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第二章 出雲の狼
第7話 蜀の塩職人
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周防から帰ってすぐ、磐余彦は塩土老翁の家を訪ねた。
「磐余彦です」
来訪を告げると、「どうぞ」と声がして招き入れられた。
部屋の真ん中に炉が組まれ、土間の一角に茣蓙が敷いてあるだけの竪穴式住居である。
元々は貴人に準ずる高床式の住まいを与えられていたのだが、「吾にはこちらのほうが住みやすいので」と自ら申し出て、狭い陋屋に暮らしている。
見上げると、木の皮や葦で覆われた天井が煤で煙っていた。
磐余彦が本州で出会った男の話をすると、塩土老翁は息を呑み、驚きの表情を浮かべた。
「お会いになったのですか、長髄彦どのに?」声が震えていた。
「ええ……」
「よくご無事で……」
塩土老翁は皺くちゃの手で磐余彦の両肩を強く掴み、何度もうなずいた。
その青ざめた顔を見て、磐余彦は何かとんでもないことをしでかしたのだと悟った。
「長髄彦どのは出雲の狼と呼ばれるお方です」
今度は磐余彦が息を呑む番だった。
その昔、素戔嗚という男がヤマト王権内の権力闘争に敗れ、出雲に下った。
素戔嗚は出雲で美しい姫と出逢い、二人の間に娘が生まれた。
やがて成長した娘は夫を迎えた。それが長髄彦である。
長髄彦は乱暴な義父とは異なり、仁義に篤いとの評判だった。
しかし素戔嗚の死から程なく、出雲王国はヤマトの圧力に屈し、降伏した。
長髄彦は義父の恩讐を越えて、近々ヤマトに将軍として迎え入れられることになっているという。
「実は、長髄彦さまからこれをいただきました」
それを見た塩土老翁が大きく目を見開いた。
「なんと、天羽羽矢と天鹿児弓……」
「天羽羽矢、天鹿児弓?」
鸚鵡返しに聞くが、磐余彦には何のことか分からない。
しかし次に塩土老翁が告げた言葉に磐余彦は驚愕した。
「ヤマト王の正統な証です」
「まさか!」
炉にくべた小枝がぱちぱちと音を立ててはぜた。
塩土老翁は火が静まるのを待って話を続けた。
「ヤマトの王位に就く者は、祖神である高皇産霊より下賜された弓矢を代々受け継いできました。それがこの天羽羽矢と天鹿児弓です」
――!
今度は磐余彦が驚く番だった。磐余彦は絶句したまま、手に握った黒い弓矢と塩土老翁の顔を交互に見比べた。
まるで夢を見ているような話である。
まさか自分が手にしているのがヤマト王の証であるとは、今まで想像もしていなかった。
心臓が早鐘を打った。
「素戔嗚さま、つまり長髄彦どのの義父君が、ヤマト王家の争いに敗れて出雲に逃げる際に、王宮から弓矢を持ち出したのだそうです。弓矢はそのまま出雲のものとなっておりました」
「……」
「ただしご存知のとおり、出雲は先年ヤマトに降伏しました」
その降伏の証として弓矢を返すことになったのだろう、と塩土老翁は言った。
磐余彦は以前として絶句したままである。
「しかし長髄彦どのは、なぜこの弓矢を磐余彦さまにお与えになったのでしょう?」
塩土老翁が聞くが、それはむしろこちらが聞きたいことである。
――あの人はいったい何を考えて、見ず知らずの自分に呉れたのか?
