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第一章 陰謀はいつでもすぐそばに

3.千里の道も一歩から

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「リバタリアの掟は三つ。基本的にこれだけ守っておけばどうにかなるわ。」

 あれから数日。アルルによる酒場襲撃は情報操作によって大したニュースにもなっておらず、外を出歩いても特に問題はない。そう聞いてこそいるが今いち勇気が出ず、セナはリバタリアの本部に隠遁していた。
 「釣り人ギルドに擬態している」とアルルは言っていたが、どうやらあれは本当だったらしく釣竿は大量に置いてあるが、それ以外は他のギルドが使っている建物と同様だ。風呂や洗濯、その他諸々の機能は有しているから生活には困ってはいないが、色々と気になることもある。

 まず、恐ろしいほどに誰にも会わない。部屋から出て共同浴場に赴いても、することがないから一日中ギルド入口を眺めていても。視界に入る人といえばアルルただ一人。

 協力者は増え続けている。

 アルルからそう聞いてはいるが、果たして本当なのだろうか。陰謀を覆そうとしているこの組織こそ怪しい組織なのではないか。そもそも彼女の話を信じる根拠はあるのか。
 徐々にリバタリアとアルルに対する疑念が積み上がってきたある日、張本人が唐突に部屋を訪ねてきた。

「何なんだ急に。も、もしかして君もあの魔法で盗聴してるのか!?いや俺は何も喋ってない!まさか思考盗聴か!!!そうだよな、魔法があるんだからそれぐらい出来るよなぁ!!!」
「そんなことしてるわけないでしょう?こっちはそれどころじゃないのよ。貴方も気づいてる通り、リバタリアは今とてつもなく忙しいの。だから貴方にもいい加減働いて貰わなきゃ。さ、掟の説明に戻るわよ。」

 姿を見たことこそあれど、こうして匂いを感じる距離で話したのは久々だ。出会った時は女性らしい芳しい香りを漂わせていたが、今日はそれも薄く少し土臭くもある。余程忙しく方々を飛び回っているのだろう。
 重たそうな瞼を擦りつつ、アルルは一枚のお面を放り投げてくる。
 鬼のような角を生やした化け物の面。彼女が先日付けていたのとよく似たデザインだ。

「一つ、リバタリアとして活動する時は基本的にこのお面を付けること。二つ、お面をつけた状態で互いの名前を呼ばないこと。三つ、目を閉じないこと。」
「目を閉じない……?」
「ただのカッコつけた言い回しよ。要は『裏切るな』ってこと。リバタリアは私や貴方みたいな例外を除けばほぼ全員が普段市民に溶け込んで生活してるから、情報が漏れると困るの。あぁ、組織の名前は言っていいわよ。活動内容が一緒にバレなければ、何のことか分からないでしょうから。」

 過去の経験からしても、掟はどれも合理的なものだ。セナ自身日本での集会にはよく参加していたが、ほんの一回参加しただけでも周囲の人間からは「ヤバい奴」というレッテルを貼られる。
 そのレッテルの効果は前科、とはいかないでも小規模な母体ではそれ相応の重たさを持つらしく、集会に参加していた大半は世捨て人、いわゆる無敵の人だった。

「で、俺は何をすればいいんだ。言っておくが出来ることは少ないぞ。」
「知ってる。まずはリバタリアの直近の目標から軽く解説しましょう。」

 そう言ってアルルは大層急いだ様子で棚に手を伸ばし、そこから何やら大きな紙を取り出して床に広げ始めた。
 歪な形をした巨大な大陸とその中央に描かれた菱形に近しい図形。間違いない、これはこの世界の地図である。
 アルルはその中央にある菱形を指し示し、悪辣な表情を浮かべていた。

「私達は今、アベリアの王政を転覆させる反乱を計画してる。この国は全能会議オブリビオンに与する中でも重要な役割を果たしてる。この前【通信タクト】による盗聴の話をしたでしょう?あれを行ってるのはこの国の王族なの。」

