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第2の章 終焉への階段
Ⅸ
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ギィッと音を立てて、鈍い音を立てて開くドア。
忘れてきた想いをかき集めるように、どこかしこに目を向ける。
1週間もたたずに、戻ってきたあたしに、時雨が何を言うのかわからなかった。
時雨の背中を見たあたしの、胸は確かに、ドキッと音を立てた。
振り返った時雨の瞳は、深い海の底のように冷たく感じた。
「貴方は意外な人ですね」
「えっ?」
「もう二度と、ここには来ないと思いました」
数日前の時雨の声は今でも、耳にはっきりと残っている。
「今日はどうして―――?」
時雨のリズムに捕まれば、あたしはきっとチャンスを逃がしてしまう。
青磁兄がくれたチャンスをあたしは手放すわけにはいかない。
汗ばんだ手で、つかんだ写真をもって、時雨の前に立つ。
「時雨。あたしは今でも処女で、時雨にとっては何の価値もない人間だと思う」
細められた時雨の目が、あたしを見下ろす。
「だから、こんな方法しかあたしは時雨の傍にいることができない」
今は、と付け足したあたしに、時雨の顔がゆがんだ。
「こんな方法?」
「あたしはこの事故の真実―――時雨が昔から知りたかったことを知っているの。もしも、時雨が真実を知りたいなら、明日あたしを迎えに来て」
「何を言っているんですか?」と珍しく苛立っている時雨の顔面に、写真を突き付ける。
「脅迫するわ、時雨」
―――声は震えていない。
腹をくくって、今から、あたしは時雨を脅迫する。
「時雨は、あたしの通っている学校ぐらい調べてあるでしょう? 明日の放課後、あたしを迎えに来て」
時雨はゆっくりとあたしの差し出した写真を受け取った。
「貴方は裕司の何ですか?」
写真に写った3人の内の一人 三澄 裕司。
「さぁ?」
精一杯の虚勢を張って、あたしは笑った。
馬鹿みたいに綺麗に笑えなくて、きっと泣き出しそうに見えたと思う。
それ以上、演技ができるわけもなくて、あたしは踵を返して駆け出した。
「麦!」と追いかけてきたのは声だけで、あたしを引き留める足音は聞こえなかった。
だから、店を飛び出して思い切り走った。
緊張で跳ね上がる心臓を抑えつけるように、必死で走った。
***************************
麦と入れ替わえりに、タケルが店に入ってきた。
「やられました」
息を吐き出して椅子に座り込んだ時雨に、タケルが顔をしかめた。
「珍しいじゃねぇか。弱音なんか吐いて」
タケルの言葉に返事もせずに、時雨は手元の写真に視線を落とした。
笑う3人の姿が映った写真。
時雨と、タケルと、8年前に事故死した三澄 裕司。
「ずいぶん懐かしい写真だな」
時雨の手元を覗き込んだタケルが、唇の端を持ち上げた。
「えぇ、懐かしい写真ですね。あの頃は楽しかった」
「なんの柵もないって信じて、馬鹿ばっかりして―――」
過去のことを思い出すと、自然と表情が緩む。
「まぁ、馬鹿ができるってことが幸せだって気づいたのは、ずいぶん大人になっちまったあとだけどな」
「そうですね」と頷きながら、3人の写真を見つめた。
「麦がこれを持ってました」
「あ? 麦ってあの変な女子高生?」
「えぇ」
「なんで?」
「さぁ?」と即答しながら、首を傾げた。
麦は言った。
時雨が昔から知りたかったことを知っている、と。
初めから麦は変な存在だった。
アンダーグラウンドで生きる自分達に関わってくるわりには、裏がなくて。
ただ純粋な人間に見えた。
男として迫ってみても、ハニートラップのひとつも返してこれる力もない。
かすかに持った興味もうせて、突き放してみれば、持ってきたのが一枚の写真。
まさか、こんな写真を持ってくるとは思わなかった。
「あれは事故だ。何の迷いもなく事故だぞ?」
タケルの言葉に、時雨も異論はまったくない。
三澄 裕司は事故死だ。
異論の余地もなく、あれは事故であった。
―――しかし、一つだけ、時雨には疑問があった。
あの事故の日のことで、一つだけ残された疑問が、喉の奥に突き刺さった小骨のように、ずっと残っていた。
「タケル、静代さんと連絡が付きますか?」
「あー、たぶんな。あっちが連絡先を変えてなければ」
「それなら、麦という女子高生を知っているか聞いてみてもらえますか?」
「わかった」
麦が分からなかった。
彼女は一体、何者で、何を目的に時雨に近づいてきたんだろう。
「おまえはどうするんだ?」
タケルの言葉に、時雨は髪をかきあげながら言った。
「受けてたつしかないでしょう」
口元に笑みを携えた時雨に、タケルは呆れたように息を吐き出した。
「まったくお前は変わらねぇな。結局、写真の時から―――いや、それよりもずっと前からか」