何度考えても答えは見つからず、磐余彦はただ首を振るよりなかった。
塩土老翁は大陸から戦乱を逃れて海を渡ってきた漢人である。
祖国蜀の滅亡とともに、命からがら海を渡ってきた。
「多くの仲間とともに長江(揚子江)を下り、船出をしましたが、そのほとんどは海の藻屑と消えました。私は運良く仲間とともに東に逃げる船に乗り、倭の地を踏むことができたのです」
日本がまだ倭国と呼ばれていたこの時代、唐土(中国)では魏呉蜀の「三国志」の時代が終わり、統一王朝晋が興った。
塩土老翁は蜀の都成都(現四川省成都市)の塩職人だった。
塩は鉄とともに重要な戦略物資である。
蜀は内陸国だが良質な岩塩の産地として知られ、成都の「山菱岩塩」は今なおその名が知られている。
倭国に辿り着いた塩土老翁は、日向で塩作りをはじめ、先進技術や学問を教えてきた。
塩土老翁から文字を習う若者も少なくない。
むろん磐余彦もその一人である。
「長髄彦どのはあなたを見て、殺すには惜しいと思われたのかもしれません」
「まさかそんな…」
「いいえ。あなたは生まれながらに並外れた貴相の持ち主です。加えて聡明な頭脳と謙虚さがおありになる。その資質を見抜かれて敢えて殺さなかったのだとしたら、長髄彦どのも類い稀な英傑といえるでしょう」
塩土老翁が言ったが、いくら考えたところで本当の理由など分かる筈もなかった。
ただ殺されなかった僥倖に、震えが来たことだけは今も覚えている。
――それから十余年。
未だに腕力では長兄の五瀬命に到底敵わない。
知力でも次兄の稲飯命や三兄の三毛入野命には明らかに劣る。
だが長じるに従って、磐余彦には三人の兄とは異なる資質が備わっていることが多くの人に認められるようになった。
そして三人の兄たちも磐余彦には一目置き、その言葉に従うことが自然の流れになっている。
それは単に磐余彦が皇太子だからではない。
磐余彦には、目的を遂げる強い意志とまっすぐな実行力がある。
意志の強さは、ともすれば人の話に耳を貸さない頑迷さにもつながる。
その点磐余彦には、人の地位を問わず人の言葉にも素直に耳を傾け、よいと思えば素直に従う柔軟さがある。
加えて、周囲の者が思わず力を貸したくなる不思議な魅力を備えてている。
これはまさに天賦の才といえる。
日臣や来目も、そんな磐余彦を慕って集まってきた仲間である。
その点について塩土老翁は、「あなた様の器の大きさとともに、徳がおありになるからだ」と言う。
そして磐余彦には、自信を持って言えることがもう一つある。
今から十数年前に長髄彦から弓矢を貰ってから、磐余彦は弓の修練を一日たりとも欠かさなかった。
雨で弓が引けぬ日も、三重に撚った弦を引くことで己の腕を鍛えた。
遠くの物を見て距離を測る訓練も怠らなかった。
止まっているものを射るのは容易い。それに比べ、動いているもの、殊に獣は人より遥かに素早い。
それを瞬時に判断して射るまでには、厳しい鍛錬が必要なのである。
黒鬼との戦いで、磐余彦はその成果を見事に見せたのだった。
「磐余彦です」
来訪を告げると、「どうぞ」と声がして招き入れられた。
部屋の真ん中に炉が組まれ、土間の一角に茣蓙が敷いてあるだけの竪穴式住居である。
元々は貴人に準ずる高床式の住まいを与えられていたのだが、「吾にはこちらのほうが住みやすいので」と自ら申し出て、狭い陋屋に暮らしている。
見上げると、木の皮や葦で覆われた天井が煤で煙っていた。
磐余彦が本州で出会った男の話をすると、塩土老翁は息を呑み、驚きの表情を浮かべた。
「お会いになったのですか、長髄彦どのに?」声が震えていた。
「ええ……」
「よくご無事で……」
塩土老翁は皺くちゃの手で磐余彦の両肩を強く掴み、何度もうなずいた。
その青ざめた顔を見て、磐余彦は何かとんでもないことをしでかしたのだと悟った。
「長髄彦どのは出雲の狼と呼ばれるお方です」
今度は磐余彦が息を呑む番だった。
その昔、素戔嗚という男がヤマト王権内の権力闘争に敗れ、出雲に下った。
素戔嗚は出雲で美しい姫と出逢い、二人の間に娘が生まれた。
やがて成長した娘は夫を迎えた。それが長髄彦である。
長髄彦は乱暴な義父とは異なり、仁義に篤いとの評判だった。
しかし素戔嗚の死から程なく、出雲王国はヤマトの圧力に屈し、降伏した。
長髄彦は義父の恩讐を越えて、近々ヤマトに将軍として迎え入れられることになっているという。
「実は、長髄彦さまからこれをいただきました」
それを見た塩土老翁が大きく目を見開いた。
「なんと、天羽羽矢と天鹿児弓……」
「天羽羽矢、天鹿児弓?」
鸚鵡返しに聞くが、磐余彦には何のことか分からない。
しかし次に塩土老翁が告げた言葉に磐余彦は驚愕した。
「ヤマト王の正統な証です」
「まさか!」
炉にくべた小枝がぱちぱちと音を立ててはぜた。
塩土老翁は火が静まるのを待って話を続けた。
「ヤマトの王位に就く者は、祖神である高皇産霊より下賜された弓矢を代々受け継いできました。それがこの天羽羽矢と天鹿児弓です」
――!
