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虹色の貝合わせ

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 日の光を浴びて虹色に光る貝殻が、指にはさまれて、くるりと裏返る。
 白地のツルツルに描かれていたのは“剣”のマーク。
 細やかな柄のそれを見るのは、今回は二度目である。

「“剣”はもう出てたはずだよ。がんばって!」

 声をかけて視線で示す。
 ちょっとズルいけど“ここにあるよ”って。

「……エイミー、大丈夫」

 ふんす、と鼻を鳴らしながらも、ルシルの頬がつり上がることはない。
 けれども、白髪の切れ目からのぞく赤眼には、なみなみならぬ闘志が宿っていた。
 彼女は一切の迷いなく手を伸ばし――貝殻を裏返す。
 ……私の視線の先と、全く違う場所の。

「…………」

 はらりと前髪が滑り、鮮やかな赤を隠すまえ。
 垣間見えた瞳は、驚きに見開かれていた。
 ルシルは“盾”のマークの貝殻を手にしたまま、小刻みに震えている。

「これはここ。それで……これはこっちね」

 ぼうぜんとする彼女を尻目に、ラピスが次から次へと貝殻を裏返していく。
 “剣”、“杖”、“竜”……そして、最後にルシルが持ったままだった“盾”のマークの貝殻をめくる。
 そうして、盤上に残っていた貝殻は全て彼女の元に集まり、ラピスの連勝記録は更新となった。


 穏やかな陽気の昼下がり。
 やわらかい日差しがおちる食堂の机を囲むのは、私を含めた孤児院の子どもたちだ。

 私たちはおじいちゃんの提案で『貝合わせ』というゲームで遊んでいた。
 貸し出されたのはたくさんの貝殻。
 アサリより少し大きな二枚貝のそれは光が当たると虹色に輝いて、まるで宝石のようだった。

 提案をしてくれたおじいちゃんは、ここにいない。
 書きものをしなければいけない。と言っていたけど、私がみんなと仲良くなれるよう、気を使ってくれたのかもしれない。
 何にせよ、素敵な遊びをさせてくれたことに変わりはないのだ。
 あとでしっかりお礼を言うことにしよう。

 貝合わせとは、つまりは神経衰弱だ。
 貝殻の、ぷっくりしている方を上にして置いて、裏面に描かれている同じ絵柄を揃えていくゲーム。
 単純なルールなんだけど、

「こんなの勝てっこないだろ!」

「……ラピス、強すぎ」

 コリーとルシルがじだんだを踏むとおり、ゲームはラピスが勝ち続けている。
 ラピスはきっと、一度めくられた絵柄を全部記憶しているのだろう。
 私が覚えている範囲だけど、彼女は今まで一度もミスをしていなかった。
 昔テレビで“見たものを写真のように記憶できる人”を見たことがあるけど、ラピスにもそういった特技があるのかもしれない。

「エイミー、なんかコツとかないのかよ? 絶対勝てるような!」

「ええと、覚えやすい場所の貝殻をめくるようにするとか……」

 頭をかきむしるコリーにアドバイスをしようとして、途中で思い至った。
 自分で言っておいて難だけど、この方法じゃあラピスには勝てない。
 最下位は免れるかもしれないけれど、きっとコリーは納得しないだろう。

 このゲームに運が作用するのは後半になってからだ。
 でも、後半になってしまうと既に絵柄が明らかになっている貝殻も多くなるわけで。
 そうなるとミスをしないラピスに勝ち目はなかった。

 悩んでいた私に、ラピスは片目をつむってウィンクをひとつ。
 そして小さく笑いながら口を開いた。

「ふふ。ちょっとズルい気がしてきたし、そろそろルールを追加するのはどうかしら?」

 彼女は細い指先で一枚の貝殻をつまみあげる。
 光を浴びて虹色に輝くそれをもてあそびながら、

「例えばこの貝の片方は一旦しまっておいて、もう片方はさっきまでと同じように混ぜるの。
 それでこの貝をめくっちゃったら――貝殻の位置を、全部バラバラにするのはどう?」

 ラピスは私たちに有利なルールを提案してくれた。
 負け続ける私たちへの気遣いに気付いて はっとしていると、それを察したらしい彼女が困ったように笑って、

(ないしょだよ)

