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熱した油と心の雲1
しおりを挟む私の笑顔は汚かった。
楽しくて笑った記憶なんてない。
私にとって笑顔とは、逃げるための手段だったから。
大魔術師の家名から。
私の体で遊ぶお兄さまから。
愛してくれないお母さまから。
いつも怒っていた、血のつながらないお父さまから。
名のある魔術師の家系でただ一人。
魔術を扱えなかった私は、家族にとって不要な存在だった。
私で遊ぶため。苛立ちをぶつけるためだけに生かされていたんだと思う。
媚びた笑みが張り付いて、いつしかそれは剥がれなくなっていた。
怖いもの、嫌なものから逃げたくて。
許してほしい気持ちが私の顔をゆがませた。
本当は卑屈に笑いたくなんてなかった。
笑うなら、胸を張って力強く笑いたかった。
私は努力したつもりだ。
皆が寝静まったあとも、月明かりを頼りに必死で勉強をした。
毎日のように練習をして、手に血がにじんでも《しるし》を描き続けた。
……けれど、結果はついてこなかった。
家族が他人になった日のことは よく覚えている。
たくさんの人が四角い鉄の檻に囚われている場所のことも。
無言で私を置いていったお父さまの顔も。
最後に汚い言葉を贈ってくれたお母さまの声も。
ぜんぶ ぜんぶ 覚えている。
酸っぱいような苦いような。目に染みるにおいで埋め尽くされたそこが、私の新しい家だった。
たくさんのお父様やお兄様に囲まれて、私はまた笑っていた。
殴られても、蹴られても、辱められても。
そうするしかできなかったから。
きっと事故だったんだと思う。
いつもの苦しい遊びの途中で鈍い音がした。
私の体から発された奇妙な音を皮切りに、意識はどんどん薄れていく。
――塗りつぶされていく世界で最後に、しわがれた優しい声を聞いた
◆
「はぁっ……はぁっ……!」
意識を取り戻してすぐに自分の顔を触る。
大丈夫、ある……ゆがんでない。
「――――っ!」
指についた血を見て身体がこわばった。
けれど、よく見れば大した量じゃない。いつものように引っかいて皮が裂けたのだろう。
落ち着いて確認すると、指と爪のあいだにそれが詰まっていた。
たびたび見る心的外傷の夢は、今日も私を苦しめた。
酷い悪寒を感じながらの目覚めは、一体いつになったらなくなるのだろうか。
「……ごく、こくん」
ベッドの横に置いた水瓶の水を一口。
そして額の血と汗を拭ってから、ようやくひと心地つけた。
みんなが起きる前に、おじいちゃんに治療してもらわないと。
私の顔に表情はない。
きっと笑いたくないって思ったから、笑えないように神さまがしてくれたんだと思う。
他の表情も まとめて殺されてしまったけど。
それでも顔色を整えることくらいはできる。
おじいちゃんに頼んで、傷をふさいでもらうこともできる。
最近家族になった女の子。エイミーを怖がらせないためにも、私は軽く膝を叩いて寝所をあとにした。
◆
昨日の貝合わせはとても楽しかった。
家族で何かをできるということは、やはり、とても良いものだ。
暖かい日差しがおちる食堂で。朝食に使った食器を片づけながら、私はそんなことを考えていた。
「ルシル。今日は上機嫌ね」
ラピスは陽だまりのなかから ほほえみかける。
窓から吹き込むやわらかな風になびかせるは、空色の長髪と虹色のリボン。
麻のチュニックに浮かび上がる肢体はしなやかで、朝日に美しく映えていた。
「……そうかな」
ゆるまない頬の代わりにまばたきを二回。専用の意思表示を交えて言葉を返す。
私の表情は死んでいるのに、どうしてか彼女には機嫌がわかってしまうのだ。
それは不思議だけど、とても嬉しいことだった。
誰かに自分を理解してもらえるということ。その幸せは、何物にも代えがたいものだから。
