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第8話「新たな仲間とは、新しい風の入り口である」
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銀狼族の獣人の少女――彼女の名前は、ミナといった。
僕がスキルで彼女の苦痛を取り除いてから数日後、ミナは意識を取り戻した。しかし、彼女の心は、固く閉ざされたままだった。
ミナは、誰かが部屋に入ってくると、びくりと体を震わせ、ベッドの隅で小さくなる。特に、男性に対しては、異常なほどの恐怖心を示した。僕が近づこうものなら、まるで小動物のように怯え、銀色の瞳を潤ませる。
「……無理もないわ。奴隷商人に、ひどい目に遭わされてきたんでしょうから」
リリアは、ミナの食事を運びながら、悲しそうに言った。
ミナは、差し出された食事にも、ほとんど手を出そうとしなかった。
彼女の心には、「恐怖」という名の、分厚い壁が築かれてしまっている。
僕の【再翻訳】で、肉体的な傷は癒せても、心に深く刻まれたトラウマまでを完全に消し去ることは、難しいのかもしれない。
『いや、そんなことはないはずだ』
僕のスキルは、概念を書き換える力。
「恐怖」という概念を、別のものに書き換えることは、可能なはずだ。
問題は、どうやって、その概念にアクセスするか。
僕は、毎日、ミナの部屋に通った。
無理に話しかけたりはしない。ただ、ベッドから少し離れた椅子に座って、静かに本を読んだり、窓の外を眺めたりして過ごした。
僕が、彼女にとって「無害な存在」であると、認識してもらうために。
最初は、僕がいるだけで体をこわばらせていたミナも、数日経つと、少しだけリラックスした様子を見せるようになった。僕が部屋にいても、ベッドの隅で膝を抱えるのではなく、時々、布団の中からこっそりと僕の様子をうかがうようになった。
『よし、少しは慣れてくれたか』
***
ある日、僕は一冊の絵本を持って、彼女の部屋を訪れた。
それは、僕が王都で買ってきた、動物たちがたくさん出てくる物語だ。
「ミナ。もし、嫌じゃなかったら、この本を読んであげようか?」
僕は、できるだけ優しい声で、語りかけた。
ミナは、びくっと体を震わせたが、僕が持っている絵本の表紙に描かれた、可愛らしいウサギの絵に、興味を引かれたようだった。
こくり、と。
彼女が、小さく頷いた。
それは、彼女がこの村に来てから、初めて見せた、肯定の意思表示だった。
僕は、ゆっくりとベッドのそばに近づき、絵本を開いた。
そして、物語を読み始めた。
それは、森の動物たちが、力を合わせて大きなカブを抜く、という他愛のない話だ。
僕は、登場する動物たちの声を、少しだけ変えながら、抑揚をつけて読んでいく。
ミナは、最初は布団を深く被っていたが、物語が進むにつれて、少しずつ顔を出し始めた。
そして、僕が物語を読み終える頃には、その銀色の大きな瞳で、じっと絵本を見つめていた。
「……おしまい」
僕が本を閉じると、ミナは、何か言いたそうに、僕の顔と絵本を交互に見た。
「……もう、いっかい」
か細い、蚊の鳴くような声だった。
でも、確かに、彼女はそう言った。
「ああ、いいとも。何度でも読んであげる」
僕は、微笑んで、もう一度、絵本の最初のページを開いた。
その日から、僕とミナの間には、ささやかな交流が生まれた。
毎日、決まった時間に、僕は彼女に絵本を読んでやる。ミナは、それを静かに聞いている。
時には、僕が読んでやった物語の感想を、ぽつり、ぽつりと話してくれることもあった。
彼女の心の壁が、少しずつ、溶け始めているのを感じた。
***
そして、ある晴れた日の午後。
僕は、ミナを外に連れ出してみることにした。
「ミナ、少しだけ、散歩をしないか?外は、いい天気だよ」
僕の誘いに、ミナは一瞬ためらったが、やがて、こくりと頷いた。
