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第1話「落ちこぼれと魔導書」
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「おい、そこにいるのは出来損ないのユキナリじゃないか」
背後から投げつけられた声に、ユキナリはびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると予想通りの人物が腕を組んで立っている。
艶やかな黒髪に整った顔立ち。家柄の良さをこれでもかと主張する上等な制服を着こなした彼は、ゼノン・フォン・シュバルツ。ユキナリと同じ貴族の家系に生まれた少年だ。
「……ゼノン様」
「まだ入学を諦めていなかったのか? お前のような魔力なしがこんな場所にいつまでもしがみついているとはな。見苦しいとは思わないのか?」
嘲るような笑みがユキナリの胸を抉る。
ここはエルミナ王国のエリートを育成するシルヴァリア魔法学園。入学を目指す貴族の子弟が多く集うこの場所で、ユキナリは場違いな存在だった。
魔力は人並み以上にあるものの、それを魔法として形にできない。何度試しても掌から放たれるのは制御不能な魔力の塊だけで、基本的な炎の魔法一つ使えないのだ。
そんな彼は周囲から「出来損ない」「アステール家の恥」と蔑まれていた。
「……僕は、まだ諦めたくありません」
かろうじて絞り出した声は自分でも情けないほど震えていた。
ゼノンは鼻で笑う。
「諦めが悪いのも才能のうち、とは言わないな。無駄な努力だ。お前には才能がない。それだけのことだろう」
言い返す言葉が見つからない。事実だからだ。
家の者たちからも教師たちからも才能がないと断じられている。それでもユキナリは魔法使いになる夢を捨てきれずにいた。幼い頃に見た宮廷魔術師の放つ光の魔法が、今も鮮やかに瞼の裏に焼き付いている。
「まあいい。せいぜい足掻くことだな。俺はもうすぐ新しい従魔と契約する。お前は従魔どころか魔法の一つも使えないまま、ここで惨めに埃を舐めていろ」
吐き捨てるように言うと、ゼノンは取り巻きたちを引き連れて去っていく。高らかな笑い声がやけに広く感じる廊下に響き渡った。
一人残されたユキナリはぎゅっと唇を噛みしめる。悔しさで滲んだ視界を制服の袖で乱暴に拭った。
どうして、僕だけが。
胸に渦巻くのはどうしようもない無力感だ。努力が足りないと言われればこれ以上ないほど努力してきたつもりだった。血が滲むほど魔力操作の訓練をしても結果はいつも同じだった。
授業が終わった放課後、誰もいなくなった教室で一人魔導書を広げるのが彼の日課だった。だが今日はそんな気力すら湧いてこない。
重い足取りで向かったのは学園の片隅にある古い図書館だった。あまり生徒が寄りつかないこの場所は、ユキナリにとって唯一の安息の地だ。
高い天井まで届く書架にはびっしりと本が詰め込まれている。革と古い紙の匂いが混じり合った独特の空気が好きだった。
何をするでもなく書架の間をさまよっていると、ふと足元で何かが光ったような気がした。
「……なんだろう」
屈み込んでみると、書架の一番下の段、埃をかぶった本の間に一冊だけ装丁の違う本が挟まっている。表紙は黒い革で覆われ何の装飾もない。ただ中央にかすかに紋様が刻まれているのが見て取れた。
何かに引かれるようにユキナリはその本を手に取る。ずしりと重かった。
ぱらぱらとページをめくってみるが、そこには何も書かれていない。ただ白紙のページが続くだけだ。
「……白紙の魔導書?」
魔導書は魔法使いが魔法を学び記録するための本だ。白紙の魔導書は持ち主が自ら魔法を書き込んでいくものだが、それにしても何の紋様も刻まれていないのは珍しい。
