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第4章 生きることは、守られること

第15話 デジャヴ

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「ごめんね。一緒に死んでなんて物騒なことを言っちゃって」

 ばつが悪そうに舌を出した莉帆りほに、オレは痛痒つうようを感じていない振りをして言葉を返す。

「別に気にしてねえよ。オレもストレートに死を告知して悪かったな。おいねから優しく伝えてくれと頼まれていたのにさ」

 一瞬、本気で一緒に死んでもいいと思った。その本音は腹の底に閉じ込めたままだ。

「じゃあ、おあいこね」

 ついさっきまで、不成仏霊の道へ片足を突っ込んでいたばかりだというのに、莉帆は女子を意識させる豊かな表情で「ふふふ」と笑い、おいねに視線を落とした。年の離れた妹が可愛くて可愛くて仕方がない、そんな様子だ。

「おいねちゃんは優しいのね」

「当り前だよ。おいねを誰だと思っているの? 莉帆の守護霊だよ」

 小鼻を膨らませて得意気だ。

 すると、それまで大人しくおいねと莉帆の楽しげなやり取りを見ていた真之助が伸びをしながら明後日の方を見て言った。

「あ~あ~。おいねちゃんが羨ましいや」

 陽性の声ではあるが明らかに不満が乗っている。

 おいねと莉帆が「どういうこと?」と話の先を促すと、「だってさぁ」と長い息を吐きながら、勿体もったいつけるように言う。

「莉帆ちゃんは素直でいい子だから、おいねちゃんが守護霊だとすぐに信じてくれたじゃないか。真なんか、へそ曲がりの天邪鬼だから、私が守護霊だってこと、全然信じてくれなかったんだよ。ねえ、どうやったら真に莉帆ちゃんの爪のアカを飲ませられると思う?」

「ちょっと待て!」

 聞き捨てならないとオレは間髪入れず口を挟む。

「言っておくがオレは真之助が守護霊だと信じなかったわけじゃないぞ。お前が怨霊だとかたっていたからそれを信じただけだろうが。へそ曲がりの天邪鬼はお前の方なんだよ!」

 オレたちが額を突き合わせる距離でいがみ合うのを見て、おいねと莉帆が軽やかな笑い声を立てた。

「あんたは生きているうちから守護霊の存在が知れて羨ましいわ。憎まれ口を叩いてないで、に感謝すんのよ」

 ところが、莉帆を味方につけたというのに真之助はどこか居心地悪そうだった。

 授業参観に親が来ているのを見て、気まずいような気恥しいような尻の置き場がなくムズムズとしている感じだ。

 そこでオレはピンと来た。

 もしかすると、真之助は愛称で呼ばれることが苦手なのかもしれないと。

 ついに真之助の弱点を握ったのだ。

 そう思ったら口元が緩むのを抑えられなかった。

 普段真之助にやり込められているのだから、たまにやり返すくらいは許されるのではないだろうか。いや許されていいはずだ。仕返しできるチャンスをみすみす逃すわけにはいかないのだ。

「復讐を成功させるためには一にも二にもスピードよ。チャンスの神様に髪の毛がなかったら頭ごと掴まなきゃダメなの」

 サスペンスドラマを見ていた母さんが、最後の復讐に失敗した犯人にそんなアドバイスをしたことを思い出した。

「やーい。しんちゃん、しんちゃん!」

 母さんの言葉に背中を押され、真之助をそう呼ぶと、真之助は一瞬きょとんとしてから、すぐに笑みを浮かべた。「そんなことを言って後悔しても知らないよ」と言わんばかりの不敵な笑みに、これは失策だったなと思ってももう遅い。