今度は磐余彦が驚く番だった。磐余彦は絶句したまま、手に握った黒い弓矢と塩土老翁の顔を交互に見比べた。
まるで夢を見ているような話である。
まさか自分が手にしているのがヤマト王の証であるとは、今まで想像もしていなかった。
心臓が早鐘を打った。
「素戔嗚さま、つまり長髄彦どのの義父君が、ヤマト王家の争いに敗れて出雲に逃げる際に、王宮から弓矢を持ち出したのだそうです。弓矢はそのまま出雲のものとなっておりました」
「……」
「ただしご存知のとおり、出雲は先年ヤマトに降伏しました」
その降伏の証として弓矢を返すことになったのだろう、と塩土老翁は言った。
磐余彦は以前として絶句したままである。
「しかし長髄彦どのは、なぜこの弓矢を磐余彦さまにお与えになったのでしょう?」
塩土老翁が聞くが、それはむしろこちらが聞きたいことである。
――あの人はいったい何を考えて、見ず知らずの自分に呉れたのか?
何度考えても答えは見つからず、磐余彦はただ首を振るよりなかった。
塩土老翁は大陸から戦乱を逃れて海を渡ってきた漢人である。
祖国蜀の滅亡とともに、命からがら海を渡ってきた。
「多くの仲間とともに長江(揚子江)を下り、船出をしましたが、そのほとんどは海の藻屑と消えました。私は運良く仲間とともに東に逃げる船に乗り、倭の地を踏むことができたのです」
日本がまだ倭国と呼ばれていたこの時代、唐土(中国)では魏呉蜀の「三国志」の時代が終わり、統一王朝晋が興った。
塩土老翁は蜀の都成都(現四川省成都市)の塩職人だった。
塩は鉄とともに重要な戦略物資である。
蜀は内陸国だが良質な岩塩の産地として知られ、成都の「山菱岩塩」は今なおその名が知られている。
倭国に辿り着いた塩土老翁は、日向で塩作りをはじめ、先進技術や学問を教えてきた。
塩土老翁から文字を習う若者も少なくない。
むろん磐余彦もその一人である。
「長髄彦どのはあなたを見て、殺すには惜しいと思われたのかもしれません」
「まさかそんな…」
「いいえ。あなたは生まれながらに並外れた貴相の持ち主です。加えて聡明な頭脳と謙虚さがおありになる。その資質を見抜かれて敢えて殺さなかったのだとしたら、長髄彦どのも類い稀な英傑といえるでしょう」
塩土老翁が言ったが、いくら考えたところで本当の理由など分かる筈もなかった。
ただ殺されなかった僥倖に、震えが来たことだけは今も覚えている。
――それから十余年。
未だに腕力では長兄の五瀬命に到底敵わない。
知力でも次兄の稲飯命や三兄の三毛入野命には明らかに劣る。
だが長じるに従って、磐余彦には三人の兄とは異なる資質が備わっていることが多くの人に認められるようになった。
そして三人の兄たちも磐余彦には一目置き、その言葉に従うことが自然の流れになっている。
それは単に磐余彦が皇太子だからではない。
磐余彦には、目的を遂げる強い意志とまっすぐな実行力がある。
意志の強さは、ともすれば人の話に耳を貸さない頑迷さにもつながる。
その点磐余彦には、人の地位を問わず人の言葉にも素直に耳を傾け、よいと思えば素直に従う柔軟さがある。
加えて、周囲の者が思わず力を貸したくなる不思議な魅力を備えてている。
これはまさに天賦の才といえる。
日臣や来目も、そんな磐余彦を慕って集まってきた仲間である。
その点について塩土老翁は、「あなた様の器の大きさとともに、徳がおありになるからだ」と言う。
そして磐余彦には、自信を持って言えることがもう一つある。
今から十数年前に長髄彦から弓矢を貰ってから、磐余彦は弓の修練を一日たりとも欠かさなかった。
雨で弓が引けぬ日も、三重に撚った弦を引くことで己の腕を鍛えた。
遠くの物を見て距離を測る訓練も怠らなかった。
止まっているものを射るのは容易い。それに比べ、動いているもの、殊に獣は人より遥かに素早い。
それを瞬時に判断して射るまでには、厳しい鍛錬が必要なのである。
黒鬼との戦いで、磐余彦はその成果を見事に見せたのだった。
応援ありがとうございます!
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