空中にあるのは魔力ではなく魔素だった。イレグラ草は輩出ではなく分解する成分であり、魔鉱石に必ずと言って良い程に属性が複数含まれている等、魔力よりも魔素と表現した方が理解できる点がいくつもあった。かつてのレフィードが他の物質に頼っていたのも、自身では魔素を集結させ必要な量の魔力へ変換できなかったのだろう。

「その魔素を糧に下位の精霊や微生物、細菌が増え、植物は彼らの作り出した栄養素で活性化する。その植物を草食性の魔物が食べ、それを肉食性の魔物が、と連鎖をしていく。でも、これはさっき言った〈複合魔学合成系〉なら、動物達の生態系と混在しどこにでもある。ダンジョンとは、ここの聖域にあたる単一魔学合成系が存在する広範囲を言うんだ。風森の神殿の単一魔学合成系は、遺物を守る結界の中に形成されている」

 フォークを使って、ジャムの塗ったパンの上にベーコンを置き、アンジェラさんは口へ運んだ。私も同じように、食べかけのジャムを塗ったパンの上にベーコンを乗せた。甘みと塩味が調和していて、とても美味しい。

「深層、中層、外層がある理由は、単一に複合の生態系が隣接しているからですね」
「そうだよ。だから、より複雑な生態系が生まれ、通常では有り得ない様な動植物と多様な魔物達が暮らしている。シュクラジャやガルドラジャは本来、高い山脈が連なる地域に生息しているんだ。平地では、ここが唯一だよ」

 深層に行くほど魔物が強くなるのではなく、多くの動植物が集まる事によって上位捕食者の種類や数が増えている。ゲームでは仕様の為か、全く説明がされていない内容だ。
 そういえば、先生も聖域に近づくほど魔物が強くなると言っていた。
 専門的でなくとも、説明は出来ると思う。知らなかったのだろうか? それとも5年生にはそちらの方が分かり易いのだろうか?
 どんどん頭の中に知識が入り、疑問が湧き上がり、頭が痛くなりそうだ。

「ダンジョンを構成するには、遺物の様な存在が必要なのですか?」
「別に遺物じゃなくても良いよ。神脈の吹き出す地点や、強大な力を持つ魔物が入れば、単一魔学合成系は出来上がる」

 お湯が沸き上がり、一旦コンロの火を止めたアンジェラさんは、紅茶の茶葉スプーン2杯分を鍋の中へ入れた。

「魔物は人間以上に魔力を生成する器官が発達した種がいる。余分な魔力は魔素として体から放出され、それを糧に単一魔学合成系は、構成されるんだ。生態系は広大な土地を必要とするように思われるけど、単一魔学合成系はかなり小規模でも認定される。800年前の戦争によって、空気中の魔素量は一気に低下した。遺物や神脈を除けば、魔物から放出されている魔素は安定した量を得られやすい環境に変化したんだ。精霊は魔物から魔素を得る代わりに、住む環境を整え活性化させる。豊かになった土地には魔物が集まって来るんだ」

「共生関係なのですね」

 つまりダンジョンのボスと言う事か。
 確かに、フィールドにランダムで発生するダンジョンは、ボスを倒すと消滅した。

「うん。そうだよ。神脈の吹き出す地点では、魔物が住めない位に魔素の純度が高く、呼吸すら困難な場所があり、正真正銘の単一魔学合成系は何か、と言われたらこっちだろうけどね」

 アンジェラさんは浅い鍋に紅茶を注ぎ入れ、一口飲んだ。

「ダンジョンは主に3通り。継続型、移動型、発現型だ。
 継続型は文字通り、遺物のある聖域や神脈の吹き出す地点、魔物達の継承がされずっと同じ場所に形成され続ける生態系。ダンジョンなんて呼ばれるのは、一般視点ではこれ限定。
 移動型は、時期によって住処を替える魔物の群れからなる生態系。渡り鳥や乾燥地帯の草食動物と似た感じ。
 発現型は、若い個体が巣立ち、新たな住処を見つけ、そこに形成されている生態系だ。よく魔物襲来とか騒がれるのがこれ」

「魔鉱石でその環境は作れないのですか?」

「無理だね。確かに魔鉱石はダンジョンの安定化に一役買っている。でも、常に減り続けているようでは生態系とは言えない。魔物の中には鉱石を食べる種がいるし、今は人類がいる。近年は採掘の影響で、多くのダンジョンが縮小しているから過密傾向にある。こっちを守って、あっちを潰すなんて保全の面ではやってはいけないし、そもそも人類がダンジョンを作って管理できる保証はどこにもない」

