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セレスティア帝国
24執事と誓い
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カーチャが去ったあと、部屋に残ったのはヴァルターと執事のみ。
沈黙が数拍、漂う。
やがて、黒の衣を纏った執事が静かに口を開いた。
「……カーチャ様のやさしさは、恩寵ではありません」
ヴァルターはゆっくり振り返る。
兄の瞳には怒りも呆れもない。ただ、
長年忠義を尽くした者だけが持つ、凛とした静けさと黒曜石のごとき威厳が宿っていた。
「……兄上」
「カーチャ様は、見返りなど求めてはおられません。
差し出してもなお、自らの意志を通せる強さを、お持ちなのです。
──あなたが気まぐれや情で動くというのならば……今すぐ、その申し出は撤回なさっては?」
ヴァルターは即座に答えられなかった。
けれどその顔つきに、ゆるやかに決意が浮かび始める。
「……わかっています」
その一言とともに、彼は一歩前に出た。
整いすぎた金の髪、非現実的なまでに整った横顔が、伏し目に沈む。
そして静かに、片膝をついた。
それは騎士の礼よりも深く、謙虚な祈りにも似た動きだった。
「吾は、今この瞬間をもって──
この館と、兄上が仕える“淑女”に、忠を誓おう」
美貌と気品を持て余すかのようなヴァルターが、
この日初めて“己を低く置く”姿を見せた。
「命ずるままに」
執事はしばし黙したまま弟を見つめていた。
その氷のように整った顔立ちに、ほんのわずか影が差す。
そして、口元にかすかな笑みが浮かぶ。
「……ふっ」
「な、笑うのか兄上!」
「それは、カーチャ様にお伝えすべきことだろう」
ヴァルターは立ち上がり、顔を上げる。
その瞳にあったのは、かつての軽薄ではなく──確かな誓いの光だった。
* * *
「……っつ!!カーチャ殿!」
響いた声は、いつもの気怠げな調子を脱ぎ捨て、
どこか懐かしい真摯さを帯びていた。
カーチャが振り向いたのは、東棟の白亜の回廊。
朝の光が差し込み、葉の隙間から落ちる光と影が、石床に揺れていた。
銀の髪が光を受けてきらめくその姿は、
まるで聖画の中に描かれる“祈りの姫君”のようだった。
駆け寄ったヴァルターは、息も整えぬまま、彼女の前で足を止める。
その美しい顔は穏やかに引き締まり、
あらゆる虚飾を捨てて、真っすぐに彼女を見つめた。
「先ほどの申し出──一」
カーチャは、彼の目を見て、静かに頷く。
「忘れません。
──ゆえに、今ここで、我が誓いをお受け願いたい」
そう言って、ヴァルターはかすかに風を巻きながら片膝をついた。
金の髪が朝日を受けて輝き、漆黒の上着が陽に照らされ深く染まる。
伏せた瞳に翳りはなく、口元は凛と結ばれていた。
「Ostendam fidem meam,
et animam meam in servitium vestrum tradam.
(我が忠誠を示し、魂を貴女の御ために捧げん)」
「Fiat voluntas tua, domina.
(御意のままに、わが貴婦人よ)」
沈黙が、石造りの回廊に満ちる。
その誓いは、ただの言葉ではなく、
古き契約の如く──空気に刻まれてゆく。
カーチャはしばらく彼を見下ろしていた。
やがて、彼女は静かに息を吸い──まっすぐに応える。
「そのように言っていただけて、嬉しく思います。
わたくしもあなたのそのお気持ちに応えられるよう、努めてまいります」
その声音には、形式でも情でもない、
生まれながらにして与えられた責と立場を当然としながらも、
それに驕らぬ真の育ちの良さが滲んでいた。
上流階級の傲慢さなど微塵もなく、
そこにあったのは──
美しき傲慢のさらに上にある純粋さと、
**教養に裏打ちされたnoblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)の精神だった。
そして彼女は、少し染まった頬でそっと手を差し出した。
ヴァルターはゆっくりとその手を取り、
胸元に添えるようにして深く頭を垂れた。
まるで聖遺物に触れるかのように、
その手を丁寧に扱いながら、彼は囁く。
「“Fiat voluntas tua.”(御意のままに)」
ただ静かな誓いと、揺るぎなき心。
やがて彼は、静かに立ち上がった。
白亜の回廊に差し込む朝の光が、
その肩と髪に、祝福のように降り注ぐ。