「――その、ちょっと話をしないかしら?」
言葉の余韻が消えたころ。ラピスは、視線をそらして問いかけた。
両手の指を擦り合わせるその仕草は、何か言い辛いことを切り出すときの癖だ。
見回せば食堂に残っていたのは私とラピスだけ。きっと機会を見計らっていたのだろう。
断る理由はない。深くうなずいて答えると、彼女は椅子ごと体を寄せてきた。
私の心的外傷は頬を、ラピスの心的外傷は足を縛り付けている。
両足のかすかな震えをごまかすように、彼女はチュニックの裾を正す。
「…………」
一旦の沈黙。
言いあぐねているというよりは、頭のなかで話す内容を整理しているように見える。
ラピスはとても頭がいい。きっと私にも伝わるような言いまわしを選んでいるのだろう。
待たせてしまってごめんなさい。
話は、そんな気遣いの言葉から始まった。
「ルシルは昨日の貝合わせ、楽しかった?」
しっかりと私の目を見据えて彼女は問いかける。
その真剣な眼差しから、単なる雑談ではないことが読み取れた。
「……楽しかった。とても」
短い言葉では伝わらない気がして、一言付け加える。
にぎやかで、私以外は笑顔に満ちていて……以前は考えられないような、幸せな時間だったのだ。
それを聞いたラピスは手を軽く胸にあてて、息を吐いた。
「私が勝ちすぎて嫌な気分になったとか、そういうのはなかった?」
たぶん、彼女は“違うよ”と言われることを知っている。
それでも不安なのかもしれない。『気持ちは言葉にしないと腐り、想いは伝わらない』から。
おじいちゃんの言葉を借りて、ちょっと偉そうなことを考えてみる。
「……そんなこと、ない」
思ったままのの感想を伝えると、ラピスは小さく顔をほころばせた。
けれど、すぐにまた表情をとりなして続ける。
「ありがとう。……それで、本題なんだけどね」
唾をのむ小さな音と共に、彼女の喉が動く。
「エイミーのこと、どう思ってる?」
問いは、熱い吐息にからんで吐き出された。
“どう”という漠然とした言葉はラピスらしくない。
何か直接的表現ができない言葉をぼかしているのか。はたまた感じたすべてを聞きたいということなのか、私には判断できなかった。
だから私は、わからないままに口を開く。
「……エイミーのことを語れるほど、私はまだ親しくない」
でも、
私は目をつむりながら継げる。
「……私はここで暮らすみんなを家族だと思ってる。エイミーもいつか、そう思えるようになってほしい」
答えたのは願望であって、質問の回答からは外れたものだと知っている。
けれど、私は頭の回りが悪いから。
コリーよりはマシだけど、頭の回りが悪いから。
言葉が詰まる前に、想ったままを伝えることにしているのだ。
一番悪いのは黙りこくって、自分の想いを告げられないこと。心の内で気持ちを腐らせてしまうことだから。
そんな私の外れた返答は、彼女にとって喜ばしいものだったようで。
お礼の言葉と共に、私の髪を優しく撫でてくれた。
「ルシルなら、そう言ってくれると思ってたよ」
噛んで味わうように言い、彼女は手を引いた。
そして今度は、ゆったりとした笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
こうやって表情を変えることができるということは人間らしくて、それができない私には少しうらやましい。
「私も同じ考えなんだけど……エイミーと仲良くなるのって、どうすればいいかな?」
……難しい質問だ。
ここに来るまで友達なんて居たことのない私には、どうしていいのかわからない。
片手を頭にあてて悩みだしてからしばらく。
やがて、困ったような顔をしながらラピスが口を開いた。
「――また、みんなで何かをするのはどうかしら?」
「……それがいい!」
思ったときには言葉がもう飛び出ていた。
私は、それを恥ずかしいとは思わない。