がっかりして本を閉じようとしたその瞬間。
ユキナリの手から淡い光が溢れ出した。空色の魔力が、まるで吸い込まれるように魔導書の中へと流れ込んでいく。
「うわっ!?」
驚いて手を離そうとするが、魔導書は磁石のように掌に吸い付いて離れない。
そして魔導書のページがひとりでにぱらぱらとめくれ始めた。白紙だったはずのページに見たこともない複雑な魔法陣が浮かび上がり、目も眩むほどの光を放つ。
光が収まった時、ユキナリの目の前には半透明の少年の姿が浮かんでいた。自分と同じくらいの歳だろうか。黒い髪に少し吊り上がった黒い瞳。どこか現代的な見慣れない服を着ている。
『……うおっ、まぶしっ。なんだよ、やっと起きれたのか? ずいぶん寝ちまったみたいだな』
少年は気だるそうに頭を掻きながら辺りを見回した。そして目の前で呆然と立ち尽くすユキナリに気づくと、ニヤリと口の端を吊り上げる。
『あんたが俺を呼んだのか? なかなか上質な魔力じゃねえか。おかげでようやくこの本から出られた』
「き、君は……誰? 幽霊……?」
『幽霊とは失礼な。俺はカイ。見ての通りこの魔導書に宿ってた魂ってとこだ』
カイと名乗る少年は、ふわりと宙に浮いたままユキナリの周りを一周した。
『ふーん。あんた、面白い魔力してんな。量は馬鹿みたいにあるのに全然制御できてねえ。まるでだだ漏れの水道管だ』
「……っ!」
図星を突かれてユキナリは顔を赤くする。初めて会った相手にまでそんなことを言われるなんて。
『まあ落ち着けよ。別に馬鹿にしてるわけじゃねえ。むしろ宝の持ち腐れだって言ってるんだ』
カイはユキナリの目の前にふわりと降り立つと、その空色の瞳をじっと覗き込んだ。
『あんた、強くなりたいか?』
その問いにユキナリは息をのんだ。
強くなりたいか、なんて。当たり前だ。誰にも馬鹿にされず胸を張って魔法を使えるようになりたい。ずっと、ずっとそう願ってきた。
「……なりたい。強くなりたいです」
震える声で答えるとカイは満足そうに頷いた。
『よし、決まりだ。いいか、よく聞け。俺は前の世界で死んで気づいたらこの魔導書の中にいた。ここがどんな世界なのかは知らねえが、どうやら魔法ってのがあるらしい。そして、俺には前の世界の知識がある』
「前の世界の……知識?」
『ああ。物理、化学、数学……あんたらの言う魔法とは違う、世界の理(ことわり)を解き明かす知識だ。それを使えば、あんたのそのだだ漏れの魔力もきっとうまく使えるようになる』
カイの言葉は悪魔の囁きのようだった。だが今のユキナリには神の啓示にも聞こえた。
『ただし、タダじゃねえぞ。俺をこの魔導書から完全に解放するにはもっと膨大な魔力が必要だ。だからあんたに協力してやる代わりに、あんたは俺の主(マスター)になれ』
「主……?」
『そう。あんたが強くなって俺に魔力を供給する。俺はあんたに知識を与え最強への道を切り開いてやる。主従契約ってやつだ。どうだ、悪い話じゃないだろ?』
カイは手を差し伸べる。もちろん半透明のその手に触れることはできない。けれどそれは確かに契約の誘いだった。
ユキナリは迷った。見ず知らずの魂と契約するなんて普通ならあり得ない。だが彼の瞳は真剣だった。そしてカイの言葉には、ユキナリが今まで誰からも与えられなかった「可能性」という光が宿っていた。
もう出来損ないなんて言われたくない。ゼノンを見返したい。そして夢を叶えたい。
ユキナリは固く拳を握りしめた。
「……わかった。契約します。僕を強くしてください」
その言葉を聞くと、カイはこれまでで一番楽しそうな笑みを浮かべた。
『交渉成立だ。よろしくな、俺の主。――今日からお前を俺が最強の魔法使いにしてやる』