 真之助は口元に両手をやり拡声器のようにすると、

「みなさーん聞いてください。真は十歳までおねしょをしていましたー! それから――」

「わーーーーーーわーーーーーー!!!」

 どうやら弱点を握られているのはオレの方らしい。


 ※ ※ ※


 神社の駐車場をあとにしたオレたちは四人並んで幽霊坂へと向かっていた。

「なあ、おいね」

 オレは莉帆の右側を歩くおいねを見る。

「どうして、おいねは莉帆のいた神社の駐車場じゃなく、幽霊坂にいたんだ?」

 莉帆は幽霊坂の脇道、つまり旧桜並木街道に入ってすぐの神社の裏側に当たるに駐車場に立っていた。しかし、おいねは幽霊坂にいた。二人がなぜ別々の場所にいたのか今更ながら気になったのだ。

「幽霊坂?」

「おいねのいた坂道のことだよ。警察がパトロール中に泣いているおいねを目撃して、幽霊坂と呼んでいるらしいぜ」

「おいねちゃん、有名人じゃん」

 莉帆がからかうと、おいねはポッと頬を赤らめた。「恥ずかしい」と小さな手のひらで火照った顔を冷ますように扇ぐ。

「おいねはね、莉帆を助けて欲しかっただけなの。旧桜並木街道はめったに人が通らないでしょ。あそこの浅間神社もほとんど無人で、来る人と言ったらお掃除の人が月に一回来るくらいなんだもの。だから、人通りがある坂道にいれば、親切な生者がおいねに声をかけてくれるかもしれないと思って、ずうっと待っていたの」

 おいねは声をかけてくれた生者に頼んで、莉帆に死んでいる事実を伝えてもらおうと考えていたのだ。死者が死を自覚していない場合、自分以外の幽霊を認知することができないため、第三者に頼らざるを得なかったからだ。

 まだかな、まだかなと首を長くして通行人が現れるのを待つおいねを思い浮かべた。

「でも、みんなおいねを見て逃げて行っちゃったから、涙が止まらなくなったの。いつの間にか人も通らなくなっちゃったし」

 幽霊坂の噂が広まったせいだろう。通行人が減少し、生者に上手く接触できないまま、今日という日を迎えてしまったらしい。

 オレたちがたまたま通りかかったからよかったものの、もし通行人が現れなかったとしたら――それを考えるとゾッとする。

 幽霊坂に出たところで、ちょうど一台の車が通過した。

 反射反応だろうか。団子虫が身の危険を察知して丸くなるように、おいねはその場で身を縮こませた。

「車……怖いよぅ……」

 小さな唇から悲鳴を洩らすとおいねはまた泣き出してしまった。

 乗り物恐怖症であるのに、莉帆を助けるため、ひとり幽霊坂で生者を待つのは相当の勇気が必要だったはずだ。

「ほ、ほ、ほら、あんた。おいねちゃんのために何か面白いことしなさいよっ」

「い、いきなりムチャぶりすんなって!」

 そこで狼狽えるオレたちに助け船を出したのは真之助だ。

 人差し指を自分に向け、きれいに並んだ歯を見せる。

「ここは私に任せてくれないかな。いいアイデアがあるんだ」


 ※ ※ ※


「この車は大好き!」

 先ほどとは打って変わって、おいねが声を弾ませた。

「これで乗り物恐怖症は克服だね」

 見上げるようにして真之助はおいねに訊ねる。

「うん、もう怖くないよ」

 真之助にされたおいねが頼もしく頷いた。

 「肩車」と「車」。

 最初はつまらないダジャレかよ、と思ったが、おいねが想像以上に楽しそうだから、これは乗り物恐怖症を克服したと言ってもいいのかもしれない。

 現にまた車が通過したのだが、おいねは怖がることなく、真之助の肩の上で、「お星様に手が届きそう」などとのんきなことを言っている。人参嫌いの子供に、人参入りクッキーを与える、それに近い対処法だ。