心から想ったことを伝えられるということは、とても幸せなことなのだから。
そんな私に彼女は薄く笑みを浮かべて、片手を頬にあてがいながら続ける。
「今度はおじいちゃんにも参加してもらいましょう」
「……何をするのがいい、かな?」
矢継ぎ早な私の問いに、彼女は少しだけ悩みこむ。
自分でも考えなければいけないことはわかるのだけど、気が急いてしまって仕方がない。
やがてラピスは遠いどこかを見つめながら、
「お料理。……なんて、どうかしら?」
とても魅力的な提案をくれた。
◆
意見を出すことにおいて全く役立たなかった私は、代わりにエイミーを誘う役を引き受けた。
「任せて」と鼻息をたてながら言うと、ラピスは笑みを浮かべながらうなずきひとつ。
それから真っすぐに瞳を見つめて、「お願いね」と言ってくれたのだった。
小さなことでも、頼りにされることは嬉しくて。
長い廊下を歩きながら、胸に広がるあたたかいものを感じていると、
「ああ、ルシル。畑に用かな?」
廊下の突き当り。裏口の扉をあけて出てきたデンテルが、声をかけてきた。
高身長の彼と、幼い子ども程度の身長しかない私の差は酷い。
やや上空に置かれた彼の糸目は、私と、握ったままになっている裏戸の取っ手を交互に見た。閉めてよいものか迷っているのだろう。
そんな気遣いにまばたきで感謝を伝えたあと、
「……そっちにエイミー、いた?」
「いいや。しばらく木の実を収穫してたけど、見なかったなぁ」
問いかけるも、外にはいないらしかった。ならば部屋だろうか。
「ありがとう」そう言って踵をかえそうとしたとき、デンテルは取っ手から手を離して付け加える。
「前庭か礼拝堂にいるかもしれない。朝ごはんのあと、そっちに行くのを見かけたから」
前庭、礼拝堂。どちらもエイミーには行く意味がないように思えるけど、もしかしたらこの家を探検しているのかもしれない。
そう思い至った私は礼を告げ、彼は倉庫へと、私は礼拝堂へと足を進めた。
この家……孤児院は、もともとは礼拝堂と小さな宿舎があるだけだったらしい。
そこに増築を重ね、居住区を後付けしたために縦長な造りになっている、と聞いたことがある。
裏口から最も遠いのは前庭。そして、そこへと通じるのが礼拝堂だ。
いくつかの窓、書庫、食堂、みんなの部屋、空き部屋の扉を視界の端に流し、私は足を前へと進める。
なんて誘おうか。エイミーは喜んでくれるだろうか。……そんなことを考えながら。
やがて廊下の突き当り。礼拝堂の手前までたどりつくと、半開きになっている扉が目についた。
向こうにエイミーがいるのかもしれない。
私は深く息を吸って、吐いて。胸の空気を入れかえてから扉を開いた。
「――――っ!」
息を呑む音が聞こえた。
視線の先。横長の木椅子に腰かけた女の子……エイミーは大きく肩を震わせ、こちらへと首を動かす。
どうやら驚かせてしまったらしい。
おじいちゃんやラピスがするように扉を叩けばよかったのだろうが、誘う文句で頭がいっぱいで忘れていた。
謝ろうと口を開くも、
「このね、彫刻を見ていたの!」
エイミーが慌てるように告げた言葉に阻まれてしまう。
少し不自然にも見えたけど、対人経験の少ない私には意味するところがわからない。気のせいだろうと割り切った。
彼女が言いながら指さしたのは礼拝堂の最奥。私が出てきた扉の右手側にある、五柱の神さまの彫刻だ。
薄めの石板を彫って作られたそれは特別目を引くものではなく、風の神が中央に座していること以外は、他の礼拝施設のそれと変わらないものだった。
だが、エイミーは転移者だ。
私たちにとってはありふれたものでも、彼女にとっては珍しいものもあるのだろう。
書庫に神話に関する本があるし、今度教えてあげるのもいいかもしれない。……と、流れた思考を隅に追いやって、
「……となり、いい?」