 王政転覆。

 その言葉を聞き、セナの思考が止まる。そうだ、ここは異世界で、魔法を始めとする凄まじい戦闘能力を持った人が数多くいる。ただ座り込んで訴えるだけだった自分達とは根本から違うのだ。

「私みたいに戦える人々は別で反乱の準備を進めているから、セナにはこの反乱に参加する人員をもっと増やして欲しいの。つまり、より多くの人を目覚めさせて欲しい。広報班、って言えばいいのかしら。」
「広報……。戦闘は発生しないって認識でいいのか?俺、戦う力は全くないんだが。」
「まぁ基本的には。細かいことはこの場所に控えている仲間が教えてくれるはずよ。さ、分かったら行動開始!リバタリアの掟その四、善は急げ!」

 アルルが部屋の窓に向かって走り出し、例の仮面とローブによる完全装備の状態で空へと飛び立っていく。
 どう考えても適当にしか聞こえない四つめの掟と、あまりに突然下された指示。そして「基本的には」という怪しげな言葉。
 抱いた疑念は、僅かに残っている。

「本当に大丈夫、なんだよな……?」

 ◇◆◇

 異世界に来てから二年間。いやそれより前からずっと。持ち前の頭脳を生かしてがむしゃらに手を動かすことは得意だが、逆にゆったりとした時間の中にいることは苦手だ。
 慣れない生活への不安や見知らぬ人との出会いへの恐怖。諸々がヘドロのようにゆったりと脳を侵食し、正常な判断が失われていく。

 こうしてポツポツと路地を歩いている時などは尚更だ。

「国家転覆を目論む秘密組織、ってことだから仕方ないんだろうが、いくらなんでも集合場所が暗すぎないか?もっとこう公民館とか……色々あるだろ!」

 日本でデモ活動をするとなったら、集合場所は公園や公民館が基本だ。言論の自由というのは素晴らしいもので、テロ行為でもしない限り公的機関も場所ぐらいは提供してくれる。
 だが異世界はどうやら違うらしい。アルルから「仲間が控えている」と言って渡されたメモに書かれていた場所はアベリアの中でも端の端。二年住んでいても、一切足を踏み入れたことのない裏路地だ。

「おや、その異質な風貌はもしかして。貴殿が魔女殿の言っていた異世界人の方ですかな?」

 埃とネズミが視界の端を行き来する暗がり。その隙間を縫ってぬらりと現れたのは、二メートルはありそうな巨漢の男性だった。セナと違って仮面は付けておらず、体躯に似合わない優しげな表情でこちらに微笑んでくる。

「初めまして、私はケベック。貴方と同じです。以後お見知り置きを。」
「あ、あぁ初めまして。俺はセナ、セナ・アスハ。何だかよく分からないけどよろしく頼むよ。アル……ふぐっ!」

 『アルルはどうにも説明不足で。』

 そう愚痴をこぼそうとした時、ケベックの巨大な手がセナの顔面を覆い発言どころか呼吸すらも妨げられる。
 
 まさかこのまま殺されるのか。やはり怪しい魔女と怪しい組織など信用するんじゃなかった。このクソッタレ。

 そう思った時、ケベックの手が離れ、彼は再びにこやかに微笑む。

「その名は禁句ですよ。知っているでしょう?これが、こうですから。あの方だけは目覚めていることを多くに知られていますので。」

 口の前で手を広げ、次に耳をそば立てるようなジェスチャー。そうだ、そういえばこの会話も全て盗聴されているのであった。
 顔こそ割れていないものの、「アルル」という名の魔女が方々で暴れ回っているのは既に全能会議オブリビオンにも把握されているはず。それぐらいのことはセナも理解している、というか実際そう誰かが話していたのを【通信タクト】で聞かされた。
 
 愚痴をこぼすよりもまず、仕事に励まねば。先ほど物騒な独り言を呟いた気もするが、それはそれだ。怪しげな単語を話さないよう肝に銘じ、セナは再び口を開く。

「で、仲間ってのはケベック一人なのか?まぁ広報活動するだけならそんなに人も要らないか。」
「いえ広報活動というのは存外ハードな仕事でしてね。本日はもう一人仲間が居ます。あー排泄物殿~!」