 アンジェラさんは先程とは打って変わって、静かに答える。

「800年以上前に作られたグランディス皇国の〈炎誕の塔〉が、まさに人間のエゴだね。妖精王との大戦時に、魔鉱石を塔の中に集め、誘き寄せた魔物を繁殖させ、血や肉をエネルギーに変えて破壊兵器を稼働させようとしたんだ。でも結果は、魔物達によって塔の機能をすべて破壊されてしまった。そして、イリシュタリアの姫が精霊王の遺物を置き結界を張り、ダンジョンを形成する事で魔物達を塔から出ない様にしたんだ」

「そ、そんな事が……」

 炎誕の塔は800年前以上の文明の遺産だとはゲーム上でも語られていたが、こんな経緯でダンジョンになっていたとは思いもしなかった。同時に、遺物が無くなった時の危険性が一番わかる場所だと思った。人間の計画を破壊する程の強力な魔物達を封じ込めた等しい塔。魔物が外に出れば、どんな被害が国を襲うのか。想像を絶する。

「もし……ダンジョンの生態系が崩壊したら、魔物達はどうなりますか?」

 私は自然な運びで、最も知りたい部分を聞いた。

「魔学合成系と深く結びつきがあるから、魔学従属栄養生物と分解者たちの消失によって土は痩せ、水は干上がり、植物は枯れる。でも、魔物や動物達は足があるから、餓死する前に逃げることが出来る。ダンジョンの住処を失った魔物は、大量の魔力を持つ食物が定住する町や村に降りて、一時的な飢えを凌ぐ。そして空腹になれば、新しい場所へ移動する。それの繰り返し。中には、人間の味を覚えてしまう個体もいるだろうね」

 定住する食物。その視点は無かったが、なぜゲームに登場する魔物が人間を襲うのか理解が出来た。本来なら、レフィードが言っていたように人間は骨が多くて肉が少ない。しかし飢餓に等しい魔物達にとっては、命を取り留める為の最終手段として人間を食す。
 ゲームの始まる前から、既に妖精王の影響は出ている。

「あと、農業、漁業などの自然に関わる第一産業に多大な被害が出て、凶作や疫病等で飢饉が発生する可能性があるかな。特に、風森の神殿のような巨大な規模の消失は、自然にとって大きな傷になるから、回復までに何十年……百年単位の場合もありえるかな」

 ゲーム上のアーダイン公爵の反論していた理由が分かった。確かに国を救う事は重要だが、そこで起きる民の被害が余りにも大きい。シャンティスの時点で分かっていたはずなのに、気づけていなかった。王都中心の物語の裏には、地方の人々の言葉無き被害が大量にある。
 なんだろう。混乱する。
 リティナの行いは正しいはずなのに、視点が変わる程に破壊者に見えてきた。

「あの、魔物はダンジョンさえあれば、人間を襲わないと考えて良いのでしょうか?」
「ちょっと違う。〈襲わない〉のではなく〈被害の数が減る〉と考えて欲しい。虫や動物も含めて、相手は生物だ。先程の説明した〈発現型〉の様に、人間の住む場所の近くに巣を作ってしまう場合や、キミが襲われかけたように本来の住処から移動してきてしまう事もあり得るからね。互いの距離感を保ち、住処を荒らさず、奪わないのが重要だ」

 アンジェラさんは再び紅茶を口にする。

「約50年前、冒険者って呼ばれる無法者達によって、継続型と発現型のダンジョンが崩壊させられる事態が続いてね。過剰に魔鉱石が彫られ、大量に魔物が殺され、一部は絶滅した。世界による回復が追い付かず、危険地帯が誕生する程だった。結果、イリシュタリア王国では結構な被害が出たんだ。キミの祖父母から親世代だね」

 攻略候補の討伐隊の男性と、お母様の姿が脳裏を過った。散々魔物によって村が滅ぼされたと聞かされ、前世の記憶から危険地帯から皆を守っていると設定を鵜吞みにし、間接的な人間による影響があったなんて考えもしなかった。
 人間も生物であり、生態系に組み込まれている。それを何で今まで気づかなかったのだろう。どうして、こんな重要な情報がどこにも無かったのだろう。

「ボクはグランディス皇国出身で、あっちで少し結果を出したから皇帝のコネを借りて、国王や公爵家に直談判したんだ。冒険者制度を辞めないと魔物被害がもっと広がるってね。特にアーダイン公爵家は牙獣の王冠を監視しているから、協力的だった」

 さらりと権力者が登場し、私は驚いた。

「その後も、アーダイン公爵家とは文通する仲でね? 日常の事から、色んな内容をやりとりしているんだ」

 アンジェラさんは私の右肩に手を乗せた。少し手に力が籠っているが、痛みはない。

「あ、あの……?」
「限界。ずーと我慢してたんだけど」

 手が震えている? いや、肩も震えている。どうしたのだろう。

「ボク、人類で2人目の〈精霊憑き〉をこうして会えるなんて、凄く感激しているんだ」
『なに!?』

 私にしか聞こえていないが、森全体に響き渡りそうな大きな声でレフィードが驚いた。

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