訊ねながら足を進める。
駄目、なんていじわるをエイミーは言わないだろうから。
……そんな決めつけは、もしかしたら間違っていたのかもしれない。
「…………」
すぐそばまで寄った私に対し、エイミーは瞳を伏せ、唇を動かしてくれなかった。
肩上に切りそろえられた黒髪が、窓から入り込む風にゆれるだけ。
私は、その沈黙が怖くなってしまって、
「……ごめんね。嫌、だった?」
両手で服の布地を噛みながら継げた。
いまだけ、表情が死んでいてよかったと思う。
涙を流すことも歪むこともない顔は、彼女に余計な気遣いをさせないで済むから。
こんな自分だ。きっと知らないうちに嫌われる“何か”をしてしまったのだろう。もしくは、この顔が気持ち悪かったか。
「――違うよッ!」
どんどん沈んでいく私の思考は、強い声に引き上げられた。
エイミーは首を振りながら言い、木椅子のほこりを手で払う。
「違う……ごめんね。ちょっとぼーっとしてただけなんだ」
「……そっか」
誰でもぼんやりすることはあるだろう。コリーのようないじわるじゃないのだから、私はそれを責めたりしない。
申し訳なさそうにもう一度謝る彼女に「気にしてないよ」と言って、すぐとなりに腰かけた。
礼拝堂の木椅子は、やっぱりちょっとザラついていておしりが痛い。
ここは誰も利用しないから整備が行き届いていないのだ。心的外傷を抱えた私たちはもう、純粋に神さまを敬うことはできないから。
奥にたたずむ彫刻から視線を剥がし、座りの悪いおしりから意識を逸らし、エイミーだけを見つめて口を開く。
「……ね、今日はみんなで料理をしたい」
「みんなで?」
「……そう。エイミーのいた世界の料理を、私たちに教えてほしい」
ぽかんとした顔で言葉を繰り返す彼女に、用意しておいた言葉を告げる。
ラピスに相談せず、私一人で考えた誘い文句。……それが悪かったのかもしれない。
エイミーの反応は思わしくなかった。
自分の左手と右手で握手しながらうなずき、納得するふうにしているけどわかる。
あれは、言いにくいことを言おうとしているに違いない。
食堂でのラピスの挙動と、どこか似ているところがあったのだ。
人づきあいの少なかった私にもわかるくらいだから、エイミーは真っ直ぐな子なのだろう。
「でも、私は人に教えられるほど上手くないし……」
想像していた通り、彼女は視線を逸らして断わりの言葉を切り出した。しかし先が紡がれない。
木椅子の端を見つめたまま、口は空を噛むばかりだ。遠慮して言いあぐねていることが見てわかる。
本人が乗り気でない以上、お願いしても無意味かもしれない。
それでも私は、このまま引き下がるなんて嫌だったから、
「……一緒に、しよ?」
まばたきを二回。エイミーのひとり握手をほどいて、自分の手を滑り込ませた。
ほんのり伝わる湿り気が、彼女の緊張を黙して語る。
私は手を包みこむと、それをゆっくりと持ち上げていった。あとを追うのは黒い虹彩。
足の付け根に向けられていた視線が、おなかの前にのぼりつめて。やがて胸元へと差しかかるころ、
「……エイミー、お願い」
私の赤い瞳と、彼女の黒は結ばれた。
小さな眉の揺らぎ、喉を落ちる唾液の音、つないだ手から感じる熱。全てが、近い。
私もラピスも。そしてきっとみんなも、エイミーと仲良くなりたいと思ってる。
だって、ここに暮らす私たちは家族なんだから。
遠慮することもときには必要だけれど、それは今じゃない。
『気持ちは言葉にしないと腐り、想いは伝わらない』
エイミーには気持ちを隠さず、言葉にして伝えよう。
いつか彼女の想いも、言葉にして伝えてくれると信じて。
エイミーはしばらくおろおろと迷ったあと。覚悟を決めたように唇を結び、うなずいてくれた。
頬には朱が差し、黒い瞳はうるんでいるけれど、嫌がっているふうではない。