 隣の私にしか聞こえない声で伝えてくれた。
 さくら色の唇に小さく添えられた人差し指が、彼女の気遣いを裏付ける。
 こういったジェスチャーはどの世界も同じなのかもしれない。

「対になった貝がないヤツはどうやって判別するの?」

 首を傾げるデンテルの質問を保留し、ラピスは貝殻が入っていた巾着をまさぐりはじめた。
 貝殻が入っていた古めかしい浅葱色の巾着。
 おじいちゃんが大事そうに持ってきてくれたそれは、きっと彼の宝物なのだろう。

「そうね……じゃあ、この余りの貝殻にすればいいわ」

 そう言ってラピスがとり出したのは、最初から対になる絵柄が存在しなかった貝殻。
 ゲームには使えないから別にしていたものだ。
 おじいちゃんに確認したところ、むかし一つを無くしてしまったらしい。

 見せられた貝殻にはカエルのような絵が描かれている。
 裏返る……裏カエルなどというしょうもないダジャレが一瞬頭に浮かぶが、すぐに吹き飛ばした。
 真顔で意味を訊ねられる未来しか見えないから。
 そもそもダジャレなんて、きっと この世界では知られていない。

 くだらない考え事は置いておいて、今は新しいルールについてだ。
 シャッフルカードの追加。これは面白いかもしれない。
 新しいルールを追加することで盛り上がるだろうし、何より苦手な人でも勝てる可能性が出てくる。
 目に見えたハンデはコリーやルシルが受け入れないだろうけど、これなら受け入れてくれるだろう。

「それじゃあ、このルールでいいかしら?」

 ラピスの言葉にみんなは よどみなく頷いた。
 彼女の連勝阻止に向けて、熱が高まっていくのを感じる……!

「仕切りなおしだ! 次こそは負けないぜ!」

「……ラピス、覚悟」

「いや、コリーとルシルは、まず自分の周りの模様を覚えるようにしようね?」

 どうしても全体の模様を覚えようとして失敗し続ける彼らを、デンテルが優しく諭す。
 全部を覚えるなんて無理だよ。
 そう何度も言われているのだけど、すぐそこに盤面の全てを暗記するラピスがいるから説得力がないのだろう。
 二人はデンテルの言うことを聞かずに、毎回貝殻を一枚も取れずに終わっていた。


「さあて、まずはこいつを……どうして初っ端っから引くんだよ!?」

「……コリー、うるさい」

 その後も何回かやったけれど、カエルは序盤にコリーが引き続けてしまいあまり意味をなさなかった。
 唯一コリーが引かなかったときはルシルが初っ端に引いてしまい、それまでコリーを責め続けていたルシルは一転、それをネタにちくちくといじられることになる。

「あーあ、誰かさんのせいでもう逆転はなくなっちゃったなー。
 俺を散々コケにしてた、誰かさんのせいでなー」

「……う、うるさい」

 結局そのあとはコリーがカエルを引いて、さっきの倍いじられることになったのだけれど。

 結局ずっとラピスの完勝だったものの、それを不満に感じたりはしなかった。
 勝ち負けよりもみんなで遊べたことが嬉しかったから……だと思う。
 みんなも楽しかったようで、口ぐちに感想を伝えてくれた。“また遊ぼうね”とも。

 気が回って頭の良いラピス。
 不器用だけど明るいコリー。
 無表情だけど心は熱いルシル。
 一歩引いたところでみんなを見守る、お兄さん気質なデンテル。

 今日はみんなの一面が見れて良かった。
 私もとても楽しかった……はずだ。

 けれど、心のなかでもう一人の私が言ったんだ。
 許されない言葉・・・・・・・を。汚い欲望を。
 いくらゲームに集中しようとしても、泥のように残ったそれが邪魔をした。
 