 排泄物殿。

 落ち着いた紳士の口から、いやスラムのドブネズミの口から出ても違和感しかないその言葉を聞き、へらへらしてたセナの顔が一気に青ざめる。最早あまりに表情筋を素早く動かしすぎて少々肌が痛むぐらいだ。

 あだ名なのか文字通りの汚名なのか。どちらにしても流石に可哀想だとケベックに抗議の意を示そうとした時、古びた建物の縁の下からもぞもぞと何かが這い出てきた。

「うっうっ。汚物a.k.a排泄物。床下からそっと這い出てくる。これでも立派なリバタリア。僕らが愛した暗闇が紡いでいった言葉には、意味がこもってるこんにちは。」

 何とも言えない絶妙に下手なラップと、名前の汚らしさに反した甘ったるい可愛らしい声。
 ゾンビのような所作で匍匐前進の体勢から立ち上がったその少女?は既に例の化け物みたいな仮面を付けており、膝まで伸びた長い青髪も相まって人相が分かりにくい。
 が、恐らくきっと少女だ。いや、アルルを少女と呼ぶならこっちは幼女だろうか。何から何まで突っ込みどころしかない彼女はそっとケベックの足にしがみついていく。

「改めて、こちらは排泄物殿です。その名前や話し方、その他諸々数万の呪いをその身に受けた可哀想な御方ですが、別に悪い方ではありません。それどころかリバタリアの中ではかなり善良で癖のない方ですよ。ちなみにこの面も二度と外れないそうですから、掟も通用しません。」
「……ども、よろ、友。」

 ラップするのが疲れたのだろうか。韻を踏みつつも簡潔な二度目の挨拶と共に排泄物が握手を求めてくる。言語化すると実に馬鹿げた状況だが、何一つ嘘は言っていないのだから仕方がない。
 
 彼女は本当に排泄物という名前で、韻を踏みながらしか話すことの出来ない哀れな身の上なのだろう。

 困惑しつつもセナは彼女の手を取り、ぎこちない握手を交わす。

「せめて、呼び方だけでも変えられないのか?こんな幼い女の子を、その、排泄物だなんて。」
「おーおー危ない危ない。気をつけてくださいね。排泄物殿にかかっている呪いは『名前が排泄物になる』ではなく『名を明かしている相手に排泄物と呼ばれないと死ぬ』という呪いなので。」

 な、なんだその馬鹿げた呪いは!?

 口からその言葉を溢そうとするより早く顎が外れ、声は掠れて埃と共に空を舞う。

「ルール違反=死、という状況な以上定義はかなり曖昧ですが、少なくともあだ名や愛称の類は許してくれないそうです。ですから排泄物殿は信頼した相手にしか名を明かしません。『あの女』とか呼ばれていた方がまだマシですからね。」

 何ともとんでもない信頼を頂いたものだ。排泄物はセナの足へと抱きつく先を変え、その細い手でしっかりとズボンを握ってくる。
 懐かれてはいるのだろうが……あまりに喜べない。

 挨拶も済ませ、ということだろう。ケベックが気合を入れるようにして腕を回し始める。

「さて、そろそろ広報活動に向かいましょうか。いつも通り排泄物殿は後方で待機。セナ殿は私と共に目的地を訪問しましょう。」
「目的地、ってどこを回るつもりなんだ?」

 この手の広報活動は過去にもやったことがある。街頭でチラシを配ったり、マンションを回ってポスティングをしたり。独居老人の家などには直接訪問して国家の陰謀を教示したこともある。
 セナにとっては得意分野。場所が異世界になったところで、この活動自体にそこまでの不安は感じていない。

「今回行くのは一箇所。アベリア最大の犯罪組織、『ドグ=マグ』の本拠地です。今日は集会があっているとかで、首領を筆頭に数百人の構成員が集まっているそうですよ。いやはや、やりがいがありますな!」

 前言撤回。

 やはりここは異世界だ。あらゆる発想が、常軌を逸している。
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