『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』

葉月奈津・男

文字の大きさ
252 / 327
レーディング15(R15)・表現深化バージョン~刺激的な表現を含みます

第137話 泥の吐露~稲田みずほ視点~ 前編

しおりを挟む
 

 泥が静かに沈黙する。
 女子Dの最後の声が、泡になって消えた。
 その泡が、泥の表面で小さく弾けるたび、みずほの胸の奥が、焼けた鉄のようにじわりと熱を帯びていく。

「……沈んじゃった」

 誰に言うでもなく、呟いた。
 喉の奥が詰まって、声が掠れる。
 それでも、言葉にしなければ、自分が『何かを感じてしまった』ことを認めることになる気がして。

 カルマに命じられたから。
 場所を守るためだから。
 そう言い聞かせてきた。

 でも――『それだけで済ませていいのかどうか、わからなくなってきている』。

 制服は、泥のようにひび割れている。
 その割れ目から覗く肌には、かつて田んぼ焼けた色が、まだかすかに残っていた。

 泥に触れた足元が、じんわりと熱を持つ。
 皮膚の奥にまで染み込んでくるような、湿った熱。
 それは、誰かの後悔。
 誰かの言えなかった言葉。

「ごめん」「待って」「好きだった」
 その一つひとつが、みずほの足首を撫で、ふくらはぎを這い、膝裏にまとわりついてくる。

「……あの頃の泥は、もっと優しかったのに」

 田んぼで泥だらけになって笑った夏の日。
 稲穂の匂い、誰かと交わした視線、泥の中で繋いだ手。

「わたしも、言えなかった言葉がある」

 その言葉を口にした瞬間、泥が、彼女の足元で静かに泡立った。
 まるで、『わかってるよ』と応えるように。

 熱が、太腿の奥まで届いてくる。
 それは、痛みではない。
 でも、心の奥をじわじわと焼くような、『忘れたくないのに、忘れさせようとする』熱。

「カルマ様は、これを『正義』って呼ぶのかな」

 彼女は、カルマの言葉を思い出す。
「罪を沈めろ」「場所を守れ」「声を上げろ」
 それは、命令だった。

 でも、命令に従うたびに、自分の中の『誰かを想う心』が、少しずつ削れていく気がしていた。

 泥の熱が、彼女の身体の奥にある『人間だった頃の記憶』を、ゆっくりと溶かしていく。

「わたしは、まだ『誰か』でいたいのかもしれない」

 その呟きは、泥の静寂に、ぽたりと落ちる雫のようだった。

 ウシガエルが、ぬるりと這い出してくる。
 その背中から伸びる無数の腕が、空を掴もうと、ゆっくりと蠢いていた。

 指先は震え、爪の先には泥が詰まり、皮膚はひび割れ、それでも、誰かに触れようとしていた。

 でも、届かない。
 届かないまま、泥に沈んでいく。

 みずほは、その腕を見つめながら思う。

「わたしも、誰かに届きたかったんだよね」

 その『誰か』の顔は、もう思い出せない。
 でも、届きたいという気持ちだけが、胸の奥で、まだ熱を持っていた。

 彼女は、泥の上に腰を下ろす。
 泥の熱が、太腿からじわじわと染み込んでくる。
 皮膚の奥にまで届くその温度は、まるで『言えなかった言葉』が、身体の内側から溶け出してくるようだった。

 稲穂色の髪が、泥の匂いを撫でる。
 その香りは、懐かしくて、苦しくて、でも、どこか安心する匂いだった。

 風が吹くたび、赤いネクタイが揺れる。
 それは、誰かに問いかける舌のように、彼女の喉元で、そっと揺れていた。

「……ひーきーかーえせー」

 その声は、もはや警告ではなかった。

 それは、誰かに届いてほしいという、最後の祈りだった。

 ◇泥のウシガエル(残滓たちの視点)◇

 彼女が腰を下ろすと、泥の表面が、わずかに波打った。
 ぬるく、重く、湿った熱が、わたしたちの皮膚の名残に触れてくる。

 稲穂色の髪が揺れ、赤いネクタイが風に問いかける。
 その姿は、かつての『誰か』に似ていた。

 わたしたちは、もう名前を持たない。
 声は泡になり、記憶は泥に溶け、言葉は蒸気になって空へ消えた。

 でも、彼女の姿だけは、まだ忘れていない。
 あの夏の光、あの泥の匂い、あの時、笑っていた横顔。

 彼女は、まだ『揺れている』。
 命令に従いながら、問いを抱えている。
 罪を沈めながら、罪を見つめている。
 その矛盾が、彼女を『こちら側』に近づけ、同時に、遠ざけている。

