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4章 老緑の王は幼子に微笑む

48話 それは母なのか  (視点変更)

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 最も古い記憶の中に、黄金色の空がある。あれは父の髪の色だったと気づいたのは、15歳の誕生日。生まれ故郷であるマーギリアン侯爵家の屋敷で、父の肖像画を初めて目にした時だった。
 3歳の頃、父は禁足地での魔物との戦闘中に亡くなった。
 当時の俺には、全く帰って来ない父の死が分からなかった。
夫の報せを聞いた母は、寝室に閉じこもり泣き崩れた。しばらくして様子を見にメイドが部屋を訪れたところ、もぬけの殻だった。奇妙な事に窓は閉まっており、部屋は綺麗なまま。まるでつい先ほどまでその場にいたかのように、飲みかけ紅茶が入ったティーカップのみがテーブルに置かれ、涙にぬれた枕の置かれたベッドは母が横たわった形跡のみを残していた。
 祖父母は急いで交流のある貴族達に訊いて回り、以前訪れたブティックなどの施設や領地を隅々まで探し、魔術師に母の自室を調べさせたが魔術の形跡は見られなかった。裏に通じる情報屋に調査依頼をしたが、夫人誘拐を計画した犯罪者は誰一人いなかった。アクセサリーや衣類などの所有物は母の自室に手つかずのため、路銀に売った形跡はある筈がない。

 母は存在そのものが消えたかのように、いなくなった。

 祖父母は幼い俺を乳母に育てさせず、父の双子の弟であるワーグス様が当主を務めるパシュハラへと預けた。当時のマーギリアンの屋敷は疑心暗鬼の状態だったからだ。
 パシュハラの夫妻は我が子同然に愛してくれた。祖父母も定期的に会いに来てくれた。従兄達と剣の稽古をし、勉強し、遊び回った日々は、本当に幸せだった。
 12歳の時、危険地帯の砦で討伐団の第五部隊見習いになった。剣術に秀でたマーギリアン家の跡を継ぐため、力をつける必要があった。この時に、まだ危険地帯討伐団所属だったキサミ先輩と出会った。体術や剣術の稽古だけでなく、薪割り、料理、清掃、武器の整備、様々な事を教えてもらった。
先輩の隊員達から父の話を聞く様になり、どんな人物であったのか気になる様になっていた。
 そして時間はあっという間に過ぎ、15歳の誕生日を迎える俺は、休養を貰いマーギリアンの屋敷を訪れた。見習いから隊員になった事を父に報告するため、墓参りをしようと思ったからだ。祖父母は誕生日に盛大なパーティを予定し、パシュハラの皆も呼んでくれた。

 誕生日パーティ当日、大勢の来客が訪問する中で、赤い耳飾りを付けた母が戻ってきた。

 マーギリアンの屋敷は大騒ぎとなり、祖父母は母の帰還を大いに喜んでいた。
 しかし、母は俺を見た瞬間、

「ギリアン」

 父の名を呼んで抱き着いて来た。 

 艶めかしい手つき。熱の籠った目と声。柔らかな質量。

 一瞬何が起こったのか分からず、背筋が凍り、体中から冷や汗が溢れ出した。幼い頃、パシュハラ夫人に抱きしめてもらったあの感覚とは、全くの別物だった。
 咄嗟に母を突き飛ばし、そのまま走った俺は自分の部屋へと逃げ込んだ。

 心臓が大きく打ち付け胸が痛く、呼吸が上手く出来ず奇妙な音を立て、震えが止まらなかった。

 なんとか自分を落ち着かせようとするが、母が追いかけて来た。
 鍵のかかった扉を開けようと、ガチャガチャとノブを動かす。

「ギリアン。私にはあなたしかいないの。お願い……お願いだから、この扉を開けて」

 泣きながら母は父へ訴えかける。止めようとするメイドや騎士、祖父母たちだが、母は父の名を叫び、癇癪を起す。
 わずかにあった母への愛情は一瞬で塵となり、異性へと向ける女の情熱が恐怖へと変わった。耳を塞ぎながらも、気が狂いそうだった。
 眠れない夜を過ごし、逃げる様に屋敷を出た。しかし、危険地帯の砦へと母がやって来た。門番は止めに入るが、再び泣き叫ぶ。事情を知らない先輩や隊員たちが、無責任に会ってやれと迫って来る。嫌味を言われ、何度も母の元へ突き出されそうになった。

 何日も続き、俺の中で限界が来た。

「おい、ゼノス」

 キサミ先輩が、砦の部屋に閉じこもる俺に会いに来た。俺が隊員になると同時に、先輩は禁足地へと配属された。久々に聞く声だった。

「先輩。どうしたんですか?」

 部屋の扉を開けずに問いかける。出て来いと言われるのか、無責任に励まされるのか、俺はぼんやりと考えながら、薄い扉を眺める。

「団長からの命令だ。おまえを連れて、ここを離れる」
「どこへ、ですか?」
「団長の友人であるレンリオス男爵の屋敷だ」

 聞いた事がある貴族だ。2年前、新聞の一面を飾った貴族達のスキャンダル。連日続く同じ話題の中に、一つだけ輝かしいものがあった。
 霊草シャンティスの発芽を成功させた令嬢の話だ。
 ミューゼリア・デュアス・レンリオス。当時まだ8歳の女の子。
 少し前だったら、どんな賢い子か想像していただろう。今となっては、年下だろうと異性を想像するだけで気分が悪くなる。

「行ったところで、あいつは追ってきます」
「そうだな。だが、男爵はここにいる奴らより、話が分かるだろうよ。休みたいが為に、おまえを犠牲にしようとする馬鹿ばかりだ」

 毎日の様に魔物と戦う危険地帯では、休息は貴重だ。俺の母親のせいで、皆に迷惑が掛かっている。

「アタシを信じなくて良いから、団長の命令を聞き入れてくれ」
「え!? せ、先輩の事は信じています!」

 俺はその言葉に焦り、急いで扉を開けた。

「随分と痩せたな」

 その目は相変わらず真っ直ぐで剣のように鋭く、それでいて優しい。パーティで見かけた令嬢や、母に向けられた目とは違い、女性であってもこの人は絶対に踏み越える事が無いと俺は安堵した。
 ボロボロと柄にもなく涙が零れ、キサミ先輩は苦笑しながら俺の肩を軽く叩いた。
 
 俺を叩き直して欲しい、とレンリオス男爵には嘘をついた。
 情報が母に漏れる危険性があり、連絡をすることが出来なかった。結果として、押し付けるようになってしまい、申し訳ない事をしてしまった。
 女の人が恐い。向けられる感情が恐い。
 けれど、騙してしまった償いと、護衛兵としての責任を果たさなければならない。

 ミューゼリア様を必ずお守りするんだ。
 
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