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第8話「冬祭りの赤いリボン」
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アルンの街は、かつてないにぎわいを見せていた。
冬の祭りは、この地方で最も重要な行事の一つだ。厳しい冬を乗り越えるために人々が集まり、温かい料理や酒を楽しみ、互いの無事を祈る。
街路樹には色とりどりの布が飾られ、広場には巨大なモミの木が立てられている。
その広場の一角、噴水のそばという絶好のロケーションに、マルセルが用意してくれた出店があった。
天幕は鮮やかな赤と白のストライプ。
カウンターには清潔な白いクロスが掛けられ、ガラスのケース――高価な魔導具だ――の中に、僕たちの作った『花のショコラ』が宝石のように並べられている。
「すごい……私たちのお店、一番目立ってる!」
ミナが興奮気味に僕の腕を引く。
「ああ。マルセルさん、本気だね」
これだけの設備を整えるのに、どれほどの金貨が動いたのか想像もつかない。
そのマルセル本人は、店の奥で優雅にパイプをふかしていた。
「来たか、主役たち。準備はいいか?」
「はい、商品は全てここに」
僕たちが荷下ろしを始めると、すぐに通りを行く人々が足を止めた。
「なんだあれ? 新しい店か?」
「お菓子みたいだけど……黒いな」
「でも、すごくいい匂いがする」
カカオの香りは、寒空の下でも強く漂う。甘く、どこか焦げたような、魅惑的な香り。
僕は深呼吸をして、声を張り上げた。
「いらっしゃいませ! 新作菓子、ショコラはいかがですか! 心も体も温まる、魔法のような口どけです!」
最初は遠巻きに見ていた人々だったが、マルセルが雇ったサクラ――いや、宣伝役の綺麗な女性たちが「きゃあ、美味しい!」「何これ、素敵!」と声を上げると、せきを切ったように客が押し寄せた。
「これ、一つください」
最初に買ってくれたのは、若い貴族風の男性だった。
「ありがとうございます。贈り物ですか?」
「ああ、妻にね。珍しいものが好きだから」
彼が深紅の小箱を受け取り、リボンのかかった包みを見て微笑む。
それを見ていた周りの人々が、次々と財布を開き始めた。
「私も一つ!」
「三つくれ!」
「試食はないの?」
ミナが手際よく試食品を配る。
一口食べた瞬間、客の表情が変わる。驚き、陶酔、そして笑顔。
その波は瞬く間に広がっていった。
午後になると、客層に変化が現れた。
若い女性が増えたのだ。
この世界にはまだバレンタインはないが、祭りの日に親しい人に贈り物をする習慣はある。
「あの……これ、甘いですよね?」
おずおずと声をかけてきたのは、フードを目深に被った少女だった。歳はミナと同じくらいだろうか。
「はい。苦味の中に、深い甘みがあります」
僕は丁寧に答えた。
「その……好きな男の子に、あげようと思うんですけど……変じゃないですか? 黒いお菓子なんて」
彼女の頬は、寒さのせいか、それとも恥ずかしさのせいか、赤く染まっている。
僕はミナと顔を見合わせた。
これだ。僕たちが作りたかった光景は。
ミナが身を乗り出し、少女の手を握った。
「全然変じゃないよ! このお花にはね、『特別な想い』って意味が込められてるの。だから、きっと伝わるわ」
それは今考えた即席の売り文句だったかもしれないが、ミナの言葉には真実味があった。
少女は安心したように顔を上げ、花のような笑顔を見せた。
「じゃあ、一番きれいなのを一つください!」
少女が大事そうに箱を抱えて去っていく背中を見送りながら、僕は確かな手応えを感じていた。
ただの菓子ではない。
想いを伝えるための『鍵』として、ショコラが受け入れられつつある。
「ルカ、在庫がやばい!」
夕暮れ時、ミナの悲鳴に近い声が上がった。
「えっ、もう?」
「あと五十個しかないよ! 列はまだこんなにあるのに!」
予想以上の売れ行きだ。五百個なんて強気すぎたかと思ったが、心配無用だった。
マルセルがニヤリと笑いながら近づいてくる。
「見ろ、ルカ。これが『流行』が生まれる瞬間だ」
彼は満足そうに群衆を見渡した。
「人は新しい刺激を求めている。そしてお前の菓子は、その渇きを癒やす力がある。……追加生産は可能か?」
「すぐには無理です。熟成とテンパリングに時間がかかりますから」
「ふむ。飢餓感をあおるのも悪くない商法だ。今日は完売御礼で閉めよう」
最後の一つが売れたのは、祭りの灯りが最も美しく輝く時間だった。
「ごめんなさい、売り切れです!」
ミナの声が響き、並んでいた人々から残念そうな溜め息が漏れる。
「明日はもっとたくさん持ってきますから!」
僕が叫ぶと、客たちはしぶしぶ散っていった。
空になったショーケースの前で、僕はへなへなと座り込んだ。
疲れた。足は棒のようだし、喉はカラカラだ。
けれど、心は満ち足りていた。
銀貨が詰まった革袋の重み。
そして何より、今日一日で見た数え切れないほどの笑顔。
「やったね、ルカ」
隣に座り込んだミナが、肩を寄せてくる。
「うん。やったよ」
見上げれば、冬の夜空に花火が上がっていた。
色とりどりの光が、僕たちの成功を祝福しているようだった。
だが、この時の僕はまだ知らなかった。