 よほど気分がいいのか、おいねが聞きなれないメロディーに、聞きなれない歌詞を乗せた。

「ああ、その唄は梅見原うめみはらの餅つき唄だね」

「梅見原の餅つき唄って?」

 オレが訊ねると、真之助はおいねを見る優しげな眼差しをオレへ向けた。

「今は梅見原市と呼ばれているけど、もともとは桜並木藩領でちょうど真の高校がある辺りは梅見原村と呼ばれていたんだよ。梅見原村では、お正月や結婚式、出産とかおめでたいイベントがあると、餅をついて村のみんなでお祝いしたんだ。その唄が梅見原の餅つき唄」

「おいね、梅見原村の出身なの。今日は莉帆の成仏のお祝いだから、餅つき唄を歌うよ」

「ちょっ……成仏のお祝いって、やめてよ。恥ずかしいから」

 苦笑する莉帆の制止を聞かず、おいねはまた唄の頭から歌い出す。今度は真之助の合唱も加わった。

「……」

 オレと莉帆は思わず顔を見合わせた。

 互いに見てはいけないものを見てしまったかのように、怖れに満ちた顔をしていたと思う。

 ついには我慢しきれず、オレたちは膝を折り、耳を塞いだ。

「クソッ、鼓膜が破れる……オレを殺す気か、真之助の音痴野郎!」

「イケメンのすることなら大抵は許せるのに、このレベルに到達すると許容範囲を超えてくるわ……」

「おいねも恰好いいお兄ちゃんは歌わない方がいいと思う」

 三人に耳を塞がれては真之助も敵わないと思ったのか、今度は口を尖らせて口笛を吹くのだが、その口笛までも見事に音程を外しているものだから、オレたちは笑った。

 何が可笑しいのかわからないと首を捻っていた真之助まで、しまいには笑いの渦に引きずり込まれるようにして陽気な笑い声を上げる。

「こうしていると家族みたいだと思わない?」

 まだ笑いがくすぶっている莉帆は指の背で涙を拭きながら訊ねてくる。

「家族?」

「うん。今まで守護霊なんて見えていなかったのに不思議よね。ずっと昔から一緒にいるみたい。肌馴染みがいいっていうか、水が合うっていうか。家族みたいだなぁって」

「似ては、いるかもな」

 素直に認めるのも何となくしゃくに触り、語尾にわざと抵抗を残した。

 本当はオレだって気づいていた。真之助の持つ雰囲気は小さい頃から使ってるお気に入りの毛布のように懐かしく温かい。だからこそ、甘えが生まれ、意地悪く当たってしまうのだ。

 そんなオレたちの会話を聞いていたのか、真之助の肩の上、おいねが、

「家族! 守護霊とお付き人は家族!」と覚えたての英単語を発音するように何度も繰り返した。

「そうだね、家族だ」

 真之助が正解を言い当てた生徒を大袈裟に褒め称えるようにして喜色を滲ませたとき、オレはひとり足を止めた。

 デジャヴを覚えたのだ。

 おいねを肩車する女性と見間違う華奢な背中。

 そんな真之助の背中をオレはずいぶん前から知っている。

 幼い頃、夏祭りの夜に家族とはぐれ、泣きつかれたオレをぶって、家族のもとへと運んでくれた優しい背中――。

 あれはじいちゃんではなく、真之助だったのだ。

 当然、今朝方見た夢も、じいちゃんとの思い出の一部と信じ込んでいた。

 しかし、顕微鏡でじっくり観察するように記憶の中を覗き込んでみると、じいちゃんはもっと上背があったし、何よりもっと歌が上手かった。そう、カラオケ大会で軽く優勝するくらいには。

「真、早くおいでよ。置いて行っちゃうよ」

「……おう」

 心の一番柔らかい場所を突かれたかのようで、そりゃないぜと真之助を非難したかったが、この話題に触れてしまったら、涙腺が一気に崩壊してしまいそうな予感があった。

 だから、オレは憎まれ口を叩く。

「お前の歌、すげー下手くそ!」

 でも、嫌いじゃない。

 オレは込み上げるものを押し込んで、手招きする真之助を追いかけた。

 真之助の背中に負ぶわれたあの日、穏やかな鼓動が聞こえた、気がした。
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