 だから、私は自分が楽しかったのか。
 楽しんでいるように振る舞えていたかすらもわからない。

 おじいちゃんに晴らしてもらった不安は、再び私の胸に立ち込めていた。



 ◆



「――おじいちゃん。これ、ありがとう」

 窓に広がる雲が黄金色に染まるころ、私はおじいちゃんの部屋にいた。
 貸してくれた貝殻を返すため。
 それと……もうひとつ。

「うむ。どうだい、楽しかったかな?」

 頬をほころばせながら おじいちゃんが問いかける。
 彼は参加しなかったから、みんなの様子が気になるのだろう。

「……うんっ! とっても楽しかったよ!」

 胸の痛みを押し隠して、きっと望まれているだろう返事をする。
 怪しまれないように笑いながら。

 ゲームの終盤ごろからずっと、私は胸が痛かった。
 激しい痛みってわけじゃなくてズキズキとした、重い……鈍い痛み。

「…………」

 言い出したいのに言い出せない。
 気付いてほしいのに気付かれるのが怖い。
 臆病な感情に操られるように、私は相談するつもりだった痛みを隠してしまった。

「エイミー?」

 黙っているのを気にしたらしい彼が呼びかける。
 おじいちゃんがつけてくれた、私の名前を。……私だけに・・・・、くれた名前を。

「……ううん。なんでもないよ」

 浮かんできた暗い想いを振り払うため、大きく首を振って返事をした。
 大丈夫。不自然じゃなかったはずだ。

「その貝殻、おじいちゃんの宝物なの?」

 彼に返した浅葱色の巾着袋を指差して問う。
 あたりさわりのなさそうな、気を逸らすための話題として。

「……そうじゃのう」

 そんな私の失礼な考えを知らず、おじいちゃんは昔を懐かしむような遠い目をした。
 口のはしからこぼれた言葉はどこか寂しい、悲しげな響きとなって耳を揺らす。

「とても、とても大切なものじゃ」

 大事そうに両手で抱えた巾着を見つめながら、おじいちゃんは想いを伝えてくれた。
 お顔のしわを寄せて、泣き出す前みたいに悲しそうに。

 その顔をみた私は、どうしてそんな悲しそうな顔をするのか。
 誰からもらったものなのか、訊ねることができなかった。

 しんみりとしてしまった空気を、おじいちゃんが小さく咳払いをして吹き払う。
 そして真面目な顔で向き直った。

「エイミー」

 この雰囲気を私は知っている。
 そのときの感情は忘れてしまったけど、これは怒られるときの空気だ。
 どうすればいいんだろう。
 私は、こんなときどんな顔をしていたんだろう。

「……はい」

 考えたけどどうしていいのかわからなくて。
 結局、私はうつむきながら返事をした。

 怒られるのは怖いなぁ。
 私が悪い子だから、嫌われちゃったのかな。
 捨てられ……ちゃうのかな。

 そんなことはない。
 そうやって強く自分に言い聞かせても、体はどんどん熱を失っていく。
 指先から自分のものでなくなっていくような、そんな感覚。
 きつく瞳を閉ざし、握る両手に力を籠めるも、

「気持ちは言葉にしないと腐り、想いは伝わらない」
 
 おじいちゃんの口から紡がれた言葉は想像もしないものだった。
 その言葉の意味を考えるよりも先に、おじいちゃんの口が開かれる。

「これは古い言葉……箴言しんげんというものじゃ。ここのみんなに伝えている言葉でもある」

 “箴言”という聞いたことがない言葉の意味を、私は説明される前から知っていた。
 想いが言葉になる世界、だからなのかもしれない。
 おじいちゃんが、どうして箴言を私に伝えるのか。それはわからなかったけど。

「エイミーが何に悩み、何を想っているのかはわからない。だが、この言葉を忘れるときまで・・・・・・・覚えていてほしい」

 そう言っておじいちゃんは私の頭を撫でる。
 髪を梳くように、とても優しく。

 今の私には、言葉が意味するところも、奇妙な言いまわしの意図も考える余裕は無い。
 怒られなかったことに対する喜びと安堵で、心が揺れていたから。
 だけどなんとなく、私が悩んでいることに気付かれていることはわかった。

 優しい指先に身をゆだねているあいだだけ、胸の痛みは遠ざかる。
 つかのまの幸せを噛みしめながら。失うことに怯えながら。
 私は、触れる温もりに意識をとぎすませた。


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