僕が手を差し出すと、おそるおそる、その小さな手を僕の手に重ねてきた。
冷たくて、震えている手だった。
僕たちは、ゆっくりと村の中を歩いた。
村人たちは、僕とミナの姿を遠巻きに眺めていたが、誰も無遠慮に近づいてきたりはしなかった。リリアが、事前にみんなに話をしておいてくれたのだろう。
僕たちは、村のはずれにある、見晴らしのいい丘の上までやってきた。
丘の上からは、黄金色に輝く麦畑と、活気に満ちた村の様子が一望できた。
ミナは、その光景を、ただ黙って見つめていた。
その横顔に、僕は静かに語りかけた。
「ここは、希望の谷。僕が、僕の仲間たちと一緒に作った場所だ。ここには、君を傷つける者は誰もいない。誰もが、君の幸せを願っている」
僕の言葉に、ミナの肩が、小さく震えた。
銀色の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
「……こわい」
ミナは、絞り出すような声で言った。
「……また、あの人たちが、くる。また、つれていかれる。いたいのは、いや……こわいのは、いや……」
彼女の心に巣食う「恐怖」が、言葉となって溢れ出してくる。
今だ、と僕は思った。
僕は、ミナの手を、両手で優しく包み込んだ。
そして、彼女の瞳をまっすぐに見つめ、スキルを発動した。
『【再翻訳】、発動。対象は、ミナの心に存在する「奴隷商人への恐怖」と「未来への絶望」。そして、翻訳後の概念は――』
僕は、どんな言葉に置き換えるべきか、一瞬迷った。
単純に、「安心」や「安全」という言葉では、足りない気がした。
『――そうだ。「僕が君を絶対に守るという、揺るぎない約束」に』
僕の体から、温かい光が放たれ、ミナの体を包み込む。
それは、今までで一番、優しくて、温かい光だった。
ミナは、驚いたように目を見開いた。
彼女の瞳に宿っていた恐怖の色が、すうっと消えていく。
代わりに、そこには、澄み切った湖のような、静かな色が浮かんでいた。
涙は、まだ止まらない。
でも、それはさっきまでの、恐怖からくる涙ではなかった。
「……あ……」
ミナは、何かを確かめるように、自分の胸に手を当てた。
「もう、大丈夫だ。僕が、絶対に君を守るから」
僕がそう言うと、ミナは、わっと声を上げて泣き出した。
そして、僕の胸に、顔をうずめてきた。
子供のように、声を上げて、泣きじゃくる。
今まで、溜め込んできた全ての恐怖と悲しみを、吐き出すかのように。
僕は、そんな彼女の背中を、ただ黙って、優しく撫で続けた。
どれくらい、そうしていただろうか。
やがて、ミナの泣き声が、少しずつ小さくなっていった。
顔を上げた彼女の目は、真っ赤に腫れていたけれど、その表情は、驚くほど穏やかだった。
「……カイリ」
ミナは、僕の名前を呼んだ。
「……おなかすいた」
僕は、その言葉に、思わず吹き出してしまった。
そして、ミナも、つられるように、ふふっと小さく笑った。
それは、彼女がこの村に来てから、初めて見せた、心からの笑顔だった。
***
その日を境に、ミナは、本当の意味で、村の一員になった。
彼女は、リリアに懐き、いつも後をついて回るようになった。もふもふの尻尾をぱたぱたと振りながら、リリアの手伝いをする姿は、村の新しい名物になった。
そして、ミナは、僕にも、とても懐いてくれた。
僕を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきては、ぎゅっと抱きついてくる。
そのたびに、僕の心は、温かいもので満たされていくのだった。
新しい仲間。
新しい家族。
僕が守るべきものが、また1つ、増えた。
この穏やかな日々が、ずっと続けばいい。
心の底から、そう願っていた。
しかし、運命というやつは、どうやら僕に、平穏なスローライフを送らせてくれる気はないらしい。
***
ある日、村の門に、一人の騎士がやってきた。
その騎士が乗る馬には、見覚えのある紋章が掲げられていた。
赤地に、金色の獅子。
――アルクライト公爵家の、紋章だった。
僕がスキルで彼女の苦痛を取り除いてから数日後、ミナは意識を取り戻した。しかし、彼女の心は、固く閉ざされたままだった。
ミナは、誰かが部屋に入ってくると、びくりと体を震わせ、ベッドの隅で小さくなる。特に、男性に対しては、異常なほどの恐怖心を示した。僕が近づこうものなら、まるで小動物のように怯え、銀色の瞳を潤ませる。
「……無理もないわ。奴隷商人に、ひどい目に遭わされてきたんでしょうから」
リリアは、ミナの食事を運びながら、悲しそうに言った。
ミナは、差し出された食事にも、ほとんど手を出そうとしなかった。
彼女の心には、「恐怖」という名の、分厚い壁が築かれてしまっている。
僕の【再翻訳】で、肉体的な傷は癒せても、心に深く刻まれたトラウマまでを完全に消し去ることは、難しいのかもしれない。
『いや、そんなことはないはずだ』
僕のスキルは、概念を書き換える力。
「恐怖」という概念を、別のものに書き換えることは、可能なはずだ。
問題は、どうやって、その概念にアクセスするか。
僕は、毎日、ミナの部屋に通った。
無理に話しかけたりはしない。ただ、ベッドから少し離れた椅子に座って、静かに本を読んだり、窓の外を眺めたりして過ごした。
僕が、彼女にとって「無害な存在」であると、認識してもらうために。
最初は、僕がいるだけで体をこわばらせていたミナも、数日経つと、少しだけリラックスした様子を見せるようになった。僕が部屋にいても、ベッドの隅で膝を抱えるのではなく、時々、布団の中からこっそりと僕の様子をうかがうようになった。
『よし、少しは慣れてくれたか』
***
ある日、僕は一冊の絵本を持って、彼女の部屋を訪れた。
それは、僕が王都で買ってきた、動物たちがたくさん出てくる物語だ。
「ミナ。もし、嫌じゃなかったら、この本を読んであげようか?」
僕は、できるだけ優しい声で、語りかけた。
ミナは、びくっと体を震わせたが、僕が持っている絵本の表紙に描かれた、可愛らしいウサギの絵に、興味を引かれたようだった。
こくり、と。
彼女が、小さく頷いた。
それは、彼女がこの村に来てから、初めて見せた、肯定の意思表示だった。
僕は、ゆっくりとベッドのそばに近づき、絵本を開いた。
そして、物語を読み始めた。
それは、森の動物たちが、力を合わせて大きなカブを抜く、という他愛のない話だ。
僕は、登場する動物たちの声を、少しだけ変えながら、抑揚をつけて読んでいく。
ミナは、最初は布団を深く被っていたが、物語が進むにつれて、少しずつ顔を出し始めた。
そして、僕が物語を読み終える頃には、その銀色の大きな瞳で、じっと絵本を見つめていた。
「……おしまい」
僕が本を閉じると、ミナは、何か言いたそうに、僕の顔と絵本を交互に見た。
「……もう、いっかい」
か細い、蚊の鳴くような声だった。
でも、確かに、彼女はそう言った。
「ああ、いいとも。何度でも読んであげる」
僕は、微笑んで、もう一度、絵本の最初のページを開いた。
その日から、僕とミナの間には、ささやかな交流が生まれた。
毎日、決まった時間に、僕は彼女に絵本を読んでやる。ミナは、それを静かに聞いている。
時には、僕が読んでやった物語の感想を、ぽつり、ぽつりと話してくれることもあった。
彼女の心の壁が、少しずつ、溶け始めているのを感じた。
***
そして、ある晴れた日の午後。
僕は、ミナを外に連れ出してみることにした。
「ミナ、少しだけ、散歩をしないか?外は、いい天気だよ」
僕の誘いに、ミナは一瞬ためらったが、やがて、こくりと頷いた。
僕が手を差し出すと、おそるおそる、その小さな手を僕の手に重ねてきた。
冷たくて、震えている手だった。
僕たちは、ゆっくりと村の中を歩いた。
村人たちは、僕とミナの姿を遠巻きに眺めていたが、誰も無遠慮に近づいてきたりはしなかった。リリアが、事前にみんなに話をしておいてくれたのだろう。
僕たちは、村のはずれにある、見晴らしのいい丘の上までやってきた。
丘の上からは、黄金色に輝く麦畑と、活気に満ちた村の様子が一望できた。
ミナは、その光景を、ただ黙って見つめていた。
その横顔に、僕は静かに語りかけた。
「ここは、希望の谷。僕が、僕の仲間たちと一緒に作った場所だ。ここには、君を傷つける者は誰もいない。誰もが、君の幸せを願っている」
僕の言葉に、ミナの肩が、小さく震えた。
銀色の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
「……こわい」
ミナは、絞り出すような声で言った。
「……また、あの人たちが、くる。また、つれていかれる。いたいのは、いや……こわいのは、いや……」
彼女の心に巣食う「恐怖」が、言葉となって溢れ出してくる。
今だ、と僕は思った。
僕は、ミナの手を、両手で優しく包み込んだ。
そして、彼女の瞳をまっすぐに見つめ、スキルを発動した。
『【再翻訳】、発動。対象は、ミナの心に存在する「奴隷商人への恐怖」と「未来への絶望」。そして、翻訳後の概念は――』
僕は、どんな言葉に置き換えるべきか、一瞬迷った。
単純に、「安心」や「安全」という言葉では、足りない気がした。
『――そうだ。「僕が君を絶対に守るという、揺るぎない約束」に』
僕の体から、温かい光が放たれ、ミナの体を包み込む。
それは、今までで一番、優しくて、温かい光だった。
ミナは、驚いたように目を見開いた。
彼女の瞳に宿っていた恐怖の色が、すうっと消えていく。
代わりに、そこには、澄み切った湖のような、静かな色が浮かんでいた。
涙は、まだ止まらない。
でも、それはさっきまでの、恐怖からくる涙ではなかった。
「……あ……」
ミナは、何かを確かめるように、自分の胸に手を当てた。
「もう、大丈夫だ。僕が、絶対に君を守るから」
僕がそう言うと、ミナは、わっと声を上げて泣き出した。
そして、僕の胸に、顔をうずめてきた。
子供のように、声を上げて、泣きじゃくる。
今まで、溜め込んできた全ての恐怖と悲しみを、吐き出すかのように。
僕は、そんな彼女の背中を、ただ黙って、優しく撫で続けた。
どれくらい、そうしていただろうか。
やがて、ミナの泣き声が、少しずつ小さくなっていった。
顔を上げた彼女の目は、真っ赤に腫れていたけれど、その表情は、驚くほど穏やかだった。
「……カイリ」
ミナは、僕の名前を呼んだ。
「……おなかすいた」
僕は、その言葉に、思わず吹き出してしまった。
そして、ミナも、つられるように、ふふっと小さく笑った。
それは、彼女がこの村に来てから、初めて見せた、心からの笑顔だった。
***
その日を境に、ミナは、本当の意味で、村の一員になった。
彼女は、リリアに懐き、いつも後をついて回るようになった。もふもふの尻尾をぱたぱたと振りながら、リリアの手伝いをする姿は、村の新しい名物になった。
そして、ミナは、僕にも、とても懐いてくれた。
僕を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきては、ぎゅっと抱きついてくる。
そのたびに、僕の心は、温かいもので満たされていくのだった。
新しい仲間。
新しい家族。
僕が守るべきものが、また1つ、増えた。
この穏やかな日々が、ずっと続けばいい。
心の底から、そう願っていた。
しかし、運命というやつは、どうやら僕に、平穏なスローライフを送らせてくれる気はないらしい。
***
ある日、村の門に、一人の騎士がやってきた。
その騎士が乗る馬には、見覚えのある紋章が掲げられていた。
赤地に、金色の獅子。
――アルクライト公爵家の、紋章だった。
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