紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
47 / 96

妻と妾

しおりを挟む
 ◆◆◆◆◆


「お嬢様、こちらの帯締めは どうでしょう?深い緑が鮮やかで、とても品が良いと目利きも申しておりました」
「そうね……」

 晃子は 日本橋の呉服屋で、さほど興味がない品々を流し見ていた。お目当ての草履は、すぐに見つかったが、男爵家となれば 上客になる「あちらは?」「こちらは?」と、客あしらいに余念はない。
 少々、面倒だと嘆息を漏らしかけた――その時、晃子の目が一ヶ所で止まった。
 日も当たらないのに、キラキラと反射する鼈甲べっこうの櫛。乱れもなく並べられた他の櫛とは違い、桐の箱に納められていることから、良い品なのだろう。
 輝く黄蘗きはだ色が、よく見知る人の様にも思え、無意識に手が伸びた。もう少し――と なった時、突然、真横から伸びてきた白い手の甲とぶつかり、晃子の桜貝のような爪が、柔らかい皮膚を引っ掻いたのは、一瞬の出来事だった。同時に求めてしまったのだろう。

「申し訳ありません、お怪我は?」

 血の滲みは ないものの、無作法をしてしまったと、相手方の手を取ろうとしたが、横に立つ女は、慌てた様子で指先を胸に引くと「大丈夫でございます」と、頭を下げる。
 左手で包むように押さえた仕草が、大人しやかな雰囲気を醸しだす。仕立ての良い若草の羽織の下は、伊達締めが少し高めに巻かれていることから、女が身籠っているのが見てとれた。
 
「私が周りを見ておりませんでした。どうぞ」

 晃子は、鼈甲の櫛に指を沿わせ、女の方へ桐箱ごと滑らせた。気に入ったが、こればかりは仕方がない。

「いえ、しかし……」
「ご遠慮なさらず」

「でも……あ!」

 躊躇していた女は、何かを見つけたのか欣然きんぜんとした様子で、声までも跳ねたようだ。
「旦那様」そう漏らすと、握りしめていた右手を、遠慮ぎみに左右へ振った。ヒラヒラと揺れる袖に 織られた草花の図が、秋風に揺れているようで、とても風情がある。
 そう見えるのは、女の姿がほっそりとし、儚げであるからだろう。
 晃子を通り過ぎる女の視線は、おそらく言葉の意味のまま、旦那に向けられているはずだ。
 櫛は譲った。長居は無用――と、無言で横をすり抜ける。本来ならば 名も知らぬまま、二度とまみえることは、無かっただろう。
 通りに面した店先には、比較的求めやすい品々が並んで、冷やかしも兼ねているのか、大変な賑わいなのだが、元々は敷居が高い店の為、良い品々は奥に並べられている。必然的に、奥まった方は客の数もまばらだった。
 当然ながら、男爵家の令嬢である晃子が求める物が、店先にあるわけがない。
 静寂な空間に、旦那のものと思われる声が漂った。

斎肌帯いはだおびとは、紅白揃えるのですね、知りませんでした」
「殿方は、ご存じない方もおられるかもしれません」

 状況的に、女の旦那と店の者だろう。
 斎肌帯とは、着帯の儀式で使う物だ。旦那が、手配していた物を受け取りに来たという様子だが、背越しに聞こえた声は 聞き慣れたものだった。
 低く、落ち着き払う声音に晃子は、ゆっくり振り返った。今しがた通り抜けた女の背に、見え隠れするのは 番頭と男。
 鉄紺てつこんの着流しに、媚茶こびちゃの羽織を身につけた男は、かなりの長身だ。帽子を被り 横を向いている為、顔がよく見えないが、確信はあった。

「……羽倉崎さん?」

 名を呼ばれた男は、正面を向いた。2拍程の間があっただろうか、男はニッコリと微笑む。

「おや、お珍しい。何をお求めで?」
「……貴方は、何を?」

 羽倉崎は歩みを進めると、晃子には 答えず、女に「どうしましたか?」と尋ねる。

「お、お嬢様……」
「待ちましょう」

 供の女中は、良からぬことと察したのか、オロオロと落ち着かないが、事情を察することが出来ないのは、店の者と女だけのようだ。

「先程、お互いに鼈甲の櫛に手を伸ばしてしまいまして、お譲り頂ただいたのです」
「それは、それは……しかし、櫛は こちらの方へ」

「え……?」
「貴女には、他の物を身繕いましょう」

 思わぬことだったのだろう。羽倉崎の返答に女は、目をしばたたかせたが、コクリと小さく頷いてみせると、晃子へ視線を向けた。
 それが疑念を発しているように見え、不愉快極まりない。

「番頭さん、鼈甲櫛を あちらへ」
「結構です、それはお譲り致しました。それでは失礼」

「お待ちください、ご紹介いたします」

 紹介されなくても察する状況に、何を話すというのだろうか? 晃子の足は、踵を返すのを止めた。落ち着き払う声は、普段と変わらない。不味い所を見られたという素振りもなければ、少しの動揺もみられなかった。

「こちら、咲と申します。咲、こちら尾井坂晃子様、貴女の女主人となられる方です」
「「 えッ!! 」」

 店の者まで、一斉に声を揃えた。本妻と妾の構図だ。晃子は、思わぬ恥をかかされたと合わせる指先が震えるのを、必死に押さえつけ、深く呼吸を整えた。

「鼈甲の櫛 同様、そちら様に差し上げます」
「晃子さん――」

 羽倉崎は、何かを言いかけたが背を向けた晃子に、それ以上 言葉を継ぐことはなかった。颯爽と出口へ向かう晃子は、何事も無かったかのようだ。店主と番頭は 顔を見合せるが、残された羽倉崎までもが、何事もなかったかのように静かに言う。

「構わないから、鼈甲櫛もお代に含めて下さい」
「は、はい!」

「咲さん、櫛はどれが良いですか?」
「いえ、櫛はいりません」

「似た物を探させますか?」
「いりません」

「そうですか、それでは帰りましょう」

 羽倉崎の視線は、遠ざかる背を追っており、微かに震えた咲の唇に、気付くことはなかった。
 その頃、晃子の脳裏には、母の姿が過っていた。妾の元へ向かう父の馬車を、能面のような顔で見送る母の毅然とした背が、微かに震えていたのは、長崎から赤子を連れて来たという妾が、東京へ着いた日だった。
 跡取りである男子が欲しいと、神にも仏にも願った母には、子が宿ることはなかった。
 晃子は、グッと唇を噛み締め、顔を上げる。
「お逢いしたい」
「どちら様にでしょうか?」

「宮内省へ行きたいわ」

 秋風に流れる雲の波を眺め、噛み締めた唇から漏れでた言葉は、不覚にも掠れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...