紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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打診

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 ◆◆◆◆◆

 尾伊坂男爵から、事の流れを聞いていた羽倉崎は、里が差し出した物を見て、それが何か直ぐに察した。
 縦長の封筒に、流麗な文字で書かれた宛名は自分の名であり、差出人は田中光留とある。中身を改めると、殆どが挨拶文で本題は二行ほどの面会の打診だ。

「何故、これがここに?」

 本宅は、千駄ヶ谷せんだがやであり、ここ瀬戸物町は妾宅となる。人の婚約者を匿うような真似をし、正式に話し合うというのに、本宅に届けないのは この件を軽く考えているのではないか?と、少々苛立ちを覚えた。

「先日、光留様が 旦那様のお宅は どちらか?と参られましたので、千駄ヶ谷とお答えしたのですが、それ以上は分かりかねまして、ご案内することも叶わず。それでは――と、お預けになりました」

 あれだけ人様のことを調べあげる男が、本宅を知らない訳がない。本人に届けば 本宅だろうが、妾宅だろうが 構わないと云った所だろう。
 文句を言わせない為か、一応、尋ねた形をとっているのも憎たらしい。
 羽倉崎は、一筆で返事をしたためた。文字通り、墨を継ぎ足さない一文で「本日」と。

「明日、これを本駒込の田中子爵家へ。門前払いを受けないように身綺麗にして行くこと」
「明日? しかし、旦那様……本日ということは……」

「黙って届けなさい」

 これ以上、口を挟むなと言わんばかりに、里に封書を投げやると、あとは知らないと貰った手紙に視線を落とす。怪我の見舞いに加え、本題が書かれている本文には、都合の良い日を――とある。日時を突きつけることはせずに、お伺いを立ててきたのは、あの男の妥協かもしれない。
 それならば、無理をさせてやろうと指定した日は、本日。
 明日、本駒込に手紙が届くのは、早くても昼前だろう。出仕している可能性が高く、下手したら目を通すのは、夕刻かもしれない。
 そうなれば、は無理だ。
 申し訳ありませんが――と、頭を下げるはめになるのか、バタバタと場所を知らせてくるのか、どちらにしても見物だと怜悧な面立ちに笑みを浮かべた。
 しかし、期待したような展開にはならなかった。
 翌日――つまり、羽倉崎が本日と指定した日の昼過ぎに、書斎のドアが叩かれた。

「田中様と仰る方が、取次を願われています」
「わかった」

 頃合いからして里が、子爵邸へ到着し、すぐに電話をかけてきたということだろう。出仕せずに屋敷にいたということか――。
 面白くないが仕方がない。羽倉崎は、普段通りの穏やかな声で「代わりました」と、電話口の男へ告げた。

「ごきげんよう」

 明朗な声は、間違いなく あの男だ。

「うちの者が、無事に届けたようで」
「ええ、確かに。本日の夕刻はどうでしょう?」

「構いません」
「華族会館、ご存知ですよね?麹町の」

「もちろん」
「17時にお待ちしております」

「はぁ!?」
「はぁ?って、何ですか? ご存知でしょう?鹿鳴館」

「しかし、私は華族でも貴族院議員でもありませんが」
「ああ、大丈夫です。話は通しておりますので、では失礼」

 一方的に切られた。
 うんとも、すんとも云わなくなった受話器を眇め見る。思えば、見てくれは極上だが やることなすこと、どこか可笑しい。
 学生時、見初めた女の為に宮家の縁談を蹴ったことからして、変人としか思えなくなった。
 男爵までも、丸め込んだことから必死なのだろう――と、なると、ある種の期待も持ってしまうと云うもの。
 ゴネたらどうなるか――?
 大きな好条件を引き出せるか?
 そこまでなくとも、困らせることは出来るだろう。官のエリートが、額を机にあて「お願いします」と、願い出る様は 壮観だろう。

「まずは、出方をみるか」

 羽倉崎は、受話器を置いた。
 一方、本駒込の子爵邸では、客間に1人の女が通されていた。
 瀬戸物町の里だ。羽倉崎の手紙を届けにやって来たのだが、すぐに裏口から離れへ通されたことに、驚きを隠せなかった。

「光留様、私はお暇を……」
「ここは、離れですので気兼ねすることもないのですよ。それより昨日は、お世話になりました。お陰さまで、慌てることなく鹿鳴館を押さえることが出来ました」

「いえいえ、滅相もございません。早くお知らせした方が、良いと思ったまでで……夕飯の買い出しと称して、いつものお宅で電話を借りることが出来ました」

 これにより、面会が翌日と知った光留は、鹿鳴館を手配することが出来た。

「助かりました。鹿鳴館は、僕にとって縁起が良いのですよ」
「験担ぎのような場所なのですか?」

 光留は、非の打ち所がない微笑を浮かべ、軽く頷く。

「晃子さんと初めて出逢った場所であり、僕を意識してくれた場所です」
「意識?」

「ええ、秘密ですよ?」

 膝を滑らせ里に にじり寄った光留は、閉められた襖を確認する。使用人に聞かれたくないのだろうか――里は、そう感じた。

「夏の出来事です。僕は、晃子さんへ気持ちを伝えました。大変、驚かれた様子でしたが受け入れて頂きました。思わぬ流れで今、こちらにお住まいです。これは、仕方がない状況でしょう? 逃げなければ忌み嫌う妾持ちに、手込めにされるのですから。僕は、求婚もしており、返事も頂いています、が……」

 言葉を句切ると、ふっ――と 自嘲ぎみな笑いを漏らす。

「さすがに、想いを告げた、求婚した、色好い返事をもらった……だからって、子供じゃないんだから、単純に愛が伴っているとは考えません。しかし、頼って頂けただけで有頂天になるほど、僕は晃子さんをお慕いしているのです。不安定な立場を形だけでも強固なものにしたい。願掛けだってやりますよ?鹿鳴館は、そんな場所です」
「それでは、旦那様との面会で……」

「ええ。僕は必ず羽倉崎さんと、晃子さんを破談に導きます。咲さんにも里さんにも、ご満足頂けるように」
「願ってもない!3月のご出産を安らかに迎えられるように」

 里は 揃えた指先に、額が触れるほど頭を下げた。本妻の存在がある出産と、ない場合の出産では大きく異なる。
 そして、晃子を退けることが出来たら、従姉妹が姉婿の妾という、泰臣にとって最悪の状況を脱することが出来ると。
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