そのことが嬉しくて。私は、つい彼女の手を握ってはしゃいでしまった。
◆
風が畑の緑を撫でて、土の香りを運んでくれる。
そんなありふれたことすらも楽しいようで、エイミーは深呼吸を繰り返していた。
あんまりおいしそうに空気を吸うから、私も真似をするのだけど、
「…………」
うん、土のにおいがする。
そんなに素晴らしいものではなかった。
いま私は、エイミーを連れて裏庭の畑に来ている。目的はもちろん、食材の調達だ。
エイミーが作ろうとしている料理は聞いたこともない名前だったけど、最も重要な材料はサージュらしい。
サージュという名前の野菜は彼女の世界にはなかったらしいから、代用という形になるけれど。
ラピスへの報告も済んでいて、彼女は倉庫で木の実や保存してある食材を取ってくると言っていた。ついでにおじいちゃんにも伝えてくれるらしい。
足のことが気がかりだったのだけど、「大丈夫」と強く言い切られてしまったため二の句が継げなかった。
「……夕食のぶんだけだから、五束もあればじゅうぶん。ちょっと待ってて」
「えっと、今日食べる分だけしか抜かないの?」
腕をまくりながら収穫する株数を伝えると、エイミーは駆け寄って訊ねてきた。
次いで、私の真似をして腕をまくる。さては――
「……エイミー、コリーから聞いてないの?」
たしか畑の案内はコリーがしたはずだ。
だから知っているものと思っていたのだけど、エイミーは首をかしげるばかりだった。
肩上に切りそろえられた黒髪が揺れ、きょとんとした瞳と視線がまじわる。
……コリーのことだ。これがサージュだ! とか、ざっくりした説明しかしてないのかもしれない。
深いため息をひとつ。
そして、サージュの根を引き抜きながら告げる。
「……サージュは収穫してから一日で腐っちゃうから、その日に食べる分だけしか収穫しない」
「ええっ!? そんなに足が早いの?」
「……その代わり、収穫しなければ食べごろの状態が長く持続する。栄養も豊富だし、ここは天候も安定しているから育てやすい」
エイミーの世界では珍しい植生なのかもしれない。
魔石のことといい、これが文化の違いなのだろうか。
「……他の材料はラピスが用意してくれてる。だから、私たちはサージュの準備に専念しよう」
エイミーは大きく頷いて、「私も手伝う」と申し出てくれた。
本当は洗うのだけを手伝ってもらうつもりだったのだけど、彼女はやる気に満ちている。まくり終えた袖を、戻させるのは酷というものだろう。
別に危険なこともないため申し出を受け、二人でいくつかのサージュを収穫した。
黄色く色付いているのが食べごろだよ。
あんまり力を入れると茎が千切れちゃうから、気をつけて。
茎や葉は肥料にするから集めておいて。
そんな、むかし私が教わったことを伝えながら。
「……おつかれさま。さ、水で洗おう?」
彼女の手を引こうとして、手がサージュでふさがっていることに気付く。
そもそもお互い土まみれの手なのに、そんなことをされては迷惑だろう。……口に出さなくてよかった。
黄色や緑が鮮やかな畑を抜け、コールの木や裏庭の花々に見送られながら歩いてゆく。
木々の下。積もった落ち葉が秋の暮れを告げている。
視界の端に景色を滑らせながら、向かう先は外に設置された魔石の在り処。水浴びに使う井戸とは別の場所だ。
「あのね、ルシル」
秋色の景色に、私の名前がふわりと浮かぶ。
声の主をたどって視線を向けると、小さな唇が揺らめいた。
けれどその先は言葉にならず、喉の奥にのみこまれてしまった。
聞き返すべきか、待つべきか。対人経験の薄い私はとっさに判断することができなくて、口をつぐんでしまう。
そんな私の迷いを置き去りに、エイミーは首を横に振りながら、
「……ううん。ごめんね、何でもないんだ」
出しかけた言葉を飲みこんでしまった。
礼拝堂でのやりとりと違って、何故だか今回は真意がわからなくて。