 だから、腕を伸ばす。
 泥の中から、空へ向かって。

 指先は、泥に削られ、皮膚の下から骨の白が覗いている。
 それでも、伸ばす。

 それは、彼女を引きずり込むためではない。
 彼女が沈まないように、その足元を支えるため。

「……まだ、戻れるよ」

 そんな言葉が、泥の蒸気に混ざって、彼女の耳に届くことを願っていた。

 彼女が気づくかどうかは、わからない。
 でも、わたしたちは、彼女が『こちら側』に来ないことを、どこかで願っている。

 そして、それでも、来てくれる日を、どこかで期待して待っている。

 彼女が立ち上がるたび、泥の温度が変わる。
 その熱は、まだ『人間だった頃の心』が、彼女の中に残っている証。

 わたしたちは、その熱を忘れない。
 忘れたくない。

 だから、見つめている。
 問いかけるでもなく、責めるでもなく。
 ただ、『かつての仲間』を、静かに、見つめている。

 ◇女子D(泥の中の心情)◇

「……いや、いやよ。わたしは……だれ?」

 泥の中で、声が泡になって弾けた。
 その泡が、頬を撫でて消えていく。
 まるで、誰かのキスのように。

 誰かの手が、わたしの手を握っている。
 ぬるくて、ざらついていて、でも、どこか懐かしい温度。

 優しい。
 懐かしい。
 でも、名前が思い出せない。

「この手、知ってる……はずなのに」

 指先が、わたしの指をなぞる。
 爪の形、関節の角度、全部、知ってる気がするのに、記憶の扉が開かない。

 自分を泥に沈めた相手の姿が、ぼんやりと見える。
 稲穂色の髪。
 赤いネクタイ。
 ひび割れた制服。

 それは、かつての『誰か』に似ている。
 でも、違う。
 違うから、怖い。
 違うから、悲しい。

「わたしは、まだ……人間でいたいの」

 泥が熱を持っている。
 太腿を撫で、腹を這い、胸元にまで届いてくる。
 そのたびに、記憶が曖昧になっていく。

「ごめん」「待って」「好きだった」
 誰かが言えなかった言葉が、わたしの中からも、じわじわと滲み出してくる。

 でも、言えない。
 もう、言葉が出てこない。
 喉が塞がれているわけじゃないのに、声が、泡になって消えていく。

「ねえ……あなたは、まだ人間なの?」

 問いかけたつもりだった。
 でも、声は出なかった。
 泡になって、泥に溶けていった。

 わたしは、沈んでいく。
 でも、まだ『誰か』でいたい。

 名前を思い出したい。
 誰かに届きたい。

 その願いが、泥の奥で、熱を持って、静かに、静かに、わたしの心を灯していた。

       ◇

 泥の表面で、小さな泡が弾けた。
 その音は、まるで誰かが最後に吐いた息のように、静かで、儚く、確かだった。

「……あなたは、まだ人間なの?」

 みずほは、その声が自分に向けられたものだと、わかっていた。
 胸の奥が、ひとつ脈打つ。
 それは、泥に沈めた者としての痛み。
 それとも、かつて『人間だった』自分への問いかけ。

 でも、答えは返せなかった。
 喉が詰まっていたわけじゃない。
 ただ、言葉にした瞬間、何かが壊れてしまいそうで。

『人間である』と答えれば、沈めたことが罪になる。
『人間ではない』と答えれば、自分の心が終わってしまう。

 だから、みずほは黙っていた。
 泥の熱が、足元からじわじわと上がってくる。
 その温度が、答えを代弁するように、彼女の沈黙を包み込んでいた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】元ゼネコンなおっさん大賢者の、スローなもふもふ秘密基地ライフ(神獣付き)~異世界の大賢者になったのになぜか土方ばかりしてるんだがぁ?

嘉神かろ
ファンタジー
【Hotランキング3位】  ゼネコンで働くアラフォーのおっさん、多田野雄三は、ある日気がつくと、異世界にいた。  見覚えのあるその世界は、雄三が大学時代にやり込んだVR型MMOアクションRPGの世界で、当時のキャラの能力をそのまま使えるらしい。  大賢者という最高位職にある彼のやりたいことは、ただ一つ。スローライフ!  神獣たちや気がついたらできていた弟子たちと共に、おっさんは異世界で好き勝手に暮らす。 「なんだか妙に忙しい気もするねぇ。まあ、楽しいからいいんだけど」

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~

ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。 玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。 「きゅう、痩せたか?それに元気もない」 ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。 だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。 「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」 この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

【完結】かつて憧れた陰キャ美少女が、陽キャ美少女になって転校してきた。

エース皇命
青春
 高校でボッチ陰キャを極めているカズは、中学の頃、ある陰キャ少女に憧れていた。実は元々陽キャだったカズは、陰キャ少女の清衣(すい)の持つ、独特な雰囲気とボッチを楽しんでいる様子に感銘を受け、高校で陰キャデビューすることを決意したのだった。  そして高校2年の春。ひとりの美少女転校生がやってきた。  最初は雰囲気が違いすぎてわからなかったが、自己紹介でなんとその美少女は清衣であるということに気づく。  陽キャから陰キャになった主人公カズと、陰キャから陽キャになった清衣。  以前とはまったく違うキャラになってしまった2人の間に、どんなラブコメが待っているのだろうか。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開しています。 ※表紙にはAI生成画像を使用しています。

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...