黒い魔導書が再び淡い光を放ち二人の間に見えない絆が結ばれる。
落ちこぼれと呼ばれた少年の運命が、一人の魂との出会いによって大きく動き出そうとしていた。
背後から投げつけられた声に、ユキナリはびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると予想通りの人物が腕を組んで立っている。
艶やかな黒髪に整った顔立ち。家柄の良さをこれでもかと主張する上等な制服を着こなした彼は、ゼノン・フォン・シュバルツ。ユキナリと同じ貴族の家系に生まれた少年だ。
「……ゼノン様」
「まだ入学を諦めていなかったのか? お前のような魔力なしがこんな場所にいつまでもしがみついているとはな。見苦しいとは思わないのか?」
嘲るような笑みがユキナリの胸を抉る。
ここはエルミナ王国のエリートを育成するシルヴァリア魔法学園。入学を目指す貴族の子弟が多く集うこの場所で、ユキナリは場違いな存在だった。
魔力は人並み以上にあるものの、それを魔法として形にできない。何度試しても掌から放たれるのは制御不能な魔力の塊だけで、基本的な炎の魔法一つ使えないのだ。
そんな彼は周囲から「出来損ない」「アステール家の恥」と蔑まれていた。
「……僕は、まだ諦めたくありません」
かろうじて絞り出した声は自分でも情けないほど震えていた。
ゼノンは鼻で笑う。
「諦めが悪いのも才能のうち、とは言わないな。無駄な努力だ。お前には才能がない。それだけのことだろう」
言い返す言葉が見つからない。事実だからだ。
家の者たちからも教師たちからも才能がないと断じられている。それでもユキナリは魔法使いになる夢を捨てきれずにいた。幼い頃に見た宮廷魔術師の放つ光の魔法が、今も鮮やかに瞼の裏に焼き付いている。
「まあいい。せいぜい足掻くことだな。俺はもうすぐ新しい従魔と契約する。お前は従魔どころか魔法の一つも使えないまま、ここで惨めに埃を舐めていろ」
吐き捨てるように言うと、ゼノンは取り巻きたちを引き連れて去っていく。高らかな笑い声がやけに広く感じる廊下に響き渡った。
一人残されたユキナリはぎゅっと唇を噛みしめる。悔しさで滲んだ視界を制服の袖で乱暴に拭った。
どうして、僕だけが。
胸に渦巻くのはどうしようもない無力感だ。努力が足りないと言われればこれ以上ないほど努力してきたつもりだった。血が滲むほど魔力操作の訓練をしても結果はいつも同じだった。
授業が終わった放課後、誰もいなくなった教室で一人魔導書を広げるのが彼の日課だった。だが今日はそんな気力すら湧いてこない。
重い足取りで向かったのは学園の片隅にある古い図書館だった。あまり生徒が寄りつかないこの場所は、ユキナリにとって唯一の安息の地だ。
高い天井まで届く書架にはびっしりと本が詰め込まれている。革と古い紙の匂いが混じり合った独特の空気が好きだった。
何をするでもなく書架の間をさまよっていると、ふと足元で何かが光ったような気がした。
「……なんだろう」
屈み込んでみると、書架の一番下の段、埃をかぶった本の間に一冊だけ装丁の違う本が挟まっている。表紙は黒い革で覆われ何の装飾もない。ただ中央にかすかに紋様が刻まれているのが見て取れた。
何かに引かれるようにユキナリはその本を手に取る。ずしりと重かった。
ぱらぱらとページをめくってみるが、そこには何も書かれていない。ただ白紙のページが続くだけだ。
「……白紙の魔導書?」
魔導書は魔法使いが魔法を学び記録するための本だ。白紙の魔導書は持ち主が自ら魔法を書き込んでいくものだが、それにしても何の紋様も刻まれていないのは珍しい。
がっかりして本を閉じようとしたその瞬間。