歩調を速めてしまった彼女を追いかけているうちに、私は、言葉を重ねる機会を失ってしまった。
歯切れの悪い雰囲気のまま。私たちは魔石と、桶や腰かけ石のある目的地へと到着する。
空気を変えるため。私は、会話の材料を探して瞳をはしらせた。
そして、目にとまったのは青色に輝く魔石。
魔獣の核に魔術を籠めて作り出された、特別な石だった。
「……エイミー、魔石の使い方はもう慣れた?」
サージュについた土を洗い落としながら雑談をする。
こういった何気ない会話をできるのは、人として普通のことなのかもしれない。
けれど、私にとってはすごい進歩なのである。
私の内心での自慢をよそに、エイミーは手を動かしながら口を開く。
「うん。使おうと思って手をかざすと水が出るなんて、まるで前の世界の水道みたい」
「……ここにある魔石は高い。大丈夫だと思うけれど、壊さないようにお願い」
なんでもエイミーの元いた世界では、魔石のような仕組みが街中至る所にあったらしい。
しかも粗悪な魔石――マナの補給が必要なものと違って、この家にあるものと同品質のものが。
まるで話に聞く王城の内部のようだ。
「高いって、どのくらい?」
「……いまサージュを洗うのに使っている水の魔石で、金貨五十枚くらい」
「?」
ああ、通貨も違うんだった。
「……サージュ一万束くらい」
「いちまんっ!?」
サージュは足が早いものの、本当は安定した気候の豊かな土地でしか生育しない高価な野菜だ。
その特性からそもそも生産者が少ない。
おじいちゃんが土壌改良をしているから、ここでは簡単に採れるけど。
だから、本当はエイミーにとってさらに驚くくらい高い可能性もある。
魔石にも種類がある。粗悪なものなら百分の一、同数の銅貨で買えるものもあるにはある。
でも、この家にある魔石は全てが一級品。
そのうえ大魔術師のおじいちゃんが《しるし》を刻んだものだから特に高い。
こんな高級品があふれていることに、私もはじめは驚いたものだ。
エイミーは価格を知って緊張したようで、魔石を扱う手がプルプルと震えてる。
悪いことを言ってしまったかもしれない。
「あれ? 二人で何やってるの?」
「夕飯の準備か?」
そんなことを考えていたら後ろから声がかかった。
振り向くと、デンテルとコリーが立っている。
「……今日みんなで料理するから、その準備」
「楽しそうだね」
「はあっ!? 俺は何も聞いてないぞ」
デンテルは笑顔で頷いてくれたが、コリーは驚きを主張する。
言われてみれば伝えてなかった。何か言い訳をしておこう。
「……これが終わったら伝えるつもりだった」
うん。我ながら完璧な言い訳だ。
不自然さのかけらもない。
――あ、そうだ。
「……でも来たならちょうどいい。私は準備をしてくるから ここをお願い」
「え? ちょっと、ルシル……」
エイミーが服の裾を ちょこんとつまんできた。
緊張しているのだろうか。彼女はうるんだ瞳でこちらを見やる。
コリーは畑の案内をしたみたいだけど、エイミーはデンテルとほとんど会話をしていない。
デンテルは優しくて気が利くし、コリーはおバカな発言が多いけれど仲間想いの良いやつだ。
私は彼女にも、そんな家族の良さを知ってほしいと思う。
ここのみんなは本当に良い人たちだ。それは、話せばわかってもらえると思うんだ。
口下手で表情を変えられない私なんかより、きっとすぐに打ち解けられる。
先を越されてしまうのは少し悔しいけれど、多分こうした方が彼女のためになるのだ。
……そんな考えのもと、私はエイミーに親指を立てて見せ、身振り手振りで「がんばって」と伝えた。
背中に視線を感じながらも気づかないふりをして、私はその場をあとにした。
0
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