タケルの言葉に、時雨は何も答えなかった。
忘れてきた想いをかき集めるように、どこかしこに目を向ける。
1週間もたたずに、戻ってきたあたしに、時雨が何を言うのかわからなかった。
時雨の背中を見たあたしの、胸は確かに、ドキッと音を立てた。
振り返った時雨の瞳は、深い海の底のように冷たく感じた。
「貴方は意外な人ですね」
「えっ?」
「もう二度と、ここには来ないと思いました」
数日前の時雨の声は今でも、耳にはっきりと残っている。
「今日はどうして―――?」
時雨のリズムに捕まれば、あたしはきっとチャンスを逃がしてしまう。
青磁兄がくれたチャンスをあたしは手放すわけにはいかない。
汗ばんだ手で、つかんだ写真をもって、時雨の前に立つ。
「時雨。あたしは今でも処女で、時雨にとっては何の価値もない人間だと思う」
細められた時雨の目が、あたしを見下ろす。
「だから、こんな方法しかあたしは時雨の傍にいることができない」
今は、と付け足したあたしに、時雨の顔がゆがんだ。
「こんな方法?」
「あたしはこの事故の真実―――時雨が昔から知りたかったことを知っているの。もしも、時雨が真実を知りたいなら、明日あたしを迎えに来て」
「何を言っているんですか?」と珍しく苛立っている時雨の顔面に、写真を突き付ける。
「脅迫するわ、時雨」
―――声は震えていない。
腹をくくって、今から、あたしは時雨を脅迫する。
「時雨は、あたしの通っている学校ぐらい調べてあるでしょう? 明日の放課後、あたしを迎えに来て」
時雨はゆっくりとあたしの差し出した写真を受け取った。
「貴方は裕司の何ですか?」
写真に写った3人の内の一人 三澄 裕司。
「さぁ?」
精一杯の虚勢を張って、あたしは笑った。
馬鹿みたいに綺麗に笑えなくて、きっと泣き出しそうに見えたと思う。
それ以上、演技ができるわけもなくて、あたしは踵を返して駆け出した。
「麦!」と追いかけてきたのは声だけで、あたしを引き留める足音は聞こえなかった。
だから、店を飛び出して思い切り走った。
緊張で跳ね上がる心臓を抑えつけるように、必死で走った。
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麦と入れ替わえりに、タケルが店に入ってきた。
「やられました」
息を吐き出して椅子に座り込んだ時雨に、タケルが顔をしかめた。
「珍しいじゃねぇか。弱音なんか吐いて」
タケルの言葉に返事もせずに、時雨は手元の写真に視線を落とした。
笑う3人の姿が映った写真。
時雨と、タケルと、8年前に事故死した三澄 裕司。
「ずいぶん懐かしい写真だな」
時雨の手元を覗き込んだタケルが、唇の端を持ち上げた。
「えぇ、懐かしい写真ですね。あの頃は楽しかった」
「なんの柵もないって信じて、馬鹿ばっかりして―――」
過去のことを思い出すと、自然と表情が緩む。
「まぁ、馬鹿ができるってことが幸せだって気づいたのは、ずいぶん大人になっちまったあとだけどな」
「そうですね」と頷きながら、3人の写真を見つめた。
「麦がこれを持ってました」
「あ? 麦ってあの変な女子高生?」
「えぇ」
「なんで?」
「さぁ?」と即答しながら、首を傾げた。
麦は言った。
時雨が昔から知りたかったことを知っている、と。
初めから麦は変な存在だった。
アンダーグラウンドで生きる自分達に関わってくるわりには、裏がなくて。
ただ純粋な人間に見えた。
男として迫ってみても、ハニートラップのひとつも返してこれる力もない。
かすかに持った興味もうせて、突き放してみれば、持ってきたのが一枚の写真。
まさか、こんな写真を持ってくるとは思わなかった。
「あれは事故だ。何の迷いもなく事故だぞ?」
タケルの言葉に、時雨も異論はまったくない。
三澄 裕司は事故死だ。
異論の余地もなく、あれは事故であった。
―――しかし、一つだけ、時雨には疑問があった。
あの事故の日のことで、一つだけ残された疑問が、喉の奥に突き刺さった小骨のように、ずっと残っていた。
「タケル、静代さんと連絡が付きますか?」
「あー、たぶんな。あっちが連絡先を変えてなければ」
「それなら、麦という女子高生を知っているか聞いてみてもらえますか?」
「わかった」
麦が分からなかった。
彼女は一体、何者で、何を目的に時雨に近づいてきたんだろう。
「おまえはどうするんだ?」
タケルの言葉に、時雨は髪をかきあげながら言った。
「受けてたつしかないでしょう」
口元に笑みを携えた時雨に、タケルは呆れたように息を吐き出した。
「まったくお前は変わらねぇな。結局、写真の時から―――いや、それよりもずっと前からか」
タケルの言葉に、時雨は何も答えなかった。
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