4 / 14
第3話「嵐の夜の来客」
しおりを挟む
小さな同居人が増えてから、私の生活はさらに賑やかになった。
助けた精霊獣の彼は、どうやら「ポポ」という名前がしっくりくるような気がして、勝手にそう呼んでいる。ポポは私の店を自分の縄張りだと認識したのか、森には帰らず、カウンターの隅に置いた籠ベッドで丸くなっていることが多かった。
店と言っても、まだ看板を出しただけの「準備中」の状態だ。
私がポーションを作ったり、乾燥させたハーブを袋詰めしたりしていると、ポポは興味津々で肩に乗ってきたり、器用に前足で木の実を転がしたりして遊んでいる。
そんな穏やかな日々が続いたある日のこと。
季節外れの激しい嵐が、ナギの村を襲った。
昼過ぎから雲行きが怪しくなり、夕方にはバケツをひっくり返したような土砂降りになった。
窓の外は白い雨のカーテンで何も見えない。
風が唸り声を上げて壁を叩き、古い家がきしむ音が絶え間なく響いている。
「すごい雨ね、ポポ」
私はランプの芯を少し上げて、部屋を明るくした。
ポポは雷の音に怯えているのか、私の足元にぴったりとくっついて離れない。
こんな夜は、温かいハーブティーでも飲んで早めに休むに限る。
カモミールとレモンバームをブレンドしたお茶の湯気が、部屋の中に安らぎの香りを広げていく。
その時だった。
ドンッ。
風の音とは違う、重く鈍い音が玄関の方から聞こえた。
心臓がドクンと跳ねる。
何かがぶつかったような音。あるいは、誰かが倒れ込んだような音。
こんな嵐の夜に、まさか客なんて来るはずがない。
風で折れた枝が当たっただけかもしれない。
けれど、しばらくすると、今度は微かに扉をひっかくような音が聞こえてきた。
ガリ、ガリ……と、力のない音。
「……誰か、いるの?」
私は意を決して、ランプを片手に玄関へと向かった。
ポポも不安そうに私の肩に乗って、小さな爪を立てている。
扉の前に立つ。
外からは激しい雨音。そして、その隙間から聞こえる、苦しげな荒い息遣い。
間違いない。誰かが、そこにいる。
私は深呼吸をして、重たいかんぬきを外した。
ノブを回して、扉を少しだけ開ける。
途端に、冷たい風と雨が吹き込んできて、ランプの火が揺れた。
その薄暗い明かりの中に、巨大な黒い影がうずくまっていた。
「っ……!」
息をのむ。
それは、全身を黒い鎧に包んだ男だった。
兜はなく、濡れそぼった黒髪が顔に張り付いている。
体格は立派な大男だが、今はまるで糸が切れた人形のように、ドア枠にもたれかかって崩れ落ちていた。
そして何より異様だったのは、彼から漂う気配だ。
雨の匂いに混じって、濃厚な鉄錆のような血の臭い。
さらに、彼の体の周りには、夜の闇よりもなお暗い、黒い霧のようなものがまとわりついていた。
「おい……だれか……」
男がうめくように声を絞り出す。
低く、地を這うような声。
顔を上げた瞬間、ランプの光が彼の瞳を照らした。
鋭い猛禽類のような眼光。けれどその瞳孔は開ききっていて、焦点が合っていない。
顔色は蝋のように白く、口元からは鮮血が滴っていた。
怖い。
本能がそう警鐘を鳴らした。
普通の怪我人ではない。関わってはいけない類の、危険な存在だ。
ポポが「キュウッ」と怯えて、私の髪の中に潜り込む。
でも。
彼が私の足元に伸ばした手――泥と血にまみれたその手が、震えていたのを私は見てしまった。
助けてくれ、とも言わず、ただ無意識に生にしがみつこうとするような、切実な手のひら。
その瞬間、私の中で「元聖女」としてのスイッチが、パチンと入った。
怖いとか、怪しいとか、そんなことは後回しだ。
目の前に、死にかけている命がある。
それだけで、私が動く理由は十分だった。
「しっかりして! 今、中に入れるから!」
私はランプを床に置くと、ずっしりと重い男の腕を自分の肩に回した。
冷たい。まるで氷のような体温。
鎧の重さが肩に食い込む。
一人で抱えるには無謀な重さだったけれど、私は歯を食いしばって、全身の力を振り絞った。
「よい……しょっ!」
男の体を引きずるようにして、何とか玄関の内側へと運び込む。
床に寝かせると、男はもう意識を手放したのか、ぐったりとして動かなくなった。
床板に、彼から流れ出た赤黒い液体が広がっていく。
雨水じゃない。これは、呪いの澱を含んだ血だ。
私は急いで扉を閉め、鍵をかけた。
嵐の音が一瞬遠のき、部屋の中には男の苦しげな呼吸音だけが満ちた。
これが、私と彼――ゼフィルとの、最悪で、そして運命的な出会いだった。
助けた精霊獣の彼は、どうやら「ポポ」という名前がしっくりくるような気がして、勝手にそう呼んでいる。ポポは私の店を自分の縄張りだと認識したのか、森には帰らず、カウンターの隅に置いた籠ベッドで丸くなっていることが多かった。
店と言っても、まだ看板を出しただけの「準備中」の状態だ。
私がポーションを作ったり、乾燥させたハーブを袋詰めしたりしていると、ポポは興味津々で肩に乗ってきたり、器用に前足で木の実を転がしたりして遊んでいる。
そんな穏やかな日々が続いたある日のこと。
季節外れの激しい嵐が、ナギの村を襲った。
昼過ぎから雲行きが怪しくなり、夕方にはバケツをひっくり返したような土砂降りになった。
窓の外は白い雨のカーテンで何も見えない。
風が唸り声を上げて壁を叩き、古い家がきしむ音が絶え間なく響いている。
「すごい雨ね、ポポ」
私はランプの芯を少し上げて、部屋を明るくした。
ポポは雷の音に怯えているのか、私の足元にぴったりとくっついて離れない。
こんな夜は、温かいハーブティーでも飲んで早めに休むに限る。
カモミールとレモンバームをブレンドしたお茶の湯気が、部屋の中に安らぎの香りを広げていく。
その時だった。
ドンッ。
風の音とは違う、重く鈍い音が玄関の方から聞こえた。
心臓がドクンと跳ねる。
何かがぶつかったような音。あるいは、誰かが倒れ込んだような音。
こんな嵐の夜に、まさか客なんて来るはずがない。
風で折れた枝が当たっただけかもしれない。
けれど、しばらくすると、今度は微かに扉をひっかくような音が聞こえてきた。