光が強ければ強いほど、その足元には濃い影が落ちるということを。
大成功の裏で、静かに、しかし確実に広がり始めた波紋に、僕はまだ気づいていなかった。
冬の祭りは、この地方で最も重要な行事の一つだ。厳しい冬を乗り越えるために人々が集まり、温かい料理や酒を楽しみ、互いの無事を祈る。
街路樹には色とりどりの布が飾られ、広場には巨大なモミの木が立てられている。
その広場の一角、噴水のそばという絶好のロケーションに、マルセルが用意してくれた出店があった。
天幕は鮮やかな赤と白のストライプ。
カウンターには清潔な白いクロスが掛けられ、ガラスのケース――高価な魔導具だ――の中に、僕たちの作った『花のショコラ』が宝石のように並べられている。
「すごい……私たちのお店、一番目立ってる!」
ミナが興奮気味に僕の腕を引く。
「ああ。マルセルさん、本気だね」
これだけの設備を整えるのに、どれほどの金貨が動いたのか想像もつかない。
そのマルセル本人は、店の奥で優雅にパイプをふかしていた。
「来たか、主役たち。準備はいいか?」
「はい、商品は全てここに」
僕たちが荷下ろしを始めると、すぐに通りを行く人々が足を止めた。
「なんだあれ? 新しい店か?」
「お菓子みたいだけど……黒いな」
「でも、すごくいい匂いがする」
カカオの香りは、寒空の下でも強く漂う。甘く、どこか焦げたような、魅惑的な香り。
僕は深呼吸をして、声を張り上げた。
「いらっしゃいませ! 新作菓子、ショコラはいかがですか! 心も体も温まる、魔法のような口どけです!」
最初は遠巻きに見ていた人々だったが、マルセルが雇ったサクラ――いや、宣伝役の綺麗な女性たちが「きゃあ、美味しい!」「何これ、素敵!」と声を上げると、せきを切ったように客が押し寄せた。
「これ、一つください」
最初に買ってくれたのは、若い貴族風の男性だった。
「ありがとうございます。贈り物ですか?」
「ああ、妻にね。珍しいものが好きだから」
彼が深紅の小箱を受け取り、リボンのかかった包みを見て微笑む。
それを見ていた周りの人々が、次々と財布を開き始めた。
「私も一つ!」
「三つくれ!」
「試食はないの?」
ミナが手際よく試食品を配る。
一口食べた瞬間、客の表情が変わる。驚き、陶酔、そして笑顔。
その波は瞬く間に広がっていった。
午後になると、客層に変化が現れた。
若い女性が増えたのだ。
この世界にはまだバレンタインはないが、祭りの日に親しい人に贈り物をする習慣はある。
「あの……これ、甘いですよね?」
おずおずと声をかけてきたのは、フードを目深に被った少女だった。歳はミナと同じくらいだろうか。
「はい。苦味の中に、深い甘みがあります」
僕は丁寧に答えた。
「その……好きな男の子に、あげようと思うんですけど……変じゃないですか? 黒いお菓子なんて」
彼女の頬は、寒さのせいか、それとも恥ずかしさのせいか、赤く染まっている。
僕はミナと顔を見合わせた。
これだ。僕たちが作りたかった光景は。
ミナが身を乗り出し、少女の手を握った。
「全然変じゃないよ! このお花にはね、『特別な想い』って意味が込められてるの。だから、きっと伝わるわ」
それは今考えた即席の売り文句だったかもしれないが、ミナの言葉には真実味があった。
少女は安心したように顔を上げ、花のような笑顔を見せた。
「じゃあ、一番きれいなのを一つください!」
少女が大事そうに箱を抱えて去っていく背中を見送りながら、僕は確かな手応えを感じていた。
ただの菓子ではない。
想いを伝えるための『鍵』として、ショコラが受け入れられつつある。
「ルカ、在庫がやばい!」
夕暮れ時、ミナの悲鳴に近い声が上がった。
「えっ、もう?」
「あと五十個しかないよ! 列はまだこんなにあるのに!」
予想以上の売れ行きだ。五百個なんて強気すぎたかと思ったが、心配無用だった。
マルセルがニヤリと笑いながら近づいてくる。
「見ろ、ルカ。これが『流行』が生まれる瞬間だ」
彼は満足そうに群衆を見渡した。
「人は新しい刺激を求めている。そしてお前の菓子は、その渇きを癒やす力がある。……追加生産は可能か?」
「すぐには無理です。熟成とテンパリングに時間がかかりますから」
「ふむ。飢餓感をあおるのも悪くない商法だ。今日は完売御礼で閉めよう」
最後の一つが売れたのは、祭りの灯りが最も美しく輝く時間だった。
「ごめんなさい、売り切れです!」
ミナの声が響き、並んでいた人々から残念そうな溜め息が漏れる。
「明日はもっとたくさん持ってきますから!」
僕が叫ぶと、客たちはしぶしぶ散っていった。
空になったショーケースの前で、僕はへなへなと座り込んだ。
疲れた。足は棒のようだし、喉はカラカラだ。
けれど、心は満ち足りていた。
銀貨が詰まった革袋の重み。
そして何より、今日一日で見た数え切れないほどの笑顔。
「やったね、ルカ」
隣に座り込んだミナが、肩を寄せてくる。
「うん。やったよ」
見上げれば、冬の夜空に花火が上がっていた。
色とりどりの光が、僕たちの成功を祝福しているようだった。
だが、この時の僕はまだ知らなかった。
光が強ければ強いほど、その足元には濃い影が落ちるということを。
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