金の髪が光をまとってかすかに揺れ、
漆黒の上衣は風を孕んで波打つ。
その立ち姿は、騎士のようでありながら、
どこかこの世のものとは思えぬ気高さと静謐さを纏っていた。
沈黙が数拍、漂う。
やがて、黒の衣を纏った執事が静かに口を開いた。
「……カーチャ様のやさしさは、恩寵ではありません」
ヴァルターはゆっくり振り返る。
兄の瞳には怒りも呆れもない。ただ、
長年忠義を尽くした者だけが持つ、凛とした静けさと黒曜石のごとき威厳が宿っていた。
「……兄上」
「カーチャ様は、見返りなど求めてはおられません。
差し出してもなお、自らの意志を通せる強さを、お持ちなのです。
──あなたが気まぐれや情で動くというのならば……今すぐ、その申し出は撤回なさっては?」
ヴァルターは即座に答えられなかった。
けれどその顔つきに、ゆるやかに決意が浮かび始める。
「……わかっています」
その一言とともに、彼は一歩前に出た。
整いすぎた金の髪、非現実的なまでに整った横顔が、伏し目に沈む。
そして静かに、片膝をついた。
それは騎士の礼よりも深く、謙虚な祈りにも似た動きだった。
「吾は、今この瞬間をもって──
この館と、兄上が仕える“淑女”に、忠を誓おう」
美貌と気品を持て余すかのようなヴァルターが、
この日初めて“己を低く置く”姿を見せた。
「命ずるままに」
執事はしばし黙したまま弟を見つめていた。
その氷のように整った顔立ちに、ほんのわずか影が差す。
そして、口元にかすかな笑みが浮かぶ。
「……ふっ」
「な、笑うのか兄上!」
「それは、カーチャ様にお伝えすべきことだろう」
ヴァルターは立ち上がり、顔を上げる。
その瞳にあったのは、かつての軽薄ではなく──確かな誓いの光だった。
* * *
「……っつ!!カーチャ殿!」
響いた声は、いつもの気怠げな調子を脱ぎ捨て、
どこか懐かしい真摯さを帯びていた。
カーチャが振り向いたのは、東棟の白亜の回廊。
朝の光が差し込み、葉の隙間から落ちる光と影が、石床に揺れていた。
銀の髪が光を受けてきらめくその姿は、
まるで聖画の中に描かれる“祈りの姫君”のようだった。
駆け寄ったヴァルターは、息も整えぬまま、彼女の前で足を止める。
その美しい顔は穏やかに引き締まり、
あらゆる虚飾を捨てて、真っすぐに彼女を見つめた。
「先ほどの申し出──一」
カーチャは、彼の目を見て、静かに頷く。
「忘れません。
──ゆえに、今ここで、我が誓いをお受け願いたい」
そう言って、ヴァルターはかすかに風を巻きながら片膝をついた。
金の髪が朝日を受けて輝き、漆黒の上着が陽に照らされ深く染まる。
伏せた瞳に翳りはなく、口元は凛と結ばれていた。
「Ostendam fidem meam,
et animam meam in servitium vestrum tradam.
(我が忠誠を示し、魂を貴女の御ために捧げん)」
「Fiat voluntas tua, domina.
(御意のままに、わが貴婦人よ)」
沈黙が、石造りの回廊に満ちる。
その誓いは、ただの言葉ではなく、
古き契約の如く──空気に刻まれてゆく。
カーチャはしばらく彼を見下ろしていた。
やがて、彼女は静かに息を吸い──まっすぐに応える。
「そのように言っていただけて、嬉しく思います。
わたくしもあなたのそのお気持ちに応えられるよう、努めてまいります」
その声音には、形式でも情でもない、
生まれながらにして与えられた責と立場を当然としながらも、
それに驕らぬ真の育ちの良さが滲んでいた。
上流階級の傲慢さなど微塵もなく、
そこにあったのは──
美しき傲慢のさらに上にある純粋さと、
**教養に裏打ちされたnoblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)の精神だった。
そして彼女は、少し染まった頬でそっと手を差し出した。
ヴァルターはゆっくりとその手を取り、
胸元に添えるようにして深く頭を垂れた。
まるで聖遺物に触れるかのように、
その手を丁寧に扱いながら、彼は囁く。
「“Fiat voluntas tua.”(御意のままに)」
ただ静かな誓いと、揺るぎなき心。
やがて彼は、静かに立ち上がった。
白亜の回廊に差し込む朝の光が、
その肩と髪に、祝福のように降り注ぐ。
金の髪が光をまとってかすかに揺れ、
漆黒の上衣は風を孕んで波打つ。
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