帝は傾国の元帥を寵愛する

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1章

19話 誓いの言葉

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式の当日。

ヴァルターは完璧な礼装に身を包んでいた。
深い黒の軍礼服に金糸の縁取り、襟元には名誉元帥の証たる紅の勲章。
白手袋をはめた指先まで、すべてが規律そのもの。
誰が見ても、帝を祝う美しき家臣の姿だった。

――心の奥底を、完璧な衣で封じるように。
鏡に映る自分を見つめる。
顔色は少しも乱れていない。
唇は穏やかに弧を描き、目元にはわずかな微笑。
それでも、胸の奥では何かがきしむ音がしていた。
控えの間で、レオンが彼を見つけ、一歩前に出た。

「……閣下。」
微笑を浮かべ、深く礼を取る。
ヴァルターはその礼に応じ、同じように微笑みを返した。
完璧な礼儀。

その笑みの奥で、彼は心のどこかで——
“今すぐ逃げ出してしまいたい”という衝動が、波のように押し寄せていた。
戦場のどんな局面でも、そんな気持ちになったことは一度もなかった。
剣を抜くときも、雨と血に濡れた夜も、恐怖など感じたことはなかった。

だが、いま胸の奥にあるこれは、恐れではなく、痛みだった。


外から鐘の音が響く。
帝都セレスティア全土を震わせるような祝福の鐘。
白い花弁が風に乗って、窓辺を流れていく。
ヴァルターは深く息を吸い込み、扉の前に立った。
扉が開くと眩い光とともに、花と香水の香りが流れ込む。
王宮の大聖堂は人で満ち、高い天井から吊るされた無数の水晶灯が光を散らしていた。

楽団が奏でる旋律が、天井のアーチに反響して揺れる。
通路には白百合と黄金のリボン。
祭壇の前には、青い衣の神官。
その中央を、ユリウスが歩いていた。

「……殿下。」
そばを通った時、ヴァルターは声をかけた。

「おめでとうございます。」
ユリウスがふと立ち止まり、こちらを見る。
その瞳と一瞬、確かに目が合う。
けれど返事はない。
わずかに息を止めたような沈黙。

次の瞬間、ユリウスは視線を逸らす。


ユリウスの婚礼の装いは、
白と金を基調とした王家の礼服。
光の加減で、まるで聖像のように見えた。

ヴァルターはそれを、いつ誂えたのか知らない。
いつ、その隣の人物と出会ったのかも。
どんな理由で選ばれた相手なのかも――何も知らない。
ただ、知らされなかった。

耳に届くのは噂ばかり。
「新帝の伴侶は聡明で麗しい」
「婚後は北方の温泉地へ向かうらしい」
ヴァルターは息を呑んだ。
普段は決して揺れぬ心の灯が、かすかに震えた。

殿下が誓いの壇へとゆっくりと進む。それは驚くほど長く感じた。
祭壇の白い布が風に揺れ、陽光が二人を包む。
神官が言葉を紡ぎ、
ユリウスはその瞳を真っすぐ前に向けていた。

ヴァルターは、ただその背を見つめていた。
奥底で期待しているのは、――「やはり婚姻は取りやめる」と、
殿下が言ってくれるのではないかということだった。

愚かだとわかっていた。
奇跡など起こらぬことも。

それでも、五年を共に過ごした心が信じてしまう。
殿下の唇が動いた。
その声は確かに届いた。

「……永遠の忠誠を、この国と、我が伴侶に。」

世界が、音を失った。
花弁の落ちる微かな音だけが、遠くで響く。

二人の顔が近づく。
唇が重なるその瞬間、
王国の全てが息を呑み、祝福の鐘が鳴り響いた。

ヴァルターは静かに背を向ける。
微笑を作り、深く一礼して――歩き出した。

祝福の音が遠ざかる。
風が頬を撫で、花弁が肩に舞い落ちる。
振り返ることなく、

ヴァルターは、帝都を去った。
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