ガリ、ガリ……と、力のない音。
「……誰か、いるの?」
私は意を決して、ランプを片手に玄関へと向かった。
ポポも不安そうに私の肩に乗って、小さな爪を立てている。
扉の前に立つ。
外からは激しい雨音。そして、その隙間から聞こえる、苦しげな荒い息遣い。
間違いない。誰かが、そこにいる。
私は深呼吸をして、重たいかんぬきを外した。
ノブを回して、扉を少しだけ開ける。
途端に、冷たい風と雨が吹き込んできて、ランプの火が揺れた。
その薄暗い明かりの中に、巨大な黒い影がうずくまっていた。
「っ……!」
息をのむ。
それは、全身を黒い鎧に包んだ男だった。
兜はなく、濡れそぼった黒髪が顔に張り付いている。
体格は立派な大男だが、今はまるで糸が切れた人形のように、ドア枠にもたれかかって崩れ落ちていた。
そして何より異様だったのは、彼から漂う気配だ。
雨の匂いに混じって、濃厚な鉄錆のような血の臭い。
さらに、彼の体の周りには、夜の闇よりもなお暗い、黒い霧のようなものがまとわりついていた。
「おい……だれか……」
男がうめくように声を絞り出す。
低く、地を這うような声。
顔を上げた瞬間、ランプの光が彼の瞳を照らした。
鋭い猛禽類のような眼光。けれどその瞳孔は開ききっていて、焦点が合っていない。
顔色は蝋のように白く、口元からは鮮血が滴っていた。
怖い。
本能がそう警鐘を鳴らした。
普通の怪我人ではない。関わってはいけない類の、危険な存在だ。
ポポが「キュウッ」と怯えて、私の髪の中に潜り込む。
でも。
彼が私の足元に伸ばした手――泥と血にまみれたその手が、震えていたのを私は見てしまった。
助けてくれ、とも言わず、ただ無意識に生にしがみつこうとするような、切実な手のひら。
その瞬間、私の中で「元聖女」としてのスイッチが、パチンと入った。
怖いとか、怪しいとか、そんなことは後回しだ。
目の前に、死にかけている命がある。
それだけで、私が動く理由は十分だった。
「しっかりして! 今、中に入れるから!」
私はランプを床に置くと、ずっしりと重い男の腕を自分の肩に回した。
冷たい。まるで氷のような体温。
鎧の重さが肩に食い込む。
一人で抱えるには無謀な重さだったけれど、私は歯を食いしばって、全身の力を振り絞った。
「よい……しょっ!」
男の体を引きずるようにして、何とか玄関の内側へと運び込む。
床に寝かせると、男はもう意識を手放したのか、ぐったりとして動かなくなった。
床板に、彼から流れ出た赤黒い液体が広がっていく。
雨水じゃない。これは、呪いの澱を含んだ血だ。
私は急いで扉を閉め、鍵をかけた。
嵐の音が一瞬遠のき、部屋の中には男の苦しげな呼吸音だけが満ちた。
これが、私と彼――ゼフィルとの、最悪で、そして運命的な出会いだった。
1
あなたにおすすめの小説
【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。
ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。
彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。
婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。
そして迎えた学園卒業パーティー。
ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。
ガッツポーズを決めるリリアンヌ。
そのままアレックスに飛び込むかと思いきや――
彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。
妹が欲しがるので婚約者をくれてやりましたが、私の本命は別にいます
Megumi
恋愛
姉・メアリーの真似ばかりして、周囲から姉を孤立させていく妹・セラフィーナ。
あなたはお姉さんだからと、両親はいつも妹の味方だった。
ついには、メアリーの婚約者・アルヴィンまで欲しがった。
「お姉様、アルヴィン様をシェアしましょう?」
そう囁く妹に、メアリーは婚約者を譲ることに。
だって——それらは全部、最初から「どうでもいいもの」だったから。
これは、すべてを奪われたはずの姉が、最後に一番大切なものを手にいれる物語。
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
追放したんでしょ?楽しく暮らしてるのでほっといて
だましだまし
ファンタジー
私たちの未来の王子妃を影なり日向なりと支える為に存在している。
敬愛する侯爵令嬢ディボラ様の為に切磋琢磨し、鼓舞し合い、己を磨いてきた。
決して追放に備えていた訳では無いのよ?
【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました
あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。
この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった
海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····?
友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))
【完結】 ご存知なかったのですね。聖女は愛されて力を発揮するのです
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
本当の聖女だと知っているのにも関わらずリンリーとの婚約を破棄し、リンリーの妹のリンナールと婚約すると言い出した王太子のヘルーラド。陛下が承諾したのなら仕方がないと身を引いたリンリー。
リンナールとヘルーラドの婚約発表の時、リンリーにとって追放ととれる発表までされて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる