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全年齢対応・表現マイルドバージョン
第75話 冬が来る ~終わりの抱擁~
しおりを挟む「・・・」
そっと運ばれていく沙羅を、女子Aは見送った。
白く、白くなって。
腰の上にまで膨張した水は白く凍って、熱を失った体を支えている。
頭と肩にはうっすらと霜が降り、白で覆われた目に光はない。
胸元に、白くフワフワとした『虫』が留まっていた。
その白は、私の冬の始まりだった。
残り、18人。
これをもって、レイド本隊最後尾にいた者たちは、全滅した。
◇氷室しらゆきの想い◇
鏡を見た。
そこに映っていたのは、白い肌、銀の髪、淡い水色の瞳。
美しいと、誰かが言った。
でも、それは私じゃない。
私は『百合根友梨』だった。
人間だった。
泣いたり、笑ったり、嫉妬したり—— それが許される存在だった。
今の私は、『氷室しらゆき』。
妖怪。
モンスター。
命令に従うだけの存在。
感情はある。
記憶もある。
でも、行動は『彼』の意志に縛られている。
かつて死を強制された彼、私も強制した側だ。
だから、彼に命令されるたび、 私は冷たくなる。
「しらゆきちゃん、綺麗だね」
そう言われても、心は動かない。
『綺麗』は、私の痛みを隠すための仮面。
私は、もう人間じゃない。
でも—— 人間だった頃の夢を、まだ見てしまう。
春の匂い。
教室のざわめき。
誰かの笑い声。
それらが、私の中で凍っている。
溶けないまま、ずっと。
だから、私は笑わない。
誰にも心を許さない。
それが、モンスターとしての私の『誇り』であり、『罰』でもある。
でも、もし——誰かが私を『友梨』と呼んだら。
その声が、雪の中に届いたら。
私は、どうなるのだろう。
それを考えることすら、今は許されない。
命令は一言だった。
「行け。人間を片付けろ」
その声に逆らえない。
身体は従う。
心は・・・まだ、どこかで抵抗している。
でも、抵抗は声にならない。
雪のように、静かに積もっていくだけ。
かつて一緒に笑った子たち。
戦って、泣いて、励まし合った子たち。
その記憶は、雪の下に埋めたはずだった。
なのに、足を踏み出すたびに、その記憶が、足元からじわじわと溶け出してくる。
「友梨、フォローしてくれてありがとう!」
「また一人でモンスター倒したんだって!? すごいね!」
「・・・がんばりすぎないでね?」
ああ、やめて。
そんな声、もう聞こえないはずなのに。
でも、雪虫が羽ばたく。
腰のあたりで、ふわりと。
それは、彼の魂の震え。
かつて私を裏切った人。
でも、今は私の『冬』になった人。
その感情が、雪虫となって羽ばたく。
その彼も言う。
人間を殺そう、と。
それは嫉妬だ。
今もなお、生きて在るモノへの。
彼が嫉妬するたび、私は冷たくなる。
彼が沈黙するたび、私は孤独になる。
だから、命令に従う。
それが、私の存在理由。
それが、私の『冬』の役目。
でもね——もし、誰かが私の名前を呼んでくれたら。
『しらゆき』じゃなくて、『友梨』って。
その時、私はどうなるんだろう?
雪は溶けるのかな?
それとも、もっと深く凍るのかな?
『雪虫』が飛んでいく。
私よりも先に、獲物を見つけたようだ。
きっと、また『女』なのだろうな。
なんとなく、そう感じた。
心が冷えていく。
「・・・殺せて、しまいそう・・・」
◇そして、いま◇
冷気はヒタヒタと、静かに流れた。
孤独な者のところへと。
「くっ、クソっ! どうすれば・・・」
中央部から散らされた者たちの中には、一人きりで彷徨う者がいた。
静寂と寂寥の代弁者が、その背後に忍び寄る。
「どうしたの?」
綿雪のようにふんわりと、女が訊ねた。
男は息を呑んだ。
女は着物姿だった。
白練(しろねり)と呼ばれる、柔らかな白の振袖。
柄には、墨色のような落ち着いた枝模様が描かれていて、まるで冬の静寂をまとっているかのように見えた。
雪のような白さ——しらゆきの名のようにも見え、光を受けてほんのり青みがかってることから、白藍(しらあい)の気配もある。
そんな色の友禅染め、または絵羽模様——着物を拡げると、一枚の絵のように柄が繋がる——といったところだ。
どちらであれ、夢のような艶やかさに圧倒される。
ゾクリ!
男の身が震えた。
足元から競り上がる冷気に、背筋が縮こまる。
背中を丸めて立ち上がった。
「寒いの?」
女は微笑みながら近づいた。
「あ、ああ。なんだ、これ?」
突然の冷気。
男は体をこするようにして温めようとしていた。
相手の異様さは、意図的に無視されている。
孤独と寒さが、男から正常な判断力を奪っていた。
「ふふ、じゃあ、もっと近くに来て。私のそばなら、寒さなんて感じなくなるわ。――何も、感じなくなるから。」
ゆっくりと近づく女。
着物の重なりがゆったりしすぎている。
吸い寄せられるように、男の視線が固定された。
「あら、いけない人」
胸元を抑え背中を向ける女。
「見てしまったのね。・・・私の雪に触れた人は、みんな凍るの。あなたも、もう逃げられない」
それでも、うなじを見せて女は振り返る。
思考力が落ちているらしい男に、自然に身を寄せた。
男の胸に、手の平を当てている。
「ありがとう。あなたの温もり、少しだけ・・・感じられた。――それじゃ、静かに眠ってね。その眠りが、安らかでありますように」
女は男の頬に、触れるだけのキスをした。
冷気が、最高潮で渦を巻く。
すべての熱が、氷点下にまで落ちた。
男は、沈黙して女の胸の中に居た。
「ほら、ね?」
細雪のような、儚く静かな囁き。
「もう、何も感じない」
女が胸に抱いていた氷の柱は、春を待つことなく、細かくなって風になるだろう。
儚くも美しい、冬の名残のように・・・。
残り、17人。
◆氷室しらゆき視点◆
・・・私は、いま、確かに命を奪った。
命令じゃない。
衝動でもない。
自分の意志で。
自分の手で。
その人は、私に暖かさをくれた。
人間の体温を。
心の温度を。
でも、私はその手を、凍らせた。
砕ける音がした。
それは、私の中の『ためらい』が砕けた音だった。
ああ、もう戻れない。
私は『百合根友梨』じゃない。
私は『氷室しらゆき』。
雪女。
人の温もりを拒み、命を凍らせる者。
・・・でも、不思議。
涙は出なかった。
悲しみも、怒りも、もう感じない。
ただ、静かだった。
心の奥まで、雪が降り積もっていくような静けさ。
「これが、私の選んだ冬」
そう呟いた時、私は初めて『しらゆき』として息をした気がした。
冷たく、澄んだ空気が肺を満たす。
それは、罪の味がした。
それは、雪解け水のように冷たく、喉の奥で苦く広がった。
でも、私はもう震えない。
誰にも縋らない。
誰にも許されなくていい。
私は、雪女。
冬の化身。
凍り付いていた頬が、少しだけ緩んだ。
自分でもわからないくらい、微妙な笑みが浮かんだ。
淡い光を抱いた雪片が、まるで昔の優しさを思い出させるように、頬に触れている。
指先に触れる氷は、冷たいはずなのに、どこか柔らかくて、心の奥がじんわりとほどけていく気がした。
まるで白い焔のように、静かに輝いて見えた。
冷たいのに、見ているだけで心があたたまる。
しらゆきの吐息が舞わせた雪は、冷たいはずなのに、どこか優しくて。
まるで、凍った心の奥に残っていた最後のぬくもりが、形になったようだった。
「私は、雪女。『氷室しらゆき』。希望も絶望も、笑顔も涙も、ただ静かに凍らせる者」
・・・さあ、次は誰?
もう、迷わない。
たとえ、心が少しだけ痛んでも——それが、私に残された最後の証。
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