ユキナリの手から淡い光が溢れ出した。空色の魔力が、まるで吸い込まれるように魔導書の中へと流れ込んでいく。
「うわっ!?」
驚いて手を離そうとするが、魔導書は磁石のように掌に吸い付いて離れない。
そして魔導書のページがひとりでにぱらぱらとめくれ始めた。白紙だったはずのページに見たこともない複雑な魔法陣が浮かび上がり、目も眩むほどの光を放つ。
光が収まった時、ユキナリの目の前には半透明の少年の姿が浮かんでいた。自分と同じくらいの歳だろうか。黒い髪に少し吊り上がった黒い瞳。どこか現代的な見慣れない服を着ている。
『……うおっ、まぶしっ。なんだよ、やっと起きれたのか? ずいぶん寝ちまったみたいだな』
少年は気だるそうに頭を掻きながら辺りを見回した。そして目の前で呆然と立ち尽くすユキナリに気づくと、ニヤリと口の端を吊り上げる。
『あんたが俺を呼んだのか? なかなか上質な魔力じゃねえか。おかげでようやくこの本から出られた』
「き、君は……誰? 幽霊……?」
『幽霊とは失礼な。俺はカイ。見ての通りこの魔導書に宿ってた魂ってとこだ』
カイと名乗る少年は、ふわりと宙に浮いたままユキナリの周りを一周した。
『ふーん。あんた、面白い魔力してんな。量は馬鹿みたいにあるのに全然制御できてねえ。まるでだだ漏れの水道管だ』
「……っ!」
図星を突かれてユキナリは顔を赤くする。初めて会った相手にまでそんなことを言われるなんて。
『まあ落ち着けよ。別に馬鹿にしてるわけじゃねえ。むしろ宝の持ち腐れだって言ってるんだ』
カイはユキナリの目の前にふわりと降り立つと、その空色の瞳をじっと覗き込んだ。
『あんた、強くなりたいか?』
その問いにユキナリは息をのんだ。
強くなりたいか、なんて。当たり前だ。誰にも馬鹿にされず胸を張って魔法を使えるようになりたい。ずっと、ずっとそう願ってきた。
「……なりたい。強くなりたいです」
震える声で答えるとカイは満足そうに頷いた。
『よし、決まりだ。いいか、よく聞け。俺は前の世界で死んで気づいたらこの魔導書の中にいた。ここがどんな世界なのかは知らねえが、どうやら魔法ってのがあるらしい。そして、俺には前の世界の知識がある』
「前の世界の……知識?」
『ああ。物理、化学、数学……あんたらの言う魔法とは違う、世界の理(ことわり)を解き明かす知識だ。それを使えば、あんたのそのだだ漏れの魔力もきっとうまく使えるようになる』
カイの言葉は悪魔の囁きのようだった。だが今のユキナリには神の啓示にも聞こえた。
『ただし、タダじゃねえぞ。俺をこの魔導書から完全に解放するにはもっと膨大な魔力が必要だ。だからあんたに協力してやる代わりに、あんたは俺の主(マスター)になれ』
「主……?」
『そう。あんたが強くなって俺に魔力を供給する。俺はあんたに知識を与え最強への道を切り開いてやる。主従契約ってやつだ。どうだ、悪い話じゃないだろ?』
カイは手を差し伸べる。もちろん半透明のその手に触れることはできない。けれどそれは確かに契約の誘いだった。
ユキナリは迷った。見ず知らずの魂と契約するなんて普通ならあり得ない。だが彼の瞳は真剣だった。そしてカイの言葉には、ユキナリが今まで誰からも与えられなかった「可能性」という光が宿っていた。
もう出来損ないなんて言われたくない。ゼノンを見返したい。そして夢を叶えたい。
ユキナリは固く拳を握りしめた。
「……わかった。契約します。僕を強くしてください」
その言葉を聞くと、カイはこれまでで一番楽しそうな笑みを浮かべた。
『交渉成立だ。よろしくな、俺の主。――今日からお前を俺が最強の魔法使いにしてやる』
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